成都にて

三月三日(第二日目)

 昨日の旅立ちの若干の不安さに対して今日は大躍進と言えようか!
 何よりも今日は成都へ向かい、無事についてしまったことだろう!飛行機は驚くほど時間に正確であった。噂に読んでいた中国国内航空のいい加減さとはほど遠かった。

 まず昨日の上海の空港に行く。チェックイン、飛行場使用料支払い(90元)の後、空港内のエビラーメンを食べ、牛乳を飲んで飛び立った。しかしそれにしても上海空港は雰囲気が中国とは思えない。

 飛行機は窓側である!ああ、その景色の素晴らしかったこと!いろいろな家々やミニカーのような車が眼下に点在し、それがどんどん小さくなる。中国大陸を空から眺める素晴らしさ!上海の天気はとても良好であった。
 中国では平地に村というか町が点在しており、その間を道路が結びつけている。日本では町どうしがくっついて、単位としては分からなくなっているのとは随分違う。これも国の広さゆえであろうか。

 さて国内飛行機だが横6人掛けぐらいの大きさの飛行機だが、流石に周りは中国語人ばかりのようだ。しかし機内食やジュースもちゃんと出て、別にサービスが足りないとは感じない

 成都は霧。その光景はいかにも中国の奥へ来たという感じである。荷物を受け取り外へ出ると、やはり沢山の旅行者キャッチャーのお出迎えである。それを避け、「市内のバスはどこか」という紙をそれらしきバスの人に見せたら「これ」だという。
 乗る。例の如く、バスは凄い早さで成都市内へと突っ走る。

 景色が黄土大地ではない!以前、北京や西安をバスで走ったときには大地の黄色さ、その荒涼というか茫漠というかそんなだだっ広さに中国大陸をひしひしと感じだのだが、なんだかやっぱり南は違うのであろうか。見渡すばかり畑ばっかりで、いかにも地味豊饒という感じである。

 この時のバス代は「地球の歩き方」には三元と書いてあったが八元した。ちょっと「ぼられたかな」と思ったが中国人もそれっぽい。やはりインフレは激しいのか。さてバスを降りる前になって車掌のお姉さんがいろいろ話しかけてくれた。どうやら親切に「良い宿紹介するよ」と言ってくれているらしいが、全然会話が出来ないし、紹介してくれたところも若干遠い。結局「自己(自分でやります)」と書いて別れた。いかにも親切そうだったので悪いことをした。

 さてバスを降りた後、再び旅行者キャッチャーを振りきり、ガイドブックにある「交通飯店」(注1)へ向かう。しかしそこへ行く途中で旅行者キャッチャーおじさんの一人にひっかかる。「濱江飯店が三人で210元」と言われたのだが、そこはガイドにも載っているし、すぐ近くなので取りあえず行ってみることにする。ホテルにつくと、フロント台にパソコンが置いてあり、なんと値段の表示が!なんか近代化されている!
 それによると、三人部屋が300元。おじさん、話が違うで〜、と思いつつもまあいいや、ということで早くも四泊泊まることを決定。それにしても案内してくれたあのおじさんは、一体なぜ呼び込みをやっているのだろうか?ホテルからバイト代でも貰っているのであろうか?取りあえず我々のホテル代におじさんのマージンが上乗せされた形跡はない。

 さてチェックインを済ませて部屋に入ろうとロビーのお兄さん達(雑用などをしてくれる人)などが「交押金50元」という。「???」となって例の如くやり取りをしていたら(注2)、どうやら鍵のプレートの補償金らしい。

 さて、部屋は若干臭いがして、ベットの手元スタンドの電気もつかない。景色も一階で裏路地が見え、良くない。まっ、100元というわけだ。しかし一番困ったのは後述の外出から帰ってきた後に、お湯が出ないことに気がついた時である。水しかでない。
 外国では例えば時間帯で出ないときもあるという話は聞いたことあるので、早速お姉さんに聞きに行く。適当なやりとりで最初時間が経てば出てくるのかと了解したが、なんだか違う気がしてきたのでもう一度聞きに行くと、今度はわざわざ来てくれて身振りで教えてくれて曰く「しばらく流していなさい」とのことらしい。ずうっと水を出しっぱなしにしていると二十分ほどしてお湯が出始める。なるほど、100元なわけである。

 さて自由旅行で中国の都市へ来たらやることがやることが三つある。

 さて中国で「現地の都市地図」は必須である。それはこの地図にバスの路線や主なホテルなどが書いてあるためで、これがないとにっちもさっちも動けないのである。これは日本では殆ど手に入らず、現地の売店や地図売りおばさんたち(注3)が売っている。

 今回幸いにして地図を手に入れる前にホテルを見つけたが、早速を地図買うためと次の重慶への交通手段を確保するために街へ出かけることにした。大きなバスターミナルがガイドブックに載っているので、近くのそこへ向かう。なかなかそこまでつけずに、結局街の売店で地図をget!その結果、ガイドブックの大ざっぱな地図と大規模な河川工事で道を間違えていたことに気がつく。

 さてバスターミナルへついた。重慶への長距離バスを調べると一人87元だという。予約がいるか聞いたらいるという。他のバスターミナルは遠いし、ホテルも四日間取っているので、もう決めてしまうことにした。ということで早くも重慶行きが確保できたのである!

 その後、食事。陳麻婆豆腐店(本店か?)へ行く。かなり腹一杯食べ、満足感に浸りながら帰る。バスの車掌さんが行きに特に親切であった。多謝!

 ということでやっぱり大躍進であると言えよう!

 お湯はさっきも言った通りで、ようやく出てきたものの今一パワーが弱い。でも私は「だいな」の風呂鼻歌(注4)でそれを吹き飛ばして一日が終わった。


(注1)飯店とは中国では食堂のことではない。ホテルのことを指す。改めて考えると不思議である。他にも「大厦」「大酒店」とかいうのがある。

(注2)だいたいこういう場合には以下のようなやり取りがなされる。
中国人「が〜が〜が〜(←中国語)」
我々「はあ?」
中国人「が〜が〜が〜(←中国語)」
我々「分からんよ、ほら、ちょっと書いて」
中国人(書き書き)
我々「なんだ、この単語?う〜ん、分からん」
中国人(身振り手振り、お金見せたり、なんか見せたりいろいろしてくれる)
我々「ああ、なるほど、こういうことかな」(ということで我々も身振り手振り。この場合だったらお金を払って鍵を受け取り、鍵を返すときお金をまた貰う仕草をする)  外国語が話せなくてもなんとかなるものだ。疲れるが(^^)。

(注3)中国では特に鉄道の駅前などに、その都市の地図を売り歩く「地図おばさん」(おばさんに限らず老若男女である)がいる。呼ばなくても寄って来てくれて便利だが、一度地図を手に入れると逆にうっとおしくなるのは旅行者キャッチャーと同じである。なお、この方法で買うと定価では買えないのが一般的なようだから正式ルートでは無いのだろう。旅行に行く度ごとに彼らの数が減っている気がするのは、中国が豊かになってきて、もっと良い商売が現れたからであろうか。
 しかし一方で今回の旅行で初めて物乞いの人に出会っている。いづれことも寂しいことである(前者は結構不便だったりする)。

(注4)漫画家・竹本泉のインタラクティブコミック、つまりはゲームである。筆者はまあまあの竹本泉ファンであり、当時このゲームが出たばかりで、例の如くハマっていた。たとえ中国へ行く時もアニメ等の中毒症状は抑え難いため、それ以前二回の旅行ではポータブルヘッドホンカセットをもち歩いていたが、今回は諸事情で断念している。

三月四日(第三日目)

 今日も恙なかった。まず明日の観光地で、「都江堰」への一日観光コースへの手配をする。「都江堰」といのは戦国時代に李冰親子が建設した灌漑施設で、それによって蜀は豊かな土地になったといわれている。彼らは親しまれ、二郎真君などの伝説の元の一つになったという。M先生が二郎真君がお気に入りであり、是非行きたいと言っていたことから、またかなりの観光地であることから第一目標として行くことになっているのだ。朝7時出発のコースで一人20元であった。

 さて今日は武候祠、成都のメインへ向かう。武候祠というのは日本でもとても有名な諸葛孔明を祀る所であり、また彼が使えた蜀漢先帝劉備の墓地でもある。歴史好き、また三国志から中国史を好きになった我々としては是非見逃せない。ホテル前からバスに乗って祠の前につく。外国人は30元であった。

 唐と明時代の碑の前を通る。そして何故かまず劉備像と蜀の臣下の人形像がある。「何故か」って書いた意味は自分でもよく分からない。最初に劉備が出てくることに対して「偉ソー」と若干皮肉ったのであろうか。考えてあとから孔明像が出てくる方が偉い気がする。

 臣下の像は一人一人見るが,結構知らない奴も何人かいる。張飛の顔が黒いのが特徴的だ。人形の顔を見るより,説明文の方に目がいってしまう。

 写真をホウトウと一緒に撮って貰う。郭嘉とが良かったなあ(注5)。あちこちの壁には諸葛孔明を称える碑があり,そしていよいよ奥には諸葛孔明像が!!両側には知らん息子と孫の像がある。

 さて,称える碑のうち,一つがなんと岳飛が書いたものではないか!思わず,感激してしまい,その為岳飛の出師の表の拓本(拓本)を買うことになる。

 さて裏には劉備の墓があった。こんもりとした丸い山で,藤森古墳(注6)より一回り大きい程度か。な...何もない。

 敷地内にはおみやげ屋さんがあり,日本語で話しかけられる。何しろ,日本で一番人気の中国史人物の廟である。日本人がたくさん来るのであろう。結局買ったのは先ほどの拓本と5元の絵はがきである。そのあと,ここに付属している三国時代の陳列館へ行った。それなりに面白く日本の三国志関連の本もあった。
....そういえば祀られている人物の像の中に劉禅像って無かったなあ。やっぱり阿斗(^^;;)。

 さて,かなりゆっくり周ったあと,そこを後にして飯屋へ行く。目についた餃子屋へ行く。一人8元。かなりおいしかった。さらには,「う〜ん,注文したものがまだ全部来てないような気がするんだけどなあ」


(注5)三国志をある程度知っている人なら分かることであるが,蜀の臣下像ということは魏や呉の武将はいない。私がもっとも好き,というよりなんか腐れ縁的に好きなのがな魏の郭嘉である。そういえば魏の臣下像も確か中国のどこかにあった。

(注6)我々の知り合ったきっかけというのは某大学時代の「考古学研究会」というサークルであった。そこでは京都周辺の,研究者からは大して注目もされない,小さな古墳を調査測量などを行っていた。我々は青春の輝かしい時期を,うだるような京都の太陽の下でもくもくと...いや,ぶつぶつと文句を言いながら活動を行っていたのである。藤森古墳というのは,一説に桓武天皇(だったかな,いづれにしても大嘘のはずである)の墓と伝えられていたもので,そこを測量したことがあったのだ。やはりこんもりとした小山であった。

三国志をある程度知っている人なら分かることであるが,蜀の臣下像ということは魏や呉の武将はいない。私がもっとも好き,というよりなんか腐れ縁的に好きなのがな魏の郭嘉である。そういえば魏の臣下像も確か中国のどこかにあった。

(注5)三国志をある程度知っている人なら分かることであるが,蜀の臣下像ということは魏や呉の武将はいない。私がもっとも好き,というよりなんか腐れ縁的に好きなのがな魏の郭嘉である。そういえば魏の臣下像も確か中国のどこかにあった。

(注5)三国志をある程度知っている人なら分かることであるが,蜀の臣下像ということは魏や呉の武将はいない。私がもっとも好き,というよりなんか腐れ縁的に好きなのがな魏の郭嘉である。そういえば魏の臣下像も確か中国のどこかにあった。

竹本泉ファン