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11月5日、小田原で議員研修会があった。
演題は「震災対応から生活再建へ」。
講師は 福島県相馬市長 立谷秀清氏。
市長の体験を通して、貴重な事例を語って頂いた。
その苦労たるや、聞くと眠気も吹っ飛び、食い入るように聞いた。
また、市長の話術も見事で、深刻な事態で有りながら、笑いを呼びながらの2時間であった。有り難うございました。 |
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上の写真は、相馬師常の墓。下は八坂神社の由諸。 |
上の写真は師常の墓への参道。下は八坂神社。 |
ところで、 冒頭、湘南地方市議会議長会の鎌倉市議会からも議員が出席していたので、立谷市長は、相馬と鎌倉の関係を語った。
相馬家の先祖の墓が鎌倉にある。その由緒は、鎌倉幕府政権樹立に貢献した千葉家と相馬家の関係であると。
立谷相馬市長の話を聞いて、私は20年前、浄光明寺の大三輪君に頼まれて、相馬師常公墓参道の整備に係わったことを思い出した。
当時、中世の歴史家で広く知られていた大三輪君が語った。扇ガ谷にある相馬家の墓は、鎌倉時代の有力な人物で、千葉家と深い関係があるが、
墓への参道がぬかるみで、ひどい、周りの地主の方からも何とかして欲しいと言われているので整備を頼まれた。
このことを市の担当に伝えたところ、頑張ってくれてしっかりした参道が実現した。また、源頼朝公墓参道も整備してくれた。本当に熱意があった。
ところで、当時、相馬家のことは、大三輪君から聞いたことが記憶にあったが、私が高額市職員の退職金引き下げに取り組んでいた30年前、支援してくれた方に、
行革市民の会の幹部であった相馬 和子さんがおられた。相馬さんに聞いた、相馬さんは福島の相馬さんですか、いや、函館ですと。函館の相馬家も有名である。
また、三十年前のこと、鎌倉駅前にランプポストというお店があり、店主の小池さんが相馬さんという老婦人を紹介してくれた。逗子の方で、尾崎咢堂 の親戚の方だと。
今回、立谷相馬市長のいう相馬家と鎌倉を調べてびっくり。
相馬師常は千葉常胤の次男で、常胤から相馬御厨を譲り受けて「相馬」を名乗ったと。
師常は1189年の奥州征伐では、父常胤と共に従軍し、その手柄として、源頼朝より「八幡大菩薩」の旗を賜ったと。
鎌倉・扇ヶ谷には八坂神社があり、相馬師常が勧請したと。また、源頼朝の鎌倉入りを進言したのも師常とも。
扇ヶ谷・八坂神社に由緒が書いてある。八坂大神は「相馬天王」とも呼ばれ、もと、浄光明寺の裏山にあったと。
鎌倉と相馬家の関係は800年前から深いなぁ。
ところで、ランプポストで紹介された相馬女史は、調べてみると、相馬雪香さんであるなら尾崎咢堂の三女で相馬藩第三十二代当主・相馬恵胤氏の妻とも。
もしそうであるなら、本当に私はびっくりだ。知らないことばかり。腰を抜かしてしまうくらい驚いた。
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