雑想頁 中国関係 通史

新書東洋史 第五巻「人民中国への道」(講談社現代新書)
   小野信爾

 この本の内容は、一言で言えば近代中国史における諸外国(もちろん含日本)の身勝手さと、蒋介石の愚かさと、中国共産党の偉大さというところであろうか。

 近代史における欧米列強や日本の身勝手な振る舞いは、今更言うまでもあるまい。今では人権問題・環境問題への思想などで「先進性」をひけらかすそれらの国々も、最近までの近代史では、外国に対して自分の利益のために他国を踏みにじる実に勝手な足跡を残している。中国の歴史をみることはそれらを代表して見ることになろう。

 そして国民党と中国共産党の争いについては、国民党が台湾へ逃げ込んだということが、もはやそれだけでどちらが優れていたかを物語るではないか。中国ではそもそも王朝時代でも中国国民(中国人民とは限らないが)の大きな人気無しに統一政権を創ることは不可能であった。なぜならばまず、むすびでの「飯を食わせること」というのが中国の政権をとる最低条件として存在し、飯を食わせるには生産力を維持しなければならず、生産力維持の為には人員動員力が必要であり、そのためには結局国民の人気が不可欠だからであろう。

 だから、日本からの侵略でさえまともにまともに守れなかったという国民党に対して、抗日の原動力となり、その後は台湾以外の中国を統一し、しかも外国にまでちょっかいを出せるぐらいになったという中共が、優れていなかったわけないではないか。本書ではその「栄光たる中共の歴史」が書かれていて、人民の人気を勝ち取り、その力を結集した共産党の偉大さを感じることが出来る。

 しかしである。輝かしい中共の勝利で終わるむすびに対し、我々はその後の歴史を知っている。文化大革命による国内対立とそれが終わって気がついたときの国内の貧困。

 国内の生産力を使い果たし、思想的にも大転換を余儀なくされ、ぼろぼろになった1945年の日本と、輝かしく自らの手で人民が勝利を得た1949年の中国。当時は4年しか差が無かったにも関わらず、今では大きく産業技術的には差がついてしまった。また国内に流された血の量も比較にはなるまい。それもまた、否応なく中共の歴史なのだ。

 どうして偉大なる勝利をした中共が、その後の中国の発展には必ずしもうまくいかなかったのか、またそう見えるのか、この本を読むとそれが知りたくならざるを得ないだろう。

 本書での見方はそういう点で偏っている気がしないでもない。高らかに反植民地闘争への人民の勝利を謳った序章はなかなか心に訴えかけてくるが、その酔いしれた言葉が中共に対する本書の姿勢を代表していると言えよう。

 もちろん、この本が文革が失敗に終わった直後の1977年初版という為もあるかもしれない。中国の真の実体がベールに包まれていた期間は長かった。また, この本が描く時代が中共の統一までであって、そこでは中共の問題点など表面には出てこなかった時代であったのかもしれない。

 さらには、長い中国の歴史を見れば、そして諸外国の良いように踏みにじられた近代を経ていることを思えば、解放後の歴史は間違いなく中国人民が作り出したものであって、はるかに「まし」な歴史と言えるのかもしれない。どこの国も多かれ少なかれ、右往左往しながら自国の歴史を作っていくものであり、解放後に他国に強制されることが少なかったというのは一番後腐れの少ない、誇るべき、すっきりとした歴史なように思う

 ともあれ今言えることは、散々に他国からの強制を受けたという中国近代の歴史というのは、共産党の勝利の歴史というよりも、やはり中国人民の勝利であったということであり、これからも中国の歴史を作っていくのは偉大なる中国国民であるはずだ、ということである。

(初読み1997/10/21)


新書東洋史 第三巻「征服王朝の時代」(講談社現代新書)
   笠沙雅章

 中国大陸で主に読んだ本である。中国で中国史を読む喜びはなんとも言い難い(^^)。

 このシリーズは新しい観点などがあって実に考えさせられるところが多くて面白い。

 この時代を南北の対立という観点からみたことはもちろん、なんとも朱全忠の扱いが面白い。一般にはけちょんけちょんに貶される彼がこの本ではカッコイイ改革者なのだ。これだから歴史はやめられないのである。唐朝の旧習に拘らず、経済都市、ベン州に遷都するわ、力を持つ宦官を追い出すわ、のうのうとした高級官僚を排するわ、「朕は天に昇ることを望まない。ワシは単に3、40年、皇帝の位置にありたいと思うだけだ」なんて惚れ惚れするようなことを言うわ、口先だけのおべっか使いを嫌いぬくわ、農民生活の安定にまで努力していたそうだ。瀧様が人物投票に一票入れてくださったがさもありなんという感じだ(ちなみにもう一票入れた友人は別にそれらのことを知っていたのではないらしい)。

 その反唐政策から次の王朝は一転して唐王朝を見習おうとする(後唐)。そして今度は外の契丹を利用して天下を奪った後晋が現れるものの、契約を守らなくなったことに契丹が怒ってその国を滅ぼし、去った後に出来たが人を得なくて滅びた後漢(こうかん)が成立する。そして優秀な皇帝が出た後周。こう見ると結構五代も分かりやすいものだ。もっとも十国の方はわけが分からないけど。十国をもっと扱った本があるといいなあ。何しろ今回の旅行で前蜀の王建のファンになったし(^^)

 冫馬道の話もおもろいね。私は彼の支持派かな。「天下すなわち皇帝ではない」というような考え方に中国の面白さがやっぱりあるように思う。まっ、文祥天とかも大好きなんですけどね。

うっ、後半は早くも忘れている....(初読み97/3/25)


新書東洋史 第二巻「世界帝国の形成」(講談社現代新書)
   谷川道雄

 本書では後漢末から,唐時代までを扱っている.

 中国において,漢帝国は皇帝制を確立するとともに,北の塞外民族に対する農業国家としての性質を確固たるものとした. 後漢帝国はそれを受け継ぐとともに,儒教による「秩序」のための理論武装を確立し,皇帝制の基盤を盤石たるものとした.

 もはやその時点で中国における天下秩序の形成方法は決したかにみえる.あとは統一と,その王朝の腐敗による崩壊という単純な歴史を繰り返すのみ....と思いきや,歴史はそうならなかった.後漢末の英雄争覇戦と三国時代を経て,晋による統一がなされるところまでは当然のパターンであったが,その後はそうは問屋が下ろさなかった.すぐに再び長い長い争乱時代が始まり,なんと300年にわたり分裂時代が続いたのである.

 どうしてそうなってしまったのか、その謎を本書ではいかにも専門家っぽい立場で述べてくれている.簡単に言ってしまえば匈奴が弱くなったことで漢民族が塞外へ勢力を拡大,他の異民族を力で漢の勢力に引き込むことになった。その結果、帝国内部に多種族世界が形成され,それとともに種族的矛盾が累積,結局、中国国内が単一的にまとまることが出来ない状態になったため、という感じである.

 今,漢民族は中国において圧倒的な割合(約95%)を占めている.しかしながら,彼らはその内部で言葉も食習慣も違うし,場合によっては身体的特徴までも違う場合がある(らしい).それにも関わらず,どうして同じ民族と言えるのか?そうい不思議さが私には常にある。

思うに,その謎もこの五胡十六国から南北朝にかけての中国における苦悩に最も現れている気がしてならない.その時代の人々が,民族による違いを乗り越え,より普遍的なものを求めて,いやより普遍的なルール作りに奔走した様子が見えてくる.

 南北朝時代は中国では貴族社会の時代であるとされる.貴族というといかにも安定した感じを受け,分裂時代のイメージと若干ずれるものがあった. しかしながら,南朝だけではなく,民族の特に入り交じった北朝においても貴族制が行われたのであり,しかも貴族制を利用することで民族を越えた普遍的な ルール作りをしようとしたという話は非常に興味深かった.

 また,前述のような他民族(大きく分けて漢胡)国家が,どのような種族融合政策をした結果,北魏,北周,そしてそれを受け継ぐ隋の統一となったかが小気味よく書かれていて,なんだか本当に「必然的」に歴史が進んでいくような錯覚さえ抱かせる.果たして本当にここまで必然的なものなのか,そしてこのようにきちんと理論的に解説出来るものなのか分からないけれども,こうやってきちんと説明されるのはとにかく気持ちが良いことは確かだ.

 さて些細な話で面白かったのは北周が名前の通り,周の古雅・質朴な政治体制を目指していたと言うこと.周は儒教で理想的な王朝とされ,かなり理想化されていた.王莽なども周を目指して時代錯誤の結構無茶な政策を行い見事に失敗した.

しかしながら北周のように周を目指して成功する国もあるんだから本当に面白い.どこかで「中国は新しいことをやる場合でも,歴史を引き出して,まるで前例があるかのようにして説得する」と聞いたことがあるが,この北周の場合こそが,歴史を引き合いに出しつつも,実は新しいことをやっているという典型なのだろう.そして単に形ばかりを拝み,本質的な問題解決に取り組まないのが王莽の例と言えるのだろう.

ちなみに後漢時代は地味だけど(地味だから^^)結構好き.なんとなく忘れたくない言葉は,儒教の浸透してきた後漢において,筋を曲げない人達が登場し, 彼らを賞賛した「天下の模楷李元礼,キョウギョを畏れず陳仲挙,天下の俊秀王叔茂」.
(初読み97/2/3)


新書東洋史 第一巻「中国社会の成立」(講談社現代新書)
   伊藤道治
 手を着け始めた現代新書シリーズの中国史である。やはり,教養文庫のと違って,いかにも専門の方が書いたもの,すなわちちょっと堅いという感じだ。

 まず商時代の兄弟相続というのが,我々の言う兄弟という言葉より広い親戚の間で行われた可能性があるというのが目新しかった。商の時代のことはまだまだ分からないことが多いようだ。二里岡期から出ている陶器片の文字も解読されていないという。甲骨文字があったために,あまり中国古代の未読文字があるというのは印象になかったので,なんとなく驚きだ。これらが解明されて,なにか謎が解ける日がくるのであろうか。それとも解明するほどの大した内容は書かれていないのであろうか。
 そもそも文字がどのようにして出来たかは不思議なことだ。商の文字は甲骨文字はいきなり出来たにしては完成しすぎる気がする。ある才能のある人物が突如作り出したのか(宮城谷さんの小説ではそんな小説があった),それとも次第に発展していったのか。文字の発生により,人類は大きく変化したことを考えると出来た経過には想像をかき立てられる。昔,どこかで「文字を扱える人々はおそらく特殊技能を持つ者として敬われていたに違いない」とかいう内容を気がするが,遠くの人に,または時代を経た人に間接的に何かを,しかも詳しく伝えられるということは,文字を知らなかった人々にとっては凄く奇異なことだったに違いない。

 後半では儒家が重用されるようになった経過が面白かった。武帝の時には酷吏とされる法家的な思想を持つ官僚が重用されていたが,次第に儒家が台頭し始める。そして結構名君のイメージのある宣帝の時代に,循吏と言われるどちらかと言えば儒家的な人々が活躍したという。この循吏という言葉は初耳(というより初覚え^^;;)で,武帝の積極政策で疲弊していた民生の回復と安定を図った人々のようである。

 結局の所,中国社会は儒家の思想に後々強く影響され,その弊害も大きかったが,しかし民のことを考えようとするその根本的な姿勢は私は結構好きである。法律は確かに人々を守るものであるが,同時に民を縛るものである。法律的な考え方を押し進めていくと,結局法律のための,または為政者のためだけの法律になってしまうに違いない。儒教は民主主義がほとんど不可能であった君主制において,民のことを君主に考えさせるために重要な要素となっていたように思うのだ。

 もっともその儒教も過分にすぎると非現実的な理想主義,はたまた悪い現状を維持する大義名分となってしまうのであるから,世の中というのは難しい。そして結局の所,儒教狂い,というか復古マニアの王莽の簒奪でこの本は終わる。 (初読み96/12/20)


世界の歴史 第8巻「アジア専制帝国」(現代教養文庫)
   山本達郎・山口修
 本書では明から清を扱う。相変わらず面白いエピソードがたっぷり。まずは元の亡国の君、順帝と洪武帝との対比から始まり、洪武帝による大粛正の話が続く。その話は有名であるがなんとも胡藍の獄と呼ばれる事件で連座したもの5万あまりとされる。もし本当ならば一体彼は何を恐れたのであろうか。

彼が見習ったとされる漢の劉邦も確かに粛正はしたが洪武帝ほどではなかった。乞食僧だったことを少しでも仄めかすような文を書いた理由で殺された人も多いが、それが真の理由とは思えない。劉邦の生まれも似たように「高貴」ではなく、彼はちっとも恥ずかしいとは思っていなかったろうし、そのためか中国では皇帝にまでなった人物が出自を気にするなんてなんか不自然だ。やはり、優秀な臣下によって国が乱されることを恐れたのであろうか。中国で大多数を占めていた農民の出身の彼にとって、知識人は所詮信頼できない人物達だったのであろうか。宋が知識人を重んじたのとはなんという違いだろうか。

 しかも二代目は永楽帝によるクーデター政権により、気骨ある人物も粛正された。これで暗いイメージが無くならない方が不思議であろう。非常に興味深かったのは宦官関する考察である。友人と「宦官制度は何故なくならなかったのか」という話をしたことがあるが、この本ではそれについて述べてあった。「独裁体制によって孤独にならざるを得ない皇帝」「その身体的特徴のために一般の世界から孤立せざるを得ない宦官」、孤独は孤独な仲間を求める結果、両者が結びつくのは当然だというような話であった。

 うむ、確かに中国の皇帝は孤独である。士大夫は臣下だが彼らは大きな誇りを持ち、「自分たちこそ国を支える柱」と思っており、皇帝に頭を下げるが絶対服従ということは有り得ない。血の繋がった人々は彼の椅子をねらって虎視耽々としている。そんななかで孤独を癒すには女性か、うるさい諌言などしない宦官を頼りたくもなるだろう。本当かどうか分からないが非常に納得してしまった。

 鄭和の話で一章が割かれている。結構航路などが詳しい。うーん、やっぱり彼は偉大だ。それにしてもその最後の中国における「東洋と西洋の概念」が面白かった。あんな狭い地域に進出するのに苦労して、しかもその後続かなかったのだから、西欧の大航海時代に遅れたとされても仕方ないであろう。

また清のところでは五族の統一という観点が面白かった。漢、満、蒙、回、蔵があり、宋から明までは前者三つの対立により国が変遷し、清によってとうとう統一されたという観点であった。

 他には李氏朝鮮や台湾の話が面白かった。うーん、前者は中国の影響を大きく受けた日本との共感を抱かざるを得ない。そして地理的な近さからかもっと「中国的」だったような気がする。

 最後の方のインドの話は「インドはイスラム色がかなり強い国である」というイメージだけ残った。 (初読み97/3/25)


世界の歴史 第6巻「宋朝とモンゴル」(現代教養文庫)
   栗原益男・山口修
 「三七、二十一、由の字の頭が出ず、脚は八方の地をふみしめる。 果の頭には三つの屈折。」という講談師の言葉から始まるこの本は、唐朝滅亡からモンゴルまでの歴史を簡潔に書いた良い本だ。

 このシリーズは歴史のエピソードがいろいろ盛り込まれて、さくさくと読め、結構楽しい。他の文庫の通史本がある程度堅苦しい気がした(もちろんそれなりに面白い)のに対して、気軽に楽しませようとしている。その姿勢は本書の場合、所々に小説の引用がされていることからも伺える。引用されているのは井上靖の「風濤」「敦煌」などであるが、当時としては一般向けに書かれている数少ない中国もの作品だったのであろう。もっとも今でもこの時代に関してはそれほど多いと思われないが....

 私としては中国もの小説がもっといろいろ出てきて、それを読むだけで、そこらへんの通史本を読むより、よっぽど詳しくなるぐらい、たくさん出て欲しい(宮城谷先生などのお陰で古代に関しては徐々に達成されつつあるのではなかろうか^^)。

 それにしても気楽な中国史通史本に、宮城谷さんとか陳先生の作品が引用される日が来るのであろうか。うーん、そう思うとなんか楽しいな(^^)。

 そういえば本書では西夏文字や女真文字などについて一章を割いている。パスパ文字と同様、それらは民族や国の独自性を主張しようとして作られたものであり、難解なばかりで結局定着することはなかった。文字だけが文化とは限らないけれども、文化の発展というものが決して国の旗振りや小難しい理屈だけで進むものではなく、様々な要因により国全体と共に進むものであるといえるのであろう。まあ、難しいことはよく分からないが、日本の仮名って結構すごいというか、なんか改めて見直してしまった一章だった。

 だ〜、それにしても宋が滅びるのはいつもながら泣けるのうっ!この本ではそれほど「趙匡胤」をいいやつだとはしてないけど(^^)。(初読み96/11/27)


世界の歴史 第4巻「六朝と隋唐帝国」(現代教養文庫)
   布目潮?・山口修
中国ページを充実させる為にもこの本はグッドタイミング。第二巻で期待しただけあって面白い。三国志のところは、他の時代よりやっぱり自分が良く知っているだけあって、「なんかちょろいなあ」とか思ったのだが、それ以降は見事に忘れていたので、楽しめた。

 五胡十六国のところの流れが簡潔で、またまた覚えようと努力してみた。でも、駄目そう(^^;)。まあ、でも「中国史概説ページ」の説明は書けそうだ。

 そういえば最後の方に書いてあったが、トルコ族の広がりって大きいんだなあ。トルコに行った友人が「『今のトルコ共和国から中国のちょっと手前まではみんなトルコのものだ』と自慢していた」とかなんとか言っていた気がするが、あながち冗談でもないんですねえ。私は突厥がトルコから来た言葉であることも忘れてました。あはは。しかしその後に勢力を広げるウイグルもトルコの一派だったりして、なんかわけわからんな。

 玄奘の話も載っていた。結構大変なコースを行ったんだなあ。...あれっ、しかし西域を大回りして行っているが、蜀からインドへ抜ける道があるんじゃないのか?それとも西回りの方がまだ安全なのかな。海路の良い気もしていたのだが、帰り道で海路を勧められたものの、高昌国王の約束を果たすために陸路を選んだのには感服しました。でも、高昌国についたら、滅んでいたという話にはいつも寂寞感を感じます(;_;)。滅ぼしたのは唐なんですね。 (初読み10/27)


「秦漢帝国」(講談社学術文庫)
   西嶋定生

 「未来の一歩はすぐ近くの明日」計画第三弾。

 この六年間、一般向けの中国(世界)の通史の本を結構読んできた。陳舜臣のもの、河出書房新社、中央公論社、講談社新書、教養文庫のものである。本書は講談社から「中国の歴史」として出された十巻のうち、一冊を文庫本化したものである。

 本書の感想は「久しぶりにパワー溢れる通史本を読めた!」ということだろう。中公や河出も研究者の方が書いているが、今思うとやはり一般向けに書かれている。本書での雰囲気は「中国通史を様々な研究を紹介しつつ概説する」という感じであり、一般向けより少し研究書に近い感じになっており、非常に私としては読みがいがあった。

 ただもう一言で言えば「秦漢を結構詳しく知れて実におもろいっ!」。小説なども含めて結構いろいろ読んできた私としては、秦と漢初の話あたりは聞き飽きているので、あまり期待していなかった(だいたい最初は講談社「中国の歴史」の一部とさえ知らなかった)。確かに漢初あたりのエピソードはよく語られる話が多いが、次第に後の時代になるにつれ非常に興味深い話が多くなる。

 漢による統治機構はどのようにされたのか。例えば丞相、御子大夫といった地位がどのような役割を持ち、その役割が移っていったのか。文帝、景帝の時代では国民休養の措置がとられたというが、戦後の休息時に国家における人民の統治がどのように行われたのか。従来から存在する自然発生的な郷土的社会秩序と中央集権的な国家的社会秩序を結びつける方法として、民衆の一人一人に爵位を与えた民爵制度などは、単に徹底的な中央集権体制をとろうとした秦の制度と比較すると実に面白いように思う。

 本書での醍醐味はやはり漢時代における儒教確立の話であろう。とりわけ本書では儒教による国家儀礼の確立、すなわち天や先祖を祀る制度(天子七廟制・郊祀制)、陰陽五行の思想に基づいて国家の徳を決める制度がどのようにして作られたのか、などなど実に興味ぶかい。先日、歴代王朝の徳、すなわち何の徳を重んじていたのかの話を三国志MLで話したばかりであり、その時「漢の時代など、何の徳だったのかよくわからん」という話になったことがあったが、そもそも陰陽五行説が広まった時代が漢の時代であって、どのようにして漢火徳説が定着していったのかなどが簡単に書かれていて非常に面白かった。また現在の北京には天壇がある。これは「天子」が天を祀る儀式に用いられたものだが、そも、この天を祀るという行為はどのようにして中国王朝において定着したのであろうか。こういう皇帝の儀式が定着したのはこの本を読む限りやはり漢の時代、それも王莽による力が大きかったらしいのだ。異民族王朝である清王朝が行っていた国家行事の起源が、千数百年以前の漢民族の漢時代にまで遡れるという事実、改めて中国における文化的な力強さを感じられないではいられない。

 さらには讖緯説の話が面白い。王莽簒奪において、世の中に易性革命の兆候が現れる話しが出てくる。また光武帝が予言などを信じる傾向があったことを読んだことがある。たとえ昔の人がそういう風聞を今よりも天の声として信じやすい性質があったと考えても、他の時代の中国と比べると、どうも私にとっては今一つぴんとこないものがあった。しかし本書を読むと、漢に入って讖緯説というものの広がりが人々にそういうものを信じさせる土台になっていたことを知らされる。

 驚くべき事実もいろいろ知った。『春秋公羊伝』が武帝時代の春秋のテクストであったとは聞いていたが、『春秋左氏伝』が王莽が力をつけてきた時代に劉キン[音欠]によって紹介され、その後に広まったのであり、偽作の疑いをかけられたこともあったという話である。少しでも中国史に造詣が深ければ知っているのかもしれないが、私は初めて意識して実に驚きであった。そういえば別な所で司馬遷は左氏伝を読んでいないと言う話を聞いたが、それらの話と繋がるものであろう。

 儒教は宗教ではなく、一種のモラルというか規範みたいなものだと言われる。確かに初期の儒教に宗教的な面は少ないが、漢の時代のような捉え方をみるとまさしく宗教的な色彩が強い気がする。漢の時代に於いて儒学は陰陽五行、讖緯説などを取り入れ宗教化したような感じが否めない。ところでそう考えてくるといろいろ疑問は沸いてくる。すなわち国家の統治理論として儒教が取り入れられたというが、それらは一般人民まで納得するものだったのであろうか。それとも単なる王朝側の自己満足、または知識階級間での根拠だったのであろうか。人民の「信ずるもの」は漢の時代、とりわけ前漢において一体何だったのであろうか。そして後には民間において広く普及する道教はどのような形で漢の時代に存在していたのだろうか

 つまりは本書では今一つ人民の生活の様子が見えない気がする。もちろん、民爵制度などは人民の生活に密着していたことで面白く、人民の様子がおぼろげながらにみえるものの、果たして人民がどんなことを信じ、どんな生活をしていたかが今一つはっきり思い浮かべにくい。宣帝の時の塩鉄会議では当時の風俗なども含めてあらゆることが議題になったそうだが、塩鉄論などにはそういうことが書いているのだろうか。勉強してみる価値がありそうだ

 残念なのは本書で後漢に関しては全然詳しく述べられていないと言うことである。あとがきにも書いてあるように後漢時代に関してはその後に関係が深くなる諸民族に関しての記述が多く、肝心の中国に関してはほとんど詳しくないのだ。その点が何よりも残念である。
(初稿[1998/2/14])


「モンゴルと大明帝国」講談社学術文庫
   愛宕松男・寺田隆信

 「未来の一歩はすぐ近くの明日」計画第五弾。
 モンゴルと言えば最近、杉山正明氏の活躍が目につく。私の雑想記でも「モンゴル帝国の興亡」で取り上げた。彼の主張には承伏しかねる所も多々あるが、確かに「世界規模の帝国」であったモンゴル帝国を、従来のように漢文資料からのみで捉えることは確かに無理があるだろう。そう言う点で「中国から見たモンゴル史」ではなく「モンゴルから見たモンゴル史」を提唱する杉山氏の研究は一読に値する。さて後に読んだのが本書である。

 本書は講談社「中国の歴史」(全十巻)のうち「第六巻 元・明」が文庫本化されたものである。1974年に出版されたそうなので、まさしく本書のような内容こそが、杉山氏の否定する漢文資料を中心とするモンゴル研究なのであろう。そう思うと、従来の、というか一般の中国史におけるモンゴル研究を見ることができ、面白い。
 正直言って杉山氏と違い、漢文化信奉者の私としては杉山氏の著作と異なり安心して読めた。その姿勢はやはり、モンゴル時代を正統な中国史の中で異分子的なものとしている。

 象徴されるのはモンゴルの所でしばしば述べられる「不斉一」という言葉であろう。攻撃的ではないにせよモンゴルの役割を否定的に捉えていることが本書のあちこちで窺える。官吏のレベルの低下、文化の低下、そして支配者層の意識の低下などがきっぱり述べられている。「無理想の政治」などはなかなかモンゴル好きには刺激的かも知れない

 こうやって読むと杉山氏の「モンゴル帝国の興亡」の見方に対する疑問点が多々思い浮かんでしまう。すなわち杉山氏が肯定的な見方をするモンゴルの政策が、本書では否定的なものとして捉えられており、しかも本書の方が説得力がある。それは私が漢文化愛好者故であるからだろうか。ここでは杉山氏の著作を一つしか読んでいないことを自覚しつつ書かせていただこう。

 たとえば杉山氏が何気なく述べていて文書行政となった理由としている「大カアン以下の王族・将相などが発した言葉が全ての法源となった」という点に関しては、とどのつまりまともな総合法典をモンゴルでは整えることが出来ず、その場その場の状況に応じた判例集しか頼りに出来なかったことを意味するのではなかろうか

 杉山氏はモンゴルでは、銀を支給された支配者達がその銀を「斡脱(オルトク)」と呼ばれる商業・企業家集団に与えることで、近代西欧にも似た世界的な大交易圏が誕生したと述べている。しかしオルトクは高利貸しとしても活躍し、銀納税制の中に取り込められた河北の農民達を窮乏へと駆り立てたことはどうなるのであろうか
 また買撲と呼ばれる請負制をとったことで農民をより窮乏に追い込んだことをどう見るのであろうか。
 もっとも確か中国では地方権力が強く実質上請負制のようになっていたことが長く、なかなか中央によって直接に税を把握することが難しかった気はするが。

 モンゴルが中国を支配することは確かに中国が膨大に払い続けてきた北方異民族への軍事金・平和維持費を払う必要がなくなったことを意味し、征服王朝擁護ではそれが強調される。しかしモンゴルの場合、そのお金は莫大な賜与として使われたのである。金は天下の回りものというが、果たしてこの金は中国の人々にとって裕福となるように使われたのであろうか。

 杉山氏はモンゴル支配が特定のイデオロギーを押し付けなかった点を指摘しているが、それは結局「無理想の政治」となり、支配者間では莫大な賜与を与えても収まらない同族争いを、統治機構では「銭穀期会」を専らとする理想や教養の必要のない官吏を、そして人民(漢民族)には天災によって簡単に流亡するような生活を生みだした。
 もちろん、漢民族支配でも理想的な支配者だったのか、優秀な官吏だったのか、人民は平和だったのかは分からない。それでもイデオロギーを押し付けないことで、果たして良い世の中であったのは疑問がある気がする。現代は確かに国家によるイデオロギーの押しつけはほぼ完全に否定されるだろうが、それは個人の基本的人権を基調として、国家権力をその共通の利益のための機構として考えた西欧型啓蒙思想が基本となってこそ、現実味を帯び、理想に近いものとなる。しかしそういう基本的な思想のない当時の状況で果たしてノンイデオロギーが理想的なことであっただろうか。結局啓蒙的基本的思想の無さは真の平等観の欠如を生む。

 杉山氏は大元の支配に於いてそして人民の間では中国がモンゴルを「多種族が共生するハイブリッド状態」と述べている。確かに多種族がいたことは事実であろう。しかしそれは共生と言えるものであっただろうか。モンゴル、色目、漢人、南人の区別が明確で差別によって階級づける世の中が共生と言えないのではなかろうか。その後やってくる漢人王朝でのそれらの人々への各種の共生は大元時代の「漢民族」の不遇さを示すものとして当然であろう。

 ただ、モンゴルの経済政策に関しては一目置かざるを得ない。銀を背景にしたにせよ、塩を背景にしたによ、強力な紙幣が経済政策を成功させ、商業を活発化したしたことは間違いない。今読んでもその政策は実に合理的だ。また地域によって税制を変えるというのも尤もな話ではないか。ただ現在と異なり、経済政策の成功が誰を豊かにしたのかは注意せねばならぬであろう。

 ともかくもこんな風にして本書ではモンゴルによる政策の問題点をビシバシと述べて有り、モンゴル政策を肯定的に述べている杉山氏の著作と対比できて実に面白い。ただ本書は明時代についても述べられているが、それほどは詳しくない。もちろん他の通史本と比べて遜色はなく、整理され順序立てて述べられているので比較的読みやすかった。特に経済関係が詳しいような気がしたのは私が苦手だからであろうか。

 明確な不満としては、新しい成果の記述が少なく参考文献なども当時のままであることだろう。前者は仕方ないのとしても後者くらいはなんとかして欲しかったように思う。ともかくもモンゴル・明時代を概観するには欠かせない本である。
[初読み1998/5/25]