鎌倉発電送かわら版(最新版)

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2010年4月20日(火)
帰還おめでとうございます
 
山崎直子さん、帰還おめでとうございます。

鎌倉市民として誇りに思います。

落ち着きましたら、是非、体験談を聞きたいです。



山崎直子さん(39)ら7人が搭乗した米スペースシャトル「ディスカバリー」が日本時間20日午後10時過ぎ、米航空宇宙局(NASA)のケネディ宇宙センター(フロリダ州)に着陸、約2週間の飛行を終えて帰還した。


宇宙航空開発研究機構(JAXA)

2010年4月18日(日)
大銀杏の元の根に葉が。
朝から天気は晴れているので、八幡様の大銀杏の様子を撮影に。

移植された幹からは芽が吹き出し、元の根の芽は、葉の形になってきた。

知り合いの専門家に聞いたところ、倒れた時期が良かったので、芽が吹き出し、根も張るだろうと。

本当に生命力がある。100年、500年後は元の大銀杏になるだろう。

良かった、良かった。本当に嬉しい。

こちらもどうぞ、↓
切り離された幹から芽が。
2010年4月17日(土)
雨にも負けず、風にも負けず、寒さにも負けず
     
       
       
     
 腰越で行われた義経祭りに武者姿でパレードに参加した。41年ぶりの4月の雪とかで、今朝の雨と風と寒さにはどうなることかと思った。
でも、負けてなるものかと、いざ鎌倉である、とんぼの会の新倉宅に駆けつけ、武者姿に着替えた。なんと、冷たい雨は止み、晴れてきたではないか。

龍口寺前に集合、さすが、松尾市長の地元、終始笑いが止まらない。江ノ電のレールの上をパレードする腰越でのユニークな行事である。司会進行役の腰越支所の原田さん他ご苦労さんでした。義経祭りの実行委員長と新倉さんもご苦労さん。

ギャラリーも雨が止んだせいか、かなりの人出。手を振るギャラリーが多い。松尾市長もご機嫌。嵐の前の高笑い?民主党のガタガタ、バラバラをお見通しの浅尾慶一郎衆院議員は、不敵な笑いか?弁慶姿の山本さん、目つきが違う、腰越でのパレード、八百有余年の歴史の重みが。小田原塾が花開いた武者姿・とんぼの会。

浅尾さんが頼朝、松尾さんが義経とギャラリーから問われたので、弁慶は、あの方ですと言うと、沿道の方々が、大笑い。地元密着のお祭りである。かっては、腰越まつりには、大きな山車が出たそうだ。記念の写真が、新倉宅に。

今回も岡ちゃんがいないのは、心配だ。また、紅一点のワセダさんがいないのはさびしい。次は5月に大船まつりがあるので、共に出来るかなぁ。その頃、私は入院かも。終着の満福寺でミス鎌倉と記念撮影。静御前が妬いていないかなぁ。今回も、世界遺産のパンフを配ったが、すぐ、配りきる。かなり、関心があるようだ。
2010年4月14日(水)
作家井上ひさしさんのことが
作家井上ひさしさんが9日に亡くなった。鎌倉・小町通りの喫茶店に井上ひさしさんがよくコーヒーを飲みに来ていた。その店主である石山修一さん(通称・修ちゃん)が井上さんの思い出話を朝日新聞に語っていた。喫茶店・門にはいろいろな文化人が見えている。私も常連で、井戸端会議風にまちの情報を得たり、日刊紙がほとんど揃っているので、コーヒー一杯で事務所代わりに使っているようなものである。

店主の修ちゃんの人柄で、多くの文化人も見えるのと、馴染みになるとコーヒーの味が、何か自分に染みついてしまうのか、一日いっぱい飲まないといられなくなっている。私は30年以上通っているが、井上さんはここ十年よく見かけた。日本でも著名な作家であることは知っていたが、政治的に立場が違うので、声をかけることもなかった。

5年前ぐらいか、井上さんの方から、市会議員の松中さんとひょっと声が掛かり、私は、思わず先生とは立場が違いますねぇと言ったら、井上さんは、松中さんは良いんです、筋がしっかりとして、ぶれないから、さらに、ふらふらする人がいけないとも。

また、松中さんは江藤淳先生の関係ですからねぇと言われた。席に座って話をするうち、なんと、優しい、暖かい方だとの印象を持った。よく、市役所の通りでお目に掛かることがあり、お互いに声をかけるようになり、立ち話でも話すことにもなった。

また、喫茶店・門で出会うと鎌倉の市政のことを語り合うことがあった。井上さんは、5年前の市長選のことで、心を痛めていたことを、僕に漏らしていた。現職の石渡市長に対し、反石渡候補を井上さんは動いていたが、一本化しないことを嘆いていた。松中さん、なぜ、一本化しないですかねと。私は、立場が違うので、コメントをしなかった。井上さんは、緑の問題、憲法9条のことを、鎌倉でも市民として取り組んでいた。それだけに、なぜという問いは、真剣度が伝わってきた。

私は、私なりにこの裏話を解説できるけど、ある意味では、鎌倉の政治の成熟度をさらしてしまうので、こちらも情けなくなってしまうことである。
このようなことは、たびたび、経験することであった。江藤淳先生と鎌倉市政のことを話をするときもそうであった。日本の政治を語り合うときも同じであったが。

そうだ。江藤淳先生が井上ひさしさんのことを語っていたことがあるが、それは、江藤先生が妻の慶子さんを亡くしたことで、井上さんが手紙をよこしたことか、井上さんが江藤先生の思いを語ったことを聞いたことであるかも。 
今は、江藤淳先生夫妻、井上ひさしさんはいない。昨日も喫茶店・門にコーヒーをに飲みに行った。帰り際、修ちゃんに、さびしいねぇと言った。
2010年4月12日(月)
今日この頃の天気のようなウロチョロ政治状況
鳩山政権の雲行きが、おかしくなってきた。世論調査でも、支持率が危険水域に入ってきたと。普天間でウロチョロ、郵政でウロチョロ、この国はどこへ流れていくのか。どうも、今日この頃の天気のようだ、寒気と暖気がウロチョロしてぶつかり合っている日本上空、寒暖の差が、初夏と真冬並の繰り返し。

国民も鳩山政権のウロチョロさには、もはや呆れかえるどころか、期待はずれで、絶望的状況になりつつある。小沢幹事長がすぐ辞めれば、民主党も息を吹き返すかもしれないが、決断力のない鳩山首相がウロチョロでは、無理かもしれない。

それでは、自民党かと思いたいが、これまた、ウロチョロ集団化してきているので期待が出来ない。自民党からポロポロと抜け出す議員で、新党結成でウロチョロしなければいいが、人気はイマイチ。なぜ今頃、昨年の衆院選挙前に決起すればよかったのに。

早くから脱党して結成したみんなの党、これからの期待が上がっている。今は船頭ばかりであるが、こぎ手が増えること間違いない。でも、ミニ政党がいくつも出来て、船頭がウロチョロするばかりの政治状況も予想される。その後にガラガラポン。

やはり、自民経験政治家を中心の政党でなければ、政権運営は出来ないのも事実であるが、ガラガラポンも時間が掛かる。
迷惑なのは国民である。自民党も解党的出直しをすれば、何とか道が開かれるか。とにかく、今の民主党連立政権では、ウロチョロ政治は続く。

ところで、鎌倉の市政で、松尾市長は洞門山開発でウロチョロしていたが、どうやら決断して保全で努力というが、さらにウロチョロでは、どうなることやら。
最近、OB議員が、開発相談か、利権か、ウロチョロしていることが話題になっている。何か良いことあるのか、心配ごとか?

明日の岡本2丁目マンション問題の高裁判決に対する、今後の扱いの最終日。成り行きによっては、損害賠償訴訟か、許可した行政に対し告発訴訟へと発展か。
そう簡単には、決着付かないことは事実。まだまだ、時間が掛かる。ところで、政党機関紙でウロチョロ勧誘が、話題に? 幹部職員もどうしようかとウロチョロとか?

私は、ガンの手術のために、病院でウロチョロ。糖尿病で血糖値等数値を下げること、MRI検査、CT、心電図、生検で2泊三日の入院、リンパの検査のCT、骨シンチ、骨への転移の疑いで、局部造影剤注射のCTとこの間6ヶ月院内をウロチョロ。 どうやら、腹を切る覚悟が来たようだ。もはや、ウロチョロよりまな板の鯉?
2010年4月11日(日)
形になってきた甲冑隊
     
     
     
2年前の鎌倉市観光協会50周年記念鎌倉まつりの年から始めた手作り甲冑隊「いざ、鎌倉 武者姿で集う」も、山本会長が初めて、小田原で手作り甲冑の講習を受けて、立ち上げた武者姿で集う・とんぼの会へと発展した。

今年の鎌倉まつりには、とんぼの会の参加者が増え15人、他に都合で4人が参加できなかった。特に、山本会長は、交通安全協会の手伝いがあり、武者姿では行進出来なかったが事前まで、着付け等指導を受けたことは有り難く、感謝。義経まつり、大船まつり等には参加予定。山本会長なしでは、動けない。また、中山長老は静の舞の手伝い、大忙しで舞殿へ。仲間の新倉さんが付いているから助かるなぁ。幼友達の石川君、お付き合いとは言っていたが、貫禄でした。

また、初めから参加している黄八幡・玉縄城後北條まつりを、いずれ、やるんだと張り切っていた岡田議員こと岡ちゃんが、仕事で過労か、突然、不参加には皆が残念との声。あれほど張り切っていたのにと。やはり、いないと寂しいなぁ。

毎回、参加している衆院議員の浅尾慶一郎さんは大将としての武者姿が板についてきた。公家模様甲冑の渡辺議員、優雅だ。手作りで思い思いの模様、兜の形を作る会員の懲りようも見事である。紅一点の早稲田さん、フアンも多く、手を振るギャラリーがいっぱい。今年から子供甲冑隊が二人参加。可愛いと沿道から声が。

今年の弁慶は、元米海軍将校のビル・ヤングさん。迫力ありすぎて、圧倒された。私は、ビルと在日米陸軍音楽隊と記念写真を。これ、日米同盟?

とにかく、沿道から声や手を振る観衆が多いのには嬉しかった。鎌倉警察前に大ギャラリー、武者姿冥利である。また、八幡宮境内では、モテモテの写真をとの声。
世界遺産登録推進のパンフを配り、鎌倉の観光振興に少しでも貢献できたのではないかと、思いたい。松尾市長も甲冑姿でオープンカーに。後で我々に参加した。
やはり、武家の古都・鎌倉。武家政権発祥の地であるから、目に見えることも大事。武家の時代は650年間、鎌倉に幕府を開いた源頼朝公のおかげです。
2010年4月10日(土)
思い出す「西のかた 陽関を出づれば故人無からん」を。
妙本寺で聴いた二胡演奏の曲目に「陽関三畳」があった。その解説に唐の時代の詩人、王維による七言絶句の名作「送元二使安西」とあった。はるばる陽関を越えて西方へ赴任する友人、元二を送る送別の気持ちを歌ったものと。

一昨年、鎌倉市と中国・敦煌市との姉妹都市の親善訪問で、案内されたところに陽関の砦があった。砂漠の中を一時間走る、途中、バスの中で、つぶやいた同行者が、「西のかた 陽関を出づれば故人無からん」と。この漢詩のことは高校の頃、漢文で習ったことだと思い出した。 今日また、「陽関三畳」の陽関は、ここのことだと知った。

今日、聴いた二胡の演奏で、さらに、詩のことをもっと知りたいと調べてみた。あぁ、懐かしい、若いころを思い出す。友とは良いものだ。皆、同じだろう。
友が去るのはつらいものだ。人生には、付きものの別れ。出会いがあれば、別れも。 一期一会とは、今を、大切にということだが、つい、ずーっといたいと思ってしまう。

 渭城朝雨裛輕塵  渭城の朝雨 軽塵を裛し 渭城の朝の雨が道の埃を落ち着かせ
 客舍青青柳色新 客舎 青青 柳色新たなり 旅館の柳も青々と生き返ったようだ
 勸君更盡一杯酒  君に勧む 更に尽くせ一杯の酒 さあ君、もう一杯やりたまえ
 西出陽關無故人  西のかた 陽関を出づれば故人無からん  西方の陽関を出てしまえばもう酒を交わす友もいないだろう
2010年4月10日(土)
一期一会の演奏会
     
     
鎌倉駅近くのお寺・妙本寺において、声明と二胡のコラボ演奏会「海棠に魅せられて」が行われた。いや、素晴らしい、一期一会のときであった。
出演者は、声明が妙本寺住職早水日秀貫首、二個奏者は中国人の程農化さん。会場の本堂には来場者でいっぱいであった。

早水住職が挨拶で語っていたが、天候不順で境内では、桜、海棠(かいどう)、シャガが同時に咲いてしまった。テーマの海棠に魅せられてが魅せられずになったらと心配していたが、幸い気温が下がり、境内に咲く海棠は見事であると。桜も八重桜に変わってきたので、これからが見ごろである。

また、参道際のシャガが緑に映えて咲いているのも、杉木立が見事な妙本寺のことである。鎌倉ではの演奏会、余韻が深い。ありがたい縁と出会いいでした。
明日の鎌倉まつりの後、妙本寺に訪れて、海棠を見る方々も多いかもしれない。
2010年4月8日(木)
たそがれも良いものだ
何か日本航空の破綻、再生、トヨタの不祥事、借金大国である日本の財政破綻寸前は、まさに、沈み行く日本の現状か。

もう黙っていられないと、たちあがれ日本と新党が立ち上がるようだ。ある方は立ち枯れ、ある方はたそがれと揶揄するが、若い者が立ち上がらないからと年寄りが立ち上がったのは、止むに止まれないからだだと思う。若い者が保身に走っていては、変わらない。それでも、小泉進次郞議員は頑張っている。そこいくと、民主党の若い方、物言わないのは、党首が迷主党代表だから?

それにしても、自民党、4年前に300議席取った政党とは思えない。やはり、利権体質の悲哀か、与党でなければいられないか?
どこまで、ポロポロ出て行くのか。落ちるところまで落ちて、再起するしかない?それとも、自然消滅?やはり、政界再編か

ところで、たそがれと聞いたので、稲村ヶ崎から、たそがれ時を見てみたら、どうして、たそがれは良いのもである。

日は沈むが、また、日は昇る。それにしても今日の夕暮れ時は、寒かった。シャッターチャンスを狙って、待っていたら冷え切ってしまったが、編集して、これは、良いと自己満足。

最後の写真に夕日の左に富士山の頭が見える。今度、富士山が写る時を狙おう。それにしても春が来たかと思えば、冬に逆戻り。どこかおかしいが、春は必ず来る。春過ぎれば夏。夏になれば、暑い暑いとこぼすがのは、人間の勝手。

狂わしたのは、人間の進歩主義?地球温暖化で、天候異変と水不足の世界。

たちあがれ日本と行動をとったことは、年齢より、意志の問題。先があるか、無いかで考えるのでは、先があるから止めとくでは、要領だけ。
いや、先がないから、今、言う、行動するという方も?

人いつかは、立ち上がって行動する時がある。選挙に出ればいいということではない、政治行動である。しかし、選挙で受からなければいけないのも事実。でも、受かって政治行動しなければ、何も変わらない。政治音痴でお終い。劇場型選挙で、パフォーマンスばかりか。

時代を変えるため、若くして立ち上がった吉田松陰先生のことばに、

「かくすれば,かくなるものと知りながら,止むに止まれぬ大和魂」と。  
2010年4月7日(水)
川喜多映画記念館と鎌倉市災害対策本部が開設。
日本映画の発展に大きく貢献した川喜多長政・かしこご夫妻の旧宅が鎌倉市に寄付されるので、何か鎌倉市として活用出来ないか動いてとの話が故江藤淳ご夫妻、故今日出海先生の三女である吉田のり子さんからあったのが10数年前、まず検討委員会からスタートした。さらに、、映画フアンの方々の熱意ある協力により、いよいよ鎌倉市川喜多映画記念館が4月1日オープンした。ロケーションが八幡様のそばで、鎌倉の町並みの象徴的な通りにある。あぁ、これで一つの宿題が出来た。

川喜多映画記念館は鎌倉にとって、大きな文化的殿堂になるであろう。初日のイベントには、映画フアンが列をなして、開演を待っていた。
環境もすばらしい。また、記念館の裏手にある日本家屋は、旧和辻哲郎宅である。まだ整備がされていなので、残念であるが、是非、改修オープンをお早くお願いします。
     
     

鎌倉市川喜多映画記念館の詳細はこちらへ  鎌倉市川喜多映画記念館

川喜多長政・かしこご夫妻のご功績はこちらへ 財団法人川喜多記念映画財団


鎌倉市災害対策本部室・災害コールセンター室が先日開設された。それでは、是非拝見したいと、訪れた。新倉担当が親切丁寧に案内、説明をしてくれました。
災害対策本部室の新設により、災害発生時の初動対応の迅速化を図るとともに、災害応急活動及び情報収集・情報共有の拠点として活用することが目的。

ここ数年、災害対策本部、災害警戒本部が設置されたのが、8回。議会でも常に災害対策は話題なる。台風、大雨洪水対応が多い、崖崩れ等での被害は死者も出るくらい鎌倉の地形は災害対応が難しいところである。しかし、迅速化することで、被害を食い止めること必要であった。これで、備えあれば、憂いが減る。また、災害コールセンターは、かねて議会でも、つながらない、パンク状態等が問題になっていただけに、市民にとって安心度は増す。さらに、対策本部は泊まりがけになることもあったので、簡易ベッド等準備も数を揃えて用意万端であると。今までは、床に段ボールを引いて休憩していたとか。

対策本部のの会議室は、プロジェクター、電子黒板、大型テレビ、会議用放送設備も完備されている。対策本部は開かれない方が良いが、いつ何時、何が起こるか分からない。最近では新型インフルエンザ対策本部会議も何度か行われた。 是非、鎌倉市民の安心・安全の対策を充実して貰いたい。


     
   
2010年4月5日(月)
万歳、打ち上げ成功
山崎直子さん おめでとう  万歳、打ち上げ成功 日本時間午後7時21分  

JAXA|宇宙航空研究開発機構

2010年4月4日(日)
いよいよ打ち上げ




日本人宇宙飛行士の山崎直子さんを乗せたスペースシャトル「ディスカバリー」が、ケネディー宇宙センターからいよいよ明日5日夜に打ち上げ予定だ。

頑張れ、山崎直子さん。鎌倉に縁があり、友人の知り合いなので特に、応援しています。

鎌倉の児童とも交信する予定とか。

打ち上げの様子の中継もあるようで楽しみしています。


2010年4月4日(日)
力の入った演奏会でした。
今日、逗子文化プラザ なぎさホールで癒しのクラシックコンサートが行われた。主催はNPO法人・癒しの医療を考える会(杉本代八郎理事長)で私も理事として関わっています。鎌倉、逗子、栄区、藤沢を中心とした湘南地域で、医学と音楽の接点を求めての癒しのクラシックコンサート運動活動している会です。

演奏するオーケストラは、アンサンブル湘南といい、若手演奏者によって構成されている。コンサートマスターは七澤清貴さん。また、毎回指揮をとっていただいている山田和樹さんが昨年(2009年)ブザンソン国際指揮者コンクール(小沢征爾さんも優勝した)で優勝されました。本当に、すばらしいことです。

今日の山田さんの指揮は力が入っていた。まだまだ、若い方なので、これからが楽しみであります。また、癒しの医療を提唱している副理事長の小林修三先生の楽しいお話、また、娘さんの小林美樹さんのヴァイオリン演奏。彼女は鎌倉出身で、現在、ウィーンにおいて研鑽を積んでいます。

NPO法人 癒しの医療を考える会
2010年4月4日(日)
宝の持ち腐れだなぁとつぶやく
4月3日の神奈川新聞11面「歴史」に古都探訪1/鎌倉文化を見つめて プロローグ 「鎌倉は繁昌の地となれり」 8鎌倉国宝館長 鈴木 良明 )の記事が。
その記事中、金倉の地名語源説が書かれていた。諸説の中で藤原鎌足が由比ヶ浜で霊夢を感じて年来所持の「鎌)を大蔵の松岡埋めたという説。「神蔵」からの転化説、「蒲・がま」の群上説、など枚挙にいとまがないが、これらは地名語源の説明としてやや説得を欠くようだ。

この中で有力なのが地形語源説。日本民俗学の父と言われた柳田国男に師事し、鎌倉に在住した民俗学者の故大藤時彦は、三方を海に面している鎌倉の地形が、竈(かまど)=釜状をなしている相似性に語源を求めた。(『鎌倉』15号所収論文)とあった。

私は、家内に鈴木さんが鎌倉のことを書いているが、ジイジイ(日頃、語る家内の父親・大藤時彦のこと)は話したことがあったけ、いや、聞いたことがない、全く、宝の持ち腐れだなぁとつぶやく。本当ねぇと家内が。

近くにこんなすばらしい方が居ったのに、人に言われて、気がつくとは、もったいない話ですが、そうなんです、家内の父は、柳田国男先生の一番弟子で元日本民俗学会の会長でした。家内の母も民俗学者で、日本の女性民俗研究会の代表でした。母のことはよく話題になるが、父のことは珍しいことです。

生前、家内の父は、柳田先生が偉大であるので、表に出ることは控えていたそうだ。それでも、柳田国男全集を監修したり、民俗学の礎の一人として活躍していた。それでも、私は家内の父から、教育の原点は畏れであると言われたことを忘れること出来ない。また、八幡様の神様は何の神様と聞いたところ、外来神と言われて、驚いたことも。それから、宇佐八幡、石清水八幡などに、それとなく、興味を持ち、日本人の歴史に関心を深めた。

私は雑学であるが、今は亡き友人の大三輪龍彦君、江藤淳先生、本当に人に恵まれた私である。それに、鈴木 良明さんもいる、辛島昇先生もいる。ありがたい人との出会いである。でも、宝の持ち腐れでは情けないかなぁ。遅いかもしれないが、残された人生、少しでも頑張ろうっと。
2010年4月4日(日)
鎌倉に珍鳥が
 
鎌倉材木座海岸を散策していたら、漁師の前田さんが、和賀江島手前にアメリカから珍鳥が飛来していると。知り合いが言っていた鳥のことだな思い現場へ。携帯のカメラで撮影。残念なことにデジカメを持っていなかったので、珍鳥をはっきり撮ることが出来なかった。小さく、すぐ、飛び回る。

それより、夕方、五時半なのに、大きな望遠レンズの着けた大型カメラで撮影している愛鳥家が、10人ぐらいいた。どうやら、朝から、連日数十人のカメラマンがこの珍鳥を撮影しているそうだ。現場にも知り合いがいて、10日前くらいから来ているそうだ。珍鳥は 「キヅタアメリカムシクイ」とかいい、北米に生息し、日本初お披露目とか。

よく見ると雀ぐらいの大きさで、どのように飛んできたのか、また、ギャラリーを意識してか、木立の周りを飛び回り、行ったり来たり。なんとも、可憐な飛び方。

キズタアメリカムシクイのことは、ヤフーで検索するとたくさん出てくるし、鎌倉の材木座のことも、すでに、いくつかあります。それに、望遠レンズで撮っているので、きれいではっきりしている。今、愛鳥家の話題となっているが、鎌倉に思わぬゲストだ。それにしても、先日の強風をどうやってしのいだか、不思議。
2010年4月3日(土)
日本の政治は自民党経験者でなけりゃ動かない?
折角、谷垣自民党総裁が党首討論で頑張っていたのに、お粗末な自民党若林参議院議員の代理投票問題で議員辞職や与謝野衆院議員の新党結成の離党で、危機的状態。でも、日本の政治は、自民党経験者で動いているのも、事実である。

民主党、民主党といっても、幹部は自民党経験者。鳩山、小沢、岡田議員等自民党経験者が現在の民主党を動かしているのも事実である。純粋民主党なんていないし、労組出身等の政党議員ではとても無理である。所詮、体制能力はないし、統治能力なしである。

かっての村山政権見ても、自民党に乗せられて社会党議員が首相になっても最後は、社会党がなくなってしまう壊滅的結果であった。一人、村山総理が一将功なり、万骨枯れるであった。

また、新党が自民党経験者である与謝野、平沼議員らによって結成されるようであるが、これから、新党結成が続出して、ガラガラぽんである。いずれ、数党による連立内閣が出来上がるであろうが、自民党経験者でなければ、政治は動かせない。最後まで自民党は残るであろうが、懐メロ的存在になるかもしれない。とにかく、自民党経験者でなけりゃ、日本の政治は動かないから、結局、自民党体質は日本の政治のDNAか?利権体質?

今、話題のみんなの党も渡辺党首も自民党経験者、江田議員は橋本元首相の秘書官と自民党政治を知り尽くしている方々。とにかく、現在の民主党は自民党幹事長経験者の小沢幹事長が動かしていることは、多くの国民が分かっていること。政権運営には自民党経験者でなければ、とても無理。

民主党内部から小沢幹事長批判が出来る勢力が出てくるのはいつのことか、若い議員にいないのも、これからどうなることか。それとも、これからは誰について行こうか、どの党が良いか、求心力のある自民党経験政治家が注目である。それにしても、自民党をぶっ壊してみせると言った小泉純一郎さんはすごい。また、郵政が逆戻りであるから、今度は、誰が、民主党をぶっ壊してみると言うのかなぁ?自民党は末期的?、民主党も末期的?やはり、新党か?
でも、自民党経験者が、必ず関係している。日本の政治が、本当の意味で新しくなるは、当分無理だ。だが、すぐ政権にすり寄る民間団体も問題。
2010年4月2日(金)
無許可状態をどするのか
大船・岡本2丁目マンション計画は無許可状態である。許可が取り消しされているのだから、原状回復を市はさせなければならない。松尾市長は階段の原状回復を図りたいと言うことだが、事業者が工事をしたところは、どうするのか。階段の原状回復を図ると言うことは、また、事業者の開発地が無許可工事で放置されていることだ。このままでは危険な状態であるので、速やかに原状回復を指示すべきである。

その責任は、市にあろうとも、また、損害賠償請求があろうとも、市の責任で全体の原状回復をさせるのが松尾市長の責任である。階段だけとはいかないはずだ。それだけに事態は深刻である。

かって、無許可状態の開発が行われた西武鎌倉浄明寺ハイランド場所は、市民から告発された。その後、その土地を私は、体を張って市に無償で移管させた。その広さは、4万坪(14ha)で現在、富士山を眺望する公園となっている。その当時、怖いのが行ってもいいのかと言われたが、大丈夫でした。

この岡本マンション問題に対し、誠意を持って事業者と交渉しなければならないが、松尾市長の本気度に掛かっている。場合によっては数億円の損害賠償はあり得る市の責任問題だ。工事が中断している損害だって、大きいであろう。一審では、市も補助参加したのだから。

当然、この開発に掛かった市職員の責任もあり得る。階段の原状回復程度で、解決する話ではない。また、松尾市長は公有地化との表明も議会でしたが、そんな簡単に進むことではない。事業者にとって、許可した市の責任を問うであろうし、はっきりとした行政計画を示さなければ、市民も問うであろう。それより、まず、市職員、前市長および幹部職員の責任問題が大きいであろう。このことを、きちんとしなければ、泥沼化する。

今の最高責任者は、松尾市長であるが、議会も総力を挙げて取り組まなければ、解決つかない。二元代表制なんて言っていたら、どうぞ、市長からお先にとなる。それでも、議会は多くの決議をしてきた。しかし、それも、過半数すれすれの綱渡りであった。それは、すぐ揺れる方々がいたから。
2010年4月1日(木)
祈れば通じた。大銀杏の根からひこばえの芽が出てきた。
今日、鶴岡八幡宮において応神天皇1700式年祭が行われた。式後お清めの席で、吉田宮司のお話に感激した。1700年の応神天皇と鶴岡八幡宮、そして1000年の大銀杏のお話。

特に大銀杏が倒れ、千年の歴史が終わった思いに、足がすくんだとのお話には、私は目が潤んだ。

さらに、宮司から「大銀杏の古根から蘖(ひこばえ)・孫生の芽が出てきたと。

祈れば通じる。念じれば通じる。
緑色した1001年の芽が吹き出した。葉を広げるのは近いうちだ。 

ひこばえ、頑張れ、頑張れと祈る。
2010年4月1日(木)
間違いを重ねた岡本マンション問題
大船観音前の岡本マンション問題は、はじめからミスを重ねた結果が深刻な結末になった。先日の東京控訴審で棄却の判決が下された。
このような事態になったのは、まず、許可が出来るか十分検討されず、進められたことだ。それに、県の開発審査会から許可取りけしの採決が行われたとき、事業者に原状回復をすぐ求めなかったことが、問題を大きくさせた。そのとき、事業者から市に損害賠償請求があり得ることに怯えた市当局の姑息な手法で進めたこと。これは、市民農園問題で職員が損害賠償を負ったトラウマがあったのかもしれないが。

県開発審査会の裁決後、元県幹部に聞いたところ、速やかに原状回復すべきと言われたことを思い出す。さらに、市有地編入は問題であった。

また、いくつか議会では決議を行っているが、議員にも問題があるかもしれない。岡田議員のブログの議員動向分析によると、当時、民主系議員の揺れ方には、はっきり、その場しのぎ主義的行動が見られる。何か、今の民主党政権みたいである。いづれ、深刻な事態が訪れるであろうが、この問題を解決させる最高責任者は、松尾市長であるので、これからの対応が注目される。
2010年3月29日(月)
30日は注目の岡本マンション判決
30日は注目の鎌倉・大船観音前・岡本マンション開発に関わる高裁の判決が出る。その結果によっては、松尾市長の決断が注目されている。明日の判決を控えて、いろいろ話題が起きているが、特に編入問題がカギであろう。

過去を振り返って見ると、私は前期の任期中は2年半が議長であったが、議長になる前に、私は森川議員(ネット)と松尾市長が市議時代3人で重要な決議の提案者となり、行動をとっていた。

判決後、今、まさにこの決議を松尾市長がどう扱うか、これからの市政に重大な影響があるであろう。
損害賠償のこともあるだけに。鎌倉市へか、石渡前市長へか、職員へか、松尾市長へか?かなり深刻なことが予想される?
とにかく、明日の判決を待つことにするが、その決議を載せます。

 岡本二丁目マンション開発にかかわり行われた市有地260-2及び市道053-101号線の一部を編入同意した行為は認められないことを確認することに関する決議」

決議案提出議員/松尾崇 松中健治 森川千鶴

賛成議員/松尾崇 松中健治 千一(以上無所属)
     高橋浩司 本多達也(以上 自民倶楽部)
     赤松正博 小田嶋敏浩 高野洋一 吉岡和江(以上 共産党)
     石川寿美 萩原栄枝 三輪裕美子 森川千鶴(以上ネット)   
    岡田和則 久坂くにえ 早稲田夕季 渡辺たかし(以上民主党)  以上17名


《決議全文》

 平成18年4月27日付鎌倉市指令開指第7-42号をもって小松原建設株式会社に対し再許可処分を行った鎌倉市岡本二丁目78番1ほか3筆の土地におけ る開発行為は、1回目の許可処分において平成17年12月9日付で、神奈川県開発審査会により、接道要件を欠いているので違法な許可とし、その取消しの裁 決が行われた。  

それを受け、本市議会は、平成17年12月22日「市有地岡本二T目260-2番地及び市道053-101号線の原状回復と適切な管理を求めることに関する決議」を行い、市長に速やかにその措置を求めたところである。  ところが市長は、この議会決議について重く受けとめて慎重に対応するとしながらも、市有地260-2の土地に加え、053-IO1号線の市道の一部まで開発区域に編入することを同意し、同開発の再許可を出してしまった。


 そもそも、市有地260-2番地の土地は.法に基づく公共施設としての道路でないことは、神奈川県開発審査会の裁決で確定した事実であるとともにその裁 決は、行政不服審査法により、関係行政庁を拘束するものであることから、市長はこの裁決に従う義務がある。 

 そして、法的に公共施設でない市有地を当該開発区域に編入同意することは、本来できないことであり、神奈川県開発審査会の裁決に真っ向から反する根本的な誤りである.。

 このたびの編入同意は、市民にとって、公益性、利便性を著しく欠くものであると同時に市議会の審査の中で明らかになったように、このような変則的な編入同意は、前例もなく到底認めることができるものではない。

 よって鎌倉市議会は、同開発にかかわり行われた、市有地260-2及び市道053-101号線の一部を編入同意した行為は認められないことを確認する。 以上、決議する。
  
  平成18年年9月28日

               鎌 倉 市 議 会
2010年3月28日(日)
政治能力に必要なのは状況判断力
政治が混乱している。鳩山民主党連立内閣のバラバラ、ガタガタの姿は、日本はどこへ行くのかと、政治の末期的状態であり、滅茶苦茶である。もはや任せておけないと状態であるが、不幸にして受け皿がない。右往左往する自民党も、末期的である。国民はどうしたらいいのかと、ぼやく声は聞こえてくるが、昨年の総選挙で選んでしまった有権者が責任とれるわけではない。

確かに、麻生自公連立内閣は当時、末期的状態であるので、国民の多くは民主党に期待した。その後、民主党の鳩山、小沢民主党の幹部の政治とカネまみれが発覚して、多くの国民はうんざりである。さらに、日教組による金権選挙で逮捕者続出と小林衆院議員の煮え切らない態度で、まさに、カネまみれ、泥まみれである。もう、どうしたらいいのとの絶望的政治状態である。

また、これほど腐敗しているのに、物言わない、物言えない民主党の議員。ここは、党内から政治浄化に立ち上がる若手議員がいなければ、日本の将来は真っ暗である。選挙に一所懸命で、パフォーマンスと人気取りで、政治に音痴の議員ばかり誕生である。

今こそ、この状況を判断して、行動を起こすべきである。それには、本音で今の政治が良いのか語るべきである。それもテレビ等マスコミの場ではなく、国会、議会という場である。折角、選挙で国会議員として選ればれたのは、国会という議会の土俵が与えられてのだから。

地方政治では、首長と議会の対決が目立ってきた。東京都議会、名古屋市議会と激しい局面が表面化してきた。
30歳代の市長誕生が続いた昨年、新市長にとって初の予算議会を迎えて、議会側から予算修正と以前から違う展開が各地で起きている。

以前であれば、与党、野党といった対立軸であって、予算成立のため、与党議員が奔走したもんだが、今や、与党も野党もない議会へ丸投げ状態。新年度予算が暫定でも構わないといった話まで、市長応援議員から出る始末。市民軽視の政争、コップの争い状態。

マニフェストの選挙で良いことばかりを言ったつもりが、通る当てもなく、無責任な変更続出。4年間のうちにやりますと言っても、4年保つのかと言われてしまえば、マニフェストの信頼性は低下するばかり。まさに、政権公約であるパフォーマンス選挙のいい加減さである。

これでは、有権者は馬鹿にされただけ。さらに、与党も野党もないと言われたのでは、選挙で応援した議員はどう思う。
パフォーマンス、人気取り選挙をお断りと言わなければ、政治は劣化するばかり。政治には経験と状況判断するアンテナが必要である。

素人政治で、この日本の舵取りができるであろうか。やはり、政治局面の状況判断をする能力と経験が必要。頭も大事であるが、体で反応することがもっと大事である。それには、行動することで覚えることができる。大きい声で発言し、その、反応から状況判断能力を磨くことができる。ビラや、マニフェストではない、それは選挙だ。政治は議会の土俵である。市民、国民にとって、政治には、党利党略、政争はごめんだが、物言わない、物言えない政治は、国民にとって一番の敵である。
2010年3月27日(土)
ツィーター風に
パソコンの動きが鈍くイライラして、何とか動かしてきたが、そろそろ、替え時と替えてみたが、今度は、慣れるまで時間が掛かる。
ソフトもバージョンアップしなければいけないし、勘違いも起きてしまう。年とともに目が弱くなるってくるので、これまた、疲れる。

それで、なるべく現場主義と歩いて問題点を調査したり、考えたりするが、撮った写真を編集するのも苦労である。
しかし、今度のパソコンは、スピードが早いので、画像処理も楽である。また、文章もつぶやき風に書いた方が良いかもしれないが、どうもなじめない。

でも、ちょっと、ツィーター風に書いてみよう。

鎌倉市の22年度の予算議会も終わった。終わってみれば、松尾市長の言うように、地方政治は二元代表制の始まりだ。 

予算は出すのは首長だ。でも、二元代表制だから、出しても決めるのは議会。議会が力を持ち出した。それが、与党も野党もない時代の宿命。つまり、鎌倉で、初の予算修正が。横須賀市でも。東京都でも修正するぞと、民主党、結果は付帯意見付き賛成。まだ、伝家の宝刀の議会修正ありでの決着。名古屋の河村さんは注目されているが、どうなるか?どんどん議会が強くなること当然。
いずれ、議会から首長を選出?議会選出首長制?

議会に与党も野党もないとも言えるが、与党が過半数なければ、議会に主導権を握られ、悲哀が。石原さんは?

それに、保守、革新の時代はとうの昔。今や保守ばかり、いや、保身、いや、欲しい。党利党略むき出し、いや、派利派略、個利個略、最後は私利私欲?

私心のない方と言うけれど、議員になりたい、市長や知事である首長になりたい、大臣になりたい、総理になりたいと今や、なりたい私心でいっぱい。でも、政治は?全く音痴?政治に野心がなければ変わらない?選挙は戦うけれど、政治は戦わない?もっと、ひどいのは、物言わない、いや、言えない議員?   

以上つびやきです。 ある部長が私にニックネームのプレゼント。ツィーターマツナカ。議会でつぶやきばかりでか。やはり、ヤジ将軍が良い? 若い者が頑張らなきゃ!  でも、これじゃ、長いツィーター。 これを、分けてツィーター風にすれば、良いのかなぁ?教えて。
2010年3月27日(土)
冷やっとした風、ギョッとした火事現場
   

3月予算議会も終わった。先日、議会中大きな火事があったので、近所にお見舞いに行こうと、鶴岡八幡宮に寄ってからいくことにした。天気は春の日差しであるが、風がひやりと冷たい。
それでも、桜は咲き始めた。中には八分咲きも。大銀杏再生幹埋め込みの前は、参拝客、見物客でひっきりなしであった。さすが、天下の800年の大銀杏である。

途中、源平池の桜は、かなり、開いている。池には、アオサギかゴイサギか美しい姿が。それでも、近所の人は、騒がしい鳴き声に悩まされると。姿とは違うものだ。

火事の現場に行って、ギョッとした。全焼ではないか、怪我はなかったのか、貴重な文献はどうしたかと思わずにはいられなかった。近所の方にお見舞いし、現場をあとにした。

つぶやきながら帰る。鎌倉は谷戸が多い。その奥に住宅がびっしり。道も狭い、消火活動は、困難を伴う。それだけに、苦労も多い。安心、安全のまちづくりには、住民の協調が大事。

近頃、火事の発生が続いているので、気をつけなければいけない。また、被災者には心からお見舞い申し上げたい。それにしても、何が起きるかわからないもんだ。
2010年3月21日(日)
大きな夢へ小さな一歩
鎌倉世界遺産登録推進に少しでも関心を持って貰おうと始めた鎌倉で初めての手作り甲冑隊。山本会長が指導して、メンバーも増えてきた。

とんぼの会による手づくり甲冑教室の作品披露と鶴岡八幡宮参拝を21日に行われた。

今朝の天気は落雷と暴風雨。お披露目はどうなるかと心配したが、幸い空も晴れ上がり、連休の影響か、鶴岡八幡宮、小町通りの人出はかなり。

行きも帰りも、写真の希望者がひっきりなしであった。かなり宣伝効果あり。
また、世界遺産登録を掲げた旗を見て、なるほど、声が聞こえた。

私も和服を着たフランス人の姫と、ハイ、ポーズとご機嫌。日仏交流。

参拝後、再生祈願の記帳と参拝を大銀杏前で。再生幹は4メートルとか。
写真を撮る参拝客が感激していた。鎧姿の参拝風景が見られて。

また、今年から武者姿で集う・とんぼの会に少年少女の甲冑隊が参加。
これまた、可愛いと声がかかる。5年、10年後には50人、100人の甲冑隊を夢見るのもいいものだ。鎌倉は武家政権発祥の地。いずれ、鎌倉に武者行列の時代祭を。

大きな夢を抱いて、一歩一歩進む、手づくり甲冑隊。

白旗神社前で、えぃ、えぃ、おーと気勢を上げた。武家文化は世界遺産。