義経・頼朝の史跡巡り(市内〜藤沢〜茅ヶ崎〜鎌倉〜市内)

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義経首洗井戸・白旗神社
 文治5年(1189)、奥州で自害した義経の首が藤原泰衡から送られ、首実検の後、海に捨てられた。それが白旗神社 に漂着して里人が洗い清めた井戸である。白旗神社には源義経公鎮霊碑が建立されている。

旧相模川橋脚
 建久九年(1198)に、源頼朝の重臣稲毛三郎重成が亡妻供養のために相模川に架けた橋の落成式を行った。源頼朝は この落成式に出席した帰途、鶴嶺八幡宮附近で、義経や弁慶の亡霊に遭い、驚いた馬から落馬した。その怪我がもとで 翌正治元年(1199)に死去したと言われている。「吾妻鏡」には、鶴嶺八幡宮附近で、頼朝に異変があったことが 記載されているようだ。

2つの弁慶塚
 1つ目は、藤沢の常光寺の墓地のある裏山の片隅に庚申塔とともに「弁慶塚」がある(探したが分からず再調査)。 もう1つ目は、鶴嶺八幡宮附近で亡霊が現れたということで、国道1号線の交差点にある鶴嶺八幡宮の鳥居から20m 先ほどに「弁慶塚入口」の案内がある。

鶴嶺八幡宮の近くにある龍前院には、亡霊騒ぎで責任をとった者の五輪塔十基が墓地の奥にあり、さらに、東海道線 を渡って住宅街の裏道をいくと、義経の怨霊を慰安するために立てられた御霊神社に寄っていく。ここら辺で、頼朝に 異変があったと思われる。(発見できなかった場所を今週、再チャレンジして見つけて修正しました

詳細は、茅ヶ崎の義経伝説 を参照ください。
   
「源義経首洗井戸」の案内 義経首洗井戸 義経と弁慶の供養 義経首洗井戸
「源義経首洗井戸」の案内 路地の奥の広場の右側に
義経首洗井戸がある
義経と弁慶の供養 義経首洗井戸
常光寺 藤沢の弁慶塚 荘厳寺の入口 荘厳寺の本堂
常光寺 常光寺の裏山にある
藤沢の弁慶塚
分かりづらいが
荘厳寺の入口
荘厳寺の本堂。ここには
源義経公の位牌がある
白旗神社 首と胴体を合体した供養塔 弁慶力石 白旗神社の境内
源義経の首を葬った
白旗神社
首と胴体を合体した供養塔 弁慶力石 白旗神社の境内
南湖の左富士 松並木の参道 弁慶塚入口の案内 鶴嶺の弁慶塚
裏道と1号線を利用して
旧東海道の「南湖の左富士」
鶴嶺八幡宮の鳥居
松並木の参道となる
鳥居を潜り20m先にある
弁慶塚入口の案内
鶴嶺の弁慶塚
見落した弁慶塚 弁慶塚があるが見落した 鶴嶺八幡宮の参道 鶴嶺八幡宮の大銀杏
見落した弁慶塚を発見 松並木の突当りが
鶴嶺八幡宮の入口
鶴嶺八幡宮の参道 鶴嶺八幡宮の大銀杏
鶴岡八幡宮と同じ太さ 龍前院の本堂 dsc0017.tif dsc0024.tif
この大銀杏は
鶴岡八幡宮と同じ太さ
幼稚園の脇を入ると
龍前院の本堂
亡霊騒ぎで責任をとった者
を供養した五輪塔十基
裏道にあり見つけにくい
御霊神社の入口
御霊神社の本堂 御霊神社由緒 「旧相模川橋脚」の案内 旧相模川橋脚
義経の怨霊を慰安している
御霊神社の本堂
義経の怨霊を慰安している
としている御霊神社由緒
1号線の小出川の手前に
「旧相模川橋脚」の案内
旧相模川橋脚は関東地震
で突然現れたという


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