満福寺 満福寺が有名なったのは、源義経が「壇ノ浦の戦い」で平氏を全滅させたものの、頼朝の勘気に触れ鎌倉入りを 許されずここに逗留した。義経は、心中を頼朝に釈明をしたためた訴えた「腰越状」をしたためた場所でもあり、 現在もその下書きが残っています。 4年後に戻った時には、藤原氏の裏切りにより首実検したと言われている。 元八幡 初期の鎌倉に建立されたのが元八幡で、のちに現在の鶴岡八幡宮に移転したと言われている。また、若宮大路や 段葛が整備されたようである。段葛は周辺が沼地だったので、北条政子の安産祈願で改修されたと言われている。 大巧寺 大巧寺は、鎌倉駅の正面にあり、門前の左側にある「産安霊神」石碑の左脇に「源頼朝 軍評定旧址」とある。 白旗神社・頼朝の墓 銀杏の落ち葉の絨毯となっていた白旗神社の脇にある石段を上ると頼朝の墓がある。 寿福寺・政子の墓 寿福寺の参道を通って左の道から裏の墓地の奥に、政子の墓と実朝の墓がそれぞれのやぐらの中にがある。 また、安養寺には政子の供養塔があります。 岩船地蔵 頼朝の娘・大姫を供養する地蔵堂と言い伝えられている。頼朝に、許婚の木曾義高を殺害されて傷心のうち に24才で亡くなったといわれている。 |
旧相模川橋脚は昔まで ため池になっていた |
水を抜いて「旧相模川橋脚」 は保全整備中 |
今度は134号線を快走して 満福寺に戻る |
満福寺には義経が書いたの 下書きの「腰越状」がある |
弁慶の腰掛石 | 弁慶の手玉石 | 源義経公慰霊碑 | 満福寺の裏手には 義経手洗井戸がある |
義経と弁慶を描いた屏風 | 義経と弁慶を描いた屏風 | 義経と弁慶を描いた屏風 | 義経と弁慶を描いた屏風 |
満福寺の本堂 | 小動の海岸 | 元八幡の標識 | 元八幡 |
安養寺に寄る | 政子の供養塔(左側) (以前撮影) |
大巧寺の門前 | 左にある石碑の左側に 「源頼朝軍評定旧址」 |
大巧寺の紅葉 | 若宮大路と段葛 | 源平池の紅葉 | 静御前が舞った舞殿 |
鶴岡八幡宮と大銀杏 | 小学校脇にある 大蔵幕府址の史跡 |
落ち葉の絨毯となった 白旗神社 |
源頼朝の墓 |
寿福寺の参道 | 北条政子の墓 | 源実朝の墓 | 大姫の岩船地蔵 |