鎌倉発電送かわら版(最新版)

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2009年10月31日(土)
鎌倉市長は2期までが精一杯か
石渡市長が退任した。本当にご苦労さんであった。石渡市政2期8年のうち、私は市議会議長を4年を務めただけに、感無量である。察中であったので、30日の石渡市長退任式には立ち会えなかったけれど、先日、石渡市長を訪ね、ご苦労さんでした挨拶した。その時、私の議長時代にはほとんど空転議会がなかったですねぇと、なにか、思い出話のように振り返った。
石渡市長も、有り難うございましたと、私は目が潤んでしまった。

うるんだ目に浮かんだことで、 いずれは事業費が180億円となろう大船駅東口市街地再開発事業特別会計補正予算の裁決の時には、突然、採決が賛否同数となり、議長の裁決となり、私は否決した。私は、是々非々の立場であったが、反市長派とも言われ、また、いつ、市長派になったのかとかも言われていたことが。

いずれ、石渡市政は検証されるであろうが、鎌倉市長は2期8年までが限界か、ジンクスかと言われている。私は市議9期32年、過去を知る生き字引議員だとか言われながら、やっていくが、正木、渡辺、小島、中西、竹内、石渡、そして、松尾鎌倉市長と7人目である。

それにしても、現鳩山首相の祖父である鳩山一郎首相の秘書官を務め、衆議院議員から鎌倉市長を3期務めた山本正一氏が唯一人であるので分かるように鎌倉は政争が激しい。

次期鎌倉市長に当選した松尾たかし氏は、鎌倉市議を一期半(6年)、県議を一期途中(2年)での市長へ鞍替えである。
松尾君、市長をこれからどのくらい務めるのか、話題でもある。マニフェスト実現のため、どのくらいの迫力、忍耐力、説得力等があるかが問われる。

来週から市長就任となるが、まず、ビラに書いてあったことで、市長選、市議選の同日選挙案でいくと。まず、先に、市長は3年半で辞め、その後、出馬を一回諦めないと実現できないと思うが。

また、市長退職金廃止となるが、副市長も特別職なので、当然、副市長の退職金も廃止となると思うが、副市長人事はどうなるか。副市長をやる方がいるのかと話題になっている。当然、副市長になる方は十分松尾市長を研究しているであろうが。

かって、中西、竹内市長時代、助役不在時期があったこともある。また、助役をやったが、もう、この市長では、たまらないと、2人の助役が二年で同時に辞めてしまったことがあった。

先の全国市議会議長会研究フォーラムや地方分権会議等で話題になるのが、地方政治の二元論である。
とかく、国の議員内閣制にならって、地方も市長が議会より権限があるように言われが、いつも、議会で苦労しているのが、市長であると。

そこで、地方議会はいらないとか、議員は無報酬で議会は夜間、休日に開けばいいとか、市長はいらない、市長をおくのなら、議会から選べば良いとか、神奈川県のように政令都市が3市になれば県議会議員は市議会議員兼務で良いとか、これから、地方分権議論が活発となっていくであろう。

特に、いずれ、実現するであろう道州制を考えると、県政、県議会廃止は目前であろう。また、広域行政でないと解決出来ないことから、ゴミ問題、医療、福祉、消防等の防災行政を考えると、市町村合併は、さらに急務であろう。

鎌倉という地名をいかに残すかは課題であろうが、時代とともに地方共同体の変化は、当然である。
鎌倉の世界遺産を考えてみれば、鎌倉、逗子、横浜に関わっている。広く考えれば、三浦、相模、伊豆ともなろう。

とにかく、鎌倉の地勢から考えると、広域行政視点は、快適都市文明実現には欠かせない。深沢旧国鉄跡地を考えても、藤沢市との連携は重要どころか、市町村合併で考える規模である。自治体エゴは、もはや通らない。鎌倉だけではいかない。
2009年10月28日(水)
ここにも台風の爪跡が
先週、全国市議会議長会研究フォーラムが金沢で行われ出席した。視察先の西田幾多郎記念哲学館を訪れた。
哲学者・西田幾多郎先生は、鎌倉とゆかりのあることで知られている。鎌倉・東慶寺に墓があり、七里ヶ浜に歌碑が。

記念誌に歌碑建立の発起人に鈴木大拙を中心に和辻哲郎、柳宗悦、川端康成など、30名、さらに、賛助者に湯川秀樹、柳田国雄、斎藤茂吉等250名の文化人等で連なっているとあったので、七里ヶ浜にある歌碑を見に行った。

歌碑手前の遊歩道路の際は、先の台風によってえぐられていて、現在、改修工事が行われていた。
また、稲村ヶ崎を越えた坂ノ下プール手前の切り通し際は台風の影響か、かなり、崩れていた。
思わぬ台風の被害を鎌倉は受けていた。自然の力は、暴れると恐ろしいものである。
漁師小屋も相当なものであったが、落ち着いて来てはいるようだ。それでも、整備は急務であろう。

哲学のことはさっぱり分からないが、40年ぐらい前に読んだ鈴木大拙の本のなかに、西田幾多郎の、 「絶対矛盾的自己同一」 といった言葉が記憶にある。でも、考えると頭が痛くなる。

西田記念館に西田先生の鎌倉時代のコーナーがあった。さらに、西田先生の書も展示されていた。
なにか、直感的に、気に入ったものがあった。意味はどのようなことかは、解説できない。でも、何か感じる。

「大風起兮雲飛揚威加海内帰故郷   大風起こりて雲飛揚す 威は海内に加わり故郷に帰る
2009年10月28日(水)
党利党略、個利個略
神奈川新聞の『政界の断面』という記事で、鎌倉市長選のことで、因縁終わらず? 「浅尾」vs「長島」 鎌倉市長選応援 代理戦争で星五分にとあった。

確かに8月の衆院選では、民主勢力分裂よる浅尾、長島の対決がここ鎌倉を含む衆院選4区では大きな話題となった。
4区選出は長島氏、比例復活で浅尾氏と民主勢力の二人勝ちとなった。浅尾候補、選挙選直前に有志と立ち上げたミニ政党が生きた。

自民党候補のことは蚊帳の外で麻生総理来鎌しても、比例復活にも届かなかった。

さらに、鎌倉市長選でも長島民主党衆院議員の応援を中心とした渡辺候補、浅尾みんなの党衆院議員の応援を中心とした松尾候補の戦いとなった。結果は、松尾候補の地滑り的大勝利であった。浅尾vs長島の戦いは、浅尾氏雪辱であった。さらに、今日の神奈川新聞の勝因分析の結果を見ると、党より、公約や政策、人柄重視が圧倒的であると。政党支援は大して影響ないとも。

では、浅尾vs長島はなんであったか。民主党は長島議員、大石議員、渡部党幹部等の応援を渡辺市長候補へ、みんなの党は渡辺代表、江田、浅尾党幹部総力を挙げて松尾市長候補へと、国会議員が前面に出ての戦いであったと。まさに、党利党略そのものにも聞こえた。また、浅尾vs長島では個利個略ではないか。

市長選が党勢拡大、地盤確保の戦場化となった選挙戦か。地方選で中央の政党批判が行われていたことでもいつもと違った。
参議院補選で、鎌倉でも民主党参院候補は3万票を越えることを考えると、民主党推薦を得ても、地方選の市長選では影響なかった。
また、出馬すれば再選間違いないとも言われた現職勇退で、争点がぼけた選挙戦であった。

私は動かざること山の如しの態度であった。これも、個利個略か。かって、市長選で動きすぎての反省か?いずれ、動くときがくるか?

そうだ早稲田議員から戴いた武田信玄公の旗指物(軍旗)のミニチュアについてブログに載せたことで、思い出した。
武田信玄公墓所のある恵林寺を訪れた時のこと。寺の玄関に風林火山とあった。そのうしろに軍旗に書かれた言葉も。

さらに、境内には武田信玄訓書の碑が。神奈川新聞にある鎌倉市長選応援「代理戦争で星五分に」の五分が気になる。

それは、碑に書かれた武田信玄公訓書の中に。  あぁ、我、低頭するのみ。でも、すぐ、忘れる凡人です。


『凡そ(およそ)軍勝五分を以て上と為し、七分を中と為し、十分を以て下と為す。

その故は五分は励(はげみ)を生じ、七分 は怠(おこたり)を生じ、十分は驕(おごり)をするが故。

たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕を生ずれば次には必ず敗るるものなり。

すべて戦(いくさ)に限 らず、世の中の事(こと)此の心がけ肝要なり。』
 
2009年10月27日(火)
議長車も廃止ですかと聞かれた。
市長選で公約としていた市長専用車廃止の松尾君、早速、当選の記者会見で廃止に着手、電車か自転車で通うことを検討と。
選挙中に聞かれたのが、松尾君の市長車廃止の公約について、松尾候補が当選すれば議長車も廃止ですかと。

今は、議長車は公用車共用となっているので、公用車に乗るのか乗らないのかは、議長の判断であり、事務局の手配となっている。
仕事をするのに必要ならば、乗ればいいので、市庁舎に通うのには、私は市庁舎に近かったのでほとんど乗らなかった。

石渡市長はバスや江ノ電で通っていたこともあると思うが、あるいは警備上の関係で公用車に乗ることが多くなってのではないかと思う。
とにかく、必要なら乗って大いに働くことである。大いに動くことではない。

動くことも良いが、やはり、人が動くと書いて、働くであるから、自ら動くか、人を動かすかで、印象が違う。働らくか、働かすかとでは違う。なるほど、自転車は自ら漕がなければ動かないか。ウッ!

市長や議長が公用車に乗っていると、偉そうに見られてしまう。市長室、議長室といった専用の室があるが余り見えないので、目立たない。
黒い議長車に乗っていると、なんとなく、良い気持ちであるのも事実であるが、権力の象徴となっているからかも。

関東議長会の席で、太田市の清水市長は市長車廃止で、自ら自家用車で市庁舎に通っていると語っていた。車はスバルと地元を強調していた。庁舎内のロビーにスバルの車が展示されていたのも驚いたが。でも、清水市長、市長会だけは公用車で行くと。格好悪いからと。 確かに、会議の昼食の時、市の関係のレストランに清水市長が自家用車で来たことも憶えている。

前竹内市長は市長専用車の行動日程を、かっての議会会派・鎌倉同志会から徹底的に調べられ、思わぬ事実も出てきた。

なるほど、隠密行動には、自家用車、自転車が、電車が良いかも知れない。

それにしても自転車とは凄い。私は妻から止めてと言われた。お年を考えなさいと。

松尾君は若いから自転車隊で有名。勝利の蔭に自転車有りか。でも、市政経営に自転車操業は勘弁です。そっち行っちゃ危ないよ。
2009年10月26日(月)
八幡様がついている。
鎌倉郷土芸能大会の式典で、舞殿に昇殿するように言われた。舞殿から周りを見渡すと、子どもを抱いた若い夫婦に目がいった。
松尾君親子のようだ。顔を出したのかなぁ思った。そのうち、姿が見えなくなった。投票日なので帰ったのだろうと思った。

式が終わり、これから始まる演技を見ようと、舞殿正面にいたら、突然、松中さんとの声。おおっ、元気じゃないかと言った。
松尾君、七五三のお参りかねぇ。いえ、まだ、二つですと。そうか、何か、私は落ちかない気持ちになったので、写真を撮ろう言ってパチリ。当選したらブログにすぐ載せるからと、二枚撮った。

選挙で避けていた私は、久しぶりの対面にホッとした気持ちになった。
私は松尾君が市長選に出ること、あまり、歓迎していなかったから。バカだな、バカだな、まだまだ、早いと思っていた。
でも、子どもを突き放した親が久しぶりに子に会い、『おやじ、元気』と、逆に励まされる思いであった。

彼の顔を見ると、選挙の戦いを無事終えて、結果を待つだけのまな板の鯉の如く、覚悟の心境でお参りに来た姿だ。

選挙開票の結果が松尾君から電話が入った。当選御礼の電話であった。おめでとう、これからが大変だからなぁ、頑張れよ、
八幡様にお参りして良かったなぁと言った。  

それにしても、選挙中一度も会わなかったのに、八幡様で会うとは不思議なものだ。これからの彼の活躍を祈る。
2009年10月25日(日)
鎌倉郷土芸能大会40回記念
鎌倉には、数百年も伝承されてきた郷土芸能が多くある。鎌倉ばやし、神楽や御詠歌、木遣唄等である。
鎌倉郷土芸能保存協会岩崎一会長はじめ関係者に、郷土芸能への日頃の保存、育成の努力に対して感謝したい。
かって、鎌倉はいくつかの村に分かれていた。その地域で伝えられてきた郷土芸能は人々の生活そのものであり、密着していた。

芸能のエネルギーは、生活スタイル、地域の絆は変わっても、心のどこかで生きている。そして、伝えている人々がいる。有り難い。
じっくり、見させて頂いた。神様、仏様にお世話になっている身とすれば、共同体の智慧として、祭や郷土芸能はあるのかも知れない。

細い糸のようなことになるかも知れない伝承、伝えなければ消えてしまう。教育委員会も協力して、鎌倉の心、魂を残そうと取り組んでいる。
郷土芸能大会の出し物に、何かを感じる人たちも多いであろう。忘れてしまったものを奮い興してくれる機会であった。

あれ、浅尾慶一郎さんが。岩崎会長とパチリ。どうなるかと思った天気も、雨が上がり、鶴岡八幡宮の舞殿での大会は、鎌倉らしさ。
鎌倉郷土芸能大会は、老若男女の演者によって、盛り上げられていた。これからも、おねがいします。

第40回 鎌倉芸能大会スライドショー
2009年10月19日(月)
秋のバラも素敵です
旧華頂ノ宮邸や鎌倉文学館の庭には、多くの種類のバラが
咲いていた。見事に西洋館に似合っている。

鎌倉にはバラを栽培している方々も多く、秋のバラ展の案内が、
届いた。

春にも鑑賞させて頂いたが、是非、秋のバラ展にも、行こう。


旧華頂ノ宮邸のバラのスライドショー

鎌倉文学館のバラのスライドショー

鎌倉ばら会ばら展
2009年10月19日(月)
鎌倉は庭が人気
昨年に続いて、鎌倉鶴岡八幡宮境内において、庭園展示会が開催されている。前回に増して庭園のモデルが展示されている。
青年庭師が共同で取り組んでいる。ポスターの作品は、今回のではないが、かなり斬新なデザインもあり、足湯が設置された作品も。

是非、試して下さいと言われ、その気になって、お湯に足を暫し入れていたら、良い気持ちになった。さらにジェット式で泡が湧き出て、
もうたまらなかった。なかなか、考えるもんだ。

庭園付きの住宅なんてと思うかも知れないが、狭い土地の中でも、安らぎの場所として、是非、ミニ庭園を作ることを薦める。癒しの場になること間違いない。 庭園展示会は、11月15日まで、鎌倉鶴岡八幡宮境内にて開催されている。

庭園展示会の作品スライドショーはこちら。
2009年10月18日(日)
感動した増田健一展
今日、増田健一展の最終日、急いで生涯学習センターに駆けつけた。増田さんの展示されているギャラリーに入るや、
強烈な、衝撃を受ける。 人は海から生まれてきたからか。その海も一度荒れると、手に負えない。恐怖だ。

作品の中には、安らぎを与えてくれるものもある。キャンパスに描かれた線が妙に光る画も。これらは、増田さんの境地か。
増田さんに、おこがましくも言った。増田さん、これは、境地ですね。何か悟った境地だと。

増田さん曰く、年をとったので、思いっきりエネルギーを出して描いている。それが、この様な画を生むと。

突然は私は、先日、鎌倉文学館で撮った写真のことを増田さんに。これを見て下さい。実朝の歌です。画にそのことが。

『大海の 磯もとどろに よする波 われくだけて さけて散るかも』 これですよ、これですよと私は興奮して、見せた。

増田さん、写真を一枚撮らせて下さい、是非、ブログに載せたいのでとお願いした。快く応じてくれた。
増田さんと知り合って30年。良いもの、素晴らしきもの、その響きを与えてくれる作品に出会う幸せを思う。
花シリーズは、こちらです。