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- 始皇帝{エイ政}(秦) Shi3Huang2di4 前259-前210
- 中国にて最初の中央集権国家、法治国家を作る。「皇帝」という言葉も彼が作り、広い中国で様々に異なっていた制度を統一化する。焚書坑儒等で後世、儒家には嫌われた。強引な政策で国民の不満は極度に累積し、帝国はあっと言う間に崩壊。本人の希望していた「皇帝は尊いので永遠に名前、おくり名等で呼ぶべきではない」は彼自身にのみ、主に使われることとなった。
→百二十・百五十二・百九十九・二百五十一
- 李斯(秦) Li3Si1 ?-前210
- (秦)をつけさせていただきます。
始皇帝の側近。法家であった。始皇帝の死後は趙高の陰謀に加担し、胡亥を皇帝にしたが結局趙高に殺された。
→四・五十五・百三十二・二百七十一
- 徐福
- 道士。秦の始皇帝から不老長寿の薬を探すよう頼まれた。いつまでも見つけないことを咎められたが,海を越えて蓬莱に行くことを望み,資金と人を与えられて出航。日本へ渡ったとも,台湾へ行ったとも伝えられる。
日本には徐福が訪れたという,所謂徐福伝説の伝えられる地域がいくつかある。
→二百十三・二百十四
- 趙高 ?-前207
- 宦官。始皇帝の死後,その遺言を李斯とともに改竄し,胡亥を即位させる。彼のもとで専権を振るい,李斯まで死に至らしめる。反乱勃発の中,胡亥にはそれをひたすら隠し朝廷内を思うがままに操る。やがて胡亥をも殺し,子嬰を即位させようとするが逆に殺された。
一般には極悪非道の,悪宦官の典型として記述される。だが祖国趙の復讐を果たした,そうとはいえないまでも所詮秦には忠誠など無く,その国をよりよく運営する義務も気持ちもなかたっと見ることも出来る,という。