鎌倉発電送かわら版(最新版)
大銀杏倒壊関連記事「3月10日倒壊から5月6日まで」

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2010年8月11日(水)
買ってどうするの、貰ってどうするの、残してどうするの
地球温暖化の影響か、樹木の成長が早いような気がする。鎌倉は大手ディベロッパーによる宅地造成の開発の嵐によって、戦後直後は樹林地が61%もあったのが、現在は30数%に減少。高度成長経済のお陰で、鎌倉に土地、建物を買い求める人々は殺到し、人口も3倍弱膨れあがった。しかし、自然、緑地の破壊は許さないと文化人が立ち上がり、古都法成立、都市計画による市街化区域への線引き等で、緑地は3割弱でストップしている。

だが、高度成長経済の神話も崩れ、鎌倉は借金財政で何とか、やりくりをしている。が、緑を残せとの市民の声に応えて、さらに借金をして市街化区域の開発を緑地化してきた。ところが、古都法等で残された緑地の樹林が成長し、特に、もっとも鎌倉の特長づけている歴史的景観である旧鎌倉周辺の斜面緑地の樹木が成長の限界に達している。もし、伐採し、手入れをしなければ、危険なことは、必至である。そのため、莫大な費用を要することは覚悟しなければならない。

現在、鎌倉商工会議所裏の斜面地防災工事を見れば分かるが、樹木の伐採は、皆伐。樹木の種類はクヌギ、タブ、桜、モミジ、ツバキ、雑木で、樹齢、15年から70年。まさに、住宅地周辺の斜面地では限界であろう。経済の成長はなかなか期待できないが、樹木はどんどん、成長している。

ところで、防災工事の写真を市役所屋上から撮っていたら、いつも、秋になると素晴らしい紅葉を見せてくれる銀杏の木が、剪定され、枝、されに、上部は切られていた。これは、御成小学校児童の登校安全確保のため、危険防止対策だと。そうです、木はどんどん、成長しているので、手入れは大切です。

しかし、後ろを見たら、御成小学校校門際の大きな松の大木が枯れているではないか、どうして枯れたのか、松食い虫か、歩道整備でか、まさか、寿命ではないだろうが、枯れたまま放置いることは危険だ。樹齢何十年であることは、私が御成小学校の頃からあったものであろう。残念だ。樹木は成長しても、枯れても手入れは大変。費用は莫大だ。八幡宮の大イチョウ倒壊以来、各地で古木の点検が始まったようだ。

また、費用が通常の倍掛かった御成小学校の校舎であるが、古い講堂が荒れたままだ。あの御成小学校校舎問題の情熱はどこへ。
まさに、残してどうするのだ。これまた、朽ちるのを、待つばかりか。改修しても莫大な費用。そうだ、浄明寺にある旧華頂の宮邸は買収して10年、未だ未計画。
寄付していただいた吉屋信子邸、使用勝手は、さえない。鎌倉文学館下の旧前田邸は寄付されたばかり、今後はどうするのか。

旧野村総研跡地も貰って、10年近く、市民参加で計画を決めたのに、白紙で埋蔵文化財収容で当面使用と、金がないので、期待外れ。美術館は?
さらに、鎌倉山にある旧長尾美術館跡地の寄付の話が舞い込んできた。そんなに貰ってどうするの。維持管理に莫大な費用が掛かる。持ち堪えられないところが、増えてくるから、今後、どうする。財政見通しがカギ。それとも、事業仕分けがありますか?

北鎌倉明月荘は、改修の金がないので閉鎖したの。旧野村総研跡地のように貰っても、鎌倉山の寄付地の、使用可能時期は、10年、20年後。その頃、私はいない?それより、次々、出てくる学校改修計画。まず、大船中学校を早くお願い。図書館施設の充実、スポーツ広場は、どうするの。保育所、老人福祉施設は。病院は、徳州会が頑張っている、いや、医師会も。

旧大船国鉄工場跡地も、土壌汚染で、見通し暗し。それに、ゴミ処理問題、バイオ施設は、横須賀市はバイオ施設建設断念。各地も続くであろう。鎌倉は?

とにかく、買ってどうする、貰ってどうする、残してどうする、計画と財源の裏付けをしっかりしないと、ツケは次世代に。さらに、樹木は成長続ける.斜面地の樹木も。

     
 御成小学校旧講堂。何か、風格がある。  御成小学校校門際の枯れた松の大木。  頭が切られ、枝払いされた銀杏の木。
2010年8月9日(月)
今、真剣に考えないと

山が荒れている。手入れを怠ると大きなツケが。  鎌倉商工会議所裏手の工事が物語る

2010年8月8日(日)
政治の劣化は当分続く
政治の劣化状態は当分続くであろう。お笑い番組で登場する政治家が、有名な政治家となっているのが、現状であろう。それも、コメディアンに鋭く指摘されても、弁解がやっとである。

体で政治を覚えているわけではなく、選挙が目的化し、パフォーマンスでの展開が勝負である。マニフェスト、ビラまき、駅立ち、自転車乗りでの活動が、政治活動だと思われているのだと、思って行動しなければ、忘れられてしまうのではないかと、テレビに登場する数が重要視されている。

つまり、見られている、注目されていることを体で感じていなければ、不安でしょうがない症候群になっているのではないか。
争点が定まらず、何でもありますのよろず屋商売的商品を並べているようなマニフェスト競争。それは、なんでもやります、ありますというのは、見せかけで、経験、結果もないのに、何でもござれの、無責任体質化してしまった政治状況である。

それは、争点が一点で争う政治状況ではなく、総合的に広げなければ、支持を得られないくらい、何でもありの姿勢だ。つまり、受け狙いを漁るような政治姿勢だ。
有権者もすぐ、話題の争点には過激に反応しても、すぐ冷めるだけに、次は何だと、すぐ移ることも、政治を薄っぺらくしている。公約した政策結果が出なくても、どんどん移っていく。マニフェストなんては、政治家の嘘つきの造ったものだと、多くの人は冷めてしまっているだろう。

国内情勢、国際情勢共に専門的取り組みをしなければ、教科書通りには行かないのが、政治。特に全球的(グローバル)に変化している政治状況では、ますます、政治家の専門性は重要であろう。郵政民営化で大勝利した小泉政治も、4年たったら、あれは何だったのかと、遠い話のように聞こえる。

昨年の今頃は政権交代と、国民の大関心のもと、民主党の大勝利は、今や、あれは何だったのかと思われているが、今の関心事は、民主党の代表人事だって。
こんなことが、毎年続く、日本の政治は、どうかしている思われているが、これが現状とは情けない。小鳩体制から、空き菅体制となったが、これまた、ゴタゴタ。
借金大国の日本の行く末は、厳しい。やはり、政治家がダメなら、官僚がいると言いたいが、いじくり回されて、人材が育たない。それなら、民間からか。

人は燃えなければ、動かない。やはり、国のかたちをしっかりと示さない、政治家の集団では、当分無理だ。情けない政治空白の時代だ。政治より、政局か。あぁ、あ。嘆いてばかりいられない、深刻な日本であるに。とにかく、パフォーマンス政治はごめんだ。
2010年8月6日(金)
順調に快復している
猛暑の中、東大病院へ2ヶ月後の検診へ行った。採血、採尿後、1時間待ち、結果を担当医から、順調に快復していますと言われ、心がウキウキとなった。腫瘍マーカーが0、18と前回より下がり、血糖値も朝食を後でも、127,ヘモグロビンA1Cが5、7と安定していると。次回の検診は、1ヶ月半後と、経過を見るのが延びてきた。今後は特に運動を言われたが、暑いので注意である。

昼食を最上階のレストランでとった。窓越しに見える400メートルを超えた東京スカイツリーが猛暑の中にそびえ立っていたが、背後に見える入道雲が、この猛暑を象徴している。いつ雲行きが変わるか分からない。雲の下では、大雨の夕立があるかも。

昼食後、体も順調に快復していることだからと、思い切って、国立東京博物館へ。
どうしても、見ておかなければいけないと思っていた誕生・中国文明展を見学した。

日本の文化、鎌倉の文化の源流を知るためにも、欠かせない中国の文明展である。
展示されている内容すべてが、日本の国宝に指摘する規模である。

中国4000年の歴史の文明を、見せつけられた。中国現地で見るスケールのある万里の長城等も圧倒させられるが、石から玉へ、そして、鼎等の工芸に展開していく歴史は、文明の発展がよく分かる。

中国河南省出土文物の優品が展示されているが、王朝の誕生、技の誕生、美の誕生と3つのテーマで展開。王朝、工芸技術、文字(漢字)の発祥、発展が、中国、人類のすごさに、ものが言えなくなるくらい感動した。奥が深い。見ておいて良かった。
2010年8月2日(月)
何とも複雑な気持ちになる
終戦記念日がまた、やってくる。戦前生まれとはいえ、昭和17年生まれでは、戦争体験はわずかなもの。防空壕で泣いていたこと、夜、上空に東京空襲のため飛んできた米軍の爆撃機の音、由比ヶ浜に不時着した日本の戦闘機等の記憶ぐらいである。戦後は戦争体験をいろいろ戦地に行った方々から聞いたり、映画、雑誌等で多くの実話を知ることがある。

でも、60歳を過ぎ、70に近づく年なって、思わぬことを知ると、何とも複雑な気持ちになる。

一つは、知覧特攻平和記念館や霞ヶ浦・予科練記念館を見学したとき、胸が詰まり、涙ぐむ経験は、今でも、忘れない。

その特攻のこと、御成中学、湘南高校時の友人の父で、日本の空母の艦長経験者が、神風特攻隊出陣の前に、特攻攻撃をしたのが有馬正文中将であるとの話を聞いたのはここ数年前のことだ。有馬中将の長女である故海幕長石田捨雄さんの奥さんに、尋ねたら、そうですと言われ、石田夫人の弟の有馬君(東京大学元教授)にも聞いたら、あれ、話さなかったけと言われ、その、冷静さに言葉も出なかった。有馬君、石田君と知り合って、50年もたっていたのに。石田君とは、有馬君の甥で、石田さんの長男だ。

空母の艦長であった方が、特攻攻撃をしたとは、考えもしなかった。特攻とは、若い勇士がすることだと思っていたから。いやぁ、複雑な思いがした。

また、最近、新聞報道で、1943年の出陣学徒壮行会の学生代表であった江橋愼四郎さん(東京大学元教授)のことが記事にあった。「答辞 幸せではなかった」と。

徴兵され兵役体験のある先輩から、聞いたことがある。松中君は湘南出身だろう、学徒出陣の壮行会で答辞を述べたのが、湘南卒の東大生だよと。戦前から、湘南はすごいと言われていた。それは、名誉なことで、さすがだと。

そのことを、教育長に話をしたら、ある会合で、鎌倉ですか、私は鎌倉に縁のある江橋ですと挨拶されたと。そのとき、江橋さんに明治神宮外苑競技場(学徒2万人、観覧席での見送り6万5千人とある)で行われた出陣学徒壮行会での答辞をした方ですかと聞いたら、そうですと言われたと。そのときの記憶があったのか、新聞報道を教えてくれた。

記事によると「生等(我ら)もとより生還を期せず」。戦地に赴く学生の代表として、そう答辞を読み上げた江橋愼四郎さん(90)が答辞を読んだいきさつを初めて公の場で明らかにした。外地で亡くなった戦友を思って沈黙を守ってきたが、教え子によって開かれた「卒寿をお祝いする会」の席上、静かに事実を語ったとある。

答辞をすることになったいきさつが記事に書かれているが、「あまり幸せではなかったけれど」と心境をのぞかせたと。

そして、江橋さんは航空整備兵などして、内地にとどまったが、壮行会に臨んだ多くの学生が戦地で命を落とした。その無念を思ってか、江橋さんはこれまで、壮行会についてほとんどかたることはなかったと。

江橋さんのことを教えてくれた知り合いの先輩に、この記事のことを語ると、一瞬、言葉が詰まり、絶句した。鎌倉の材木座ということもあり、私も、何とも複雑な気持ちになった。江橋さんは以前、若い頃は鎌倉・材木座に住んでいたが、その場からお互いに数十メートルのところに、私と先輩は、現在住んでいる。また、今、私の住んでいる3軒先には山本五十六元帥が住んでいた。鎌倉と旧軍人、戦争とのゆかりは深い。
2010年7月30日(金)
50年前に目指した東大
5月末、東大病院に入院するとき、大学校門の赤門の方から賑やかな音が聞こえてきたので、病院へ回り道をしてみた。大学祭が行われていた。学内には屋台がびっしり、ライブが行われているところには、人だかりであった。

病院に入ったら食べられないので、鯛焼きを食べた。餡かと思ったら、中身はチョコレートであった。
かって、高校のころ、勉強が嫌になり、小学校の友人と語り合い、とにかく、大学を目指そう、そのとき約束したのが、東大か京大であった。私は挫折し、大学受験を受けなかった。友人は京大にストレート。

その後、友人から、松中、約束があったなぁと言われてしまう。やっと、その劣等感が晴れたのは、10年前くらいからだ。それは、東大に入れないけれど、東大病院に入院して、運良く退学でなく、退院出来たと笑って話すことからだ。
負け惜しみぽいけれど、そんなもんだ。東大教授になった有馬くんから、よく退院できたなぁと、言われるし、可笑しなもんだ。

安田講堂は東大の象徴。昭和40年代、大学紛争が盛んであった。ここ、安田講堂屋上で、最後まで抵抗したのが高校時代の同期のS君。捕まえてみたら、自分の甥っ子であったと、秦野警視庁長官が新聞で語っていた。

数年前、産経新聞の正論大賞表彰式で、鎌倉の新保裕司さんが、新風賞を受賞、大賞に佐伯啓思氏が受賞。
新保さんから、式の招待状を戴いた。お祝いへと出席した。また、佐伯氏のフアンでもあるので、嬉しかった。

乾杯の音頭に、佐々淳行氏が、そのとき、大学紛争のことを。また、佐伯氏も、まさか、佐々氏が乾杯とはと。
佐々氏は大学紛争の時、秦野総監のもと、陣頭指揮を執っていた方だ。

懇親の席で、私は先生に挨拶をした。S君とは、高校時代の同期でしたと。先生は、熊本行った時、彼が訪ねてきたと。 どうしているかなぁ、S君は。20数年会っていない。人生様々だ。長く生きていると、思わぬ出会いがある。
2010年7月29日(木)
先が見えている?
10年前に大病したとき、入院半年前に、私の周りでは次々貴重な方々が亡くなった。江藤淳先生の自死(自殺)、ガンで亡くなった版画家の吉田克朗さん、毎年、12月に30日に集まる友人の一人原君、そして、私を何かと指導してくれた清川病院と鎌倉女学院理事長の清川謹三先生が亡くなった。

周りでは、松中さんは死に神なんて、囁いているのが耳に入った。悔しかった。こちらは、一生懸命やっているのに。でも、巡り合わせとはいえ、内心、怖かった。

それに、9月議会では、一ヶ月も広町のことで一般質問を続けていた。その間、源頼朝公の供養塔のレプリカを鹿児島、磯庭園隣接地に建立することを手がけたので、有志による市民号が鹿児島に表敬訪問することになっていた。3日間のスケジュールであったが、私は1日の式典出席でとんぼ返りであった。疲れた。

また、当時、徳田虎雄元衆院議員(徳州会代表)が鹿児島の島津家ご当主を紹介して欲しいと言うこともあり、なにがなんでも鹿児島行きをキャンセルできなかった。

一ヶ月の質問も終わり、10月に9月議会が終わったあと、青森、秋田に視察。特に世界遺産の白神山地視察では、一時間ぐらいの登りもあり、かなり疲れた。
ホテルに帰って、休憩のつもりが、ダウン。皆との食事も出来なかった。すぐ12月議会あり、終わりの頃から、体調がおかしくなってきた。

次の年そうそうから、フラフラであったが、風邪だろうと思って、前半は新年会や会合に出席していたが、ついに、顔を真っ黄色になったので、清川病院で見て貰ったら、即、ガンの疑いありと言われ、当日入院。検査の結果、ガンではなく、原因不明の黄疸。清川病院から東大病院に転院。

どうなることかと心配していた。「生まれて、生きて、生かされて」と念仏のように唱えていたが、本音は生きたい、生きなければいけないと、思っていた。
三人の医師が付いたが、一人の女医さんに、先生、どうしても生きたい、大丈夫でしょうねえ、急変はないでしょうね、江藤淳先生のことを話して、死ぬことは出来ない、大丈夫でしょうねえと、せがんだことを思い出した。

今回は、手術をすれば10年以上、保つだろうと。ホルモン注射では、5,6年、チップは松中さんには向いていないと生検で分かったあと言われた。でも、骨シンチ検査のあと、骨に転移しているかも知れないと言われた時、友人が2年しか保たなかったことを思い出し、家内に連絡した。仕方ないねぇと、言われて、何か落ち着いた。

精密検査後、骨の変形による陰であることが分かり、手術が出来ることに。先生、元気なうち手術しましょと、了解した。先が見えているから、すっきいりしているのか?でも、手術後の痛いのは、つらい。それに、リハビリも。贅沢言うな、10年前を思い出せと、ちょっぴり反省の気持ちも。
2010年7月27日(火)
顔色が良いので、入院したのと言われる
昨年の10月から、検査、検査で、6月に手術をしたが、手術後の経過が順調で、リハビリを除けば、健康そのもに見られる。医師からは手術後、可能なら歩くようにと言われ、手術後、翌日から自らベットから立ち上がり、病室から体重計のあるところまで、往復20メートルぐらい歩いた。また、3日間ぐらいは同じ病室の廊下を何度か往復した。リンパ等切断手術のドレンが取れたら、院内を歩くように言われ、積極的に歩いた。

退院後も、海岸方面、長谷方面へ娘のまりと週末歩いた。食事は通常で、量は少なめである。今の猛暑では、危険なので、今の日常は、小町の喫茶店でトイレ休憩、食事後は、市役所へ、尿漏れパッドを取り替えて、帰宅のコースが日課。とにかく、医師から水を飲むこと、歩くことと言われているので、注意している。

退院後、いろいろな頼まれごとがあるが、出来ること、出来ないことは、はっきり言うことにしている。それでも激しい行動をすることもあるので、一ヶ月検診で医師に話したら、激しいことは止めてください。お酒は、3ヶ月間、ダメですと強く言われた。

とにかく、糖尿の数値である、血糖値が187から102へ下がり、また、ヘモグロビンA1Cが8、7から5、2になり、すっかり、落ち着いている。
また、腫瘍マーカー(PSA)が、13、7から0、22になり、安心であるが、ガン細胞が直腸へ癒着していたので、経過を注意するとのこと。限りなく0へか。

激しいことは出来ないが、思わぬビッグなこともしたので、自信が出てきた。知り合いから言われた。声が掛かるうちは、頑張るのよと。
有り難いことだ。でも、猛暑の折、無理は厳禁だ。

それにしても、政治の世界は目まぐるしい。入院中、首相が代わり、民主党が参院選大敗。去年は、何だったのか。日本の将来はどうなるのか。
でも、私は、じっくり、様子見だ。急いではいけない。まず、体調回復。動きがよく見えるだけに、いずれ、語ります。
2010年7月25日(日)
そろそろ、ブログへの気力が湧いてきた
6月1日に前立腺ガン全摘手術をして、2ヶ月が、そろそろ、ブログへの元気が出てきた。しかし、まず、頭に浮かぶのが、手術のこと、そして、あぁ、自分は生かされていると痛感する。10年前にも、東大病院に入院して、何とか退院出来た。そのとき、激しい黄疸で悩まされながら、唱えた文句が、「生まれて、生きて、生かされて」と、何度も繰り返したことを思い出した。

その後、西行法師の「何事のおわしますか、知らねども かたじけなさに 涙こぼれる」を知る。今回は、やけに落ち着いていた。覚悟をしていたのか。
でも、本当に多くの方に世話になり、生かされていると思う。また、今回も多くの方に心配を掛けてしまった。生きるとこに感謝。有り難い。

それでは、手術の頃の写真を載せます。手術前日の病室からの朝日(日の出)が見事。また、病室や食堂から見える建築中の東京スカイツリーは、気分を紛らしてくれた。また、外の景色は、上野忍ばず之池、上野公園、国立東京博物館と、緑が良い。

前立腺ガンの手術は、体力があったから、出来たと思う。言われていたより、かなり、しんどい。手術は、無事成功、看護師は親切、2週間で退院、後は、自宅ででリハビリが続く。尿漏れ、血尿、胴回りの筋肉の痛みによる引きつけとあるが、抗がん剤や放射線照射よりは、良いようである。

食事は出来るので、体力は回復しつつある。とにかく歩くことだと言われているが、猛暑で無理は出来ない。尿漏れは当分続き、胴回りの筋肉の引きつけも、半年以上、いや、2年とも。とにかく頑張ります。
   
   
   
 
   
2010年5月27日(木)
当分の間更新が出来ず
昨年、10月に激しい腰痛が起こり、また、元気な友人二人が一ヶ月の間にガンで急逝した。2年半、議長を務めている間、検診を受けてなかったことを考え、これは、いかん、もしや私も危ないかも知れないと医者に相談。腰の痛みは、内蔵からではないと。血液を検査し、その結果を1週間待って、分かったことは血糖値と腫瘍マーカーの数値が危険値を超えていると。

血糖値187,ヘモグロビンA1Cが8.7、前立腺腫瘍マーカー(PSA)が12と、緊急に専門医に掛かるよう指示された。
以前、入院した東大病院に相談。前立腺ガンの疑いがあるので、精密検査を指示され、まず、MRIの検査を受け、ガンの疑いがあると言われた。
だけど、糖尿病の数値が高いので、次の検査である生検(生体検査)を受けることが出来ないので、食事のかローリー制限、薬と歩き「1万歩」で数値の下がりの経過を見てからと言われた。

2ヶ月間の経過後、血糖値が、さがり、A1Cの数値も7になり、グリコアブミンという数値が、ヘモグロビンの3倍以内で、インシュリンがまだ出ているので、生検と手術を受けることが出来ると言われ、生検の準備に入り、CT検査等を受けた。

1月末の生検の結果、12針のうち、5針からガン細胞が検出されたので手術を受けることになった。そのとき、ホルモン注射を聞いたら、5年ぐらいと言われた。また、チップを埋め込むことは、私には向いていないと。手術前に骨への転移検査である骨シンチを受けた。その結果、胸骨に黒い影があるので、ガンが転移しているか、さらに、局部に造影剤をいれてCTにより精密検査を受け、4月初めの結果は、骨の変形によるものであると。いよいよ、ガン細胞摘出手術を行うこととなり、入院まで2ヶ月待った。

この間、血糖値、A1Cの数値も、110と5.4に下がり、なんとか、安全圏数値へ。でも、ストレスによる数値の変化はあると思う。先週、400CCの自己採血し、6月1日、手術。覚悟してます。現在、体調は快調、元気です。頑張ります。それで、当分の間、更新はストップします。
2010年5月23日(日)
町に咲く花が気になる
 
町に咲いている花がやけに気になる今日この頃である。特に紫色した花が気になる。また、あまり見たことがない花も。でも、気になりだしたから、今頃気がついたのかも知れない。

それにしても、珍しいと思う花が多い。鎌倉駅前のおんめ様の境内は、お寺の方が手入れを常にしているので、いつも目を楽しまさせて貰っている。先日、ご住職で医者の山田さんにお礼を言ったら、そりゃは、どうもと言われた。本当に1年中、花の咲くのが切れない。感謝。

上の写真の左から1,2のこと。境内に思わぬ香りがしたので、近づいてみると、ニオイバンマツリと札が出ていた。
これは珍しいと調べてみたら、解説に「ニオイバンマツリは、花の色が紫~淡紫~白色に変化していきます。ジャスミンに似た芳香を持つところから、この名前が付いています。  南米原産」とあった。これまた、移入種だ。

三番目は小さなアジサイのようだが、まだ、名も分からない。これから、調べることに。

右の写真の花は、赤い花が垣根越しに大胆に咲いていたのに、魅了され調べたら。ブラシの木とあった。
いや、珍しいと思ったが、ブラシの形をしているから、ブラシの木とは、単純なことで、猫じゃらしの様な形で大きい花と調べたら解説には、次のように書いてあった。これまた、移入種で、原産地はオーストラリアとか。

ブラシの木(ブラシノキ)は、通常、赤花をブラシの木呼び、ブラシ状をした鮮紅色または白い花序(花房)をつける耐寒性常緑小高木です。花後に実がなりますが、山火事にあうまで木についたまま種子を出さず山火事にあって木が死んだら実が割れて種子が飛び散る性質があると言われています。

 
 
2010年5月23日(日)
ここを忘れては
    現在の鶴ヶ岡八幡宮の関心はかなりのもんである。特に大イチョウが倒れて、再生を願う人々の参拝が増えている。

ところが、元八幡を忘れてはいないか?鶴ヶ岡八幡宮の由来は元八幡宮(現材木座)にある。このことは多くの参考がある。 

元八幡を訪ねてみると、まず、正面の松が枯れているのには心が傷む。何とかならないかと。境内の大イチョウは、新緑の葉を繁らせて、これまた、見事である。数本ある。

また、枯れて、切られた太い松の幹根が、源義家公・旗立ての松とある。歴史を感じる。

ひっそりとしているが、何かを語っている。
武家の古都で世界遺産登録を目指す鎌倉、鎌倉武士、武家の歴史の原点はここから。
近くには作家の芥川龍之介が住んでいたと。

その後の大イチョウを見に行った。ひっきりなしの再生を願う参拝客。また、大きな絵馬が掛けられていた。再生目指す元幹の上部からもひこばえが。
     
2010年5月22日(土)
鎌倉らしい趣味の会・ヤマセミの会創立10周年
 
ヤマセミの木彫りのポスターに誘われて、覗いた野鳥の木彫り(バードカービング)作品展。

素晴らしい、楽しい、器用、きめ細かい、似てる、夢が、創造力が膨らむ。

是非、ご覧になると、感心すると思います。

私は唸りました。お見事。
 上の二人の写真の左は講師の藤井先生、右は会長の高野慎太郎さん、なんと兄の友人で、知り合いでした。
会員のプロフィールを見ると、多種多様の趣味をお持ちで、それもプロ並みの方々の様。
下の写真をクッリクすると大きくなります。
2010年5月22日(土)
これは、ひどい。
ここ1月、体調があまり優れないので、友人との鎌倉散策を控えていた。また、友人も体調を壊し、入院したのでいつも歩いていた大町、浄明寺釈迦堂口の切り通しはご無沙汰であった。今朝の新聞を読んで、驚いた。大町の釈迦堂口遺跡がは国史跡に指定とあったが、先月下旬大雨のため崩落して通行不可能とあった。早速、現場を視察したら、崖崩れの恐れありとは書いてある看板が出ていたが、いつも歩いていただけに恐ろしくなった。

よく見ると、木の根が垂れ下がったいるので、割れ目に入り込んで、成長し、さらに、大雨の水がしみ込んで、割れ目が広がり、木に揺さぶられて崩落したのだろう。このような、崩落現場を他でも見たことがある。寿福寺の裏山崩壊、浄明寺住友団地崩落等鎌倉の特長でもある。山の手入れを怠り、造成により水脈が変わり、風化現象が起きている。さらに、笛田でも崩落事故があった。かっては、死亡事故もあり、近隣住民は恐怖であろう。それに、鎌倉の顔になっているような釈迦堂口が、このようでは、世界遺産への情熱、熱意が疑われる。当分の間、ここ周辺は危険であるので、周知徹底すべきである。

今朝の新聞には史跡指定答申記事と鎌倉世界遺産登録推進協議会総会記事が報じられていたが、松尾市長が養老孟司前会長の跡を引き継ぐことになったが、その責任は重大である。崩壊事故が続くと、心配だ。北鎌倉洞門山宅地造成もどうなることか。さらに、岡本マンション問題もある。

    大町釈迦堂口崩落現場を視察した後、大町から小町腹切り櫓東勝寺跡宝戒寺方面に出た。

途中、通ったトンネルがあるが、釈迦堂口切り通しと違って便利であるが、味気ない。

自然と古都、近代文明、近代生活、その、調和は難しい。あまり、進歩し過ぎると、もう、止まらないか。

鎌倉にマンションが増えたねぇ、ミニ開発もとよく言われるが、大きな造成された周辺の場所が危ない。当時は基準が緩やかであったから。

そのツケが今来ている。借金財政も同じ。 
2010年5月21日(金)
これは不思議
パソコンにもっと慣れるため、いろいろ作業していたら、思わぬことが出来ることが分かった。

写真を絵画風に変えてくれるのだ。これは不思議だ。
まだ、どんなことが出来るか分からないが、ページに変化を持たせるため、研究してみよう。左が写真、右がパソコン絵画。

内蔵されているソフトには、優れものもあるようだ。
付いていくのに、若い者には叶わないが、トライするぞ。

画像どころか、映像までどんどん、扱われるホームページ。
インターネットが選挙で解禁となるので、これからは、選挙、政治の情報はウエブの時代だ。でも、ツッイターやユーチューブをこなすには、まだまだだなぁ。

ところで、チラシの効果は薄くなるかも。ましてや、マニフェストの信用低下はひどいし。
2010年5月19日(水)
イタリアからの二人展
イタリアからの二人展の作家が鎌倉に来て、ギャラリーでささやかなパーティーを。でも陽気なイタリア人のこと、盛り上がった。
今回の企画の仲立ちは、版画家のピーター・ミラーさん。企画した版画家の宮山さんは東京で同じ仲間とインターナショナル・ローカリズム展を開いている。
先週まで夢松洞で個展を開いた版画家のエミリオ・バラッコ等仲間も駆けつけた。

イタリアとニューヨークで活動しいる写真家のフランク・ディテューリ写真展が今日から夢松洞で開催されている。浅尾慶一郎衆院議員も駆けつけてくれた。

     
     
2010年5月16日(日)
武者姿初の海岸へ出陣
     
   
  武者姿の手作り甲冑隊であるとんぼの会が、初の海岸へ出陣。
由比ヶ浜海岸で行われたビーチフェスティバル会場で交通安全PRに助っ人出陣。
パンフやシールを手渡す。海岸に武者姿での登場で、何事かと、思う方も。

ステージではいろいろ、出し物が演技されていた。ヤングの激しいリズムには流石と関心。
また、男性ハワイアン・ダンシングのフラダンスグループの踊りには、珍しさとここまで、盛んになってきたハワイアン・フラダンスの鎌倉。グループ名はカ・ホヌ・イカイカとか。

天気も清々しい風と気温。引き上げる頃は、気温が上昇で夏日。
これから、海のシーズンを迎える鎌倉であるが、上空のトンビやカラスが気になる。

海岸から上がって歩道に出ると、若い方やらこども達から声援が甲冑隊へ飛ぶ。
写真を撮っている人や、頼まれることが多い。これは、人気の証拠か。

夏になると汗が出て、甲冑姿はきつい、これで、私のお役目は休業。
そろそろ、手術の準備に掛かることに。6月初めの予定。

その前に臨時議会があるか?裁判で負け続けの鎌倉市。いずれ、また、最高裁まで?
 
2010年5月15日(土)
私の写真が浅尾衆院議員秘書から
先週行われた湘南リーグ少年野球大会の開会式において、私の挨拶と松尾市長の始球式に受けて、バッター役を務めた写真が浅尾衆院議員秘書である河村さんから、また、大船まつりで、武者行列をする私の写真を和田秘書からメールで届いた。

かわら版に私の写真が少ないか、人の写真を撮るけれど、自分の写真は撮りにくいだろうと気を使って、撮っていてくれたのかも。
政治家の秘書とは気配りが大事。また、政治家の周りも特に支持者の中心者は気配りが大事。その積み重ねで、情も湧き、気心も知れてくる。
政治は理論も大事であるが、情や思いやりも大事。政治家本人はもとより、秘書も一心同体。和田秘書、河村秘書も心得てきたか。

長い付き合いであった小泉純一郎元首相の秘書であった弟の小泉正也さんは、秘書に徹していた。まさに、気配りの天才。クールな小泉元首相、浪花節の正也さん、凄みのある飯島元秘書、姉御で睨みを効かしていた信子さん、裏方秘書の鍋倉さん、皆には頭が下がる日頃の行動であった。
この政治家一家の姿には敬服極まりなかった。流石であった。私はどれほど、感激していたか。それでも、私の抵抗を許してくれた。感謝。
2010年5月11日(火)
円覚寺・舎利殿で、いのちの洗濯の思いが。

先日、禅宗の和尚さんにお会いしたとき、舎利殿の屋根が新しくなったそうですねぇ。どんな具合か、みたいものですねと言ったら、是非、ご案内しますよと言われ、今日、仲間と円覚寺を訪ねた。

度々、舎利殿を見てきたが、今日の趣は違う。確かに、柿(こけら)葺きの屋根が17年ぶりに葺き替えられたので、金色に輝いて見えるが、朝から、小雨模様であったので、しっとりと濡れているのが、なんと言えない空気を感じた。仲間の一人は霊気とも。

じっくり見て、思わぬ私は言った。これは、世界遺産にふさわしい。目に、肌に、感じるこの雰囲気、小雨に濡れ、新緑の深い奥行き。
命の洗濯をさせて貰った。言葉に言い尽くせないので、写真を。

写真をクリックする大きくなります。
2010年5月9日(日)
今日も出陣大船まつりへ。
 
今日も出陣、大船まつりへ。暑い、これも世界遺産登録へのPR活動?

我こそは、義経、弁慶ぞ、いや、我こそ頼朝ぞ、いや、ここは大船・玉縄城主の後北条の家来である黄八幡・岡ちゃんぞ。

いや、いや、見よ、我々の出陣隊列を。
勇ましいこと、分かるかなぁ、この勇姿。

新人も馳せ参じて合流の森でござる。

武者姿行列に忘れてはならぬ裏方部隊の山本隊か、いやいや、女性助っ人隊。

確かに、未だ装束を着ること出来ないのは情けないが、これが結構大変です。

沿道に市のギャラリー隊が、写真を撮られるよりこちらが、パチリ。見て、吹き出した。

我々を見て、吹き出しそうな稲葉殿、でも、笑いがなければ息苦しい昨今。

たまには、おどけも必要です。

     
     
     
2010年5月8日(土)
野球の人気が一番?
こどもたちの間で、スポーツでは野球が一番人気があるのか、今日湘南リーグ親善少年野球大会の開会式に、33チーム、500名くらいの球児が参加。年々、球児たちが増えているのが、目に見えて分かる。今日の開会式に、会長の浅尾慶一郎さんは急きょ、テレビ番組に2局からお呼びが掛かり、松尾市長が代役を務めた。五月晴れで、空は朝から、真っ青、これから、7ヶ月間のスケジュールだ。関係者の皆さんはご苦労さんである。これも、無償のボランティア活動。

湘南リーグは金沢区、栄区、藤沢市、鎌倉市、逗子市のチームによる交流試合。球児たちに刺激があって、励みになる。今回は第4回、浅尾会長はじめ関係者の努力、尽力に感謝。継続は力だ。

球児、チームの監督・コーチ、保護者で600人くらい会場に。松尾市長、関係者から、グランドの芝生を刈ってくださいと、頼まれる。
空は青空でグランドは緑いっぱいでは、草野球に。それでも、関係者がグランド整備をしてから、試合開始。あまり、深い芝生では、ロストボールになる?
松尾市長、すぐ、やるでしょう。こどもたちのためですから。中村議員も駆けつけてくれた。息子さんに野球をと進めた。楽しみだ。
 
 
   
 
 
2010年5月8日(土)
由比ヶ浜海岸へ
連休最後の週末由比ヶ浜海岸を歩いてみたら、五日のこどもの日は過ぎたが、鯉のぼりがスイスイ泳いでいた。一畳半の大凧に引き上げられて、30尾の鯉のぼり。
凧を揚げている愛好家の方に聞いたら、いつもは3尾ぐらいだが、今年は、30尾と多いのは、最近、池や川で何百の鯉のぼりを揚げているので、海でも増やしてみたと。なかなか、良いものだ。高さは90メートルぐらい、長さ200メートルとか。鎌倉の風物詩か。私も、30年前にうなぎ屋の浅羽やさんと、連凧1000以上、8畳ぐらいの大凧等鎌倉の海岸、横須賀の武山基地で揚げた経験がある。良い思い出である。浅羽やさんの入り口に写真が飾ってある。

波際を歩いていたら、カラスが多いこと。また、砂浜、電柱にも大群が。さらに、トンビも遊んでいる人の弁当、お菓子を狙っている。かなり、グロテスク。
なにか、映画の鳥、ヒッチコックの作品であったと思うが、危険な場面も。トンビ、カラス対策も大変だが、自衛も必要。
凧の周りでも、何事かとトンビがくるりと輪を描いていた。
 
     
     
   
2010年5月7日(金)
バラが咲いてるから、見に来てと。
浄明寺の小堀さんから生け垣のバラが咲いているから見に来てと電話が。今年は特にきれいだからと。早速、行ってみて納得。見事。
浄明寺を訪れる観光客も、きれいねぇと、写真を撮っていた。バラの種類はなにわいばらとか。バラの原種の一つ。

玄関先の鉢入れも素敵な置物だ。周りにはいろいろな花が咲いていて、浄明寺参道の雰囲気にマッチしている。本当に鎌倉の人は、花好きで、手入れもしかりとしているので、四季折々、変化を楽しませてくれる。ありがとう。

浄明寺参道に咲くバラ。写真をクッリクすると大きくなります。
2010年5月6日(木)
連休過ぎたら、人出がガラッと変わった。
人出がガラッと変わった八幡宮。いつもの風景に。周りは若葉が萌えて、気持ちが良い。
大イチョウの芽もすっかり成長し、若葉の盛り。元の根は、若葉でびっしりであった。(下の写真)

ところで、先日、小泉淳作画伯の襖絵が奈良大仏でお披露目があった。それは厳粛、盛大な行事であったと、出席者から聞いた

いずれ、高島屋で展示される予定とのことであるが、一部、建長寺で関係者に披露されると言われ、八幡様から建長寺へと歩いて見学に行った。それは、蓮のシリーズであったが、力作だ。桜や蓮、鳳凰、飛天の襖絵が全部が揃って展示されたら、圧巻であろう。楽しみである。

建長寺も連休が過ぎ、人出が普段の日に戻った。春ボタンが見事に咲いていた。
4日に、シラーベルビアナとのことを書いたが、移入種だと言われたので、これから、鎌倉の花や木々の植生を調べてみよう。でも、とにかく、建長寺も花がいっぱい。ツツジもきれいだ。
建長寺の春ボタンとツツジのスライドショー
     
2010年5月4日(火)
あら、ここにも紫の花が、
  10日前、鎌倉駅前のお寺・おんめさまの境内に見慣れない紫の花が咲いていたことを書いた。

花の名は、シラーベルビアナと言い、原産地は地中海とかで、満開になったら豪華であろうと書いたので、今日、再び、おんめさまを訪れた。

あの時は、つぼみ一つであったが、周りのつぼみも開き、さらに、一つのつぼみが花を咲かせているのには、不思議である。

さらに、紫の花を求めて見たら、あるはあるは、こんなに紫の花がこの5月に咲くとは驚いた。

家に帰ったら、庭先に紫の大根の花が咲いていた。そういえば、よく見かける花である。

鎌倉の人は、花が好きだ。歩いてこれほどの種類の紫色した花が見られるのだから。

花の町、鎌倉だ。それにして手入れがされているのには感謝したい。
花の名前は分かりませんが、並べてみました。

紫の花のスライドショー
2010年5月4日(火)
新緑深い浄智寺

5月3日の午後、浄智寺近くでバーベキューパーティーがあるのでと、知り合いに誘われ、、家内と参加した。

新緑がきれいなので、周辺を歩いてみた。意外に人出も少なく、初夏の季節で、緑深き鎌倉の風情をたっぷり、満喫した。

家内の父の葬儀は、浄智寺で20年前くらいに行われた。その本堂の御三尊仏像、観音石像、茅葺きの屋根、布袋様、山には藤が盛り、あぁ、鎌倉だと実感。禅宗のお寺の醸し出すすばらしい環境だ。

バーベキューでは、近くでとれた竹の子ご飯でおにぎり、取り立ての竹の子をそのまま炭火の中で焼き、さばいて皮を剝いて食べた。いや、取り立て、焼きたてなので、おいしいこと。

鎌倉に住む幸せを感じる。それにしても、駅周辺、八幡宮周辺は人出がいっぱいでした。

北鎌倉浄智寺周辺風景スライドショー
2010年5月2日(日)
連休の人出は最高
 
連休の天気は最高、人出も最高。小町通り、八幡宮、鎌倉駅東口、鎌倉駅西口、御成通りは人でびっしりである。

友人と鎌倉駅東口で待ち合わせをして、小町通りに行こうとしても、動きがとれないので、西口に回って、びっくり、江ノ電の乗車待ちが長蛇の列。

どうも、観光客がかなり増えている様だ。昨日の日本テレビで放映された途中下車の番組に鎌倉も取り上げられたことも、影響、効果があったかも。

最近、鎌倉はよくテレビに取り上げられるので、首都圏の身近な観光スポット。
また、大イチョウの倒壊の話題は、連日取り上げられたので、見学スポットとして、関心が高いかも。

最近、鎌倉御成通り商店街にも人が増えてきたとの喜びの声が、商店街有力者から。
かっての鎌倉銀座復活か。確かに歩いてみたけれど、風呂屋の跡の駐車場でバザーの市が行われて盛況で、人でもかなりであった。

これからの、商店街振興、観光振興をもっと、盛り上げれば、鎌倉が活性化する。
でも、かって、鎌倉は造るな、壊すな、人来るなとの声もあった。

鎌倉の財政を考えると、新たな鎌倉ビジョンを描いて、都市計画を進めないといけない。
30年前は、鎌倉市では人口抑制政策をとっていた。今は人口増加政策、少子化対策をとっているが、そう簡単に人口、若い世代が増えない。これから、観光客は増えても、人口は増えない。ここは、発想を思い切って変えないと、鎌倉は衰退してしまうかも。
 
2010年5月1日(土)
連休の天気は最高
先週の天候は寒暖の差が激しく、私は体調を崩し、ここ1週間、風邪の様な症状でダウンしていた。 医者に掛かって薬を貰ったが、抗生物質には、弱い体質なので、さらに、グッタリであった。熱はないのに。

医者によると、花粉アレルギーも最近、黄砂とかいろいろ微粒子が混じっている複合作用ではっきりしないと言っていた。アイスランドの火山灰もあるのかなぁ。去年の今頃は、新型インフで大騒ぎであった。

でも、そろそろ、回復してきたので、爽やかに天気に誘われて、海辺を歩いた。最高のウインドサーフィン日和。波はなく、ほどよい風が。

今朝の日本テレビで鎌倉の話題が、一つは武者姿甲冑隊のとんぼの会が、じっくり取り上げられ、山本会長をはじめメンバーがばっちり写っていた。これは、大きな宣伝効果があるかも。さらに、メンバーが増えると良いなぁ。

鎌倉まつりのパレードも登場し、浅尾さん、早稲田さんもばっちりと。
凄みのある弁慶さんも。こども甲冑姿も、揃って登場していた。

また、サーフィンにのり、漕いで、楽しむ場面も。これも、鎌倉発のマリンスポーツとか。みんな頑張っている。
2010年4月30日(金)
一将功なり万骨枯れる
日本の総理になることだけに一生懸命であった様に見える鳩山首相。一将になることが功であるかは、身内の問題かも知れないが、国民、世界のために動くことが首相の役目。首相にすがりつき、政権維持にキュウキュウとしているのが、現実。これは、保身、自分のため。

今朝のテレビで、若い民主党の国会議員が出演していたが、ビラを取る有権者も減ってきて、民主党に期待していたけれど、失望した、まず、幹事長に辞任をするよう頑張れ等の有権者の声しきりであった。

駅前でビラ配り、自転車で町中手を振りながら乗り回すのが、うまければ政治が出来るか。そんなのは、パフォーマンス。政治はそんな軽いものではない。自転車曲芸が出来るようになるかも知れないが、危なくてしょうがない。曲芸政治をしている政治家もいるけれど、国民、市民は冷や冷や。いや、それどころか、この日本はどこへ行くのか、心配どころか、失望感を越えて怒りが増している。

よく言われた、大商人の主はダメでも番頭がよければと。鳩山政権、番頭は。民主党の番頭は問題がありすぎて、小沢幹事長が辞めれば、民主党にもこれからがあるかもといわれるが、連立政権では番頭どころか、船頭多くしてである。

民主党の瓦解は早いと思う。まず、党内から立ち上がる若い議員がいないのは、絶望的状況。自民党に期待できるかと言えば、当分無理。やはり、政界がガラガラポンで出直し時代が続く。政治安定に責任とれる政治家が育つまで待つしかない。

ところで、検察審査会が小沢幹事長は起訴相当に決めた。その中で、市民目線とあったが、法律判断を市民目線(素人目線?)で判断して良いのかとの声があるが、あれ、これは、どういうことなのかなぁ。

現在の国、地方議員を問わず、政治を市民目線でと言って当選した、ビラ爆弾戦略政治家、駅前政治家、自転車ノリノリ政治家が、多いのでは。法律を作る方が、市民目線で、判断するのは専門家でなければとは、おかしくないか。法律成立、法律、条例運用こそ、専門的でもなければ。
でも、政治家もパフォーマンスではなくて、もっと、市民目線と、専門的行動をしなければ、いつまでも、最後は専門家にでは、かっての、官僚政治と同じ。

事業仕分けが行われているが、市民目線でもおかしいことが、多い。政治家の仕分けにも市民目線でとなると、小沢幹事長、議員辞職は当然と世論調査から。つまり、世論調査も市民目線でないの。それでもしがみつく鳩山政権、末期的症状の民主党連立政権。先が見えている。民主党の先も?

ご都合主義の市民目線政治では、当分、パフォーマンス政治が続くか。でも、最近、よく聞く、民主党のビラは拒否されると。有権者も冷めてきた。もう、騙されない、止めてくれ、辞めてくれの声がしきり。利権政治は終わるか、でも、パフォーマンス政治も終わらせないと、政治は劣化するばかり。
しかし、政治の裏は権力闘争であることをお忘れなく。勝てば官軍、負ければ賊軍?
2010年4月25日(日)
あぁ、政治の劣化は止まらないか
日本の最高権力者である総理大臣、それが、平成の脱税王、愚か者、嘘つき、宇宙人等、これほどまで言われて、辞めない鳩山首相。
ここまで、劣化した日本の政治。それも、民主党内から立ち上がる若い議員がいないのも、恐ろしい。どこまで日本の政治をグニュグニュにしてしまうのか、衆院に300議席持った大政党の民主党。

政治権力である政権、300の議席があれば、日本を良くするため何でも出来るのではないか。民主主義は数ではないのか、それでは、人物か、選挙はパフォーマンスか。5議席のミニ政党が頑張るか?確かに、去年の今頃は300議席あった自民党、与党でないため、細胞分裂か、パラパラとミニ政党化、船頭多くして、どこへ行くのか。

今朝の新聞に、地方議会へサラリーマンを議員にとあったが、今や、議員がサラリーマン化かしてないか?大きな改革に体をぶつけていくものはいないのか。駅立ち、ビラまき、自転車、パフォーマンスにエネルギーを使う方は多けれど、肝心の政治に情熱を燃やす方少なしである。損なことはしない、自分のためになるなら、すぐ踊る、今こそ、草奔崛起と叫びが聞こえるが、どうなることか。政治優先より、選挙優先?

政治が劣化し、議会が頼れなければ、司法の場でやりましょうと、行政訴訟がどんどん増える。横浜市では、現職市長に、前市長へ損害賠償するよう住民訴訟をと立ち上がった横浜市民。

鎌倉市でも扱い間違えれば、松尾市長が前市長へ損害賠償請求。さらに、間違えれば、松尾市長が、行政の不作為で告発対象なんて声も。全責任は松尾市長へ。それも、議会次第?でも、議会が告発するということはあり得る。かっての、市民農園。そういえば、知事を告発した県議がいた。その後どうしたのかなぁ。とにかく、政治が劣化し、行くところは裁判所か?政治とカネの問題で、検察審査会の成り行きで注目されている鳩山、小沢民主党幹部。

それにしても、鳩山政権、普天間、郵政、高速道路等あっち行ったり、こっち行ったり、どこへ行こうとしているのか?当分、ダッチロール状態か?
2010年4月25日(日)
友人が大銀杏倒壊前日の写真を。
友人が八幡宮のご神木(大イチョウ)が倒壊する前日撮影した写真を記念に贈ってくれた。
鎌倉市腎友会の総会出席後、友人と会って、写真のことを話題しながら、何か前日から傾いているとか、やはり、大イチョウのないのは寂しいと話が尽きなかった。

そうだ、今日の天気は久しぶりの爽やかな日和なので、八幡様に行って、この写真の風景と同じ場所で撮ってみた。やはり、風景が変わった。
空は、澄み渡る青空。大イチョウの幹からは芽から葉になったひこばえがびっしり。これらのひこばえが、近くに青々としている銀杏の木になるのはいつの日か。

参拝客が多いのは大イチョウのお陰か、結婚式も舞殿で執り行われていた。旗揚げ弁財天の白藤は見事。源平池の周辺は新緑で、目が癒される。
       
     
 大銀杏倒壊の日3月10日からの記事特集
2010年4月24日(土)
見知らぬ花が
未だに続く、寒暖差が10度以上の今日この頃、さすが、風を引いたのか、のどが痛い。

それでも、晴れれば、外に出て、町うちを歩く。4月にして、冬並みの厚着。

この寒い中でも、花は時期が来れば、咲き始めるのか、ふと見ると、つぼみの中に一輪、見かけない花が、花の外回りから咲くのが、面白い。

花の名前はシラーベルビアナと根もとに名札が。

インターネットで調べると、この花は、 ヒアシンス科、スキラ属の多年草(球根)。地中海西部が原産地とか。
         
いずれ、周りのつぼみも開いたら 豪華。1週間後にまた見に来てみよう。

鎌倉駅前、おんめさま境内に咲いている。ここには、季節折々の花が咲いているので癒される。いつも手入れをしている方が、本当に感謝です。
2010年4月23日(金)
人気取り政治、パフォーマンス政治を終わらせよう
今の政治の混迷は、人気取り政治、パフォーマンス政治、つまり、人気取り選挙、パフォーマンス選挙で当選してきた議員が政治をするのが原因。
政治知識もない、実力もない、忍耐もない、人取りの劇場型選挙で当選してきた議員が多い。駅前での格好つけた演説、ビラ配り、朝立ち、夕立のお辞儀と手振り。自転車で町中を走り回り訴える姿、そんなことで政治が出来るのか。見よ、小泉チルドレン、小沢チルドレン、あぁ、それが、政治家か。

政治には修羅場が付きもの、もっと、その経験をしてから。政治を語り、取り組む政治家でなければ、つとまらない。それでも、ポストを欲しがり、つまずけば、投げ出す、そんな政治家ばかりが増える現在の政界。有権者もじっくり政治家を育てることを、真剣に考えないと、政治はますます、劣化してしまう。

日本だけが土俵ではない、世界が土俵のグローバル化時代。政治家がダメなら、官僚、役人がいる、政治家がダメなら、経済人がいると言っていられたのは、今までのこと。政治家もダメ、役人もダメ、経済人もダメ、それなら、どうすりゃ良いの、あなたのように言いたいこと言っていられるのは、いい気なもんだと言われてしまうが。それでも、誰でも政治家になっても良いが、権力者にさせてはならないこと、考えないと。

今は、出直し時代、じっくり行くしかない。ましてや、政治家を育てるのに、5年、10年では育たない、一つのアイデアで、爆発的人気で、経済界に登場することは出来るだろうが、政治は、経験がなければ、つとまらない。なったばかりなのに、政治家面では、先が見えている。

政治の最高ポストは長の付くもであるが、本人に経験がなければ、周りに良い参謀を付けること。鳩山、小沢民主党政権は、二元政治の典型。どちらが、トップか分からない。それに、周りに、経験薄い人気の大臣がうじゃうじゃ、これじゃ、船頭多くして川を上らない。当分、政治の混迷、迷走、ゴタゴタ、バラバラは続く。まず、人気取り、パフォーマンス選挙は、止めさせよう。そうでないと、ますます、混乱する。その前に、殿のご乱心を止めなければ。止める自民党がパラパラでは。そのうち、右往左往の議員だらけ。落ちるところまで待ちましょうとの声も。政治は出直し時代。いつまで続く、出直し時代?

政治家、議員のパフォーマンス、人気取り行動にご注意。マニフェストも人気取り。出来る、出来ないの責任は、知らん顔。当選するため、パフォーマンス、人気取りには、先にいった方が勝ち?大きい声で言った方が勝ち?責任は取りませんが?これもまた、選挙のため?ご注意を!
2010年4月22日(木)
愚かな首相と、あーあー、ここまで来てしまったか
アメリカのワシントンポストに鳩山総理は愚かな首相と書かれたことで、民主、自民の党首討論において指摘された鳩山総理、謙遜とはいえ、そうかもしれないと答弁。あぁ、ここまで来てしまったか総理の情けなさ。もう、絶望に近い姿であるが、次はとなると、自民もパラパラと離党者が。今度は舛添議員が新党結成宣言。

でも、よく考えてみると、倒れるかもしれない本体の自民党、まさに、ひこばえ現象である。自民のDNAを残す生命の遺伝現象か。そうです、民主党も愚かな首相と皮肉られても、もう一人の小沢幹が存在するので、これまた、ひこばえ現象である。自民党のDNAを持っていない政権が維持できないのも事実の日本の政治。その周りで、ウロウロチョロチョロするだけの、パフォーマンス政治家。前原国交相も辞任をほのめかしても、独立できるわけでなし。

国民新党も自民離党派、民主、国民新党、たちあげれ日本、かっての、新自由クラブ、日本新党、さきがけ、保守党、新進党、自由党を振り返って見れば、自民党のDNAがうごめいていた。所詮、この日本の政治は、自民党経験なしの政治家では政権は成り立たない。純粋非自民党系政治が、成立するのは50年後、100年後か。そのうち、自民党のひこばえが大木となって、安定してしまうか。その頃、私はいないが。それにしても、政治が劣化している。

名古屋の河村市長が、市長の給与は半分で良い、議員の歳費も半分で良い、議員の数も半分で良い。ここまでくると、市長も給与はいらない、議員の歳費もいらない、議会は市民が無報酬で休日、夜間にやればいいと。確かに、外国では、議会に議員は数人、市長は議員から、歳費は3分の1、でも、政務調査費は、秘書の給与付きでたっぷり。重要案件は、住民投票に莫大な経費をかけているところある。つまり、政治家に任せられないからか?いや、究極の民主主義?自治とは、与えられるものではない、住民、市民が共同体を作り上げ、市なり、町なりを宣言して始まること。それが、市民自治。

日本は、過去、政治家がダメでも、官僚、役人がしっかりしていたと。しかし、最近は、その役人も、給与は、議員の歳費以上、三千万以上の退職金、天下りは渡り付きとこれでは、役人もダメ。河村市長みたいな政治家が、これから、次々出てくるか。神奈川県のように、役人が問題ではどうなることか。県会議員を減らせ、政令都市が三つの神奈川県、横浜、川崎、相模原の県会議員は3分の1で良いとか?名古屋河村市長流に半分、半分と言えば当選?そうか、鎌倉の県会議員は一人で充分?現在もそうです。でも、何しているの、選挙対策幹部?

そうだ、かって、鎌倉で議員報酬の引き上げに反対した方がいたが、そのとき言ったことが、政治家は政治資金を集めれば良いと。その方は、毎年、一千万以上の政治資金を集めていた実力者。良い時代の話ですが。

現在、政治が混乱しているいる原因に、政治とカネの問題。それも、鳩山、小沢民主党幹部の政治とカネの問題は、あまりにもひどくて、大きくて、国民の多くは驚いている。それに、黙りの民主議員、そこで、検察審査会はどうなるか? 裁判も市民参加、検察も市民参加?誰を信じましょう?