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なつかしい資料が出てきたました。その一部を紹介します。市職員組合員が200人以上が座り込んで騒いでいました。
当時、私の対する組合から攻撃は激しく、発言も都合良く書かれています。
まぁ、攻撃されるのは、当然でしょう、さらに下げるべきだと私は戦うと、委員会を常にリードしていたのですから。政治の世界は背中を見せたら切られてしまいますから。
幹部も一般職も高いことには変わりなく、制度が変われば同じように下げなければいけないはずですが、組合は、市職員労組の立場で書いています‥いずれ、PDFで紹介します。
市会再選後も、私は留まることなく、行政改革を訴えていきました。
それが、行革市長誕生となるのです。市民の有志も立ち上がり、行革市民の会が結成されました。
下の記事は今年1月31日のものです。 |
私が、32年前、日本一の高額鎌倉市職員退職金制度を議会で問題にし、引き下げに戦っていた当時のビラが、出てきた。
当時の鎌倉市の職員労働組合は、共産党が支持する日本で最強と言われた。右の記事のように、200人の組合員が総務常任委員会が開かれている日、廊下に座り込んで、抗議の行動に出ていた。
私はいずれ、もっと、下げるべきだと発言すると、廊下では組合員は声を出して騒いでいた。数年後、高額退職金引き下げ実現のため、行革市長を誕生させて、国家公務員並みへ、市職員の高額退職金引き下げを実現させた。
懐かしいビラである。当時は、ワープロもなく、新聞の切り抜きと手書きで作成し、市民に訴えた。
写真のように、私の頭には髪の毛がフサフサしていた。 ウソみたい!
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