元号(西暦)
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主な出来事
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主な史跡
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訪れた史跡
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康平6年 (1063年)
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源義頼、由比郷鶴岡に若宮建立
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史跡:元八幡
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康平6年 (1147年)
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頼朝、源義朝の三男として誕生
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(尾張熱田神宮付近)
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保元2年 (1157年)
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北条政子が誕生する
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史跡:政子の産湯の井戸
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平治元年 (1159年)
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義経、源義朝と常盤御前の子として誕生
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(京都)
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平治元 (1159年)
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平治の乱で、源頼朝(13才)も義朝に従い参戦し敗れる
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史跡:明月院
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永暦元年 (1160年)
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源頼朝は伊豆の蛭が小島へ流される
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史跡:蛭が小島
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嘉応元年 (1169年)
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義経、鞍馬寺に預けられる
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(鞍馬寺)
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治承元年 (1174年)
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義経、鞍馬を出て奥州へ下り藤原秀衡のもといく
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(平泉)
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治承元年 (1177年)
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頼朝、北条政子が伊豆で結婚する
時政の反対で館を抜出て伊豆山にいた頼朝のもとへ
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(伊豆山神社)
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治承4年 (1180年)
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頼朝、石橋山で平氏軍と戦い敗北する
真鶴から安房に一旦、逃れる
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史跡;石橋山古戦場址 、しとどの窟
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治承4年 (1180年)
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奥州から駆けつけた義経と、黄瀬川で頼朝が対面
頼朝、八幡を移し鎌倉の町造り着手。大蔵郷も造成
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史跡:大蔵幕府址
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養和2年 (1182年)
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北条政子が懐妊。安産祈願に若宮大路を改修
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若宮大路 、段葛
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寿永3年 (1184年)
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義経は宇治で木曾義仲軍を破り、義仲はで打死する
人質の木曾義高を殺害する
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史跡:木曾義高の墓 (大船むくどり公園の奥)
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寿永3年 (1184年)
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義経、範頼軍は、一ノ谷の合戦で平氏軍を敗る。
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(須磨)
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元暦2年 (1185年)
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頼朝、父・義朝の菩提を弔うため、勝長寿院を建立
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勝長寿院跡
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元暦2年 (1185年)
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義経、範頼軍は、屋島の合戦で平氏軍を敗る。
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(屋島)
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元暦2年 (1185年)
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義経、壇ノ浦の合戦で平氏を敗り、平氏は滅亡する
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(壇ノ浦)
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元暦2年 (1185年)
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義経、鎌倉の腰越で頼朝へ腰越状を送る
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史跡:満福寺(腰越) 、腰越状
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文治2年 (1186年)
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義経、追討軍を避けて吉野へ
静御前が吉野で捕まり、八幡宮で舞う
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史跡:八幡宮の舞殿
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文治5年 (1186年)
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義経、藤原泰衡に攻められ衣川館で自害(31才)する
送られた首を検分後、海に捨てられた首を洗って供養
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史跡:白旗神社 、首洗い井戸
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文治4年 (1187年)
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足利義兼、極楽寺(現在の浄妙寺)を建立
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史跡:浄妙寺
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文治5年 (1189年)
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頼朝、義経や藤原泰衡の霊を慰める為に永福寺建立
相模川橋を視察した帰りに亡霊に悩まされる
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史跡:永福寺跡
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建久2年 (1191年)
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岩清水八幡宮寺を正式に鶴岡八幡宮に
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史跡:鶴岡八幡宮
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建久3年 (1192年)
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頼朝、征夷大将軍となり、鎌倉幕府誕生
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史跡:大蔵幕府旧蹟
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建久8年 (1197年)
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頼朝の娘・大姫が24才で亡くなる
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史跡:岩船地蔵
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建久10年 (1199年)
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頼朝、落馬したのがもとで病死で亡くなる(53才)
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史跡:白旗神社 (源頼朝の墓)
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嘉禄元年 (1225年)
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北条政子(源頼朝御台所)が亡くなる。 晩年には「尼将軍」とも呼ばれていた。
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史跡:寿福寺(政子の墓) 、安養寺の供養塔
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