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2000 東北ツーリングだびよん その4

あの世もこの世もみなゴッチャ 霊界交流編(仮題)
露天風呂、河童、恐山イタコの口寄せ、尻屋崎

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このページはとても長文なので覚悟!

7/21(金)

今日はたくさん距離を走ることになるので、朝は早起き。5時過ぎに出発。
今日は天気も良くなりそうでよかった。いよいよ下北半島へ向かう。

四国では35℃を超えるような猛暑だというのに、こちらは早朝だけあって寒いくらい。
途中で1枚着込んだ。

早朝に出発して、ひたすら走っただけあって、恐山へは朝の8時台に着いてしまった。
まだ時間は早かったので、まずは恐山を通り過ぎて、奥薬研温泉「カッパの湯」に行く。
ここは無料の混浴露天風呂。先客がいたけど、もう上がりそうだったので、ちょっと待ってから入ることに。
貸し切り〜。丸見えだけど、とても開放的で気持ちいい。
先ほどの先客のおっちゃんが、私がカメラを持っているのを見て「写真を撮っちゃろか?」と言うので、じゃあ1枚、とお願いしてしまった。・・のが下の写真。

途中で、おっちゃん何人組かがやってきたが、またまた入らずに帰っていった。
おいおい、見るだけかよ。

無料露天風呂 奥薬研温泉 かっぱの湯 かっぱの湯。
誰も見たくないだろうが、よく見ても見えないよ。(何が?)
 

ホッコリといい気分になって露天風呂から上がったら、先ほどのおっちゃんがいて、いきなり「お茶とコーヒー、どっちがいい?」と声をかけてきた。突然のことで「へ?」という顔をしてると、「インスタントやけどな、冷たいコーヒーでええか?」「はぁ」ということで、風呂上がりに冷たいコーヒーを一杯いただくことになったのでした。

キャンピングカーで旅行をしてる人の良さそうな夫婦。なんか良い感じでした。こういう熟年(?)夫婦、憧れます。コーヒーを頂きながら、しばらく談笑。私がキャンピングカーに興味を示していると、車が重いから山道のカーブでは膨らんで気を使う、とか、車の改造は徳島の業者に頼んだのだ、とかいう話をしてくれました。
一期一会。バイク乗りの出会いは、バイク乗りばかりじゃありません(当たり前か)。

アイスコーヒーをご馳走になった旅夫婦 かっぱの湯で会ったキャンピングカーの夫婦。
勝手に載せちゃってすみません。
まー、顔も分からないサイズだから大丈夫だろう・・。


その後、すぐ近くの露天風呂「夫婦かっぱの湯」のほうにも行って、温泉のハシゴ。
こっちのほうは、お湯が異常に熱くて、とてもじゃないが入れる状態じゃなかった。
冷水が出ている近くだけは何とか入れるって感じ。これにはまいった。早々に出る。
すでに食堂も開いていたので、名物だという「イカスミラーメン」を食べてみた。
真っ黒い麺で、見た目はインパクとあるぞ。味は意外とあっさり系。


真っ黒麺のイカスミラーメン 真っ黒い麺のイカスミラーメン(\800)




さて、いよいよメインの霊場恐山へ・・。

おどろおどろしい霊場の雰囲気もあるのだが、さすがに「恐山大祭」というだけあって、観光バスも含めてマイカーもたくさん訪れており、大勢の人で賑わっていた。すっかり俗化?
「恐山菩提寺」に入る。入山料は500円。

菩提寺 ←こう見たらガラガラに見えるな・・。ホントはわりと人がいます。



山門を入ってすぐ左側に、いきなり小さな掘っ建て小屋がずらっと並んでいる。「イタコの口寄せ」である。
その数20くらいであろうか。それでも、以前に比べると半分くらいに減っているそうな。後継者はほとんどいないので、いずれは滅びる運命にあるのかも知れない。

「恐山のイタコ」というのは有名だけど、恐山にいつもいるわけではなく、7月の大祭と11月の秋祭りの時のみ、恐山に集まってくる。イタコさんは、普段は東北地方の各地に散らばって生活しているのだ。
「イタコ」というのは、元々は盲目の(または身体の不自由な)巫女のことで、厳しい修行を積んで、死者の霊を憑依させて語る能力を身につけた霊媒師である。今は体の元気なおばあさんも多いようだ。


イタコさんにも人気の差があるのか、行列が長いところと短いところがあった。
今年は、なんと20代の若手のイタコさんもデビューしている。その人は、わりと人気があるのか、列は長かったみたい。
大祭に合わせての観光旅行も行われているようで、団体のバッジを付けた人も列に並んでいた。
1人(1組)あたりの所要時間は、だいたい5〜10分。(まれに1組の客が複数の故人を降ろしてもらう場合もある)
1人の故人を降ろしてもらう口寄せ料は3千円である。これはおそらく均一だと思われる。
長い列は20人くらいは並んでいる。単純計算で2時間以上は待つことになる(予想)。少ないところでも待ち人数は5〜6人程度は常にいる。あまり時間がない人や、特に希望のイタコさんがいない人が、短い行列に流れてくる。それでも30分くらいは待つことになる。ゴザや椅子を持ち込み、弁当や水筒を持って、さながらピクニックのような待ち行列であった。

イタコさんの語り口調にも特徴があり、わりとはっきりした口調で喋る人、下をうつむき聞き取れないくらいの声でボソボソと語る人、歌うような感じで独特の旋律で語る人などさまざま。
客のほうは、若者からお年寄りまで千差万別。やはり亡くなった肉親を偲んで涙してるシーンも見られた。

イタコの口寄せ 待ち行列 ずらっと並んだイタコ小屋。
イタコさん 小屋の中ではイタコさんが座っている。一つ一つの小屋に名札がかかっている。


学生時代に恐山を訪れた時には、大祭中ではなかったので、当然イタコさんはおらず、静かなもんであった。
今回、わざわざ大祭に合わせて訪れたのは、単なる見物だけでなく、実際に「口寄せ」をしてもらうという目的があった。
7〜8年前に亡くなった祖母の話を聞きたかったからである。
しかし、好奇心、怖いもの見たさ、少々の冷やかし・・という気持ちが全く無かったと言えば嘘になる。


イタコさんの評判なども分からず、時間の都合もあったので、比較的短かそうな列に並んだ。
待ち時間中に、前に並んでいた若者と少し会話。色つきの短髪、耳にピアス、この場にはあまり似つかわしくない今風の若者であったが、何の準備もしてなかった私は少し不安になり、「どんな情報がいるのか知ってる?」と尋ねたら、「本人と故人の続柄と、亡くなった月と日だけ」でいいと言う。え?それだけ・・?って感じだった。その若者は2回目らしく、「僕もおばあちゃんを・・」と話していた。

後ろに並んでたおばさんにも話しかけられる。
団体旅行で来てたようだ。「○時○分にバスに集合なのよ。間に合えばいいんだけど・・」と時間を気にしてるようだった。
おばさん曰く、「昔は目が弱くなったり、身体が不自由になると、即生活に困るから、巫女(イタコ)になる人がいたのではないか。今の時代は福祉が充実してきてるので、敢えて厳しい修行を積んで、新たにイタコになる人がおらず、結果的に後継者がいなくなったのではないか」、とのこと。なるほど、一理あるかも。


私の番が回ってきた。
本来、見せ物ではないので、あまりレポートとして詳細に書くべきことでないのかもしれない(というか、覚えていない所も多い)が、私が体験したことをここに記しておこうと思う。


靴を脱いで、イタコさんの前に正座。おばあさんではあるが、さほど高齢でもなさそうな感じ。
イタコさんといっても普通の人。客の切れ目には、ペットボトルのお茶などで喉を潤す。傍らには、おやつ等も置かれている。

何から言えばいいのか分からないが、イタコさんが何となくウエイト状態だったように見えたので、
「あの、祖母を・・おばあさんをお願いします」と言ってみた。
「おばあさん?あんたの?」(そりゃそうだ)
「はい」
「何月何日に亡くなったか?」
「○月×日です」
「歳取ってから亡くなったか?」「はい」「病気で亡くなったか?」「えぇ、まあ・・」

そんなもんでいいの?故人の名前とか、亡くなった年、年齢さえ不要だ。
その程度の事前会話をして、スタンバイに入るのだ。簡単なものだ。

肩からかけるような大きな数珠をジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ・・とすり合わせながら、何だか分からない呪文のようなものをブツブツと唱え始める。降霊の儀式の始まりである・・。

内容については、ほぼネイティブな津軽弁(シニア仕様)だったため、何とか理解できたのは7割程度であろうか。
そして、今はかなり忘れてしまっている・・。だいたいの概要はこんな感じ。

祖母霊:
「おぉ、遠くからはるばるこの恐山の地までよく来てくれた。会いに来てくれてとても嬉しい。
私は元気にやっているぞ。おまえも元気でやってるか?
バイクで来たのか?事故とかしてないか?5分10分急いでも何にもなんね。
事故など起こして親に心配かけたらあかんぞ。
仕事はどうだ?無駄遣いばっかりしたらダメだ。いらんもんばかり買ってるんとちゃうか?
ちゃんと貯金もしろ。
今もまだ独身か?早く親を安心させてやれ。
父も母も心配しとるぞ。・・・」



とまぁ、だいたいこのような内容かな。(一部阿波弁が入ってるようですが、単なる私の理解ということで)
う〜む、「説教」である。それに尽きる・・。
いかにもばあちゃんが言いそうなことだ(笑)。
わかったよ、ばーちゃん。親に心配かけないように、安全運転で帰るよ。

帰宅後、この話を人にしても、たいてい「あははは、それは単なる説教では?」と笑われる(^^;
「ほんとにおばあちゃんだったか?」「正しかったか?」というようなことも聞かれる。
そういう興味は、この旅の前の私も思ってたし、とてもよく分かるのだが・・。


・・・・・

何となく、ひとつ分かったことがある。

故人が本人(本物)かどうかとか、合ってるとか間違いとか、そういうことは実はどうでもいいことだ
と、思うようになった。

人は誰でも、物事を忘れるし、間違うこともある。
霊魂だからといって、必ずしも正しいことを話さなければならない、なんて逆に不自然。


イタコさんは、とても深いところで人の心に触れる。

そういう能力を持った人なのではないか。そのような修行を積んだ人ではないか。
それを霊能力と呼ぼうが、何と言おうが自由である。それは定義の仕方ひとつだと思う。

重要な点は、故人ともう一度話したい、とやってくる人々の心の中。
去っていった人とは、もう二度と何も話すことができない。残された人は、故人に対してもはや何も聞くこともできず、ただ後悔や残念な気持ちだけが残る。(「お悔やみ」とはよく言ったものだ)
思いがけない死や、死に目に会えなかった別れなど、いろんな場合がある。
そのような時、第三者の口から、故人の言葉として「私はあの世でも幸せに暮らしている。いつもお前たちのことを見守っている」というような言葉を聞かされればどうだろう。その言葉だけで、残された人々はホッと安堵し、そして癒される。
それが”真実かどうか”なんてことは確かめようもないし、疑うだけ野暮なことだ。
これはまさしく、ひとつの「癒し」の世界だ。
最初は少し冷やかし気分が入っていたことを反省(すでにそういう気持ちも失せていたが)。


お礼を言い、口寄せ料を支払って席を立った後、何とも不思議な感覚におそわれていた。
何というか、サッパリと、晴れ晴れとした気分。

ここは現実の世界。見上げれば青空。まわりには観光客。
しかしここは霊魂が集まる場所?
この場所を「こわい」といって近寄らない人も多いと言う(ほんとは全然こわくないよ)。
私は霊感は全く皆無だけど、ここではなぜか霊がいてもおかしくないんじゃないか、という気分にさせられる。
「そりゃ、霊もいるさ・・」って感じ。
あの世はあの世で、自由にやってくれ。

死ぬことというのは、実は別にこわくないことなんじゃないか。
こわいのは、「死ぬのはこわいと考える時の生」なのではないだろうか。
普段、意識しないようなことを、ここでは考える。

あの世の存在を感じ、別にまあそういうのもあってもいいかな、と妙に受け入れてしまうと、「人はいつか死ぬ」という当たり前のことを真っ直ぐに受け入れることができ、恐怖心もちょっとは少なくなる気がする。
そして、それが逆に生きることの意味を考えさせられる。

いつかは、私もあの世へ行くことになるだろう。その時には、なるべくいいところに行けるように、今を精一杯生きなければ、という気になった。人間誰しも過ちはあるだろうが、自分の人生を一生懸命に生きていれば、きっと天国ってところに行けるだろうし、またそこでは大切な人や友達に出会えるのかもしれない。



天国は今日もこの日のように青空が広がってるのであろうか?



うっそり湖っ。 ←宇曽利湖と、うららかな?その湖畔

水質の関係で、生物は生息しない。
そして水は恐ろしいほど透明。
 


<突然おまけコーナー>
〜TRICK的イタコ分析〜

本物の霊媒師、霊能力者というのは、はたして本当に存在するのであろうか?
ここでは、私の冷静な観察力と分析により(笑)、「科学的に」少し解明してみよう。
イタコさんは、非常に微妙なインタラクティブ性(対話性)と観察力を持って接してくる。
身なりや年齢、言葉遣いなどから、その人と故人の関係を瞬時に見抜き、さも故人になりすましたような感じで話す。「遠くから」というのは、最初の二言三言から、言葉のアクセントなどで判断できる。「バイク」というのも、服装や持ち物から推測できるだろう。見た目の年齢や雰囲気から、仕事のことや、家族のことも、ある程度話すことができる。
途中で、本当に微妙な、「うん」か「いいえ」で答えられるような質問調のことを言う。それがまた絶妙。こちらが頷いたり、首を傾げたりすることで、いかにも最初からそれを知っていた、というように話を続けるのだ。
これは「コールド・リーディング」という手法らしい。(山田奈緒子by仲間ゆきえ)
相手の答えや反応によって、うまく話を合わせていくことで、いかにも「最初から知っていたぞ」というような印象を与えるのだ。
イタコさんは、この技術(?)の修行を積んだ名手なんじゃなかろうか?なんてね。
もちろん、過去の人も含めて、あれだけのイタコさんがいたら、本物の霊媒師もいるのかもしれない。
まだまだ科学では解明できないことはいっぱいである。


ぢごく巡りっ。
地獄巡り・・らしい。
お寺の裏、横には、広大なスペースがあり、順路を一通り
回ると約40分のコース。
風もないのに、カラカラと回り続ける風車。
丁寧に山の形に積み重ねられた小石。
あちこちにいるカラス。硫黄の匂い。煙。
やはり、何とも言えない雰囲気がある。
 


霊場アイス。もちろん食ったさ。 
霊場アイス。
ちょっと見えにくいが、「恐山盛り」と書いてる。
おそれざんもり、である。こ、これはいったい・・。

ひとつ買う。味はあっさり系。
意を決して、アイス売りのおばあちゃんに聞いてみた。
「この、おそれざんもり、って・・なに?」
老婆は目を合わせず、恥ずかしそうに言った。
「山だからおそれざんもり・・へっへっへ・・」
そして、スーッと消えていった。。。
そっ、それが答えなのか・・?答えになってない気が・・



さて、そろそろ恐山を後にします。下北半島の北東の果て「尻屋崎」を目指します。
場所は東北メインページの地図を見てみてください。

尻屋崎は、馬の放牧がされているのが有名みたい。
なんとなく、以前訪れた隠岐を思い出す。
かなり近くに寄っても、我関せず、という感じで草を食ってる。結構、車の人も路肩に止めて、馬を見てた。


野生の馬が道路脇で草を食う うま。


もうちょっと走ると灯台がある。
青い空と青い海。今回は、あまり天候には恵まれてなかったけど、今日はいい天気。


尻屋崎の灯台。いい天気。 尻屋崎灯台。


同じ道を帰るのも何だかなぁ、と思ったので、くるっと回って帰るルートを走ろうとして・・あれ?道に迷ってしまった(笑)。めっちゃ分かりやすいと思ったのに。で、ちょっとだけダートなどに入り込んでしまったりしながら、何とか目的の道に出られた。
ちょっとバカみたいだった(^^ゞ

核燃料サイクル基地で有名な六ヶ所村を抜けて、あとは青森市方面へ帰るだけ。
途中、天間林村で温泉に立ち寄った。なかなか良かったな。

夕方には青森市についた。
道路を走ってたら、とある商店街で、何やらお祭りをやってたので、思わず立ち寄ったりして。
縁日がいっぱい出てて、見て回るだけでも面白かったな。でも店は全国どこも変わりない。

そこで見つけた変なもの↓
パパパパンダ。不気味なチャリ漕ぎパンダ。  静かに自転車を漕ぎ続ける不気味なパンダ。
電動である。クルクルと足を回す。
妙な体型バランス。白目。しかし白い部分は灰色。
自転車操業。
ひょっとして中に人が入ってるのだろうか?もしそうなら
怖さ約12倍アップ。




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