鎌倉発電送かわら版
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鎌倉市議会議員 松中 健治 
鎌倉一筋 一松懸命
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 市政に関する私の広報紙「マイ オピニオン」  
 

2013年4月11日(木)
国政では、野党の内部抗争が顕在化
国政では野党の離合集散で、自民の一人勝ち状況。夏の参議院議員選挙に向けて、何が起きるか。
4年前、衆議院選挙を控えた鎌倉市議会議員選挙で、民主党公認、推薦候補が8人いた。
当選した民主系議員が7人と民主党一人勝ちであった。最高当選者も民主党公認候補者であった。

その後、衆院選に向けて、民主党系は、民主党、みんなの党と分裂し、政界再編成が叫ばれた。
夏の衆院選では、民主党の一人勝ちであった。あれほど、民主党の党旗が日本中を被ったことは、必ずやってくれると期待した有権者は多かったはずだ。

それが、鎌倉市議会の民主系議員の多くは、みんなの党系議員、離党議員となり、民主党議員は気がついてみると、一人だ。4年経ったらまた会いましょとはねぇ。
昨年、12月の衆院選では4年前の民主党議員300人から60人と、見るも惨敗で、今や、民主存続を掛けているが、どうも、内部党争で、力が内向している。
それでは、維新やみんなの党と政界再編成か、連携となるが、これまた、先行き不透明である。民主党を離党する方、先祖返りで連携を模索する方も。

これらの、現状を考えると、鎌倉市議選で政党関係の候補は、どうなるか、やはり、不透明である。有利であるか、不利であるか、分からない。
野党のリーダーが、揺れていては、政党政治への信頼がない。でも、北朝鮮、TPP,教育改革等への対応で、安倍自民党政権は、がっちりだ。

一強八弱だと言われている国会、ここで、憲法改正論議が出てきたので、一強自民党と連携するのはどの一弱野党か。与党公明党も複雑とか。維新がどう出るか。
鎌倉市議会選で、大量候補者が予定されているが、政党選挙で盛り上がるか。私は、無所属36年の姿勢は変わらない。どっこい、生きています。
2013年4月10日(水)
来週は市議選、最高当選者が誰か、結果次第では、県議が市長が替わる?
4月14日が告示日、投票日は4月21日の鎌倉市議会議員選挙がもうすぐである。選挙結果、誰が最高当選するか、その結果、鎌倉の政界地図も変わる。
最高当選者あるいはそれに準ずる上位当選者によって、過去、鎌倉の政界地図は変わってきた。

まず、長島氏が驚異的票数で鎌倉市議会議員に当選し、任期半ば2年で逗子市長に転身、さらに、民主党の国会議員となった。現在は引退したが。
また、現在の松尾鎌倉市長は、市議会議員選挙で2回最高当選し、一期半で県議選に最高当選、任期半ばの2年後には鎌倉市長選に当選。
早稲田氏は、平成21年の鎌倉市議会議員選挙、2期目に最高当選、任期半ばの2年後に県議選に当選。

今回の鎌倉市議選には多くの若い候補者が予定されている。最高当選、上位当選次第では、いずれは、県会、国会に進むこともあり得る。また、市長へも。
それに、大臣、総理も夢ではない。鎌倉町会議員出身で総理大臣になった方で、石橋湛山先生は有名。

長島氏が鎌倉市議会議員に最高当選してきたとき、彼に聞いたことがある、何をしたいのかと、彼は、松中さんは笑うかもしれないが、総理大臣だと言った。
私は呆れたが、その後鎌倉市議2年務め、逗子市長を歴任し、国会議員となったときは、正直驚いた。彼のスケジュール通りだ。でも、昨年一期で引退。
これまた、驚いた。その長島氏がモデルか、松尾鎌倉市長の市議、県議、市長ととんとん拍子に、当選していくことにも驚いた。さらに、国政へとの声もある。

今回の鎌倉市議会選挙で、最高当選、上位当選する方次第では、鎌倉の政界地図が変わること必至である。元気で威勢いのいいのが出るか?
松尾市長にとって、次期市長選は暗雲が立ちこめているだけに、若い方が、期待されているのか、自ら立ちあがったのか、鎌倉政界を引っかき回すかも。
松尾市長は任期まで保つか、いや、保ってもガタガタで、市政大混乱は想定されている。判断力無し、決断力無し、理解力無し、最高当選者もいろいろだ。
2013年4月4日(木)
教育長を責任者に

今朝の神奈川新聞によると教育委員会議論が活発化してきた。

教育委員の人選で、学校運営に携わる地域住民を優先的に起用する「地域枠」の創設を検討していることも判明。
コミュニティースクール(地域運営学校)の運営に積極的に携わる保護者や住民ら、当事者意識を持って教育活動に参加している人から選ぶこと

各党、違う考えを持っているのが、政権政党の自民党案が実現の可能性がある。さぁ、これからの教育改革議論は、首長次第だ。松尾市長には無理だろう?トンチン感?

各党の教育委員会制度に関しての態度。

自民党:       首長が議会の同意を得て任命する「常勤」の「教育長」を教育委員会の責任者にするなど、教育委員会制度を抜本的に改革。

日本維新の会:  教育委員会制度の廃止を含め、教育制度を改革

みんなの党:    地方自治体の判断により教育委員会を設置するか否かを決定できるようにする等、地域の実情に応じた教育行政が展開できる環境整備を図る。

民主党:       地方の教育委員会を発展的に改組した「教育監査委員会」を創設し、教育行政の責任を首長に移管
   
              現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行う。 


神奈川新聞 4月4日

教育長を「教育行政の責任者」に 教委改革で再生会議提案へ

 政府の教育再生実行会議は3日、教育長を自治体の教育行政の責任者として位置付け、教育委員会は諮問機関とするよう求める教育委員会改革の提言素案をまとめた。
4日の会合で議論し、月内にも提言をまとめる。

 文部科学省が教育委員の人選で、学校運営に携わる地域住民を優先的に起用する「地域枠」の創設を検討していることも判明。
コミュニティースクール(地域運営学校)の運営に積極的に携わる保護者や住民ら、当事者意識を持って教育活動に参加している人から選ぶことを
想定し、今後、実行会議でも取り上げる。

現在の教育委員会は非常勤の有識者ら原則5人の委員で構成、学校管理や生徒指導の権限を持つ。教育長は委員の一人で事務局を統括するが首長には指揮命令権がない。
大津市の中2男子いじめ自殺で対応が遅れたことなどを受けて月1回程度開かれている教委による意志決定では迅速性に欠き、責任の所在があいまいだと批判が出ていた。

素案では、首長が教育長を任命することを明示し、教育長が責任を負うことを明確化する。教育委員会は教育行政に意見を述べるなどの役割とする見通しだ。
ただ、文科省内には首長の政治的思惑で教育が左右されるとの懸念も強い
民意を制度的に取り入れる地域枠創設は、権限が集中する首長や教育長をチェックする狙い
があるとみられる。

ほかにも、実行会議の素案には、教委で法令違反があったり、教育を受ける子ども権利が侵害されたりした場合、国が是正を命じやすくすることを盛り込む。
都道府県と政令市だけが持つ教職員の採用や配置の権限を中核都市にも委譲することも提言する。

2013年4月1日(月)
松尾鎌倉市長のけじめはこれから次々続く
先日の代表者会議で、電線地中化工事の不祥事で、松尾崇市長は関係職員を地方公務員法上の懲戒とせず、制裁のない行政措置処分にとどめた。

松尾市長自ら「正直、軽い」としながら、市職員考査委員会の答申をそのまま踏襲した。市議会からは「甘い処分」と批判が出た。

代表者会議の後、記者会見で松尾市長は「責任を取ってけじめをつける」とし、自身の給与を減額する考えも表明した。


このけじめって、電線地中化工事の不祥事に対してか、関係職員処分に関して「正直、軽い」という松尾市長処分に対してか、分からない。
正直、軽いと松尾市長は言うのなら、考査委員会の答申より、厳しく処分すればいいのではないか、あくまで答申は答申である。
松尾市長の判断があるはずだ。考査委員会の答申が軽いと言うのであるから。何も答申を尊重する必要はない。
軽いと言いながら尊重すると言うから、松尾市長の判断に対し、議会から批判が出るのだ。ましてや、地方自治法違反を松尾市長は認めているのだから。

松尾市長はけじめをつけると、自ら減給をする、そして、今後、公平、公正な行政運営に努めて市政の回復に努めたい言うが、

これから、岡本マンション問題や極楽寺、鎌倉山の違反許可取り消し問題があるので、次々、松尾市長のけじめが続くことになる。それも、深刻で厳しい。
しかし、半年以上教育長不在の鎌倉市、恫喝副市長の問題と鎌倉市政始まって以来の恥ずかしい市政運営に対し、今すぐ、松尾市長はけじめを取るべきだ。

それは、速やかに市長を辞任し、松尾市長は市民に信を問うべきだ。そうでなければ、秋まで続く、市政の大混乱。その責任は松尾市長である。
次の市会議員選挙で松尾派市議候補は大量当選すると言われているが、その、リーダーは誰か、また、責任取れる議員はいるのか、
まさか国会議員ではあるまい。推薦書に署名した現職大臣の石原伸晃氏の考えは。鎌倉の自民党市議は、松尾市長批判の急先鋒だが?


鎌倉市長 自ら減給表明 工事の不祥事 職員は懲戒なし     

京新聞 3月31日

 
鎌倉市の小町通り電線地中化事業で、虚偽内容の補正予算書が作成されるなどの職員による一連の不祥事で、
松尾崇市長は29日、責任を取って自ら減給にすると表明した。
ただ、職員は懲戒処分ではなく、訓戒などの行政処分としており、けじめのつけ方に疑問が残る幕引きとなった。 (斎藤裕仁)

 この事業は小町通りの約6百メートルが対象。
2007年度に工事が始まったが、担当課長が予算の補正や工事協定の改定手続きを無視し、予定外の障害物のコンクリート管を独断で撤去。
これで生じた予算不足に対し、11年度に既にないコンクリート管の撤去を名目にした虚偽内容の補正予算書を作成した。

 関与した職員の処分について、市職員考査委員会(委員長・伊東研祐慶応大学大学院教授)が審議。
市や業者への実害、職員に故意はなく、現場職員と上司の意思疎通の不備が原因として「懲戒処分に該当せず、行政措置が妥当」と答申した。

 これを受け、松尾市長は、関与した都市整備部長や道路課長、担当係長ら計6人を訓戒、文書訓告、厳重注意の行政処分とし、自らを減給とする。
今後、特別職報酬等審議会の答申を受けて減給内容を決め、六月定例議会をめどに議案を提出して実施する。

 松尾市長は記者会見で「市民に行政に対する不信を招き、深くおわびする。今後、公平、公正な行政運営に努めて市政の回復に努めたい」と陳謝した。

 考査委の答申については「正直軽いという気持ちはある。
ただ、きちんと議論を尽くした上での答申なので尊重した。(職員の行為が)地方自治法違反だという点は認める」と話した。

 鎌倉市では他に、大船観音前マンション開発の違法許可や宅地開発許可の取り消しなど、職員のミスが続いている。
松尾市長は防止策について「処分は大事だが、それだけで職員が引き締まるかという点もある。
今後は組織を引き締めるために最大限努力をする」と述べるにとどまった。

2013年3月28日(木)
異様な松尾市長の教育長選任問題
半年間空白になっている教育長候補の教育委員選任問題はお粗末な松尾鎌倉市長どころではない。今まで経験したことがない恥ずかしい鎌倉市政の局面。

2月議会では、「現職大臣の署名のある推薦書」、「市議選で争点となるよと国会議員」が、登場する。でも、議会で与党的議員の発言がない。与党がいるの?
それに、昨日の総務常任委員会協議会は凄かった。政治団体・松尾たかし応援する会に杉並区の現職中学校長出席問題で教育公務員特例法に関し疑義が。
政治団体の集まりであることは、市議会議員選挙の立候補予定者がかなりいることで、これからが、どうなることやら。何のための集会だったか。
また、圧力、恫喝、自作自演の言葉が飛び出すやら、松尾市長に教育を語る資格がないのではとの疑問符が議員から、松尾市長は議会でのやりとりが分からない?

あぁ、どれも、これも異様な事態だ。それでも、松尾市長が杉並区立和田中学校の代田校長を教育長候補に固執していることは、なぜだ、理解出来ない。密約?
それに、代田校長、メディアと言い合いとは、これまた、聞いたことがない。この方が教育長として適任?とんでもないことになるだろう。なんでも、挑戦、チャレンジ、トライ、トライ?

瀧澤副市長のネット議員への恫喝の話は、とんでもないどころか許されるのか、また、渡辺昌一郎議員への圧力、これまた、呆れた。でも、だんまり与党的議員。
それも、松尾市長は許しているのだから。また、校長が政治団体に出て行くことは良いことだと、それなら、国会議員になって、法律を変えたらと思う、橋下維新流に?

でも、鎌倉を舞台に、しっちゃか、めっちゃかは、御免被る。強制着陸より軟着陸でないと、滅茶苦茶になってしまう?もう、なっている?パフォーマンス政治のなれの果てか?
臨時議会も検討すると松尾市長。その場しのぎ主義の出任せか?しっかり処分します、処分しますが、訓告、口頭注意?言葉も軽い松尾市長?分かっているのかな?
でも、松市長は何をやりたいのか、分からないよと、市民の方が。すぐ揺れるのも早い、松尾市長。これじゃ、どうなるか分からない。

2013年3月26日(火)
無理に無理を重ねて、松尾市長は自滅?
また、教育長候補の教育委員人事案に関連して、松尾市長は物議を醸している。

2月23日の私のブログにこの問題で松尾市長の答弁は市長の進退問題に発展する嫌な予感がすると書いた。
どうやら、無理に無理を重ねて、自滅のようだ?昨日の新聞報道にみるように、考えられない展開である。
まさに自ら墓穴を掘る松尾市長の発言、行動である。


3月21日の3月議会最終日には、テレビ朝日が取材に入り、中沢議員の緊急質問で松尾市長と激突があり、松尾市長は、代田氏の再提案を明らかにせず、終わった。
議会終了後、中沢議員と松尾市長、瀧澤副市長、大谷副市長の3人と場外バトルが中沢議員控え室前で行われた。全く、考えられない市長、副市長の行動である。見たことない。

翌日のテレビでの報道では、国会議員、それも現職閣僚の署名問題まで採り上げられていた。
まあ、これで静かになるかと思ったら、翌日の23日には、政治団体・松尾たかしを応援する会が主催の「教育委員の選任に係わる一連の経過について」の情報が回った。
24日の当日、松尾市長、和田中学 校長 代田 昭久氏出席の下、松尾市長が代田氏の再提案を明言。これまた、松尾市長の政治団体の会合での発言である。
あぁ、もうこれはダメだ。
行くも地獄、行かぬも地獄では、解決策は松尾市長が市民の信を問うことである。
松尾市長の4月辞職は、マニフェストどおりであるから、まさに、信頼回復の道だ。保証は出来ないが?




2月23日のブログの一部。
各会派の代表質問が終わった。だが、無事終わると思われたのに、教育長候補の教育委員人事案に関連しての質問が納所議員、中沢議員、高野議員から行われたやりとりで、
松尾市長の答弁が市長の進退問題に発展する嫌な予感がする。

松尾市長は自信を持って、教育長候補の教育委員のことを述べていたが、唐突に人事案が議会側に内示され、3月3日に候補者と各議員との話す機会があると事前に説明された。
候補者の名前も明らかにされ、実名で報道された。人事案は、杉並区の和田中学校の代田校長で、民間からの校長だ。

松尾市長は、議会で否決されても人事議案を提出すると新聞報道にあったが、実に無責任な扱いである。
また、民間からの教育長となると、これまで鎌倉では教育界出身であったのでその事前に協議、説明もない。まったく、松尾市長の一方的な扱いで、驚いている。



3月5日のブログの一部
今、教育長問題で松尾市政は揺れている。教育長の任期が来るのは、松尾市長就任当時からは分かっているので、その後をどうするか検討してきたはずだが、直前でつまずき、
その後、思いつきか、民間教育長を突然、発表。現在、騒然たる状態である。教育委員会を解体しようとしているのか。

為無策の松尾市長は、市長を辞任し、市民に信を問うべきである。
まだ、まだ、若い、これからもチャンスは十分ある。でも、今は、進むも地獄、退くも地獄だ。
自業自得?側近はどうしているのかなぁ?

3月8日のブログの一部
教育長候補の教育委員人事選任で見せた松尾市長の責任逃れの態度は醜い。
中沢議員の追及にウソの上にウソを重ねる様な答弁で、行き詰まると休憩とっても、拉致開かず。
撤回すると思ったが、一晩考えさせて欲しいと言うから、撤回を朝まで決断するかと思った。

蓋を開けてみたら、ごまかし答弁で乗り切ろうとしたが、国会議員署名入りの推薦書の新事実が発覚。
追及されると、これまた、お粗末態度に終始になり休憩。

休憩後、撤回するというので良く聞いて見たら、教育委員候補者が、辞退となり、やっと松尾市長は撤回を決断。
そもそも、提案することが問題であるのに、候補者の辞退で撤回することになった。
候補者の辞退する前に、撤回するのが筋だ。責任は候補者にあると聞こえるが、提案するのが、間違っていたのだ。

結局、決断できないのに、決断してはいけないときに決断し、また、決断してはいけいなことに決断する松尾市長の責任は重大である。

教育委員長選任問題で、何人のもの方々に迷惑を掛けていながら、責任を感じていない松尾市長の態度には怖れさえ感じる。
また、責任を取らない、責任逃れは醜い。松尾市長の責任は、市長を辞して、市民に信を問うことだ。
2013年3月24日(日)
江藤淳先生の一文に感激
30年前の鎌倉市職員高額退職金引き下げを問題にしていたとき、鎌倉に引っ越してきた江藤淳先生に初めてお会いした。
妻の親戚である辛島昇東大教授の紹介で、辛島先生から、鎌倉で何かあったら、「松中君に相談するいいよ」と、江藤に伝えてあるからよろしくと。

江藤先生は、福田内閣のブレーンであったので、中央には政界には知り合いが多かったが、鎌倉では湘南高校から日比谷高校へ転校したため、
付き合いが友人と薄くなっていた。

辛島先生は湘南高校時代、江藤淳先生、石原慎太郎先生とは、文芸関係の仲間であった。
辛島先生に紹介されて以来、江藤淳先生、慶子夫人とは、家族づきあいとなり、自宅にもよく招待され、軽井沢の別荘にも泊まりに行ったことも。

28年前、市職員の高額退職金が争点になり、中西行革市長を誕生させた。応援に駆けつけてくれた方に、石原慎太郎先生、作家の斎藤栄先生、
江藤淳先生と高校時代の仲間が。中西市長も私も湘南高校卒業。市民の行革グループと湘友会の仲間が中心となり選挙戦を戦った。

その4年後、私は油断か、昇り盛りであったので、既成勢力から大きな抵抗があり、最下位当選となった。
その時、励ましてくれたのが、江藤淳先生、御喜家先生、井上禅定和尚、清川先生をはじめ多くの方々だ。
20年前の市会選には、江藤淳先生が、パンフレットに一文を写真と共に寄せてくれた。

「私は松中健治さんを信頼しています。 だから支持します」 江藤淳   私はただただ、感激の一言であった。

江藤先生は文芸、政治評論家。私は熊さん、八さんの立場。先生とはよく政治論議をした。私は御喜家先生の紹介で勉強した国民政治研究会の
情報がネタ元であった。国民政治研究会は、マスコミ界メンバーによる日本でも権威のある勉強会。10年間、毎週月曜日出席した。

その後、江藤淳先生は自決された。私と辛島昇先生、石原慎太郎先生に、手紙とワインが届けられた三日後であった。 
もう、13年を過ぎた。 でも、江藤淳先生の一言は忘れることは出来ない。 有り難いお言葉だ。「信頼」 合掌。
2013年3月23日(土)
いずれは、国会へと言われたが、
鎌倉市議会議員に当選して、周りの方々がいずれは、国会へと言われ、引き回してくれた。
でも、36年経って、9期36年を鎌倉ひとすじで頑張って来た。有り難い。
感慨深いものがあるが、多くの方に感謝である。懐かしい写真が出てきたと妻が取り出してくれた。30年前だ。
     
初当選の時の選挙。 昭和52年。 父の郷里天草の園田外相と。遠縁。  渡辺市長と安部晋太郎先生。妻の関係。 
     
 初めての励ます会。小泉j純一郎先生も若い。 石原慎太郎先輩と井上禅定和尚。 昭和60年。 福田元総理と井上和尚。御喜家先生の会で。 
2013年3月23日(土)
マイ オピニオンを整理
市政に関する私の広報紙「マイ オピニオン」を整理しました。

鎌倉ひとすじオピニオンNo.3-1(最新版)
「鎌倉の情報と話題を発信する」
鎌倉ひとすじオピニオンNo.3-2(最新版)
「どぶ板の精神を忘れず」
鎌倉ひとすじオピニオンNo.5-1(最新版)
「文化都市が泣く、半年も教育長不在の鎌倉
鎌倉ひとすじオピニオンNo.5-2(最新版)
「最近、地震関連記事が多い。」

 No.4高額退職金引き下げ闘争
「30年前の日本一高額な市職員退職金引き下げ闘争」 
   鎌倉ひとすじオピニオンNo.2
「鎌倉浄明寺ハイランド周辺の緑地(4万坪)を無償で。 」
2013年3月18日(月)
7人の鎌倉市長と係わった。
私は、昭和52年5月に市議初当選してから、松尾市長で7人目である。正木、渡辺、小島、中西、竹内、石渡、松尾市長と度々変わってきた。
鎌倉で3期続いた市長は山本市長のみ。36年間で7人だ。

どうやら、鎌倉市長は側近に恵まれないようである。

副市長(助役)、与党議員と本来、体を張って守るのが側近であろうが、側近に足を引っ張られて、最後は、落選するか、2期までだ。

正木市長は、緑の市長と言われたが、2期目に、緑汚職と日本一の市職員高額退職金制度で落選。緑担当の汚職と、支持母体の市職労が足を引っ張った。

渡辺市長は、退職金引き下げと清掃工場(クリーンセンタ)建設で苦労し、3年で病死。徳のある方だっただけに、残念であった。助役の違法退職金問題も発覚した。

小島市長は文人市長と言われたが、中曽根行革の嵐で、高額退職金問題が再燃し、中西行革市長に5党相乗りの小島市長は敗れた。
早期、国並みに高額退職金引き下げ抵抗したのが、市職労と側近の助役と、与党と言われた側近議員。

行革市長として日本一の高額退職金を引き下げた中西市長。その後が良くない、助役が決まらず、やっと決まった助役に、任せて、後で気がついても遅かった。
バブル景気で、芸術館、大船再開発を実現、山崎下水道処理場完成と次々、完成させたが、御成小学校改築でつまずく。また、広町問題で緑派市長候補に勝利したのに、
決断が出来ず、側近の助役を信用したため、混乱を招いて落選。また、行革市長が箱物行政推進では、逆であった。助役を替えれば応援すると言ったが、聞く耳が無かった。
側近議員も選挙戦では、二股、三股であった。

広町問題と御成小学校改築問題を全面に出して戦った竹内市長が当選。ところが、広町緑地問題で、市民健康ロード構想で抵抗するといった奇抜な策で溺れ混乱。
また、選挙では、連続して選挙違反問題があり、逮捕者が出た。また、市民農園用地買収問題では、職員が損害賠償を負い、二人の助役が任期半ばの2年で辞めた。逃げるが勝ち。
まったく、側近に恵まれない典型であった。竹内市長は4期やると言っていたが、2期で終わった。与党議員もバラバラになった。

竹内市長の後は、本人が出れば当選したが、止める決断が遅いため、石渡市長が誕生。石渡市政の1期目は順調であったが、広町緑地買収では、大きなツケを残した。
石渡市長2期目に入ると、岡本マンション問題で、混乱が起き、当初は、与党議員、特に一部の民主党議員は石渡市長寄りであったが途中から変わった。
しかし、今日の岡本マンション問題は当時の民主党内の態度が、フラフラであったことが最大の原因である。それを知らん顔している議員が多いのには呆れる。
石渡市長は3期はやると思ったが、これまた、側近、与党議員に恵まれなかった。

松尾市長は、若さで市民、住民のため戦う政治家だと思われたが、期待はずれだ。未だ岡本マンション問題は解決出来ず、学習能力がないのか、
鎌倉山、極楽寺開発問題では、市自ら許可取り消しをする。それも、議会側からの指摘である。ゴミ問題も解決を10年先送りだ。
まったく、副市長が2人もいて、問題が次々である。2人で半人前の声あり。兵藤副市長、呆れて2年で止めたが正解だ。

教育長候補の教育委員選任問題で、いけいけドンドンを陰でやっていたのが、2人の副市長との話もあり、松尾市長の責任は当たり前だが、二人の副市長の問責も検討されたが、
候補者辞退で幻になった。

松尾市長も側近に恵まれないが、それに、場外から応援団か、国会議員が動いていると話もあるが、側近が駄目だからだろうか。信用が出来ない、
すぐ、ひっくり返るからか。
それにしても、側近に恵まれないのは、市長自身に問題があるのかも知れない。教育長人事で国会議員介入が争点になっているようだが、注意、注意。
新聞、マスコミにも情報が流れているようだ。まぁ、いずれ、明らかに。市議選の争点?側近に注意。
2013年3月15日(金)
ここまで言われて、平気でいられるでしょうか。
  3月14日の産経新聞に強烈な記事が載っていた。

ここまで言われて松尾市長はどう思っているのか。

また、両副市長がついているのに機能していないではないか。

市長の周りはどうなっているのかと、聞かれてしまう。

それにしても、議会も市長の責任を問わないと、議会も機能していないと言われてしまう。

今議会の最終日は21日、まだ、時間があるので、これからだ。 
2013年3月13日(水)
ぶっ倒れるぞ、年だからと。
知り合いから、ぶっ倒れるぞ、年だから、若い者に任せたらと言われた。年だからぶっ倒れるのではなく、真剣に議会で取り組んだら、誰だって疲れるだろう。
先日も大声揚げて、教育長人事案件で松尾市長を追及したことのように、年でもなくても、議会での発言で緊張する場面は過去いくらでもあった。

開発問題で、怖い人が数人松中さんのところに行ってもいいですかと、職員からも、元議員から言われた。また、脅しの電話、無言電話は、過去たびたびあった。
また、議長選挙がらみでは、30年前のころには激しいやりとりがあった。また、市長選では、死んでもいいのかとまで言われた。それは激しいものである裏では。

十数年前、広町の開発問題に関し、議会で質問を1ヶ月続けた後、東大病院に入院して九死に一生を得たこともある。年は余り関係ない、手を抜くか、要領を使えば気が楽だが
納得いかない場合、私はとことんやる質である。今の若い人は、手を抜くとか、要領が良いとかではなく、余り感じないのではないかと思いたくなる。

小学校のころ肺炎から肋膜になり3年間運動を禁止された。また、母を九才で亡くして、自分も母と同じように短命かと思っていたが、70才を越えた。
辛いときに思う言葉をNHKの深夜便で知った。「生まれて、生きて、生かされて」と。ありがたい。

元気だなぁと思う方がいる。元議員の伊藤玲子さんである。現職の時、日の丸、君が代を取り上げることがしばしばあった。市役所前には街宣車も応援に駆けつけた。
また、拉致問題に取り組んでいる時、警察から警備しましょうかと言われたから、もはや、怖いものはないと、断ったとも語っていたが、78才ぐらいまで、議員を務め、八十数才になっても
日本中を飛び回っている。会う度に、彼女のバイタリティーに驚かされる。
松尾市長、体と張って、命を賭ける教育長とを語ったが、どこまで、本気か。また、周りの議員の方も?次の議会には、体を張って、命を賭ける同士が増えるか?
2013年3月11日(月)
教育委員会議論
昨年、9月から水面下では熊代教育長退任後の候補者が検討されてきた。先例、慣例に従い、市長から非公式打診は、二人の候補者は教育界からであった。

ところが、今回の教育長候補の教育委員選任人事案件は、教師経験のない民間から校長になった東京・杉並区の中学校長を提案してきた。

鎌倉では民間からの校長、教育長の論議も行われないのに、唐突に出された人事案件であった。また、鎌倉市内の教育経験者でもなく、神奈川県内でもない。

東京からだと言われて、なぜとの声が多かった。鎌倉にはいないのか、神奈川県内にいないのかとの声も多い。

また、現在、各党では、国内で教育問題が多発しているので、教育委員会制度に関し、論議が起きている。

先の衆議院総選挙でも、各党、教育委員会制度の改革を訴えていた。

この辺のことを十分知っての松尾市長の提案かと思ったが、議会で聞いても知らないという答弁には呆れた。

とにかく、議会において教育委員会制度に関し議論し、教育長を選任しなければ、当面、教育長は決まらない。民間から教育長を選ぼうとしたことが、ばれたから。

これから、教育に関し、首長の考えは重要であるので、松尾市長は出直しした方が良い。

そういえば、朝、駅立ちをし、ビラを松尾市長は配っていると聞くが、市議会議員に立候補するのかと評判だ。

市議から出直しでもあるまいが、人生経験、政治経験が余りにも浅い。でも、選挙経験、パフォーマンス選挙は見事だ。

議会での評判をはねのけ、松尾市長派全員らくらく当選か?これまた、政治経験無し集団?


各党の教育委員会制度に関しての態度。

自民党:       首長が議会の同意を得て任命する「常勤」の「教育長」を教育委員会の責任者にするなど、教育委員会制度を抜本的に改革。

日本維新の会:  教育委員会制度の廃止を含め、教育制度を改革

みんなの党:    地方自治体の判断により教育委員会を設置するか否かを決定できるようにする等、地域の実情に応じた教育行政が展開できる環境整備を図る。

民主党:       地方の教育委員会を発展的に改組した「教育監査委員会」を創設し、教育行政の責任を首長に移管
   
              現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行う。

2013年3月11日(月)
東日本大震災の教訓を風化してはならない。鎌倉には巨大津波が想定されている。
2011年の東日本大震災から2年、その教訓はけして風化させてはいけない。

いつ来るか分からないが、30年以内とも言われている巨大地震が想定されいる鎌倉にとっては、特に、警戒すべきである。

神奈川県では避難呼びかけを積極的に行うことにかじを切り出した。

新津波警報は、地震後3分をメドに、「巨大」、「高い」と表現。非常事態であるを伝え、迅速な避難を呼びかける。

鎌倉には最大14,4mの津波が来ることが想定されている、巨大津波だ。津波警報で1m〜3mは「高い」、大津波警報は3m〜5m以上は「巨大」と警報。危機感を促すためだと。

とにかく、東日本大震災の教訓を風化させてはいけない。

左の写真は、石巻市内。日和見公園(2011年、4月)、大川小学校(6月)
2011年の3月11日地震発生後3月の末に大リーグ選手会が東北被災地を支援したいから手伝って欲しいと友人に言われた。
話が大きいので、NHKや大物政治家に相談しようと思ったら、NHKも独自支援をしているし、政治家もすぐには動くことが出来ないと言われ、鎌倉市の福祉の担当から
福島県庁、宮城県庁、岩手県庁の担当に連絡してもらった。また、中沢君と同行し、仙台、石巻方面を調査、視察し、その写真と資料をピーターさんに渡した。

米国本部に行ったピーターさん(当時、大リーグの日本代理)から米国本部の選手会の代表にイチローから提案があり、被災現地の少年野球チームに支援した方が良いと報告を受け、
  
石巻市は4月に視察していで被害がひどいので、石巻市のチームをあたることにした。
石巻市教育委員会から県スポーツ少年団のメンバーである野球協議会の石巻支部を紹介された。
4月に石巻方面の現状を視察したとき、余りにも被害がひどいので言葉が出なかったが、是非、大リーグからの夢と希望の支援を実現したいと思った。

神奈川新聞 3月7日

意識高め自助に生かせ

 巨大津波が押し寄せ、約2万人もの死者・不明者を出した東日本大震災から間もなく2年。苦い教訓から改善された津波警報が7日から運用される。

 その主眼は、限られた時間内に緊急事態であることを伝え、犠牲者をゼロにすることだ。

 具体的には、発生直後に規模を計算できない巨大地震で津波の可能性がある場合、「予想高さ」を伝えずに「巨大」などと表現。地震の規模が高い精度で求められた段階で警報を更新するが、その際に示す波高を従来の8段階から5段階へ見直す。観測された津波が小さいときは数値を明らかにしないで「観測中」と発表する。沿岸部の住民らが津波を過小評価しないようにするためだ。

 災害を予測し警報や注意報を発する気象庁は、もとより公助の中心を担う。津波警報がはらんでいた問題点を真摯(しんし)に受け止め、有識者らの力を借りて改善策を模索した姿勢は評価されよう。その成果が一人でも多くの命を救うと信じ、受け手である私たちも生かし方を考えておきたい。

 そもそも震災時の大津波警報が逆に避難の妨げになったと指摘される理由は何か。第一に、警報の第1報で予想高さが「3メートル」とされた岩手県や福島県では、「防潮堤があるから大丈夫」と警報をむしろ「安全情報」と受け止めた人が少なくなかった。その後、予想高さを更新した段階では停電で防災無線などが機能せず、住民に十分伝わらなかった。

 こうした要素が重なり、逃げ遅れたり、避難先から自宅に戻ったりした人々が、時間を置いて押し寄せてきた最大波にのまれたのである。

 三陸には、津波のときはてんでんばらばらに逃げるという意味の言葉「津波てんでんこ」が伝わるが、実は住民の共通認識ではなかった。震災1年前のチリ中部地震で大津波警報が発表された際も住民の避難は低調で、専門家が警鐘を鳴らしていた。

 「津波常襲地」とされる三陸でさえ先人の苦難や危機感が必ずしも継承されていなかった事実は、身の回りのリスクをイメージし、即座の行動に結び付けることの難しさを示していよう。

 避難しか手だてのない巨大な津波に遭遇する機会は一生に何度もないだろう。いつとは知れぬ「そのとき」にしっかりと逃げる。津波減災の基本を胸に刻みたい。

2013年3月10日(日)
松尾市長派の議員のぼやきか?
知り合いの方から議場で発言しない松尾市長派の議員が、教育長人事問題に関してブログで書いていますと。
ぼやきか、負け犬の遠吠えのようだ。議場で正々堂々と発言して貰いたいものだと。

見てみたら、まだ、議会では一度も採決をしていないのに、議会で×がついてしまったとか、水面下の話であるのに、すばらしい人材を逃したとか、
結論が出たような話になっている。松尾市長が提案出来ないことを反対議員の責任だと言っている。賛成議員が過半数いるのに、ひっくり返る議員がいるようで、びびって提案出来ないのでは。
また、提案したが、当の候補者が辞退してしまったのは、松尾市長のお粗末な答弁と迷走する扱いが問題であるのに。また、反対議員の追及に対し、議会で賛成議員から、賛成の論陣がない。
しかし、「また新聞社の報道も相変わらず低レベル。」だと言っているのもぼやきか。

それでは、松尾市長派のブログの一部を紹介します。
N議員

教育委員人事がまたも暗礁に乗り上げてしまいました。これで4人連続で議会で×がついてしまいました。まずはこの事態を、一議員として皆様にお詫びしなければなりません。

本当に申し訳ございません。皆さん現場で実績をあげてきたばらしい人材です。

私は賛成をしてきましたが、議会としての4人とも賛成多数にならなかった事は、反省しなければならないと思います。

本質の議論がされずに、極めて感情的な事でしか判断が下されておらず、すばらしい人材を逃してしまった事を、市民の皆様にお詫びしなければなりません。

また、各候補者ご本人を始め、関係者の皆様には多大なご迷惑をおかけした事もお詫びしたいと思います。

なにより残念なのは、昨日の4人目の件で、国会議員が2人登場してきて、政党間の争いになってしまった事です。あってはならない事だと思います。

お二人の国会議員さん、そして松尾市長にも大いに反省をしていただきたいと思います。

恐らく、反対をした議員の方々は、今後市長だけに責任をかぶせて、批判を展開されると思いますが、議会がそういう事では鎌倉市の行政は後退する一方だと思います。

議会には大きな責任があると思います。

今回、国会議員の推薦文というのまで出てきました。こういうのには非情に違和感を持ちます。

我々会派ではこの推薦文の資料要求をしましたが、「信書」であるので出せないと言われました。

しかし、新聞社さんの手には渡っていました。いったい誰の為の議会なのか?

議論が市民不在の中で行なわれており、何時までも決められない議会だったら、議会不要論が出てきてもしょうがないと思います。

私は以前から、現在の間接民主制はもはや崩壊しているので、案件によっては直接民主制で決めるべきだと言わせていただいておりますが、こんな状態だったら、そのほうがよっぽどいいと思います。

今回の事態は間接民主制の崩壊を如実に表した事例だと思います。

また新聞社の報道も相変わらず低レベル。

世論を誘導する為にやっている。

3.11以降の新聞報道のレベルの低さにはあきれます。

なぜ、皆さんが読んでくれなくなっているのか?

まったく理解していないようです。

また、市民オンブズマン的にブログなどで発信されている方々も、よく事実関係を調べないで掲載しており極めて無責任。

議員になって一番感じる事は、このままでは日本は危ないという事です。

そろそろ皆さんに気が付いていただきたいと思います。


W議員

一昨日、昨日と議会で教育長人事をめぐり質疑がありました。杉並区和田中学の代田先生の登用を松尾市長が議会にはかったのですが、結局、辞退という形で幕を引きました。

 私は和田中学での取り組みを評価しています。時代の変化、そして世界の潮流を考えれば当然教育も変えていかなければならないと思います。
それに対応した試みが和田中学で行われたのですから、そのような先生に来ていただけるのは鎌倉市民にとって光栄なことだと思います。

 それを蹴った鎌倉議会というのは何なのでしょうか?時代の変化や民意を組まず、旧態依然とし、保守化していることが露呈しました。これでは改革は進んでいきません。例えば議員定数の問題、国ではTPPの問題を見てもこれらの抵抗勢力の姿がだんだん浮き彫りになってきました。

 これと闘うのが我々の勢力だと確信できます。敵(的?)がはっきり見えてきました。改革を進めるため武者震いしてきます。


Y議員

昨日の本会議で、市長より教育長の人事案件の議案が提出され、二名の議員が質疑を行いましたが、議会が紛糾し延会となり、今日10時から再開されました。しかし、質疑に対しての答弁の確認の為に、夕方まで待たされ、結論としては候補者の方が辞退する形で議案が引っ込められ、夜8時過ぎに本会議が終了しました。

先日、候補者のSさんからお話を聞く機会がありましたが、起業家から中学校の校長となり、「世界水準の教育」をめざして、様々な手法で教育改革に取り組み結果を出してきた方です。
会社員時代は、究極のスポーツとも言われるアメリカンフットボールの選手としても活躍された文武両道の好漢。
このような方の情熱で、鎌倉の学校教育に新しい風を吹き込んで頂きたいと期待していたので本当に残念です。

反対している議員の理由としては
市長の議会への提案の仕方に不満を持つ議員が複数いること。
校長を務めている学校の教諭が以前不祥事をおこし、監督責任として文書訓告を受けていた事についての説明に一部議員の解釈と食い違いが生じたこと。
この2つが反対する主な理由のようですが…改革に否定的な人も多いです。

議会の存在が、確実に鎌倉市民の為になっているのか?

言論の自由、多様な意見を反映することは、民主的な社会にとって大切です。
市民から付託を受けた議員一人一人がそれぞれの立場、考えを持っているので、対立することもあります。
しかし、行政とのチェック&バランスといわれる議会が、果たして本当に建設的に機能していると言えるだろうか?

議会制民主主義の難しさ、煩わしさなどを感じる、大変重たい空気と虚無感、疲労感を感じさせる二日間となってしまいました。

2013年3月9日(土)
誰だ、体を張って、命を賭ける教育長をと言ったのは。
教育長不在が続いていることに関して、松尾市長は12月議会で、教育長は体を張って、命を賭ける人をと発言した。
3月6日に教育長候補の教育委員選任の人事案件が出され当然、松尾市長の言う「体を張って、命を賭け方」だと思ったら
、3月7日に候補者自身から辞退の申し出があり松尾市長は教育長人事案件を撤回した。

これじゃ、松尾市長の言うことは信用出来ない。2日で候補者が辞退は、賢明かも知れない。とんでもない事態になったら大やけどしてしまうから。
このような松尾市長のもと、これから教育長をなる候補者がいるのか。松尾市長自身が体を張って、命を賭けていないから。

鎌倉市議会議員を1期半、神奈川県議会議員を任期途中の2年と、途中で投げ出し、市長に。それに、議会では国政へ出るのではないかと問われることも。

でも、今回の教育長人事案件で見せた松尾市長の態度では、信用を取り戻すのに大変だ。しかし、パフォーマンス選挙は上手いから、末は大臣、総理かも?。
若い応援団も付いていることだし、大丈夫?でも、今回の教育長人事問題で、与党議員は議会で黙り、場外では国会議員やらがご登場。でも、教育の地方主義は、どこへやら。
制度はおかしいから、国政を変えると張り切っている方が、関西で頑張っている。それでは、鎌倉から国政を変えますか、しかし、市民は松尾市長を信用するかなぁ。

教育改革と言うが、何を改革するのか議員が言わないで、あの方なら改革をしてくれると言う。責任取らない松尾市長と与党。議会ではっきり、具体的に何を改革するのか、
それにはどうするべきだと発言すべきだ。2人の野党議員からの追及で、撤回事態とは、なんとも、情けない与党。それとも、心強い与党と思っているか、松尾市長は。
議会は議員の数だと思っていても、信念のない議員ばかりでは、体を張って、命を賭ける議員に松尾市長は吹っ飛ばされてしまう。与党議員こそ、体を張って命を賭けましょう。
松尾市長、気がついたら周りに誰もいなかったなんてことに?いや、気がついたら、松尾市長がいないかも?国政かも?長島さんの前例が。
パフォーマンス選挙は、一生懸命、でも、議会では黙り与党議員が増えるばかりか?与党からヤジ一つ飛んでこない。当選後は体を張って、命を賭けますか、松尾市長に?
2013年3月8日(金)
醜いにくい松尾市長の責任逃れ
教育長候補の教育委員人事選任で見せた松尾市長の責任逃れの態度は醜い。
中沢議員の追及にウソの上にウソを重ねる様な答弁で、行き詰まると休憩とっても、拉致開かず。
撤回すると思ったが、一晩考えさせて欲しいと言うから、撤回を朝まで決断するかと思った。

蓋を開けてみたら、ごまかし答弁で乗り切ろうとしたが、国会議員署名入りの推薦書の新事実が発覚。
追及されると、これまた、お粗末態度に終始になり休憩。

休憩後、撤回するというので良く聞いて見たら、教育委員候補者が、辞退となり、やっと松尾市長は撤回を決断。
そもそも、提案することが問題であるのに、候補者の辞退で撤回することになった。
候補者の辞退する前に、撤回するのが筋だ。責任は候補者にあると聞こえるが、提案するのが、間違っていたのだ。

結局、決断できないのに、決断してはいけないときに決断し、また、決断してはいけいなことに決断する松尾市長の責任は重大である。

教育委員長選任問題で、何人のもの方々に迷惑を掛けていながら、責任を感じていない松尾市長の態度には怖れさえ感じる。
また、責任を取らない、責任逃れは醜い。松尾市長の責任は、市長を辞して、市民に信を問うことだ。
2013年3月5日(火)
進むも地獄、退くも地獄、松尾市政は大混乱。
松尾市長、当選して3年半近く経つのに、無為無策でその場しのぎ主義が、鎌倉市政を大混乱に貶めるであろう。

岡本マンション問題では、司法の場で戦わないで、事業者の顔色を見ながら税金を使って解決しようとしようとする暴挙、その損害賠償のツケは、松尾市長個人に全部かぶることになるであろう。
それとも、事業者、許可した職員に、損害賠償を請求するのか。

ゴミ問題では、名越クリーンセンタ-の10年延命策で30億円を使い、その後の解決策は、これから考えますだと。なんとも無責任なその場しのぎ主義。
私は、JR深沢工場跡地に大クリーンセンターを建設すべきだと20年間主張してきている。また、周りは広場に残すべきだと。
電動ゴミ処理器だ、ゴミ有料化だと、その場しのぎでは、ゴミ問題は行き詰まる。また、人口増加政策をとれば、ゴミが増えるのは当然。

3:11東日本大震災の経験を鎌倉は早急に生かすべきなのに、これは必要だが、大船岩瀬に防災公園建設するように、14m以上の津波が予想されている鎌倉沿岸部に防潮、津波対策、防災対策は急務である。5mの道路かさ上げ、避難路、防災広場等やることはいっぱいある。
広町緑地は防災公園に早くすべきである。大地震、大津波が来ることが、分かっているのだから、腰越方面の住宅密集地帯が大津波に襲われたらどうする?
また、こなければ、幸いであるが、でも、備えあれば憂いが和らぐ。

今、教育長問題で松尾市政は揺れている。教育長の任期が来るのは、松尾市長就任当時からは分かっているので、その後をどうするか検討してきたはずだが、直前でつまずき、
その後、思いつきか、民間教育長を突然、発表。現在、騒然たる状態である。教育委員会を解体しようとしているのか。

無為無策の松尾市長は、市長を辞任し、市民に信を問うべきである。まだ、まだ、若い、これからもチャンスは十分ある。でも、今は、進むも地獄、退くも地獄だ。自業自得?側近はどうしているのかなぁ?
2013年3月3日(日)
鎌倉・広町緑地公園は、防災公園にすべきだ。
今朝の朝日新聞に「大津波 最大波の前にも警戒値超す高さ、複数回」との見出しが大きく載っている。

津波は第一波が最大波とは限らない。県の想定によると、慶長型地震で、80分後に14,4mの最大波が来る鎌倉市由比ガ浜には、それよりずっと前の42分後に4,5mの津波が襲う。
県の未公開データを朝日新聞が分析した結果、分かったと。

神奈川県は12の地震パターンを想定し、昨年3月、想定地震ごとの各地の最大波の高さと到達予想時刻を公表した。最大波の前に来る詳細なデータは公表せず、沿岸市町に提供して
その扱いは一任していた。気象庁は予想津波高1m以上で津波警報、3m以上で大津波警報を発表する。多くの地域では、県が公表してきた「最大波」の到達時間よりはるかに早く、
警報発表水準の津波が到達することになる。


この記事を読んで、防災対策の準備は早くすべきである。まず、現在公園化が進んでいる広町緑地は防災公園に変更すべきである。
また、仮設住宅等被災者対策の場所として準備すべきである。また、JR深沢工場跡地は、現計画を破棄し、防災広場として残すべきである。津波の余り心配ない鎌倉市大船でも、
鎌倉市岩瀬下関地区防災公園街区整備事業が進められている
が、14,4mの津波が想定されている鎌倉の海岸の沿岸地域の防災対策は進んでいない。

津波対策は勿論、避難場所、被災者対策として、広町緑地、JR深沢工場跡地は、鎌倉に残された最後の避難、被災対策の場所だ。

女川町を視察したとき、地震、津波に襲われて、復興事業として、沿岸道路路は5m、住宅地は10mかさ上げが計画されているという。これから、必ず大地震、大津波に襲われる鎌倉で
あるので、防災対策は急務である。また、稲村ヶ崎・坂の下プールのある場所と周辺は、5mかさ上げを急ぐべきである。

今、やらなければ、無為無策の鎌倉だと言われてしまう。とにかく、優先すべきことは、地震、津波による大災害の視点の対策、まちづくり。襲われることが分かっているからだ。
2013年2月28日(木)
松尾市長の無為無策が生む市民の信頼失墜。
岡本マンション問題で、無為無策の行政の不作為は、如何に松尾市長が学習していないかが、明らかになった。
鎌倉市極楽寺の宅地造成で、市が違法に開発許可をしたことで、事業者へ開発許可取り消しの文書が郵送された。

まったく、岡本マンション問題を3年半経っても解決出来ない松尾市長、その間、違法許可を市が行い、議会からの指摘で、市のミスが発覚、松尾市長は許可取り消しをするということとなった。このことで市民の信頼を大きく失うこととなった。

そのほか、市が開発許可が出した案件で、鎌倉山の造成、山ノ内の藤源治開発問題で、住民から県の開発審査会へ審査請求が出ている。
今や、松尾市長そのものが、審査されなければならない事態だ。
2013年2月23日(土)
教育委員(教育長)人事案で松尾市長の進退問題へ発展の可能性が。
各会派の代表質問が終わった。だが、無事終わると思われたのに、教育長候補の教育委員人事案に関連しての質問が納所議員、中沢議員、高野議員から行われたやりとりで、
松尾市長の答弁が市長の進退問題に発展する嫌な予感がする。

松尾市長は自信を持って、教育長候補の教育委員のことを述べていたが、唐突に人事案が議会側に内示され、3月3日に候補者と各議員との話す機会があると事前に説明された。
候補者の名前も明らかにされ、実名で報道された。人事案は、杉並区の和田中学校の代田校長で、民間からの校長だ。

松尾市長は、議会で否決されても人事議案を提出すると新聞報道にあったが、実に無責任な扱いである。また、民間からの教育長となると、これまで鎌倉では教育界出身であったので
その事前に協議、説明もない。まったく、松尾市長の一方的な扱いで、驚いている。

代表質問での松尾市長の答弁、これからの成り行き次第では、松尾市長の進退問題へ発展する可能性が強い。松尾市長の発言で、教育委員会もとばっちりを受けるだろう。
もし、教育委員の人事が、不成立となると、3人の教育委員が欠員となり、教育委員会が成り立たなくなる可能性があるからだ。その責任は重大である。

もうすでに、教育長候補の教育委員は、杉並区の代田校長と実名で明らかにされているので、インターネットで調べてみると、とても、すぐ認めるわけにはいかない内容がある。
杉並区に詳しい方に色々聞いてみたら、問題があることを知らされた。代田校長から聞く前に、十分検討して、実名で内示したのかと松尾市長の責任は重大である。
また、本人もインタービューを受け、抱負を述べているが、まだ、その段階ではない。議会の知らないところで、話が進んでいるのか、松尾市長の独断か?
2013年2月18日(月)
最後の一般質問。
先週、14日に一般質問を行った。今任期中最後の一般質問であった。風邪と足を痛めた体調ではあったが、着席のまま質問することを許されたことは、気が楽になっになったが、
何とか、通常のやりとりで終えることが出来た。

今、私は質問をしておかなければいけないとの思いが強い項目を取り上げた。いくつかの項目で前向きの答弁を頂いた。特に子どもに関することは、これからの時代を担う為にも、
希望と夢を与えることが大切だと思うからだ。笛田公園にある球場の使用料は小学生以下は無料にすべきだに対し、部長、市長答弁は前向きに検討いくと。

また、50年以上も経った鎌倉らしい民間学習施設である婦人子供会館の今後に鎌倉市も協力すべきであると。実行委員会を立ちあげて、市も参加して検討をするとの市長の答弁に期待したい。

防災、治安等安心、安全に関しての質問、どぶ板議員の精神の視点から、箱物、インフラは建設後、維持、更新の財政負担が今後、莫大に膨れあがっていく等の項目でも質問した。
これらのことは、また、詳細にわたって、書きます。

最後に質問した大船観音前のマンション問題で、松尾市長の答弁で、深刻なことに発展することになるのではないかと危惧している。隣の藤沢市のように。
松尾市長は、二回目の開発許可をした職員の処分が終わっていないので、問題解決と並行して処分するようだ。でも、今更、8年近く前の問題で、職員の処分が考えられるのか。
殆どの担当職員は退職しているのではないか。退職職員の処分が行うことが出来るのか。残った職員に責任を被せるのか。

また、9月議会では、「責任は私、市長にある」と答弁しているので、今までの、無為無策、行政の不作為の市長の責任はどうなるのか。
また、議会を巻き込んで、借地とか土地買収で決着付けようとすれば、公金の不当支出で、問題が起きないか。司法の場での調停もなくして出来るのか。

私は、許可取り消しが、司法の場で決着付いたので、原状回復、損害賠償等は司法の場で決着付けるべきだと主張している。議会を巻き込んで政治決着は許されなと。
2013年2月1日(金)
東日本大震災の被災地を風化させてはいけない
 昨年の夏頃、社協の金川さんと東日本大震災のボランティア活動のことを話をしていたとき、私は少年野球を通して、こども達へ夢と希望のプロジェクトとして、
米ともだち作戦・大リーグ選手会支援のことを語った。また、社協としてもいくつかのボランティア活動のことを金川さんは語ってくれた。
しかし、2年もすると関心が薄れていくのが辛い。しかし、ボランティアに共鳴、協力する方は多いが、活動の内容に変化が起きていると。

また、ガレキ処理とか生活面の事業は、公的、あるいは民間事業となってボランティアの活動にも変化が起きてきたので、これからは、心の面での取り組みが必要だと語った。
私も被災地のことが、風化していくのたまらない、ひまわりの園のようなことが、他のボランティアの活動では報道されていたので、鎌倉でも何か考えようと、語り合った。

アサガオもあるが、咲いている期間が短い、そうだ、たまたま、昨年の春からアジサイのことで、活動していたので、鎌倉のアジサイを集め、
アジサイの鎮魂と絆の丘を考えたらいいのではないかと提案した。

仲間にも相談したり、紫陽花の咲いているお寺にも話をしたら、良いことだ、協力してくれるとの返事が多かった。
そのことを金川さんに伝えたら、早速、被災地に受け入れる場所があるか、検討を始めてくれた。

また、お付き合いのある被災地の関係者にも話をし、現地を確認しに被災地へ行き、事業計画を進めてくれた。
主体は社協で、協力会を作って活動したら良いと、いくつかの団体にあたったら、理解をしてくれてました。
いよいよ、鎌倉アジサイの苑プロジェクトがスタートした。5年、10年の活動として取り組むような事業です。

2013年1月28日(月)
雪に囲まれた石巻市民球場
 天気予報で心配していた27日の石巻の天気模様。

朝4時過ぎに起きて、新幹線で仙台へ行く途中から、窓の外の風景が、雪景色になり、仙台も深夜に降られた
大雪で、石巻まで行くのに一苦労した。途中、靴に滑り止めのアイススパイクを付けた。

石巻市民球場は、すっかり大雪で真っ白。トスベースボールの披露会場は専修大学体育館で行われた。

晴れていれば、右のような新生 石巻市民球場で行われる予定であった。
しかし、雪には慣れている東北のこと、体育館を関係者は準備していた。

球場にあるスコアボードにはありがとうの文字が。本当に、ありがとう。

大リーグをはじめとする支援体制のともだち作戦によって、石巻市民球場は修復された。
当初、通訳をしてくれたビルさんも喜んでいた。
 
     

   
 専修大学キャンパスの雪景色。遠くに日本製紙工場の煙(水蒸気)が。 石巻市野球スポーツ少年団の米谷会長他と記念写真。 
   
 開会の挨拶する石巻市野球スポーツ少年団協議会会長の米谷さん。  しっかりボールを見ている。
   
 トスベースボールの披露会場の体育館内。  鎌倉のお土産・鳩サブレー(豊島屋協力)を参加球児全員へ。代表写真。
2013年1月25日(金)
30年前の鎌倉市職員退職金引き下げ騒動。

1月から国家公務員の退職金が引き下げられたことを受け、地方公務員でも、県を始めは24日、関連条例を改正し、3月から14年7月まで段階的に引き下げる予定。
最終的に平均400万円弱の減額とする。条例改正した他県で施行前の駆け込み退職が続発してるいるという。
鎌倉市では鎌倉市職員高額退職金の引き下げ騒動の30年前は、激しい闘いがあった。今回の退職金引き下げは国に準ずる形であるからスムースに行くであろう。

それでも、抵抗する自治体職員組合もあるかも知れないが、鎌倉市長は市職員の給与を下げた、下げたと誇っているが、限定期間であるので、退職金制度はどうなるか。
また、議会も体を張って引き下げに動く若い議員がいるか、30年前のことを思い出すと良い。引き下げ闘争を経験していない議員は、行革とはどのようなことか、
まさに、死闘である。第一回目の引き下げ後、渡辺市長は亡くなり、小島市長は市長選で落選。激しい闘いであった。私は、市民の声に応え、徹底した高額退職金引き下げ派であった。

30年前は市の職員にとって、4千万、5千万円の退職金を貰える人が続出の時代であった。あの当時、引き下げをしておいたので、今日まで数百億円の節約が出来た。
でも、行革市長誕生させての闘いであった。今回の国の退職金の話題を考えると、大きな行革運動、抵抗運動とはならないであろう。行革も一点争点ではないから。給与のこともあるし。

  30年前の鎌倉市の高額退職金引き下げ騒動

 

2013年1月25日(金)
トスベースボールは鎌倉の清水さんが考案。
いよいよ、石巻のこども達にトスベースボール紹介と用具提供を27日に行う。天気予報によると、現地は明日が雪模様とあるが、27日の日曜日には晴れるようだ。積雪による球場が使用不可能の時は、大きな体育館が用意されている。こども達に会うのが楽しみだ

昨日、トスベースボール協会の清水さんが大きく東京新聞に紹介されていました。トスベースボールは、鎌倉発である。

トスベースボールの清水さんの記事
2013年1月24日(木)
あぁ、もう30年経ったんだ。今や待合場所で人気が。
今から35年前、鎌倉駅舎改築問題起きて、すでに4過ぎ年解決出来ない状態であった。30年前の当時、鎌倉駅前周辺の商店会、鎌倉商友会の小池会長のところへ国鉄の幹部が来ているから相談にのって欲しいと言われた。

当時の国鉄の方は、官僚的であったので地元から反発が強かった。私の先輩に伊藤直彦さんという方がいると言ったら、態度がガラッと変わり、低姿勢になった。伊藤さんは、JR貨物の社長さんになられたと聞いているが、久しく会っていない。

小池会長から何とか考えて、新しい駅舎を実現しようと言われたので、私は、旧駅舎のシンボルであったトンガリ帽子の時計台と屋根に使われていたスレート(かなり、しっかりしたもので、硯にも使えると言われていた。)を記念に欲しいと言ったら、快諾してくれた。時計塔の保存は、当時のJCの菅原会長が募金活動等運動をおこしてくれた。

私も2年足らずのJC会員であったので、良い記念になると市に働きかけ、スレートには当時の小島市長に絵を描いて、完成の時の記念品として作成された。募金活動も順調で、市から単独の事業にしてくれないかと話があったが、私は納得しなかったが、場所が市有地なので、鎌倉市とJCの共同事業になった。あのころは30代、JCの勢いもあった。また、完成後、鎌倉駅舎完成祝賀会を地元有志により立ちあげ、盛大に行われた。その当時の記事が、整理していたら出てきたので、思い出しました。
2013年1月22日(火)
橋下市長の本気、本音の発言が政治を大きく動かすか?

自民党が駄目だと、民主党に期待したが、3年間で3分の1以下の勢力に墜ちた政治の現象をどう国民は思っているのか。かっての社会党が政権を取ったら、数年で社会党はなくなり、民主党が勢いを増してきたが、やはり、長続きしなかった。今や、声高らかに民主党だと言う議員は見えない。民主党の看板はどこへ行ったのか。看板を掲げるのが、恥ずかしいのか、看板隠して無所属もないだろうが、影も形も無くなっていくようにも見える。敵前逃亡、脱党、乗り換えか?

とにかく、赤いマークを振りかざしていた民主党議員が一夜にして、霞んでしまった感じだ。結局、あやかり型であったのか。

そこへいくと、この方は、目立つこと、目立つこと限りない。本気、本音で吠えているのか橋下大阪市長。政界を引っかき回していることは、連日のマスコミの登場で凄みがある。
海外では、アルジェリアで起きた武装勢力による人質テロ事件がやはり、連日報道されているので、心配しているが、国内では橋下市長の行動が大きく関心を呼んでいる。

このふたつの報道を考えてみると、日本の危機管理、日本の教育が、既成政治勢力に任していては、混乱するばかりだと危惧する。自民党が生まれ変わって、ここは、大改革をしなければならない局面だと認識して欲しい。平和に浸っていた時代と違う、国が、町が壊れて行くことを憂えるのは私だけではないだろう。パフォーマンス政治家はもう御免だ。有権者も真剣に考えて欲しい。ここ10年、政治が劣化したのは、パフォーマンス選挙、パフォーマンス政治のなれの果てであることを。薄っぺらい、軽い、要領の良いパフォーマンス議員が多いこと。心配しています。

それにしても、橋下市長の発言、行動の真意は、分かりにくい。本音、本気で取り組んでいるように見えるが、今回の教育問題、いじめ問題の決着をみると、まだまだ、何が起きるか分からない。
報道によると、「橋下市長は、大阪市教育委員会が来月行われる市立桜宮高校の体育科などの入学試験を普通科に変更して実施することを決めたことについて「教育的な視点からすばらしい決定をしてくれた。これで、再生に向けて本気で改革が始まると思う。そのスタートが切れた」と述べ、評価しました。」とあるが、これで、どのように教育が変わるのか。でも、橋下市長の存在が大きく見えるのは、期待されているからか。松尾鎌倉市長は、和服姿で存在感をアピール、着せ替え人形のよう?これも世界遺産のためだと言っているが。

2013年1月20日(日)
今や口先、出任せ議員の花盛り
私が市議会議員に当選した当時の国政は、ロッキード事件で金権政治が大問題になり、鎌倉でも正木革新市政の下、緑汚職で大騒ぎであった。
緑を訴え、クリーンを訴えていたが、市民を欺く革新正木市政は次の市長改選で落選した。多くの市民は、失望した。それまで、開発派の山本市政を倒して誕生した革新市政であったのに。

当時の革新勢力は、口では綺麗なこと良いながら、裏ではとんでもないことが起きていたのだ。また、日本一の高額鎌倉市の職員退職金制度も、革新市政のもと成立。市民本位だ、市民の味方だと、耳障りの良いことを良いながら、党利党略、私利私欲と反市民の政治が行われていたのだ。

私はどの政党からも支持を貰わず戦ったて当選した。多くの政党から誘いがあったが、どの政党にも入党せず、36年間無所属を貫いてきた。市議成り立て当時は、どぶ板議員と呼ばれたが、怒りをもって高額退職金制度改革にも戦った。また、緑問題も身体を張って、天下の西武不動産に立ち向かった。話せば分かると交渉したら、西武不動産は理解をしてくれた。そこは、鎌倉浄明寺ハイランド緑地だ。どぶ板議員と言われても、市民、住民本位は同じだ。

今や、民主党の国政選挙惨敗を見ると、マニフェスト、マニフェストがサギか嘘つきかと言われるくらい口先、出任せの結果であろう。今では、口先、出任せの議員の多いことにあきれている人も多いだろう。それにしても、軽い政治家が多いのは、マスコミのせいだとも言う人もいるが、調子よく飛び回る姿が、うけるのかも知れない。議員は、顔出し興行がお仕事かもしれない。
野田元首相は駅前政治家だと言われたが、それが政治だと思っている人が多いのかも知れない。まぁ、当分政治の劣化は続くだろう。でも、ジッと見渡せば、希望がある政治家もいる。あるいは、育つことを期待したい。私はどぶ板議員として、希望と夢の種まきをしよう。でも、激しい戦いは覚悟だ。口先、出任せの政治家にご注意を。
2013年1月17日(木)
初夢?これで迷わず国政へ行ける?
市職員の給与も下げた、定数も減らした、財源も国から貰えるようになった、岡本マンション問題ももうすぐ、解決する、鎌倉山、極楽寺の開発問題で許可取り消しの決断が出来る。
北鎌倉台・藤源治の開発も買収で決着出来そうだ、世界遺産登録への弾みとして、バッファーゾーンでも素晴らしいマンショ建設を許可した、3人の教育委員と教育長人事も2月までには、問題なく決まる予定だ。あぁ、これで、迷わず国政に出られる。大政治家だ、万歳、バンザイ。素晴らしい初夢を見た。

でも、醒めてみたら現実は悪夢?正面向いていたら、後に自ら作った難題、問題が続出していた。行くも地獄、行かぬも地獄、動かぬことが極楽?そのうち、援軍がやってくるだろう?
2013年1月16日(水)
我はどぶ板議員36年の精神を忘れず。。
市議会議員に初当選した時、どうせ、どぶ板議員よと、言われたことは忘れない。私はどぶ板議員の仕事を頼まれると嬉しく思った。
声が掛かることに何か存在感が感じた。でも、どぶ板議員の精神には、市民の身近な声に深い意味がある。

そのことを会報・マイオピニオンに書きました。ぜひご覧下さい。

鎌倉ひとすじマイオピニオンNo1。
2013年1月15日(火)
昨日の大雪には、予定が狂った。
 
 浅尾慶一郎衆議院議員には鎌倉少年野球連盟の顧問として協力してもらい、また、連盟の卒業記念大会江ノ電杯を5年間ご尽力いただいた。また、一地域を越えた湘南リーグを鎌倉、横浜、藤沢、逗子、葉山の少年野球チームによって結成され、湘南リーグ親善野球大会も第6回となった。その組織はますます、発展し、チーム数も増えている。浅尾さんの組織力と関係者の協力には、敬意を表したい。一昨日、湘南リーグの新年会があり、先日、雨のために延期になった決勝戦と閉会式が昨日、行うと話があったが、今度は大雪のため延期である。

2回の延期となって、待ちくたびれるかも知れないが、この様なこともあることも経験である。球児たちの将来には経験が大事。こども達への野球をお手伝いしていて、こども達にとって、大切なことは「、読み、書き、そろばん、そして、投げる、打つ、走る」が基本。体力づくりだ。野球でも良い、サッカーでも良い、スポーツで身体を鍛えることだと思う。

そのタネを蒔くことが我々大人にとって大事なことだ。私は30数年頑張ってきた。浅尾さんも頑張っている。上の写真は、以前の写真です。左が、鎌倉少年野球連盟、右が湘南リーグの浅尾さん。
2013年1月11日(金)
圧巻、版画「平家物語」の屏風展
作者・井上員男さんと蓼沼さん。  鎌倉美術連盟の主催。蓼沼さんのご尽力。 素晴らしい企画展。
   
 坂落とし。迫力ある。 富士川の戦い。平家の兵が、3300羽の鴨に驚いた場面が想像できる。 
2013年1月6日(日)
消防出初式
見応えのある消防出初式。関係者の皆さん、ご苦労さんでした。
消防出初式風景はこちらです。
2013年1月1日(火)
天気が良いので、初詣に。今年も元気にいきましょう。
平成25年 元旦。
 
明けましておめでとうございます。初詣は八幡様へ。
鶴岡八幡宮は参拝客で、いっぱい。元気よく、景気をつけて行きましょう。
本覚寺の正月えびすも賑やかです。。 
   
   
 
2012年12月31日(月)
どぶ板議員の精神を忘れず。
私が議員に初当選した時、どぶ板議員と言われたことを思い出す。
どうせ、若くして議員になっても、大したことは出来ない、壊れたどぶ板の取り替えぐらいだろうと。確かに、、私はどぶ板の取り替え、使用不可能になった道路に埋設されたゴミ箱の撤去、道路の穴ぼこ修復等住民から頼まれ、行政へのお手伝いした。また、頼まれることに何か、嬉しく思った。
当選以来、どぶ板議員の精神は忘れていない。最近も、大町の雨水マスの網状の蓋が、錆びて、がたついていたのを、行政担当にお願いし、すぐ、取り組んで、取り替えてくれた。指摘してくれた住民、担当者に感謝である。危険回避が出来た。

どぶ板議員の精神とは、道路、側溝、インフラ等どんな大きな事業であっても、年数と共に、劣化、が起きて、修理、修復等をしなければいけない、トンネルの天井が落下するとか、道路の穴に、つまずき怪我をするとか、一大事になることがある。
そこには、市民の身近な声に、深い意味がある。建設とメンテナンスは、不可分。

大きな事業が完成すれば、必ず劣化が始まり、10年、20年で修理、あるいは、改修である。学校等箱物も同じである。そして、必ず、寿命が来る。
また、組織等の構造疲労も同じ。劣化と脱皮。油断大敵である。
それにしても、政治の劣化、政党の浮き沈みは激しい。パフォーマンスのツケだ。

2012年12月23日(日)
津波情報表示板が点灯。
私が6月議会本会議の質問等で要望していた津波情報表示板が由比ヶ浜海岸中央階段際に設置が決まり、
今月完成し、いよいよ、、点灯が始まりました。face bookの写真「これから、鎌倉は最大の地震警戒体制の準備を。」 (写真4枚)

表示されていたのは、「強風注意」でしたが、砂浜に下りてどのような見えるか、調べてみると正面はよく見えた。
しかし、左右の範囲には、限界があるが、赤灯が点灯すると、かなり、遠くからも可能であろう。

とにかく、なぜのこのような警告板があるか、関心を持って貰えば、災害対策に効果がある。
ところで、最近、気になる報道があった。

政府の地震調査研究推進本部が2012年12月21日に発表した全国地震動予測地図によると、
今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率は、関東地方での上昇が目立った。

  2年ぶりに更新された予測地図で特に確率が大幅に上がったのは茨城県水戸市で、2年前より31ポイント上昇の62.3%、千葉市も11.9%上がって75.7%と高い値を示した。

   全国で最も高い確率を示したのは静岡市で89.7%に達した。ほかにも三重県津市が87.4%、神奈川県横浜市も71.0%となっている。今後、地震予測には、鎌倉も重大関心を持つべきである。

2012年12月12日(水)
娘の真理に良いなぁと言われた。
12月議会の一般質問が終わった夜、突然、友人から電話が。明日、テレビドラマのロケが自宅であるので、ロケバスの駐車場手配を頼むと言われた。
また、何かEXAILEの俳優が来るそうだと。

何が何だか分からないまま、翌朝、早く来いと言われたので駆けつけた。
ロケバスの駐車場も手配出来たので、市役所で市民の頼み事を済ませ、食事をしていたら、ロケ班のスタッフが来たから、すぐ来るようにと。

ロケ班の責任者を紹介され、ドラマについて聞いた見たら、北鎌倉の古本屋が舞台で人気文庫として大変な『ビブリア古書堂の事件手帖』の映像化だと。
出演者は、女優の剛力彩芽さん他有名な方々で豪華。今日のロケは、EXAILEのAKIRAさんだと。最高の人気スターがではないか。

ロケが終わったら、AKIRAさんと握手をした。娘の真理に電話で話したら、良いなぁと言われた。
でも、若者向けかも知れないと思ったが、文庫を買って、EXAILEのCDを聞いてみよう。

それに、私にとって、このようなチャンスがあるのも不思議である。
そうだ、今年のテレビドラマで、鎌倉で話題になったのが俳優、中井貴一さん等が演じるフジテレビ系で放送されたドラマ「最後から二番目の恋」。
鎌倉が舞台でレストランをはじめ鎌倉のお店が登場し、坂の下等の地元では経済効果も大であった。

また、第一回の番組では、「松中不動産」の名が登場し、松中さん、どういう関係と、問い合わせしきりであった。見るまで知らなかった。
それに、中井貴一さんは、鎌倉市の国際観光親善大使にも選ばれた。 鎌倉は、何かと話題がつきない。かっては映画の鎌倉でもあった。
2012年11月27日(火)
津波情報表示板の工事が始まった。
私が6月議会本会議の質問等で要望していた津波情報表示板が由比ヶ浜海岸中央階段際に設置が決まり、
工事が始まりました。12月中には完成。

また、材木座海岸出入り口周辺に、海の波監視カメラ塔の設置工事が、12月中に始まります。

完成後、1月中には、インターネットで常時、見ることが出来ます。

災害の関心風化が一番怖い、災害関心風化防止や災害時にも、津波情報表示板、波監視カメラは有効。

台風等の高潮監視にも使える。災害対策を一つ、一つ取り組んでいます。さらに、実現させていきます。
2012年11月24日(土)
今年も小山賢太カさんゴルフ漫画カレンダー原画展が。
  二階堂政宏さんも駆けつけた。 
   
マンガ家・原子力さんも駆けつけた。それではポーズ。  原子さんの隣は、青柳さん。「鎌倉ナビ」HPを発行。
是非、見たいと思って、開けたら素晴らしいページです。

Landscape KAMAKURA 鎌倉ナビ

 
2012年11月21日(水)
世界遺産登録を目指す鎌倉が参考にすべきところは多い。
市議会議長会研究フォーラムが松山で開催。
片山元総務大臣の講演は、実に強烈であった。
いじめ問題、教育委員会のことが批判されているが、教育委員を指名するのは、
首長、承認するのは、議会。
でも、現在、殆どが、会ってもいない委員を選任しているが、
これからは、最低、議会も全協で、候補の考えを聞くべ
きだと。
鎌倉は、魁けて、やらなければならないだろう。
二人の委員が空席だ。

10月松山市で全国市議会議長会が開催されたが、ホテル周辺でも素晴らしい光景を見ることが出来た。
城と洋館。文化的にも、俳句&ハイクを鎌倉にと、10年前に子規記念館を
訪問したが、周辺も夏目漱石の坊っちゃんをテーマにしたまちづくり、観光振興と頑張っているなぁと思った。
それに、今は、「司馬遼太郎の坂の上の雲」も大きなテーマとなっている。
ホテル周辺の光景を撮影してみたが、上の写真のように町の空気がある。

また、お城周辺、山々は信仰の里、四国を醸し出している。


2012年11月15日(木)
保坂のぶと世田谷区長の出版記念会に出席。その人気に驚いた。
驚きの解散騒ぎの中で行われた「保坂のぶと世田谷区長・出版記念の会」であった。

会は大盛会で、京王プラザホテルの大広間には、超党派の政治家等でごった返していた。

民主党の菅前首相、自民党の加藤孝一衆議員、公明党池坊衆議員、社民党福島党首等、

国、県、区、区外関係の首長、議員、碁の武宮棋士、乾杯は俳優の菅原文太氏と豪華。

私も紹介された。鎌倉と世田谷の市民交流の関係。保坂区長は、春、流鏑馬を見学した
.。


保坂さんの勢いは、時代の変化を象徴。


出版記念会で環境、反原発を語る保坂区長。
2012年11月12日(月)
妻の実家から、関東大震災の資料が見つかる。
   
  
健民厚生の碑は、横浜市南区浦舟町の市大病院正面玄関横にある。
正式名称は、公立大学法人横浜市立大学付属市民総合医療センターであります。

また、高度救命救急センターがあり、20名以上で24時間体制で救急患者の診療にあたる。
人口360万にのぼる横浜市の救急救命センターであり、ドクターカーもそなえる。

健民厚生の碑は、この病院の発祥と歴史を記録している。
明治5年、中区太田町で創始した横浜中病院が発祥である。
明治6年、老松町に移築し共立病院と呼ばれる。
明治7年、十全病院に改名となる。
関東大震災で崩壊するが、隣接の平沼私邸で被災後すぐに活動する。
大正13年、現在の浦舟町に仮施設で病院運営が始まる。
いまだに、十全病院と呼ぶお年寄りもいる。

今をなお、横浜の中核病院で活躍している病院が、
関東大震災の直後から医療センターとして仮住まいながら活動してたのは、
横浜市民としての誇りである。

今後は、大災害が起こらない事を祈る。
(楽天ブログより。)

昨夜、家内がギャラリーを閉めて帰宅するなり、
妹がこの様な感謝状が、父である大藤時彦の資料から出てきたと。
家内の父が亡くなって20年以上も経つが、
私たち姉妹は何も聞いていなかったので、驚いてしまったと。

それは、関東大震災後、今で言う仮設住宅用地提供への感謝状である。
妻の祖父は震災前、横浜十全病院の副院長を務めていたことは、
聞いたことがあるが、そこの場所のことか、調べてみたい思う。

祖父は震災でなくなり、残された遺族の長男が父・時彦である。
震災時、時彦は20才。
その後、大変苦労したようである。それにしても、凄い感謝状である。

まず、楽天ブロに旧十全病院のことが見つかったので、
昨夜、シェアしました。
  

追加:大藤時彦への感謝状の資料調査。妻の祖父について。 
2012年11月9日(金)
何を今頃と、悔やむ。
11月8日、鶴岡八幡宮の丸山稲荷社火炊祭の鎌倉神楽を見たが、初めてだ。鎌倉神楽を調べてみると、真に頭が下がる思いがした。
資料を市の広報課の職員に頼んだら、ここに、解説がありますと教えてくれた。なんと、妻の母の出版した「鎌倉の民俗」の中にいくつか鎌倉神楽が取り上げられているではないか。

解説に、鎌倉神楽は湯立て神楽とも湯花神楽ともいう。四方に青竹を立てて注連を張りここに神が下りてくる。大釜に水を入れて湯を炊き、神職が笹を熱湯につけて、氏子の頭にふりそそぎ災いを防ぎ、豊凶を占う。神主4,5人が神楽を舞う。湯立を中心にはのう、お祓い、御幣招、お湯、かき湯、湯笹、射祓など、神楽の庭を祓い浄める八座の舞と、剣舞、もどきの神わざ舞があると。

妻の母、大藤ゆきは鎌倉の民俗をくまなく調べ上げていたことに、今更ではないが、本当に頭が下がる。私にとって、宝の持ち腐れであった。申し訳ない気持ちで一杯だ。
確かに、妻の父・大藤時彦は日本民俗学会の会長で、母・大藤ゆきは女性民俗学研究会の会長と民俗学界では知られていたが、興味はあったが、深く考えなかった。
でも、丸山稲荷社火炊祭を見なかったら、通り過ぎていただろう。今は、妻の母に再会した思いがする。縁とは不思議なものである。感謝。

鎌倉神楽の写真はこちら
2012年11月7日(水)
知って驚いた
 11月5日、小田原で議員研修会があった。
演題は「震災対応から生活再建へ」。
講師は 福島県相馬市長 立谷秀清氏。

市長の体験を通して、貴重な事例を語って頂いた。
その苦労たるや、聞くと眠気も吹っ飛び、食い入るように聞いた。

また、市長の話術も見事で、深刻な事態で有りながら、笑いを呼びながらの2時間であった。有り難うございました。
 


ところで、 冒頭、湘南地方市議会議長会の鎌倉市議会からも議員が出席していたので、立谷市長は、相馬と鎌倉の関係を語った。

相馬家の先祖の墓が鎌倉にある。その由緒は、鎌倉幕府政権樹立に貢献した千葉家と相馬家の関係であると。
立谷相馬市長の話を聞いて、私は20年前、浄光明寺の大三輪君に頼まれて、相馬師常公墓参道の整備に係わったことを思い出した。 

当時、中世の歴史家で広く知られていた大三輪君が語った。扇ガ谷にある相馬家の墓は、鎌倉時代の有力な人物で、千葉家と深い関係があるが、
墓への参道がぬかるみで、ひどい、周りの地主の方からも何とかして欲しいと言われているので整備を頼まれた。

このことを市の担当に伝えたところ、頑張ってくれてしっかりした参道が実現した。また、源頼朝公墓参道も整備してくれた。本当に熱意があった。

ところで、当時、相馬家のことは、大三輪君から聞いたことが記憶にあったが、私が高額市職員の退職金引き下げに取り組んでいた30年前、支援してくれた方に、
行革市民の会の幹部であった相馬 和子さんがおられた。相馬さんに聞いた、相馬さんは福島の相馬さんですか、いや、函館ですと。函館の相馬家も有名である。

また、三十年前のこと、鎌倉駅前にランプポストというお店があり、店主の小池さんが相馬さんという老婦人を紹介してくれた。逗子の方で、尾崎咢堂 の親戚の方だと。

今回、立谷相馬市長のいう相馬家と鎌倉を調べてびっくり。

相馬師常は千葉常胤の次男で、常胤から相馬御厨を譲り受けて「相馬」を名乗ったと。
師常は1189年の奥州征伐では、父常胤と共に従軍し、その手柄として、源頼朝より「八幡大菩薩」の旗を賜ったと。

鎌倉・扇ヶ谷には八坂神社があり、相馬師常が勧請したと。また、源頼朝の鎌倉入りを進言したのも師常とも。
扇ヶ谷・八坂神社に由緒が書いてある。八坂大神は「相馬天王」とも呼ばれ、もと、浄光明寺の裏山にあったと。

鎌倉と相馬家の関係は800年前から深いなぁ。

ところで、ランプポストで紹介された相馬女史は、調べてみると、相馬雪香さんであるなら尾崎咢堂の三女で相馬藩第三十二代当主・相馬恵胤氏の妻とも。
もしそうであるなら、本当に私はびっくりだ。知らないことばかり。腰を抜かしてしまうくらい驚いた。

soumachiba
2012年10月9日(火)
源実朝特別展に感動。また、鎌倉文学館の地に頼朝、政子の縁が
長楽鎌倉文学館で開催されている特別展・生誕820年・源実朝展を
見に行った。
門から坂を上がると、石碑が目に留まった。よく見ると長楽寺跡とある。

碑文に二位の禅尼政子 頼朝追福の為 伽藍を営み 長楽寺と号すとある。
この鎌倉文学館の場所が、頼朝、政子ゆかりの地とは知らなかった。

安養院とは、政子の法名で、大町にある安養院は山号は祇園山、
寺号は長楽寺であると、調べて知ることになる。

あぁ、知らないことばかりだ。

それにしても、頼朝、政子ゆかりの地で、その子実朝の特別展とは
縁とは不思議なものだ。
     和歌を心得ていないので、源実朝の歌で知っているのは僅かである。

大海の磯もとどろに寄する波 われて砕けて 裂けて散るかも

山は裂け海はあせなん世なりとも 君にふた心われあらめやも  

今回の実朝展を拝見し、いくつか心打たれた実朝の歌がある。
それは、尾崎 左永子さん等の解説を読んでのことである。

その一首に

神といひ仏といふも 世の中の人のこころのほかのものかは

尾崎先生は、実朝は奇妙に醒めているところが。青年らしい懐疑。
実朝の歌の近代性だと。

あだ人のあだにある身のあだごとをけふ水無月の祓へ捨てつといふ

私は唸ってしまった。二十代の実朝だ。
もう十年生きていたら、どうなっていたか、鎌倉が、日本がと思う。
2012年10月7日(日)
日替わりメニューだ。次々起こる政界の流動化。

民主党の大阪府議と大阪、堺両市議ら16人が、党大阪府連の役職を一斉辞職する方針を決めた。

党本部や国会議員らが、日本維新の会(代表・橋下徹大阪市長)がめざす大阪都構想に協力姿勢を取っていることに抗議。
6日までに府連執行部の国会議員に対し、対応を変えなければ辞職するとの文書を提出した。

 民主党府連関係者によると、文書は3議員団に所属する地方議員の連名で送付。
大阪府議、大阪、堺両市議ら16人は現在、府連の代表代行や副代表、幹事長代理などを務めている。

 地方議員側が辞職の通告に踏み切った背景には、維新に融和的な国会議員らへの反発がある。
9月末の府連会合でも、国会議員側から「維新と争うべきではない」との声が出た。
また、都構想を後押しする法案に民主党執行部が協力したことにも不満を強めているという。

 地方議員の1人は「昨年の統一選で維新と対決し、多くの犠牲を払ったのは何のためか。
現状では、次期衆院選で国会議員の支援はできない」と話す。(朝日新聞デジタル)


自民党京都府議の田坂幾太氏(60)が、日本維新の会(橋下徹代表)との連携を目指す政治団体「京都維新の会」を設立したことが同氏への取材で分かった。

次の衆院選で、府内の選挙区に候補者を立てることを検討している。

 田坂氏は京都市北区の選出で現在7期目。自民党府連幹事長や府議会議長を歴任した。6日午後にも橋下代表と面談し、連携を協議。週明けにも自民党に離党届を出す予定という。朝日新聞の取材に「地域政党を設立することが、地方の独自性を生かすためにも必要だと考えた」と語った。

 田坂氏によると、先月末締め切りの日本維新の会による公募には応募していないが、公認が得られれば、衆院選で日本維新の会から、地元の京都1区での立候補を検討するという。(朝日新聞デジタル)


母は公明衆院議員、娘は民主で参院選へ 京都・池坊氏

民主党京都府連は6日の常任幹事会で、来夏の参院選京都選挙区に華道家の池坊美佳氏(42)を擁立することを決めた。池坊氏は同日記者会見し、「生け花の仕事をしてきたが、法律を通して芸術や文化に違った形で還元できるのではないかと思い、手を挙げさせていただいた」と述べた。

 母親の保子衆院議員の公明党でなく民主を選んだことについては「(公明に)心から感謝しているが、私は私の価値観でこれからしたいことを考えて民主党でさせていただければと思った」と語った。(朝日新聞デジタル)


維新・みんなが選挙協力 次期衆院選の小選挙区で調整

みんなの党と日本維新の会が次期衆院選で選挙協力する方向で合意したことが6日、明らかになった。両党幹部によると、東日本を中心に候補者擁立を進めるみんなの党と、近畿を中心に支持が強い日本維新の会との間で、小選挙区の候補者が重複しないよう調整するという。

 具体的な選挙区すみ分けの調整は、みんなの江田憲司、維新の松井一郎両党幹事長を中心に進める。

 みんなの渡辺喜美代表と維新の橋下徹代表は8月の会談で、橋下氏側がみんなの解党を求め、渡辺氏も維新を吸収する考えを示し、両党の関係は冷え込んだ。だが、橋下氏は今月4日、「みんなの党とは一つの固まりになるのが本来のあり方だ」と選挙協力を模索する考えを示唆し、渡辺氏も5日、「相乗効果が発揮できればいい」と歓迎する意向を示していた。

 両党が選挙協力に踏み切る背景には、政策に共通点が多いうえ、ともに民主、自民2大政党に対抗する第三極を目指す政党として小選挙区で競合するのは得策でない、との判断がある。
ただ、両党とも合流までは踏み込まず、東日本を中心とするみんなと、近畿中心の維新の双方の地盤の強さを選挙戦で発揮したい考えとみられる。(朝日新聞デジタル)

2012年10月7日(日)
迫力満点、海岸での流鏑馬、一中同窓会。これぞ武士の古都。
6日、材木座海岸で流鏑馬が行われた。鎌倉市立第一中学校の同窓会主催である。なかなか、やるものである。
まさに、武家の古都に武者有り。
観客が5000人はいるであろう。古都鎌倉の特徴は、奈良、京都と違って、海があることだ。
武家政権発祥の地、守りの精神には、山に囲まれた鎌倉の城塞都市として、海は重要であった。水軍の重要性も。
2012年10月6日(土)
緊張する時代。防衛、外交に強い関心を。横浜港に護衛艦ひゅうが、輸送艦くにさきが。