鎌倉発電送かわら版(最新版)

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2009年10月18日(日)
ピーターさんも来廊
五島三子男さんの個展が、ギャラリー夢松洞で行われている。五島三子男・緑のことば・展である。
五島さんは何度か同ギャラリーで個展を開いているが、今回は、落ち着いた緑を基調とした作品が多い。

版画家のピーター・ミラーさんも見えて、いろいろな企画の話をしていた。楽しみである。
ピーターさんは、鎌倉の世界遺産登録推進にも協力をしている。

国際的芸術文化の交流は、鎌倉らしい。イタリアの作家の企画が進んでいるようだ。
2009年10月17日(土)
何かと関連が、道志村に頼朝伝説。
昨日、知り合いから、山梨県道志村の村長さんが来ているので、紹介したいと連絡が。
着いて、早速、卵を抱いた鮎の塩焼きの串刺しが出され、かじりついて、思わず、これは旨いと声を出してしまった。さらにもう一尾が。

これは村長さんが、天然の鮎の塩焼きを、おみやげに持ってきてくれたもの。
良いときに声を掛けてくれたもんだと、感謝。それに本わさびを一本戴いた。

ところで、何事ですかと聞けば、知り合いが、村おこしに村歌舞伎の舞台があるので、
復活させる計画をしている。その場所の神社は、道志村の大室山長幡神社とか言われ、
源頼朝伝説があるので、調べて欲しいとのお話であった。
地元の伝えでは頼朝公が富士の巻き狩りの時に道志村で訓練したとかであると。
つまり、道志村と鎌倉は縁があるのではないかと。
頼朝伝説そして、道志村の八幡神社等の神社と鎌倉との縁を知りたいということである。

貰ってきた資料を持って、鈴木鎌倉国宝館館長を訪ねた。調べておきましょうと快諾。
また、鈴木館長さんは八幡宮の国宝展を案内してくれた。
そして、次の企画は、10月23日から大本山・光明寺と浄土教美術展(法然上人八百年
大忌記念)である。聞いてびっくり、先日光明寺のお十夜へ行ったばっかしであったから。
縁とは不思議なものである。仏様のお導きか。

さらに、道志村のパンフを見て、家内がびっくり。民俗学者の柳田国男懐古の碑があると。
家内の父は、生前、日本民俗学会会長を務めた大藤時彦で、柳田国男先生の高弟であっ
たので、思わぬ縁を感じたのかも。昨日、家内も鮎の塩焼きをご馳走になったことからも縁に
びっくりしたようだ。 縁とは本当に不思議なもんだ。何かと関連が広がるのには驚いた。
道志村ホームページ
2009年10月17日(土)
鎌倉は世界の遺産だ。誇りだ。私は鎌倉の世界遺産登録へ積極的推進派。
鎌倉世界遺産登録推進広報センターが鎌倉生涯学習センターのロビー隣室に開設された。

現在、平泉の世界遺産登録が延期され、基準が厳しくなってきているとの声があるが、まず、必要なのが、鎌倉は世界の遺産であるとの気概である。それには、残すべきところは、徹底すべきである。

新聞報道によると、ユネスコのボコバ次期事務局長とのインタービューおいて、世界遺産について、建造物や景観に対する価値観の変化などを取り込んだ制度見直しの必要性を強調したと。

歴史的な景観、貴重な自然など登録する世界遺産登録制度は国際的に広く定着し登録件数はまもなく一千件に達する。

同制度についてボコバ氏は成果を強調しつつも「世界遺産条約の採択時(72年)に比べ環境が大きく変わった。都市景観など新しい概念に基づいて生まれた価値もある。新たな概念と傾向を取り入れて(制度を)根本的に見直す必要がある。

また、世界遺産登録に一喜一憂するのではなく、もっと保護に重点を置く必要がある」と語り、制度見直しの議論を活性化させたい考えを示したと。以上朝日新聞の記事から。

私は記事を読んで、ウー、なるほど、思う。いずれ、世界遺産もランク付けがされることになるかも。とにかく、世界遺産に登録されることが目的ではない。保護することが目的であり、さらに、環境、景観と言った概念が重要視されれば、地球温暖化対策の優先都市など、世界財産として認めることになるなど、多種多様な価値判断が出てくる。

とにかく、地球温暖化対策を考えれば、生活に不便がきたしたり、犠牲の覚悟は当然であろう。
核兵器を作らない、持たない、持ち込まない国は、国そのものが世界財産になる。だけど、核の傘から出ることが出来るか人類が問われている。

推進広報センターが出来たことは、現在、遺産登録実現も大事であるが、世界に誇れる遺産を残す努力も大事であるので、刺激になるであろう。ダラダラしていると、忘れてしまうから。

また、本格的中世歴史研究所も急ぐべきである。さらに鎌倉の誇り、人類の遺産、新たな概念に基づいた人類の財産形成に金をかけるのは当然である。必要なものに対して、箱物建設批判を恐れることはない。
2009年10月17日(土)
鎌倉の洋館3巨塔
旧前田邸の鎌倉文学館「写真・中央)で特別展鎌倉からの・鎌倉への手紙」展がおこなわれている。夏目漱石、芥川龍之介、高浜虚子等の手紙が展示されている。
大変面白い企画で、来館者もひっきりなしである。12月13日まで行われている。 鎌倉文学館案内  

秋の澄み切った空の下、洋館が映えて見える。先日、写真左端の元華頂宮邸(松崎邸)も訪れた。
そうだ、鎌倉の洋館3巨塔を比べてみたくなった。まず、それぞれが豪華で重厚であるが、木造のよさが、なんとも言えない。

どうして、この様な素晴らしい洋館が鎌倉にあるのか。近代の鎌倉を語るのに興味深い。古都鎌倉に洋館建て建築物も似合うのも鎌倉らしさである。 右端の洋館は個人の所有であるが、是非、残したいものである。
かっては、鎌倉にはかなりの洋館建てが多かったであろうが、これらは残された3巨塔?洋館は貴重だ。
2009年10月16日(金)
これは大変、地方と民主党新政府との対決か
民主党新政府が補正予算の見直しを進めているが、この1ヶ月どうなるか様子を見ていたら、各論に入ってきたら、地方と政府との関係が難しくなるような局面が出てきた。

国会議員は地方の選挙区から選出されている。また、選挙において、その多くの応援、支援を党の地方議員に頼っている。
それが、地方と中央で軋轢が起きては、混乱が地方自治体にも影響を与える。民主党の地方議員の動きにも注目である。 

鎌倉の民主党市議はどう考えているのかなぁ。大丈夫かなぁ? これから激しくなるだろう。難しい時代だ。産みの苦しみか?

全国市議会議長会など地方6団体は15日、2009年度補正予算に盛り込まれた「子育て応援特別手当」を凍結する方針を決めたことについて、「地域主権をうたう新政権への期待を損なうものだ」と抗議する声明を出した と報道された。

報道によると民主党連立政府は14日、麻生政権が2009年度補正予算に盛り込んでいた「子育て応援特別手当」について、補正予算の削減額上積みのため、総額約1100億円の支給を停止することを決めたと。

子育て応援特別手当は、09年3月末時点で3~5歳の子ども約330万人に1回限り3万6千円を支給する計画だった。 

自治体によっては12月中旬開始の支給申請を控えており、急な支給停止で自治体の混乱が予想されると。。

民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)の目玉に掲げた、中学卒業までの子どもに一律月2万6千円(初年度は1万3千円)支 給する「子ども手当」を来年度から実施したいとした上で「恒久的な子育て支援策として、その財源に(応援手当の支給停止分を)回したい」とか。

   「子育て応援特別手当」の執行停止について
                       (緊急声明)
 政府は、今般、補正予算削減の一環として「子育て
 応援特別手当」の執行停止を検討している旨、報道さ
 れている。

 既に地方自治体においては、関連予算について議会
 の議決を経て所要の準備を進めているところであり、
 一部では申請受付も開始されている。

 このような状況にも関わらず、突然かつ一方的に執
 行を停止することは、住民や自治体の現場に大きな混
 乱を与えるとともに、地方の実態を軽視し、地域主権
 を謳う新政権への期待を損なうものである。

 特に市町村が多くの実施責任を負っている厚生労働
 行政は、国と地方の信頼関係なくして円滑な推進はあ
 り得ない。新政権におかれては、今回検討されている
 方針がこのような信頼関係を根底から揺るがすもので
 あることを認識し、削減の対象としないよう強く求め
 る。
   平成21年10月15日

    地方六団体

      全国知事会会長            麻生 渡
      全国都道府県議会議長会会長   金子 万寿夫
      全国市長会会長            森 民夫
      全国市議会議長会会長       五本 幸正
      全国町村会会長            山本 文男
      全国町村議会議長会会長      野村 弘

子育て応援特別手当の執行停止についてへの緊急声明

2009年10月15日(木)
風林火山
2年半前だったか、早稲田議員から町並み、まちづくりを視察したいから、どこか良いところないかしらと聞かれたので、長野市の善光寺通りを薦めた。それではそこへ視察しようと決め、私も岡田議員共々同行する予定であった。

しかし、直前に会議が入り、私は同行断念。早稲田議員がおみやげに買ってきてくれたのが、風林火山・武田信玄公の 旗指物(軍旗)のミニチュア。今、この旗を見ながら、なるほどと、最近、思い当たることが。

風林火山  「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山 」/ 疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如しの 通称とか。

まさに、民主党は内閣体制で党、行政一元化を進めること風のごとし早い。
自民党、静かなこと、林の如くである。
民主党は、自公案の補正予算見直しで、火の如くである。

私は、鎌倉市長選で、動かざること山の如しといこう。  

あぁ、昔の人は心得が違う。何でも、動けば良いとはいかない。時と場合の判断。風林火山の心得。
やはり、戦いには、戦術、戦略、戦法の策が大事。 
この旗を戴いたときは、NHKの大河ドラマのグッズと思っていたが、有り難い、今、胸にぐさりである。
いつ役に立つか分からないから人の好意を大切にしようと。 感謝。
2009年10月14日(水)
おそば屋さんでライブ
お十夜から大町・東京亭へポップのライブを聴きに行く。店内は、町の方々でいっぱい。中には、渡辺、中沢市議も。浅尾さんも来たとか。
東京亭の高山さん、粋な計らいをする。 今年の恵比寿まつりやそば屋の総会では、可愛い子ども歌手によるおソバのロックンロール、おソバのチャァチャァを披露。今度は、街角ライブ風のおソバ屋さんでポップミュージック演奏会。

近所にある画廊の竹腰さんちの息子さんがメンバーということで実現。東京亭の高山さん、大のベィスターズフアン、また、ミス・インターナショナルのご一行の一部が昼食に寄ったところで話題のお店。いいねぇ、いいねぇ、音楽の後に新ソバが出るなんて。この次は何かなぁ。町おこしだ。
2009年10月13日(火)
お十夜が賑やかだとホッとする
鎌倉の秋の風物詩である光明寺のお十夜にお参りした。境内は、老若男女の人出で賑わっていた。
門前に、市長選出馬予定の女性の方が。パンフ配りか。恐れ入りましたその行動。

子どものころ、お十夜となると母の田舎からおばぁーちゃんが、光明寺のお寺に泊まりに来るのを楽しみにしていた。
お小遣いが貰えるから。また、お十夜ではサーカスもやっていたし、植木市は、九品寺まで続いていた。学校の授業が終わるとすぐ、飛んでいったもんだ。続いているのはうれしいことだ。もう500年以上続いている。
光明寺のページ
屋台は今でかなり出店しているが、かっては、金物類を扱っていた店も多かった。それでも1店、店を開いていた。
金魚すくいや、人形すくい、たこ焼き、お好み焼きなど、列をなしている店もある。私もいくつか買った。

本堂では、厳かに読経が行われていた。古式に則り、引声阿弥陀経・引声念仏によっておこなわれているそうだ。
知り合いがこれから、稚児の舞もあるからと、声を掛けてくれたので、周辺を見て、時間を過ごした。寺の池の後ろに、大きな木造建築物があるので、寺の方になんですかと聞いたら、大聖閣です。法然上人800年大恩忌を記念して作ったと。さらに石庭を見ると夜の眺めも良いものだ。

お十夜が賑やかなことは、何か、気が晴れる。こどもが、ねだる姿を見ると微笑ましい。なんとも言えない安らぎを憶える。
稚児の舞を写して、次は、そば屋でライブに駆けつける。街角のライブスタイル。場所は大町・東京亭。
お十夜風景(スライドショー)
2009年10月12日(月)
これはひどい、台風の置きみやげ
よく海岸を散歩する友人から、何とかこの膨大な海草ゴミ等の撤去はならないかと、言われた。特に、海草また、魚の死がいも混じっているのか臭いが堪らないと。私も一緒に歩いてみた。これはひどい。

台風18号は関東地方の直撃を避けたとはいえ、その威力である坂ノ下、材木座、腰越、七里ヶ浜等の海岸線を襲った波の凄さが物語っているのが、海岸に打ち上げられた海草ゴミ等の山の置きみやげである。
中には、大きな倒木もある。また、沖に設置されていただろう定置網の無惨な姿も打ち上げられていた。

もう一週間も経つのだから、ゴミは処分しなければ、市民、観光客等の憩いの場所である鎌倉名所の海岸が泣くと友人は言う。

かって、この様なケースがあったが、今や海岸に埋め立てることが出来ない。とにかく、かき集め、処分しなければならいので頭が痛いであろうが、国、県による管理の海岸、なんとかしなければいけない。

海草がバイオで有効利用されると聞く。その施設を作らなければ、これからも、起きる可能性はあるので対策は急ぐべきである。
智慧を出し合わなければ、すっきりした海岸に戻るのが遅れる。また、漁師小屋も打撃を受けたので、漁業にも影響が大きい。
 ゴミの山の材木座海岸の写真
2009年10月11日(日)
禅房花木深シ
世田谷区民有志と鎌倉市民有志による市民交流を進めてきている。10月10日に「世田谷にみどりいっぱい」運動のイベントで鎌倉瑞泉寺大下一真住職が講演するので、会に招待された。イベント行事は世田谷にみどりいっぱい太田裕美チャリティコンサート、区民会館前広場では、物産展、ライブ、そら祭り等出しものがいろいろであった。歌手太田裕美さんは世田谷在住。

会の前に、世田谷美術館で開かれているオルセー美術館展を見学。オルセー美術館のコレクッションである「パリのアール・ヌーヴォー ・19世紀末の華麗な技と工芸の作品展だ。パリ万博当時の最高傑作であるので、その当時の豪奢、華麗な生活は豪華貴族社会の一端を覗くことが出来た。当時の仏文化は日本にも影響あったであろうし、別荘文化の鎌倉にもあるかも知れない。とにかく、華麗で、すごい。

20世紀初頭のパリの華麗な生活環境を鑑賞したあと、みどりいっぱいの会場へ。
日本の生活風景である緑に囲まれた風情を大下和尚は講演してくれた。

和尚は世田谷にある駒沢大学出身。さらに、鎌倉瑞泉寺と鎌倉の地名大蔵と縁のあるお寺がここ世田谷大蔵にもあると。また、世田谷には松陰神社があるが、鎌倉瑞泉寺の住職であった竹院和尚は幕末瑞泉寺を度々訪れた吉田松陰先生の叔父であると。これまた、縁である。何かと縁のある世田谷、鎌倉街道で繋がっている。
鎌倉から写真家の湯川晃敏さんも会場に。佐藤ゆかりさんも見かけた。

「題は禅房花木深シ」 大下和尚の話には感動した。
みどりいっぱいの会ということでもあるので、草木にちなんだ短歌を詠みあげながら話をしてくれた。和尚が今年受賞した寺山修司短歌賞作品『即今』の中なら、10首披露していた。

和尚の了解を受け、いくつか載させてもらいます。

花終えし のち幾重にも噴き出づる 泉のごとし 彼岸花の葉

葉を落とし 身軽になるというならず 一樹は 立ちたるままに冬越す

紫陽花に まつわり繁るやぶからし おのれに 素直にして愛されず
2009年10月9日(金)
大津英敏さんのエネルギーに驚く。
今年の夏、友人等と一緒に食事をしたとき、大津さんは新聞の連載ものの挿絵を描くと言われた。それが、産経新聞また、神奈川新聞をはじめ全国の地方紙に現在連載されている「三人の二代目(堺屋 太一作)」である。それだけでも、大変な仕事であるのに、新フランス物語・大津英敏展・パリ燦燦を拝見して、そのエネルギーは驚きである。日本橋三越本店美術特選画廊には力作、大作が展覧されていた。

先日の食事の時は、忙中閑の気晴らしであったかも。 たまには、知り合いと語り合うのも良いかも知れない。
拝見後、昼食にそばをご馳走になり、また、鎌倉でやりましょうと言われた。また、大津さんが住んでいる鎌倉の家から海がよく見えると言われた。すっかり、気に入っているようだ。今度、食事会を大津宅でと言われた。是非、やりましょう。

今日は、ホロリとしたり、パッと明るくなったり、気持ちの切り替えに自然体。明日は世田谷。瑞泉寺住職大下一真和尚の講演を聞きに行く。
新フランス物語
大津英敏展 ~パリ燦燦~
会期 /10月7日(水)~13日(火)
日本橋三越本店6階美術特選画廊
2009年10月9日(金)
東京で旧友と再会の思い
東京でもうひとつの吉田克朗展が開かれている。

画廊に入るなり、「克朗さんがいる」といった思いがこみ上げてきて、つい、ホロリとした。

早いもんである、克朗さんが亡くなって10年経つ。

一緒にジャズの会を取り組んだこと、よく仲間と飲んだこと等、
走馬燈のごとく、思い出す。

初日のオープニングには出席出来なかったが、克朗さんが、賑やかに応対していただろう思ってしまう。懐かしい。会いたい。

会場:ART SPACE はね
東京都中央区新川2-7-4 2F tel:03-3206-8217

'9年10月12日(月/祝)11:00~19:00 日曜休み
2009年10月8日(木)
風台風の一過の爪跡
昨日からの台風来襲で心配した。台風の影響で、サーファーが死亡と、海の荒れ方はかなりのものであった。まさか、こんな時でもサーフィンとは驚きである。

昨日から歯痛で激しく、ふらふらであった。床に伏してもひゅうひゅう、ぴゅうぴゅう、ガタガタと外では一晩中大風が吹きまくっていた。
それでも、朝からテレビにかじり付き台風の行方を見守っていた。鎌倉方面は直撃を受けなかったが、横須賀線は一時不通、大混乱だ。

歯痛も多少収まり、町うちの状況巡りをした。確かに、滑川の水位も上がっていた。小町通りは一部床上に水が入ったようで、おもちゃ屋の千代平のご主人も後始末で大変。小町通りも人出は少なく、午前中は閑散としていた。

台風一過で、空は、天下の澄み切った青空。市役所で被害を聞いたら、坂ノ下、腰越方面の漁師作業小屋が大波の直撃を受け、悲惨と。

早速、坂ノ下の現場へ行った。台風は去ったといえ、波は荒れていた。台風の波が最大の時に、漁師小屋が打ち壊されたようだ。
浜辺の砂もかなりえぐられ、無惨な現場をみて、何とか漁港整備をすべきだと思った。小型漁船も打ち上げられ、漁師の方々が、整理していた。

とにかく、漁港整備をして、現在の木造小屋状態から、美観的にも鎌倉らしい小さな港を考えるべきだ。地産地消からも市民に親しまれることだろう。
もうすでに、沖にはテトラポットが設置されているので、何とか、整備された港として実現すべきある。

それにしても、何か小説で読んだシジフォスの神話を思い出す。石を頂上まで持ち上げようとしても、途中でゴロゴロと何度も転がってしまう話。不条理いう言葉も知った。虚しい話であるが。台風が来るたびに砂を入れ浜を整備しても、また、台風に浜は襲われ、砂はえぐられしまうことは、漁師の方にとっては、いつまで続くこの虚しさよと思うと、なぜ、漁港が出来ないのかと、悲しくなってしまうのは私だけか。責任も感じる。testsaka
台風一過の写真
2009年10月7日(水)
天下の分かれ目
市長選の投票日が10月25日ともうすぐである。政治活動も明日から参議院選挙補選が告示されるので、選挙活動だけとなる。
現職の石渡市長は勇退となり、予想される候補者は、30歳代の若い市長誕生か、初の女性鎌倉市長誕生か、注目である。

江藤淳先生が健在のころ、竹内市長はどうしようもない、誰か、土着で根を張っている人はいないかと聞かれたことがある。
先生、若い者で、石渡という青年が良いですと言った。10数年前のことである。このことを石渡君に話をしたことがある。

先日、勇退を発表した石渡市長に「ご苦労さんでした」と市長室へ挨拶へ行ったとき、松中さんから市長を考えたらと言われたことがきっかけですと言われた。あぁ、どうしてこうなるのかと、最近、考え込むことがある。
なにしろ、石渡市政8年間のうち、私は鎌倉市議会議長を4年間務めたので、考え深いものがあり、反省することも多い。

石渡市長の功罪は、いずれ、評価されるであろう。確かに、子育て、福祉等での業績は多い。私も認める。
私は、広町緑地保全で、買収による保全には、高額な支出であるので反対であった。それは、賛否両論があるであろうが、次世代へのツケは大きいと思う。しかし、現実、緑地は買収による保全がされたからには、有効利用を積極的にすべきである。

やはり、石渡市政の天下の分かれ目は、度重なる行政の不祥事もあるが、岡本マンション問題の対応のまずさであろう。

しかし、石渡市長だけを責めるわけにはいかない。やはり、天下分かれ目の時があった議会の対応である。
今振り替えてみると、岡田議員が表にしていることからも明らかである。

大したことはない、問題ないと言っていた議員もいたが、のどにひっかかった小骨も化膿すれば大事に至ることだ。
しかし、なぜ、あそこで議会も頑張らなかったかと、私は反省する。かなり、騒いだが。

私は20数年前から、大船駅西口観音様前周辺のロータリー広場、再開発等による整備等を考えていただけに、残念でならない。

とにかく、開発途中の無惨な現状は、10年に一度の台風が来ると言われているだけに、心配である。
岡本マンション問題への議員態度結果表・岡田議員のブログ

去年のブログで書いたことで反省し、今年の市長選では、深入りしないように注意しようと
私は選挙の神様と言ったら
小町の納涼まつりの席で、林国会議員が参入、放談会となった。私は選挙の神様だよと言ったとたん、高橋会長はじめ周りの人から、マッチュー、何を言っているんだ、最下位当選したことがあり、みんなに心配掛けたではないか言われてしまった。

そりゃそうだ、19年前の選挙では、最下位当選でした。タダの人になりそうであった。でも、捨てる神もいるけど、拾う神もいる、危うく滑り込みであった。

でも、私の言いたいことは、自分の選挙のことではなく、市長選で、私は必ず影にいると、全部当選してきていることを言ったのだ。

38年前の山本現職、正木新人候補、田淵新人予定候補、有坂新人候補のとき、強力な山本現職に対し、正木、有坂新人、田淵新人予定候補3者の統一候補擁立の話し合いが東慶寺で行われた。

正木氏は社会党、共産党の革新連合、田淵氏は文化人を中心とした市民党、有坂氏は民社党となっていたので、とても勝てないバラバラ状態であった。正木候補 に絞ろうと、動き出すが、まとまらない、民社党の曽祢先生に、ご子息の方を通して説得に努めたが、公認が決定、すでに遅し、そこで、選挙直前の東慶寺会談の夜、 井上和尚に呼び出され、若い者の考えはと聞かれた。

和尚は語った。「我々は会談では、いろいろなことを発言しているが、若い者の意見が大事だ。実際動くのは若者だ。マッチューの意見を聞きたいと」。そのこ ろ、私は、市議の川田氏、雑誌記者の中村氏、JCの助川氏等20代の選挙暴れん坊グループであった。
また、元々選挙の神様と言われた飯島氏の仲間・有坂氏も先輩格で我々の仲間の存在であった。

和尚から決断を求められ、「和尚さん、やりましょ、正木陣営に一本化しましょう、そうでなければ強い現職には勝てないです」と腹を決めた。和尚は、庫裡の会談の場に入っていった。その後、和尚は、有坂は単独、正木、田淵は市民連合として戦うと決めたと戻ってきて結果を話してくれた。和尚さんの側の市民党は 那須良輔氏、板垣礼作氏、正木側には風間龍氏がいた。有坂氏側には、萩原氏、若松氏がいた。 選挙結果は正木新人候補勝利であった。

その後、私は、渡辺市長、小島市長、中西市長、竹内市長、石渡市長と関わっていく。特に自民、社会、民社、公明、新自由クラブ五党相乗りの小島市長に対し、わずか、四人の市会議員の中西候補で戦った市長選は、激しかった。中西氏は当選。

その後三谷陣営からつぶしが、我々松尾、石井、松中に入り、石井君は県議選落選、私は市議選最下位の結果であった。
その後、私は、湘南の先輩である中西市長に対し、湘南の竹内候補を擁立、勝利する。拾っては捨て、拾っては捨て、その後のつらいこと。

でも、あんなに戦ったのに、選挙が終わると、つぶしを掛けてくるが、すり寄っても来るものがいる。それが嫌で、私は、すぐ離れる。選挙で戦っても、すり 寄って利権や口利きに走る方も多い。危ない。危ない。市長はなるものでなく、使うものか?哀れなのは市長か?

選挙には、拾う神もいるけれど、捨てる神もいる。 疫病神も?あれ、拾うの拾捨てるの捨はよく似ている?
2009年10月4日(日)
芸術jの秋
10月は芸術の秋、鎌倉生涯学習センターホールにて、鈴木昌子リサイタル「心やすらぐ抒情の世界」を聞きにいった。
きれいな声に魅了される。浅尾慶一郎衆院議員に会う。さらに、ギャラリー夢松洞へ。

横須賀の衣笠にあるカスヤの森現代美術館を主宰している若江漢字さんの絵画教室のグループ展(メイメイ展)が鎌倉・ギャラリー夢松洞で催されている。キュービズムという抽象作品であるが、僅か3年で見事な作品を展示している。
若江先生の指導が素晴らしいと言うことであろうが、先生曰く、元々個人が持っているものを引き出したと。
とにかく、圧倒される。上の写真は若江漢字先生と作品。


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カスヤの森現代美術館
2009年10月3日(土)
素晴らしい出会い

財団法人池田20世紀美術館はこちら

王舒野(わん・しゅうえい)さんは鎌倉在住。中国黒龍江省生まれ。中国・北京にある中央工芸美術学院(現精華大学美術学院)卒業。
19年前に来日。以来、創作活動を続けている。その幽玄な作品は、幻想的で、なにか奥の深い世界へと吸い込まれるようだ。

王さんの個展が、伊豆の山々を背にし、緑深い伊東市の一碧湖畔にある財団法人池田20世紀美術館で始まった。
素晴らし環境である。レセプションに招待されたので、家族共々出席した。

王さんは、鎌倉のギャラリー夢松洞にもよく立ち寄られ、よく語り合う仲でもある。一見僧侶のような風貌でもあるが、不思議な方だ。
今は、冗談を飛ばすことが出来るが、ギャラリーに入ってきたとき、何者が来たかと、緊張させる存在でもあった。

昨年は、敦煌から使節団が見えたので、通訳をしてもらった。今や、鎌倉の友として付き合ったいる。。
来賓挨拶に画家の岡本信治郎さん、乾杯の音頭が、画家の早川重章さん、共に鎌倉の方々だ。出会いとは素晴らしいものだ。
2009年9月30日(水)
進んでも地獄、引いても地獄。
中田前横浜市長の任期目前にしての市長辞職は、波紋が広がっている。横浜開港150年記念事業の途中であっただけに、
なぜの疑問は残る。さらに、副市長も辞職と報道されている。

市長を任期途中で投げ出したことは、小泉政権が圧勝した4年前から、毎年首相が一年ごとに変わったのだから、任期途中で職の投げ出しは、
これからは当たり前かも知れない。やってみたら嫌になったからとか、別のことがあるからとか、堪えられないかとかの理由は様々だ。真相は?

鎌倉市議会でも、前期、2年で4人の議長が替わった。これからどうなってしまうのかと思った。
本来議長任期は4年であるが、1年か、2年の申し合わせが各市の議会にはある。
他市に挨拶しに行くと、知り合いの元議長から、どうせ、また、鎌倉は、半年で議長は替わるだろうと、呆れていた。

石渡鎌倉市長が次の市長選に不出馬を発表したので、多くの方から、鎌倉はどうなるのと聞かれる。次期も当選したのにと。
出馬するだろうと思っていた方も多い。残念だ、後継者はと聞かれるが、責任ある重鎮に聞いたら良いですよと、関わりを避ける。

前市長の竹内さんの時も、不出馬宣言が遅かっただけに、後継者には出遅れであった。
竹内さんが出馬しておれば、当選しただろうとも言われた。また、石渡さんも出馬すれば当選するとの声有り。現役強しか。

でも、鎌倉は政争の激しいところ。3選で戦後、勝利した市長は一人である。

戦後の鎌倉市長の主な方で、草間市長は1期。磯部市長は現職で落選、再選後、任期途中で死亡。山本市長は3期後、4期目に落選。
正木市長は3選目に落選。渡辺市長は1期半ばで死亡。小島市長は2期目に落選。中西市長は3期目に落選。
竹内市長は2期を全う。石渡市長は3期不出馬宣言す。

竹内市長時代には、市長辞職勧告決議が可決されても、任期は全うしたが、2人の助役が任期途中の2年で辞職した。
石渡市長も6月で辞職勧告決議が可決されたが、最後の9月議会では石渡市政最後の決算は過半数で可決された。不思議なものだ。

石渡市長不出馬宣言後、鎌倉はどうなってしまうのかと問われるので、何が心配かと聞いてみると、なるほどと思うこともある。
現在、10月に出馬予定されているのは、鎌倉初の女性市長か、初の30歳代市長誕生かの二人である。

そのお二人に、共通しているのは、県会議員一期半ば2年で、職を投げ出して、他の政治職を挑戦をしていることだ。
また、少数与党でやっていけるのかと、聞かれる。市長に当選しても、次はとなる。行くも地獄、引くも地獄か。でも、風がある?

先の衆議院議員選挙で当選した方で、鎌倉市議を1年ちょと、逗子の市長の後、国会へと、渡る方もいる。また、政党を渡り歩く方も。
これは鎌倉の選挙風土か。渡り歩く術の心得が大事か。いや、余り深く考えないことか。
さらに、鎌倉市議から県議、国会議員、市長の方増えるかも。鎌倉を考えているのか、踏み台か。鎌倉あってか、忘れはせぬか。

なって考える、やってみて、投げ出す、いろいろやるのも自由でしょ、そうですか、やってみなければ分からないですか? でも、心配しちゃうなぁ。
2009年9月27日(日)
青春に還った湘南高校36回生 66歳のの文化祭
湘南高校36回生(昭和36年卒業)同期会が藤沢リラホールで行われた。テーマは「66歳の文化祭」。

人生60年を越え、一皮も二皮も剥けて、青春に戻った高校時代の同期生。まさに、裸の付き合いが戻った。高校時代に出来なかったこと、
新たに、
取り組んだこと。生涯のテーマにしたこと。みんな、見てよと我が作品、演技、芸道の出来映えを持ち寄った66歳の文化祭。

私は無芸もの。でも、我が身を晒し、段上での挨拶で、松中 健治です、よろしくと言っただけなの、なぜか会場に爆笑が。
青春時代と変わらない印象か。生きているとは嬉しいものである。何十年も会ってない青春時代を過ごした仲間にも会えるのだから。

90.100歳とは言わない。1年でも、5年でも10年でも元気よく生きよう。毎年、青春に戻っているような気になる。頑張るぞー。
湘南高校36回生同期会
2009年9月26日(土)
秋晴れの運動会
第一小学校、御成小学校の運動会を見学。秋晴れに恵まれて一生懸命走る子、踊る子等楽しいひと時だ。御成小玄関前に、粋なポスターも。
花シリーズは、こちらです。