雑想頁 中国関係 研究書

「龍の話 図像から解く謎」(中公新書)
   林巳奈夫/著

 来年2000年は辰年である。辰は動物で言うと龍である。本書は中国古代の図像に詳しい研究者の方が書いた「龍」の話だ。漢時代までの龍の図形の変遷とそこに込められた意味を探っている。

 龍は干支の中でも唯一の架空の動物である(年賀状の図柄ではタツノオトシゴを身代わりにする例があるが、龍に失礼であろう)。
 この12種の中で唯一架空の動物であるという事実こそ、中国人にとって龍がどれほど身近な「生き物」であったかを示していると言えるだろう。実際、中国人は紀元前1000以前から龍というものの存在を信じてきたらしい。では、その龍はどのようにして中国古代人の心に住み着いていったのであろうか。本書を読むことでその一端を窺うことが出来る。

 本書ではタイムトンネルをくぐるようにして後漢時代(1〜2世紀)から新石器時代(紀元前1000年)へと遡る。そのような手法を取ったのは恐らく以下の為だ。すなわち漢時代には龍という生物が既に文献上でも明記され、きちんと認識されていたことが分かるのだが、その時代以前になると図が描かれていても本当にそれが龍かどうか分からない。そこで筆者は、時代を遡っていく際に「ほら、この図には後世(漢時代)の龍のこの特徴が既に入っている、だからこれは龍なんですよ」という論法を以て龍の図が遙か昔に遡れることを例証しているのだ。

 その「龍かどうか一概に言えない」というのは主に商周時代の文様である。さてあなたは商周古代青銅器を御覧になったことがおありだろうか。中国青銅器には三本足の「鼎」を代表として壺や水盤など様々な種類のものがあるが、なんといっても注目すべきはその奇怪な文様であろう。器の表面にはびっしりと様々な生物が描かれており、また器自体が生物の形をしているものもある。龍はその中に描かれているのである。
 私は青銅器を見るのが以前から好きで結構鑑賞してきたが、ぼ〜っと見てるだけでも結構面白いものだ。「あ、ここにも変な生き物が描いてある。あ、ここもかあ、変なの〜」と思いながら眺め、古代に思いを馳せるだけも楽しい。しかし一方で、それらの奇怪な生き物たちが何がどういうことを表しているのか全く分からないところに一種のもどかしさがあった。宋明以降の吉祥文では、かなり明確な意図を知ることが出来るのと対照的なのである。本書ではその「分け分からない模様」を分析し、龍に関する模様の変遷に流れやパターンがあることを示す。「あ〜、そうなんだ〜」と思わせる部分がたくさんあって本当に楽しい

 筆者の姿勢は「特徴を見つける」ということから始まっていると言って良い。龍の身体の一部など、図像の中のささやかな一部に注目し、その変化を追うことで、龍かは分からない「怪物」を龍と断定しているのである。たとえば青銅器の龍の系統には茸型の角と尖った角の龍がいることを指摘する。しかも前者の茸型の龍は甲骨文でも現れているという。茸型の立体の角を持った「怪獣」の青銅器は実は結構多く、それらは必ずしも我々のイメージする龍ではなく、虎ともゴジラとも言えないような生き物であり、私もなんだろうと常に思っていた。しかし茸の角のことも含め著者の追求に因れば、これは紛れなく龍なのである。その他にも羽を持っている龍といない龍、星と一緒に描かれている龍絡み合っている龍、蜷局(とぐろ)を巻いている龍、などなど、さまざまな形をしながらもそれらが龍としての特徴を備えており、また他の図象と関連しながら存在していることを指摘している。
 龍以外にも漢時代の龍の背景にあるもやもやっとした中に生える花のようなもの(筆者はゼツ[++/絶]と読んでいる)が、遙か紀元前1000年ぐらいから模様の端々に見られるものであることを言及している。
 これらの言及は青銅器文物を好きなものにとって実に楽しい。私などは注意力がないのであろう、商時代の文物を見、戦国時代の文物を見、漢時代の文物を見ても「時代ごとに随分と違うねえ〜」という感想を受ける程度で、その間に繋がるものは見逃してしまっていた。しかしじっくり見てみれば時代の異なる文物の図像の間には、まさしく長い時代に渡って受け継いできた流れがあるのである。これこそ古代中国人が作り上げてきた「文化」と呼べるものであろう。

 「特徴を見つけて究明する」という姿勢に加え、本書の目立つ姿勢として「絵のモチーフになったものを推測している」という点が挙げられる。たとえば龍が「架空の動物」であるといっても、そこには何らかの生き物をベースにした可能性が十分にあり、ワニや蛇を引き合いに出しているほか、龍をイメージするもとになった自然現象として竜巻などを挙げている。龍ではないが、上のゼツや蓮葉のような文様に関しては太陽の日の出日の入りの時に発生する「太陽柱」や「暈」の現象をもとにしたのではないかということを述べている。私はそういう自然現象でさえあるのを知らなかったからビックリ仰天である。

 さて話は移るが、中国古代の文様というのは非常に面白い。図自身が面白いだけではなく、実はそれに関係するような伝承が残っているのである。伝承が残されているのは3,4世紀以降が中心なので、本書で扱われる時代より随分後のことであり、必ずしも反映できるとは言えない。しかし確かに関連づけることの可能な場合も結構多く、その結果あとがきにも指摘されているように、文物の模様を論じる際「この絵は○○で語られているものに違いない!」「××を表すに違いない!」という独断に陥りやすい。
 本書の筆者はそのような独断に陥ることを避けるため、図象の変遷や類例を詳しく追い、慎重に推測を行っている。しかしそれでも実は分からないことだらけであり、その中で意見を述べることは結局は大胆な推測をしていると言ってもよく、実際にも私が読んで「え〜?」と思うような意見もあった。しかしおそらく筆者は豊富な経験をもとに勘を含めて述べているのであって、完全なる断定が不可能なのはよく分かっているであろうし、そういう結局曖昧な「わけわからん」って所がまた「だから楽しい」って所なのであろう。

 本書を読んでもっと知りたいと思ったことがいくつかあるが、一つは「図象の変化と王朝の交代の関係」という点だ。筆者は図象の中の龍の形の変化などが王朝の交代に関係していることを若干述べているが、そこからどんなことが推測できるのであろうか。
 二つ目は「地域による相違と関連」だ。龍というのは架空の生き物だからこそ、その概念の広がりは文明の広がりを意味していると言って良い。たとえば青銅器の形が同じもので模様を持っているためにその地域同士が強い関係を持つことは推測できるが、細かい文様になればそれをもっと詳しく検討することが出来るのではないか。
 三番目が「漢時代以降の龍の話」である。龍は確かに漢時代までに原型を固めたが、中国ではその後2000年間、龍は生き続けたのである。皇帝を象徴するものという扱いを受け、元時代以降、特に盛んに陶磁器で立派な龍が描かれるようになった。龍の出現を吉祥として捉え、その情報が中央政府に報告されるのはなんと袁世凱の時代まで続いたとされていて、つい最近まで龍は決して中国人に架空の動物にはならなかったのである。だからこそ我々にとっても今の中国人にとっても身近な「生き物」なのだ。もちろん紙面の問題もあるだろうが、龍の話というならば中国史全体で捉えて欲しかった、また少しは言及して欲しかった気がする。

 ともあれ本書を読めば青銅器の図像を見るのに一層楽しい思いをすることは間違いなしである。[99/8/10]
(99/8月現在、本書は新刊ではほとんど出回っていないようである)


「恋の中国文明史」 (筑摩書房文庫)
   張競

 ああ、なんというグッドなネーミングであろうか。
 本書には文庫になる前、学生の時に生協の本屋で出会った。今は無きその本屋の想い出と共に、本書を見た第一印象を今でも懐かしく思い出す。
 本書のような一般向け研究書を読むようになったのは最近なので、その本も買って読むことはなかったが、しみじみと手に取ったのを覚えている。それほどインパクトのあるタイトルであった。

 孔子は「怪力乱神を語らず」といって、不可解な、あいまいな話に触れるのを明確に避けていた。そして、その説くところは政治の在り方とか、個人の生き方とか、人間関係とか、そういうものであった。これが孔子に始まる儒教が「宗教とは言えない」といわれてしまう所以である。人間、いや、生命は少なくとも世に出ること、そして世から消えること、すなわち「生死」に関して、不可解な問題を抱えており、これに追求せずして宗教ということは難しい。なぜなら、宗教は得てして「生死」の不可解で追求不可能な問題を解決するために使われるもの、だと私は思うからである。
 その不可解な部分に触れなかったこと、すなわち「怪力乱神を語らず」という点が「儒教」が宗教足り得なかった理由だと思うのだが、その分、中国国内のみならず、東アジアの各地でその思想が広まると共に、近代的西洋科学の社会になっても決して簡単に捨てられる内容となっている気がする。

 話がずれた。ともかく、そのような儒教というのは、現代の我々の生き方、人間関係のいわば未だバイブルに成り得るものだと思うのである。しかしだ。儒教に決定的に欠けている話題がある。人間関係を扱うくせに、現代人、特に現代の若者がもっとも悩む(らしい)人間関係、すなわち男女間の「恋愛」を全く扱わないのだ。
 男女間の恋愛どころか、孔子は女性のことでさえ、ほとんど触れない。もし孔子が女性について、もう少しでも男性と同様の立場を述べ、男女関の、この不可解な関係についての、なんらかの哲学を述べていれば、『論語』は今より遙かに「若者の」バイブルとも成り得たかもしれない。

 儒教が、秩序を重んじ、その結果、停滞や階級差の是認を生み出した、だから儒教が悪い、というのはある面で正しいが、儒教の責任だけでは決してない。近代的な平等観、進歩感の世の中の前時代に、階級と秩序を用いて上の者が下の者を縛り付けるのは、全世界ほとんど共通に見られることである。マルクスの原始共産制から、社会主義までの流れは、決して普遍的なものではないが、ずっと古い時代の共産制を維持してきた一部地域の民を除いて、ある程度の変化を持つ(進展を持つ?)文明の場合には、少数の者による多数の者の縛り付けはごく当たり前のことであったのだ。儒教は、そもそも革新的な要素も持っており、その「保守」を重んじる点が「封建的だ」と攻められたのは全く一面的な捉え方に過ぎない。

 だが女性達は儒教を責める権利があるかもしれない。儒教において孔子が女性を軽蔑的に述べたために、女性の位置づけはずっと低く、結局近代社会になるまで、その地位の向上は拒否され、女性は名前すら残すに値しないものとされたのである。

 もちろん、他の国でも女性の地位が低いのはかなり普遍的で、先進国だって女性に選挙権を与えたのは最近だから、まあこれも儒教の責任とすべきかは難しいが、もし孔子が女性に少しでも関心を払っていたら、少なくとも有名な女性の名前くらいは歴史書に残るようになったかもしれないのである。

 そして、その結果、恋愛論も堂々と語られることはなかった。男女の関係を、子々孫々を残すための関係としてのみ捉える見方は、結局対等な男女関係というのを生み出さず、結果として「恋愛」と言うべき男女の関係を生むことはなかったような気がする。

 雑草記に書いたことがあったが、イスラムでは恋愛書が、しかも大学者によって書かれていた。これを読んだときには私は驚愕したものである。偉大なる中国のこと、女性に関する蔑視排除の論は、李卓吾(明末の人)によって語られたことは知られているが、それでも男女の関係を、それについては平等と見なし、恋愛論にまで押し進めたのは終ぞ無かったのではあるまいか(知らないだけか^^;;)。

 ということで、本書では中国で恋というものがどのように生まれてきたのかを古代から説き起こし明らかにしていく。ここで言う「恋」とは今我々が普通に使うように未婚の男女間で起こる感情について述べたものである。そもそもこの定義が定着し、「恋愛」などとして使われるのは近代後の日本からの逆輸入によってであり、同じ意味としては「色」とか「情」とかいう言葉が使われていたらしい。...というような言葉の定義から始まって中国史で出てくる男女間の恋愛について語られていくわけである。

 最初印象的だったのは序章で書かれていた中国の特質についてであった。漢民族とは何か、中国はどのようにして成立していったのか、それが淡々と書かれている。その認識は中国史を学んだものにとっては非常に常識的だが、それを極めてうまくまとめている

 それ以降は「恋」の形の発生を『詩經』などから初めて、清代まで続けている。ただ本人が言っているように、要点は後半の小説などの恋を述べた点のようだ。確かに小説は現世を映す鏡であり、また庶民の要望も手伝って、恋などの心情的なものが吐露しやすいであろう。しかし、史書・経書などを中心に恋を追った前半と、すっかり小説が中心になる後半ではどうも整合性に欠けるような気がしないでもない。確かに正史などから辿ることは難しいが,しかし少しは言及くらいしてほしかった。

 最後の近代以後の結婚についての話も面白いが,ここになると急にまた当然の如く実際の話になる。

 ともあれ,漢文明の典型的な媒酌婚の話から奇怪小説での恋,明清小説での各種の恋を取り上げて,そこに周辺異民族との相互影響を見いだす試みは文化史の一部として非常に面白い題材であるといえよう。[初稿 98/11/13]


「儒教とは何か」 (中公新書)
   加持伸行

 儒教とは宗教である。この断定に違和感を感じる人は多いに違いない。本書では「儒教は宗教だ」という主張を前面に出して、儒教の歴史を述べた好著である。
 かなり面白い本であった。明確な主張、他の人の考えに対する著者のはっきりした態度、歯切れの良い語り口、様様な具体例と引用、系統的な儒教歴史の記述などなどがかなり面白かった。

 本書ではまず儒教の宗教性について述べ、次に宗教性の面からその歴史を捉え、最後に現在との関わりを述べている。「宗教とは、死ならびに死後の説明者である」という主張には非常に納得してしまった。
 と思ったら納得するはずだ。以前に書きかけた本の雑想記で,私も全く同じ捉え方をしており、生死の問題こそが宗教の本質と考えている。つまりは私が本書の著者の主張と全く同じ考え方を抱いていたのだから私が共鳴して当然である。

 以前,宗教の位置付けについて、哲学と倫理を合わせたものが宗教ではないかと思ったことがあったが、友人からそれでは不十分なことを指摘された。そこで考えた宗教の本質が「死生について扱う」ということである。倫理でも哲学でも死を扱うことがメインではないし、その定義もするとは限らない。しかし宗教が死から逃げることは許されない

 ともかく、筆者は儒教に礼教性と宗教性の面があると考え、従来の儒教研究、儒教批判は礼教性の面にだけスポットを当てた偏った見方であると主張し、儒教が宗教で無いかの捉え方などはその最たるものであると主張する。
 宗教性から見た儒教の説明は非常に興味深い。儒教の「孝」の考え方がどんなに死生観に結びついていたのか、その死生観に基づいていたからこそ中国において儒教の主張が受け入れられたこと、現在の我々の葬式などには儒教の面影が色濃く残っていること、それらは非常に興味深い。

 やはり当然のことながら白川静氏などの研究に基づいているようで(私は白川氏の著述を呼んだことが無いが)、儒教が葬式屋(?)である原始儒教から出発していたこと、孔子がそのなかから哲学を生み出したことなどはそれほど目新しい主張ではない。しかし孔子もその礼教性を宗教性から切り離したわけではないという主張、つまり孔子が怪力乱神を語らずといっているが、それは彼が宗教を切り離したわけではなく、また死と言うものについてもそれなりに重要視していて,孔子の時に宗教性が切り離されたのは間違いだという見方などは,恐らく著者の極端さを示す例であろう。

 またその後の変遷に関しては次第に礼教性と宗教性が分化していく様相を見せるものの、それは分化していくだけであって、儒教における宗教性が占める重要性は強かったと主張する。『古文尚書』,『春秋』(の伝?),『孝經』,『周礼』などの「作られた教典」(偽書)が,古来の儒教の宗教性を利用し,どのようにして新しい理論を組み立てるために作られたのか,などを述べる当たりは儒教の経典に関するダイナミックな知識が欲しかっただけに非常に面白かった。

 さてそれらに対する私の意見であるが、この本により儒教の宗教性を知らされたという思いは強い。特に私の以前の考え方では,孔子以降は儒教ははっきり宗教性を失ったという感覚があったのだが、一方で漢時代の讖緯説、それらの流行をはっきりと伺わせるその時代の宗教的な文物、そして後の宇宙観などがどうして出てこなければならないか、出てくるのかなどに関してはかなり疑問を感じていた。結局の所,儒教をあまりに単に倫理学、政治哲学としてとらえていたためだと分かった。本書でそういう話が述べてあって非常に分かりやすかった。確かに儒教の礼教性のみにとらわれることは正確な儒教観と言えないであろう。今後は「儒教は宗教でない」などという断定は出来なくなった気がする。

 ただしだからといって「儒教を宗教」と断定するのには違和感がある。たしかに儒教は宗教であった。だが,孔子が述べたかったことは死がメインだとは思われない。そして孔子も,またその後も目指した方向は非宗教なるもの,だった気がするのである。儒教の宗教性は中国人の生死観としっかり結びついており,そこから出発したのは事実であるが,そこから宗教性を絶えず無くそうとしていたのは事実ではないか。もっとも,もともと宗教性の含んだ体系であるから,そういう部分が頭をもたげるし,儒仏道が争うような自体になると,手は出そうとするが結局納得のいく説明が出来ない。つまり死生の話から逃げよう逃げようとして来た学問なのである。

 また,これについては言及されていないのであるが,儒教が死生観から逃げようとしたことが,仏教または道教の興隆を生み出した気がする。すなわち,中国人の死生観に密着した儒教は,死生という問題から逃げ出し,哲学,倫理,政治学と昇華した代わりに,一方で宗教性を犠牲にした。それは死に対して疑問、危惧、不安などを抱く多くの人を見放したのである。時代的にも儒教が完成されていく漢時代以降に仏教あるいは道教が伸びてくいくではないか。

 本書では儒仏道の死生観の相違について述べており,そこから何故仏教が中国で根付かなかったのかを述べており,そこは非常に面白い。しかし一方で道教に関する言及は少ない。道教が何故,中国土着の,唯一たる宗教となったのか,そこに突っ込んで欲しかった。そこにこそ儒教が本当に宗教たる役割を果たせてきたのか,重要な要素がある気がしてならない。[初稿 98/11/13]