2009年6月29日(月) |
暑い中、火事。 |
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横須賀市長選挙が気になり、インターネットや早朝3時頃新聞を読んで、吉田雄人候補の当選を知り、何とか眠りについた。
そこに、地震と火事だ。地元での火事、急いで火事現場に駆けつけた。現場は、長勝寺際の斜面地の住宅街。
周辺の住民から、防火水槽が一ヵ所なの。是非、増設するように動いてと言われた。斜面地の道も狭い、住民は心配だ。
水槽増設、乾式送水管の設置等は、急務だ。また、これからの斜面地開発等は、防火対応に厳しくすべきである。
地震と火事は、何か、時代の変化を象徴するようであった。全国に広がっている30代市長の誕生。鎌倉もかなり話題になっている。
吉田雄人君とは、前回、横須賀市長選で惜敗した知り合いの木村氏を通して、紹介されていた。
24年前、5党相乗りの現職市長を破って当選した中西元市長のことが思い出される。当選してもつらいスタートであった。
中西元市長、2年間は、もがき通しであった。吉田新市長の行く末を考えると、頑張れよと思う。時代がこうさせているのだと思う。
今の政治で党利党略、派利派略、私利私略なんて言われていることを聞くが、我利我略なんてことも聞いた。
こんな政治に有権者が反応し、無党派が動いているのだろう。鎌倉市長選挙でも、何が起きるか分からない。
火事の現場から帰ったら、デザイン界の巨星であられた早川良雄先生(鎌倉・大町在住であった)の偲ぶ会に出席するため東京へ。
暑い日であった。去年の夏も、地元で火事があったが、暑い中、火事の現場で消火にあたる消防士、消防団員に、感謝、感激。
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2009年6月15日(月) |
横須賀沿線 |
鎌倉と横須賀の縁は深い。それを結ぶのが横須賀線と海軍。鎌倉時代は、三浦との縁が深い鎌倉、それを結ぶのが海道と三浦水軍。そんなことを思いつつ、横須賀・衣笠平作(私の亡母の実家のある)で辻けいさん(鎌倉在住アーティスト)の 個展があるので、昨日、横須賀へ。
途中、横須賀線開業120年記念、YYスカ線フェスタが行われていたJR横須賀駅ヴェルニュー公園に寄った。大変盛況であった。ステージではミス鎌倉が鎌倉の観光紹介をしていた。頑張っていますねぇ。
横須賀海軍基地の湾内には遊覧船が潜水艦の際を航行、平和だなと思う。かっての日本海軍基地であったらとても考えられないだろう。明治以降、鎌倉は横須賀線開業と共に大発展してきた。別荘文化、海軍将校、将官の邸宅。今住んでいる私の家の奥には、山本五十六元帥の屋敷が残っているように、旧日本海軍関係者が多い。開業当時は、鎌倉から横須賀まで、30分、今では17分だ。大船軒の駅弁は1898年だって。110年前を知って、古いんだなぁと感激。
カスヤの森 現代美術館で辻けいさんの作品を見学、美術館裏にも作品が。また、周りには羅漢が、現代アートに羅漢とは、妙、不思議と調和している。私立美術館として、貴重な存在である。
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2009年6月9日(火) |
鎌倉らしさ |
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7日、久しぶりに源頼朝公墓をお参りし、法華堂周辺を訪れた。倒木も取り除かれ、崩れていた階段も修復されて島津忠久公、大江広元公供養墓にもお参りし易くなった。世界遺産登録への重要な史跡、これからの整備もお願いします。
その場にジッと立つと、北条泰時法華堂跡には、新緑の草が一面である。
夏草や つわものどもの 夢の跡 の思いを彷彿させる。
6月8日月曜日の夕、日蓮聖人「立正安国論」奏進750年記念事業 鎌倉大法要が 鎌倉 比企谷 妙本寺境内で行われた。 いのちの奏でとして、「一命一会 (いちめい いちえ)」 歌手・新垣 勉、より子によるライブが行われた。
また、二胡による演奏と歌が境内をこだまする雰囲気は、都会の喧噪を忘れさせた。参道に灯された竹筒の中の幾千の灯明、まさに、精霊であろう。あぁ、鎌倉だ。しかし、10日より議会が修羅場か?新人の初舞台だ。すぐ、衆院選、市長選が控えている。
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2009年6月2日(火) |
おお、グッドタイミング。 |
選挙も終わり、議長職も終わりホッとしている今日この頃、突然、歯ぐきが激痛に襲われた。友人の歯医者に駆けつけ、治療を受けた。ストレスからくる歯槽膿漏か、歯茎が痩せ、ブッリジの金バネが、歯茎を刺激していた。
治療を受けた後、帰りの地下鉄で、つい、うとうとと、戸塚駅を過ぎたので、横浜開港150周年祭へ。
関内馬車道で知り合いと昼食、ところで、150周年の見ものは何と聞いたら、1時からブルーインパルス展示飛行
あると聞いて、馬車道を港に歩いていたらゴーッと突然、ジェット機の編隊飛行が馬車道通りの真上に現れた。
それから、曲芸飛行のオンパレード。興奮そのもの。かなりの見物者で会場は盛り上がっていた。
蜘蛛ロボットも動いていた。メキシコからの帆船が、満船飾で停泊。
さらに、海王丸が総帆展帆の準備が始まり、1時間近く立ちながらの最後まで姿を観察。いや、美しい。
歯痛も我をも忘れる光景。さすが、横浜市のやることはビッグだ。それにしても、グッドタイミングだ。
夕方、市役所に寄ったら、市長の市議選問題で、お呼びが。また、現実に、戻る。6月議会はかなりの修羅場か。 |
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2009年5月30日(土) |
何かに導かれている思い |
先日、東京国立博物館で開催されている「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」を見学した。
平日にもかかわらず、入場するのに80分待ちであった。入り口までの長蛇の列は、炎天下で、日傘、水の提供もあった。列に並んだ紳士が、「いつも、こんなに込んでいるのですかねぇ」と語りかけてきた。
いや、込んでいるとは聞いていたが、こんなにはと思わなかったと言った。紳士の方は、出雲から仕事の関係で、飛行機の便まで時間があるので、阿修羅展を見学して行くことにしたと。
さらに、紳士はある会社の経営にもタッチしているが、地元では、住職をしていると。なんと、臨済宗と聞いて、私は、鎌倉なので、建長、円覚寺等臨済宗の方とは親しくしていると。また、高校の同期で清田老師が岐阜にいると、言ったら、驚いて、縁ですねぇと、いろいろ話が弾んだ。
入場口で、名前をつげ、仏さまのお陰で待ち時間の退屈しのぎになりましたと言った。
館内をかなりの入場者で混雑していたが、仏像見学には配慮がされて、観察しやすかった。
さすが、阿修羅像の周りは、ごった返ししていたが見とれてしまう衝撃を受けた。
感想を述べるには、難しいが、ただただ、驚きであった。興福寺は、鎌倉幕府によって再建されたこともあり、何か、不思議な思いがした。鎌倉時代の作品も多く、運慶による、鎌倉彫刻最高峰の傑作も展示されていた。
奈良の世界遺産の一つ興福寺であるが、鎌倉との縁も深い。何か心が洗われる思いがした。また、このごろ、神や仏に導かれているのではないかと、ハッとする。何であるか分からないが。
なにごとの おわしますが、知らねども かたじけなさに 涙こぼるる 西行法師 を思い出す。
2年間の議長職を無事終えた感激かも知れない。 多くの方々の協力に感謝である。
家に坂倉先生の書がとどいていた。これまた、何か、心に響く、先生の書である。先生有り難う。
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