Triangle Vol.1 Triangle Vol.2

1982-04-03 On−Air (JFN系 KEY-STATION:FM-OSAKA)


えー本日のスピーチバルーンのゲストはプロデューサーの大滝詠一さんです。

えーそれでは本日のスピーチバルーンはナイアガラトライアングルストーリーというのを急遽やってみたいと思います。

えーよくナイアガラというのは何ですか?という質問をこのところFM、「スピーチバルーン」始めてからじゃんじゃん頂きましたけども、これはあのーなんていう大滝詠一が、の一つのレコード会社をもっていると解釈して頂くと非常にうれしいんですけどもね

ナイアガラというのは、74年にスタートしたんです。ですから8年くらい前になりますけども。えーその当時にはスタートしてから1年間くらいの間に4人のアーティストがいたんです。すぐにレコードは出さなかったんですけども4人いました。4組というんですかね。

えーまずは大滝詠一。えーそれからごまのはえという名前を改めココナツバンク、えーここでリーダーが伊藤銀次、それからドラムスは上原裕というものもいました。それから布谷文夫という、その昔ブルースクリエーションというバンドで、そういえば最近クリエーションになっていましたけど、そこの初代のリードボーカリストでしたけども。そののちに新民謡歌手に転向するんですが、そういうものもおりました。それでシュガーベイブというバンドもおりまして、だいたいこの4組がナイアガラということでカツヤ、活動していた訳です。

シュガーベイブで、翌年の75年にナイアガラレーベルの第1弾というのが、シュガーベイブというグループの「SONGS」というのが出ました。これご存じの方多いと思いますけども。まあ、そこでその翌月「ナイアガラムーン」というアルバムで大滝詠一が出ましてナイアガラレーベルからは2枚アルバムが出た訳です。

えーしかしながら最初のレコード会社が倒産(注1)したりとか、いろんな事がありまして翌年76年にレコード会社が変わる事になったんですね。
それで変わる時にはですね、実は4組とも大滝詠一を除いて、ほとんど解散ないしいは廃業という憂き目にあっている時期でございまして、で76年に移籍するのはいいんですけど、そのーアーティストが大滝一人になってしまった訳なんです。
まあしかしながらナイアガラレーベルを、は、やめたくないというので続けようという意図のもとに以前のその一緒に音楽仲間であったところのココナツバンク・布谷文夫・シュガーベイブの各々の人たちに声をかけて、今一つその間の74年から76年にかけての活動の集大成のようなものを、まあ一つ足跡として残そうじゃないかという企画を出しましてそれで出来上がったのがナイアガラトライアングルVOL.1というものだったんですね。
で、それはですからその当時、もうシュガーベイブは他のところでやる予定になってましたしココナツバンクは解散しておりましたので1枚限りのものである。
とそういう約束のもとに、VOL.1という風にまー名付けられたところが実にまた皮肉好みの大滝らしいところでございます。自分で言ってますけども

え、それでそのトライアングルVOL.1というのがまあ出来上がった訳なんですけどもですから、これには約、そうですね2年間のいろいろなその活動のエッセンスが集約そこにされている。
エッセンスも集約もおなじだなあーこりゃ。(^_^;; えーという事ですけども。

えー山下君はシュガーベイブでやっているよりもソロの色を濃くした物をやってみようと自分で考えまして、えーそれで「ドリーミングデイ」などをはじめとするいろいろな試みをやったというか、まあ一つのセッションアルバムではありましたけどまあ結果的には山下君のソロの活動の第一号というふうになったようですね。えーその中でもやはりこの「ドリーミングデイ」というのは今聴いてもあのーかなりの曲ですし、それから現在でも脈々と通じている彼の一番、得意技となった、というような感じが僕はします。

曲:「ドリーミングデイ/山下達郎」

さて、えー山下君の今の曲は大貫妙子が作詞していますけど、山下サイドには吉田美奈子がコーラスに参加しているのもこのVOL.1の一つのおもしろいところだったんですね。それでこのー伊藤銀次がこの山下の曲に、で語りをやっていると、こういう非常に珍しいものもこの中に入っているんです。今回のVOL.2はあまりこのえーいっしょにやるというのはまっ「A面で恋をして」などはいいっぱいありましたけど、あー結構ありましたね考えてみると。「NOBODY」は一緒に歌ってますからね。こういうのもトライアングルの特徴でございます。関係ないか(笑)それでこの語りの後ろであのーコーラスをやっているのが吉田美奈子なんですけどもコーラスが実に光るという作品のがあるんですが「遅すぎた別れ」というのを聴いてみましょう。

曲:「遅すぎた別れ/山下達郎」

さてナイアガラは大滝、ココナツバンク、布谷文夫、シュガーベイブとたくさんまあ4組いた訳ですけども、二枚目思考の人というのは実に少ないんです。この唯一ナイアガラの中で二枚目思考であった伊藤銀次「のみ」がこの語りを成しえたと。ということは今にしてもあの当時もよく言ってた事でございます。この曲の後ろの方に実は「汽車の音」が入っているんですね。

再び、曲:「遅すぎた別れ/山下達郎」

この汽車の音が入っているという所からまあヒントを得まして佐野元春は「彼女はデリケート」のイントロのシーンで飛行場の音を入れたんですね。そういうところをしぶとく考えるという佐野元春もやはり伊藤銀次と同じように二枚目思考です。はっはっははは(笑)えーおもしろい所ですけどもね。一緒にやっているというのはそういう共通点があるからではないかという風に僕は個人的にそう考えているんですけども。

さてそうですね山下サイドでもう一つおもしろいのはなんと言ってもこのー「パレード」(注2)という彼の中で非常に人気の高い曲、シュガーベイブの「SONGS」を発表する以前の得意の持ちネタだった訳んですけども、まあそれをこの中に収録できたというのも、この「VOL.1」の一つの大きなポイントだったと、いう風に思います。
「パレード」を聴いてみましょう。

曲:「パレード/山下達郎」

パレードまあ曲の良いことはいまさら言うまでもありませんけどもイントロのピアノを弾いている、大体「トライアングルVOL.1」のキーボードはほとんど坂本龍一が弾いているのでありまして、そういうような意味合いからも、さきほどの吉田美奈子・大貫妙子・坂本龍一、その他シュガーベイブ、それから僕のバックはティンパンアレーの連中がやってくれたんですね。林・細野・鈴木茂と。いうような事も考え合わせますと、この当時のいわゆる僕らの周りの音楽をやっていた連中が、に、みんな手伝ってもらって出来上がったアルバムという、この当時のものは「ナイアガラムーン」やその他、他の人たちのも考えてみますと、そういう性格がとっても強いアルバムだった、という風に思います。「トライアングル」のVOL.1は特にそういうところが随所に出ているというか作品というよりもそういったような所に趣があるのではとさせ思える程です。でも作品は良いことは言うまでもありません。
僕の曲について・・・・これ関係ない?(^_^;;

こういうようなバンドでえっとサザンロックのようなのもやっていた訳なんですけども、その中で伊藤銀次が一つソングライターとして目覚めたといいますか、これをきっかけにしてこの手の曲を書くようになったという曲があるんですが、それが伊藤銀次の「幸せにさよなら」(注3)という曲でした。

曲:「幸せにさよなら/伊藤銀次」

この曲を使いまして実はナイアガラトライアングルとグループでシングル盤を作ったという隠された事実が今や半ば公然としておりますけども実はあるんですね。これはあまり発表されていませんので知らない方が多いかと思います。ですから今度のナイアガラトライアングルの「A面で恋をして」というのはナイアガラトライアングルというグループ名では第2弾という事になるんです。事実上、レーベルにナイアガラトライアングルというグループ名でこの「幸せにさよなら」というのをシングル盤で切った事があるんですね。どういう風なシングルになっているのか今の曲が、どういう風になっているかっていうのは前にも「スピーチバルーン」でかけましたけども多大なリクエストを頂きましたので、ここで再び、ナイアガラトライアングルVOL.1によります「幸せにさよなら」(注4)を途中までかけてみたいと思います。

曲:「幸せにさよなら/ナイアガラトライアングル」

幸せにさよならえっというように一節ずつ交代するというシングル盤を作ってみたわけですねまあ同じオケですけどもまあ多少シングル盤だけは少し変えてあったりというような事もやりましたが、まああまり成功には終わりませんでしたが、そういうものが出ていたという事実だけはあるんでございまして。

さて、それでもう一つこのVOL.1には例えば伊藤銀次・山下達郎という風にのみとなっています。が、しかしこのVOL.1での実はその当時一番話題をよんだのは山下でもなく銀次でもなく大滝でもなかったんです。
このVOL.1で一番話題をよんだというのは、実は布谷文夫という新民謡歌手、彼がこの当時、このアルバムでは一番ウケたんです。ホントにその、ホントにそうでした。そういう事実があったという事だけを僕は実は一言、言っておきたいという風に思います。

では、その「ナイアガラ音頭」というのをチラッと、お時間の許す限りまで。ひとつ、みなさんのお手拍子を

曲:「ナイアガラ音頭/布谷文夫」

布谷文夫えーというようなのが一番ウケたというのもひとつ76年の「時代性」というのもあるのではないかと思います。 VOL.2を作るにあたっては一応はVOL.1も基本的には考えましたけどもメンバーも違って、時代も違うので強くそれを同じスタイルを踏襲しようとは一切思わずに今回のメンバーは今回でということを考えましたので、こういう「異常な世界」というのは今回は入りませんでした。

さてその後にナイアガラトライアングルというのは実は1つ、年に1枚ずつ遊びで作っていこうというアイディアもあった訳で、そういう意味合いでVOL.1というふうにつけたというのもあるんです。で、その後ナイアガラではいろんなレコードを出していきました。シリアポールという、このFMで以前ディスクジョッキーをやっていた子ですけどもその子のレコードを出したりとか、それからキングトーンズの人たちと僕が一緒にコーラスをやったりとかそういう事もあったんで、大滝・布谷・シリアポールとかいろんな事を考えました。あのこれも割にもう有名な話ですがシャネルズがデビュー前に「禁煙音頭」というのをナイアガラから実はセッションボーカルで出した事があるんですけども(注5)、まあそういう事も考え合わせてシャネルズとキングトーンズと大滝でやろうかというような事を僕は個人的にチラっと考えたりした事あるんですけど、まあひとつとして実現に至らずにまあ 76年から今年の82年までずーとこの企画をあたためていたというのが真相でございます。

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