鎌倉発電送かわら版(最新版)

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自衛隊観閲式(10月28日 朝霞駐屯基地)
2008年9月24日(水)
いよいよ、原子力空母が横須賀へ。
明日、25日、いよいよ 原子力空母ジョージ・ワシントンが米海軍横須賀基地へ配備のため入港する。
横須賀米軍基地で働いていた当時から、度々、通常型空母が停泊している時、見学した。
ミッドウェー、キティーホーク、ホーネット、コンストレーション等の空母名を思い出す。その巨大さには驚かさせられた。

太平洋戦争時、米軍は早くから制空権確保が戦争の勝利に繋がると、航空戦略の整備を 進めた。
日本の真珠湾攻撃での教訓からであると言われている。しかし、真珠湾の成果にもかかわらず、日本は大艦巨砲主義であった。
結果は敗戦である。戦後、日本の防衛は、米軍に頼っての体制であることは間違いない。

先日、日本の自衛隊の迎撃ミサイルパック3が発射実験が成功したと報道されていたが、実験場所はアメリカだ。
ミサイルを作る能力が、日本にあっても、実験さえ出来ない日本。さらに、コンピューター制御で行われるため、打ち込む数字さえ、
日本には教えてくれない現実である。自衛隊がパック3を日本中に配備されても、発射するにはアメリカ頼りである。

でも、日本は経済ではアメリカから頼られているか。野村ホールディングが破綻したリーマン・ブラザーズのアジア、欧州部門を買い取ると、
報道。買い取っても、後は大変であろう。しかし、5000人の従業員が救われるとか。自主独立とは、考えさせられます。
しかし、すべて、グローバル化の時代か。でも、局地的紛争も尽きない。一度、有事となると、知らん顔していられない。

そうだ、鎌倉市議会には、原子力空母関連の陳情が出ていたが、継続となるので、議員提案が検討されているようだ。
今朝、NHKのニュースを見ていたら、原子力空母の反対集会が放映されていたが、反対気勢を上げていた前列に鎌倉の女性市議が。
どうやら、M議員にも見えた。ここにも、元気の良い政治家が、鎌倉から駆けつているのか。行動範囲が広い。

後日、確かめたら、人違いでした。本人、曰く、そっくりさんが鎌倉にいらっしゃると。失礼しました。影武者か?
2008年9月23日(火)
スピーカーから聞こえるのは廃品回収業者の声ぐらいだった。
最近まで、スピーカーから音が聞こえるのは廃品回収業の軽トラックぐらいだったのが、なにやら、元気の良い音がするので、のぞいてみれば、
鎌倉の街頭を引っかき回している元気の良い方の街宣車ではないか。

それはそれは、元気の良いこと、つい、振り返って見てしまうのは、その独特の声質か、ボリュームの凄さか。
行ってしまったと思ったら、駅前で威勢の良い演説が。民主党ののぼりを立てて、なにやら実績をぶっているようだが、聞きにくい。

自民党の総裁に麻生議員が決まったので、選挙近いとみたか、熱がますます入ってきたか、熱弁だ。それに短期決戦間違いないか?
でも、マニフェストだ、公約だと忙しいこと極まりないだろう。

今、このブログを書いてるとき、突然、大きな音が、近所が騒がしいので、外をのぞいてみると、家添えの滑川に直径50センチくらいの大木が、
川を塞ぐように倒れているではないか。向こう岸では警察に連絡、こちらでは消防に連絡、すでに、夜9時過ぎで真っ暗であるが、現場を調査。

数日前の大雨の時でなくて良かった。対岸は、数年前に護岸が大きく崩れて、整備されていた。大木のあるところは、土手状態。
でも、崩落の危険はなさそう。緑豊かな自然な護岸か、冷たいコンクリートか、悩まされる選択である。急傾斜地の場所も同じだ。
2008年9月23日(火)
愛猫ブーニャンに起こされ、朝刊を見てぶったまげた。
朝4時頃、冷えたのか愛猫のブーニャンが寝床でガサガサと潜ってきたので、目が醒めた。起きて朝日新聞の朝刊を見てぶったまげた。
全県版の半面近くの8段で、見出しは下のように大きく躍っていた。詳しくは岡田議員のメモ電で。
 
インサイド 検証報道 マンション問題鎌倉市に重圧

大船観音前 「市有地」編入巡り大揺れ
 
「業者に事実上提供」

2度の許可取り消し 市道回復工事で紛糾

昨日、観光ナビの調査特別委員会で、関連事業者の参考人招致が行われた。報道機関の取材があり、小さな記事でも載るかと思っていた。

いやぁ、朝刊開けてびっくり、大船観音前マンション問題が8段抜きだ。いかに重大な関心が持たれているかと思われる。

現在、大船観音前マンション問題は、議会で特別委員会が裁判と違って、どうしてこの様なことが起きたかの、調査審査を行っている。
関係、職員、OB職員も参考人招致され、さらに、調査が進んでいるようだ。議会は、誰が悪いとかではなく、真相解明が大事だ。

現在、許可を巡り、事業者(市も訴訟参加)から県に対し訴訟も起きているので、結果次第では石渡市長個人にとっても深刻なことになろう。
24日には横浜地裁で結審する可能性があるので、これからもこの問題で議会も忙しくなる。議会の特調も閉め方次第で何を見るか。

それにしても、度重なる不祥事続きの石渡市政、福田総理のように、問責決議が可決されるようでは、辞任していた方が良かったと思うが。
続けていても、どんどん、深みにはまるだけである。身体を張って守る与党がいるのか。岡本マンション問題は問題ないと、言う与党議員が。

首相のように、使い捨てされて、惨めになるのは、誰でしょう。小泉首相から安倍首相、そして、福田首相、さらに麻生総裁と。次は誰でしょう。
小沢代表とだと言っても元自民党。所詮、同じ政党の仲間割れ。くっついたり、離れたり、また、くっついたり、はなれたり、どこまで続く離合集散。

ここらで、ガラガラポンしましょうやと、ぼやく、ご長老もいるようだが、なにを今更、出しゃばってと笑いものか。やはり、当事者の行動次第?
2008年9月21日(日)
強いアメリカでなければか?
サブプライムローン問題で始まり、リーマンブラザーズが破綻するといったアメリカ金融問題の深刻な事態は回避された。
毎日新聞によると「 米政府は20日、米金融機関から最大7000億ドル(約75兆円)の不良資産を買い取ることを柱にした金融危機対策の政府案を
正式に発表した。
金融危機対 応では大恐慌時の巨額対策(1930年代)以来の規模で、買い取りは2年間の時限措置。低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)問題を背景 に、連鎖を続ける信用不安を断ち切りたい考えだ。」 と。

やはり、アメリカは強くなくてはいけないのだろう。国債を発行しての救済策ということであるので、支援しなければいけないのが日本。
アメリカがクシャミすれば、日本は風邪を引くと言われる。日本は儲ければ、アメリカに金を回すといったことだが、最後のツケは国民にだ。

金は天下の回りものとはいえ、誰が一番働いて金を回しているのか。資源もない、それなら、働くしきゃないと。
アメリカは金融界救済として、公的資金導入を発表した。株価も回復した。だが、借金返済をどうするか。アメリカに金が回ることを考えないといけない。

日本ではバブルがはじけた時、銀行に公的資金導入をした。そのツケが市民に回ってきたのが、広町緑地買収であった。
広町緑地を所有していた2つの企業はすでに破綻していて、融資していた銀行が、不良債権を処分しないと公的資金を受けることが遅れるので、
鎌倉市、神奈川県、国と共同で買収を急いだのだ。環境保護優先に見えるけれど、銀行救済が裏事情、いや、そちらが優先かも。

破綻した会社には、開発能力がないから。転売されても、一から手続きやり直しでは、開発まで10年は掛かるから、買収する企業もないだろうと、
言われていた。それも、反対運動の団体が、専門家に鑑定依頼した金額より、50億円も多いのだから、売却業者は、ホクホクかも。いや、銀行が。

この様にツケは、国民、市民に。金は天下の回りものというが、日本がこけりゃ、アメリカがクシャミする。それなら、最後は、アメリカに金が回る策をか。
とは言うものも、経済回復に戦争はお断り申したい。アフガン、イラクは泥沼だ。でも、天下はアメリカで回っていることは事実だ。

日本は自民党で回っているとか、回そうとしている民主党ががんばっているとか、鎌倉の4区は民主党で回っているなんて言っても、ツケが市民に。
政治、経済はお祭りではないのだから、世界直視、現実注視を怠ると、良いように回されてしまう。それも、アメリカにか。誰が仕掛け人か。

気がついたときは、とんでもないことに。鎌倉でもあった、厳しい現実が。ある建設企業の話だが、銀行から融資の金を返してと言われ、
素直に返したら、再度、借り入れを申し入れたら、貸してくれなくて、倒産と。
最近、知り合いの人から聞いた話だが、取引先の不動産会社が440億円の負債で倒産したと。業界はかなり深刻な事態になっていると。
景気が悪くなれば、車も売れない、日本のトップ企業も悩む時代だ。誰が総裁、総理、大臣で騒いでいる場合ではない。何かがヒシヒシと。
2008年9月21日(日)
腰越みなとまつり
昨夜は、台風がそれたため、電車も定刻通り。
鶴見総持寺で松沢知事の父の通夜へ参列。
多くの参列者。来賓席にあげられ、見かける方々が。

今朝は、地震に驚かされ、目が醒めた。
外を見れば、晴れ間があり、これは大丈夫と、
腰越みなとまつりに、出かける。
朝市の魚と野菜の直売で声がかかり、お付き合い。
議長さん、議長さんともてたこと。ささやかななのに。
これは、どうしたことか。関谷効果か。

野村副議長から、小学生による稚魚(鯛)の放流が、
あると言われ、港に。海から鎌倉が見えるので、
良い企画だ。でも、空模様が危ない。
港を出たら、雨が降り出した。午後は激しくなった。
2008年9月20日(土)
1年生議員も議会に慣れてきたか、決算委員会無事終了。
鎌倉市議会の構成を見ると、9期の赤松議員(共産党)8期助川議員(同志会)8期松中議員(無所属)と長老が3人、5,6,7期が一人もいない。
4期の中堅議員に小田島、吉岡議員(共産党)藤田議員(公明党)伊東議員(同志会)高橋議員(無所属)と5人だ。さらに、3期に野村議員(同志会)、
本田議員(無所属)、岡田議員(民主党)と3人、若手2期は中村議員(民主)、大石議員(公明党)、森川、三輪議員(ネット)、千議員(無所属)と5人、
さらに、若手1期は多く、早稲田、渡辺議員(民主党)、石川、萩原議員(ネット)、高野議員(共産党)、納所議員(公明党)、前川議員(同志会)、原議員(無所属)、山田、久坂議員(民主)の10人である。

9期 赤松議員(共産党) 4期 小田島議員(共産党) 3期 野村議員(同志会)
8期 助川議員(同志会) 4期 吉岡議員(共産党) 3期 本田議員(無所属)
8期 松中議員(無所属) 4期 藤田議員(公明党) 3期 岡田議員(民主党)
7期 無し 4期 伊東議員(同志会)
6期 無し 4期 高橋議員(無所属)
5期 無し

2期 中村議員(民主) 1期 早稲田議員(民主党) 1期 納所議員(公明党)
2期 大石議員(公明党) 1期 渡辺議員(民主党) 1期 前川議員(同志会)
2期 森川議員(ネット) 1期 石川議員(ネット) 1期 原議員(無所属)
2期 三輪議員(ネット) 1期 萩原議員(ネット) 1期 山田議員(民主)
2期 千議員(無所属) 1期 高野議員(共産党) 1期 久坂議員(民主)
現在、定員28人、欠員26人、男性、16人、女性10人。
1,2期生が15人、内女性が8人と半数を超えている。

この、構成から分析すると、鎌倉市議会は、1、2期が15人と、議会を動かす中心勢力が、若手である。
また、若手15人の内、女性が8人とますます、女性の議員が中心勢力となっていく。

次回の選挙もこの傾向は変わらず、さらに、若手が増え、女性議員が増えるであろう。
選挙が女性中心のテーマで争われていく。子育て、教育、福祉、環境といった傾向だ。

また、長老が減り、若手中心となってくると、上を狙う争いも増える。県議、あるいは、市長、国会と。

県議でいえば仙田議員(ネット)前県議は市議1期半で挑戦当選。松尾議員(無所属)も市議1期半で県議挑戦当選。
長島元市議は、市議1年半で逗子市長に、また、中村県議は市議1期で県議挑戦当選、鎌倉市長にも挑戦したが、落選。
お隣の逗子では、若い市議が任期半ばで県議、市長に挑戦し、当選する方が続々とか。若いだけに人気があるんだなぁ。

鎌倉市議から県議では、故三谷県議、故榎本県議が有名。
市議、県議、国会議員を兼務の時代では、故山本元市長がおられた。
故石橋湛山元首相は鎌倉町議に立候補、当選(1924年9月 ~1928年8月) は古い話。
あっ、そうだ、忘れちゃいけない、鎌倉市議4期半ばで県議に挑戦、当選した小泉、細谷元県議がいたではないか。

さて、これからも元気の良い若手が出てくるか? 市議を踏み台として。次はどなた、町うちでは、あれこれ、若い方の名前が。
そうだ、元気の良いのが、街宣車を回してる。いずれ、総理になるなんて言っていたなぁ。あれよ、あれよと、成っちゃうかも?

鎌倉市議会の若手も、1期で常任委員会委員長をこなし、さらに、予算、決算委員長、監査を勤め上げ、自信を持ってきたと思う。
また、当たって砕けろと挑戦する新鮮さは素晴らしい。 来期には大きく成長することを期待したい。さらに、大きな挑戦も。
2008年9月20日(土)
いよいよ由比ヶ浜葬祭場建設工事着工か?
決算委員会も終わり、後は報告するのみだ。台風も予想されたコースを外れ、鎌倉が直撃を受けず、朝方、雨もあがった。
由比ヶ浜の葬祭場建設では地元の反対決起大会が予定されていたが、延期となり、来週予定されているようだ。
気になっていたので、由比ヶ浜商店街を歩いてみると、葬儀場反対の黄色いリボンが建設現場を囲んでいた。掲示されている標識を見ると、
フェンスの工事とある。ユンボも置いてあり、仮設トイレも設置されていた。どうやら、いよいよ着工をするようだ。標識には、石渡市長の名前もあった。

議会としては、斎場出店反対の請願を採択しているので、議長の私としては成り行きを注視している。もう、地元の反対は、1年半になろうとしている。
なぜ、地元の反対があるのに、事業者は工事を強行しようとしているのか。葬儀場反対のリボンも、かなり増えてきているのに。
地元の反対があって、斎場を建設しても、地域社会との協調はどうなることか。反対運動も長期化するかもしれない。

かって、鎌倉ハイランドを始め、西武は鎌倉で開発を広く手がけた。それに対し、地元の反対が警察への告発まで発展した。
一時、開発は中断したかも思われたが、開発再開の動きがあり、私は、住民との覚え書きもあり、議会で問題にした。

反対運動をしていた一人から、なぜか、怖いものが数人押し掛けても、質問するかと言われたが、私は質問を止めなかった。
議会後、渡辺元市長、地元、私は事業者を入れて、交渉し工事再開を延期させた。

それから、10年後、西武から申し入れがあり、鎌倉側14ヘクタールが無償で提供された。
また、同時に西武の開発地を含む開発緑地46ヘクタールが、無償で、西武他不動産開発企業から提供された。
それでも、残された開発緑地の斜面地が転売されて、問題になることがしばしばだ。

長い戦いであったが、西武とも和解し、担当部長と話を交わしたとき、松中さん、私の会社では、貴方を徹底的調べるため探偵を入れました。
調べた結果、無理だと分かり、和解することにしましたと。怖い人でなくて良かったと思ったが、いろいろやるもんだと思った。

だけど、西武が良く我々の要求を理解してくれたものだと感謝した。
しかし、それから、20年後、鎌倉に西武が残した小さな開発緑地で、大変な事件に。
それは、その土地が便宜供与に使われ、警視庁が動き、西武社員が逮捕、最後は、西武のトップまで及び、会社は整理されることに。

良くやってくれたと感謝していたのに、思わぬところから、火がついてしまった。地域との関係は大事にしないと、思わぬ落とし穴が。
2008年9月18日(木)
挑戦力。
未決定予定衆院候補者の街宣車が町中で走っているのが、目につくようになってきた。しがらみのない政治と訴え続けている。
この青年のエネルギーはどこから来るのか。周りではどの政党も騒いでいないのに、ガンガンやっている。

先手必勝か、他の政党が追っかけても、総力挙げないと目立たない。きれいなウグイス嬢を使っても、候補者自らがマイクを握り、
訴えないと、とてもかなわない。ウグイス嬢や応援弁士がいくら、目立っても、本人ががならないと、迫力に負けてしまう。

それも、がなり、まくらないと、相手にされない。がなりまくっても、うるさいと聞こえないのが、不思議である。頑張れと握手する方も。
いくら、議会でとうとうと、やりとりやっても、あるいは、テレビで出演を重ねても、大衆、聴衆の前で、ガンガンやらないと、
存在感が無い。戦わない人、暴れない人は、相当実力が無いと認められない。特に、一人一区の場合は、目立つことが先か。

確かに、選挙が劇場型では、一過性であるだけに、行動、発言で目立つことが要求される。
でも、国際関係で国が左右されるの時代なので、じっくりとした論客型の政治家が必要であると思うのだが、勝てば官軍か。

でも、選挙が劇場型になると、ショーであるので、パフォーマンスが物言う。だるい、グジュグジュとした政治論争では、
派手な立ち回りがうける。それは、面白い、面白いで記憶に残るからである。品良くなんてのは、相手にされない。

また、実績なんてことを、自慢したり、とうとうと述べたりしても、嫌がられる。いつも、実績無い新人が大量得票することで、分かる。
パワー、エネルギー、暴れ回る行動、がなりまくる演説の青年には、期待感があるのかも。あるいは、駅頭でのビラまき、自転車での、
顔見せ興行的行動。どれも、これも、私には無理だ。暴れ回ることが出来るのは、若者の特権か。

とにかく、一人一区の小選挙区制は、目立つことが優先される。話題になることを掴むことかも知れない。
行動力、挑戦力を感じさせるのは、暴れ回る引っかき回しの方には、かなわない。パワーを感じさせる。

でも、エネルギシュに祭、御輿、会合、盆踊り、運動会、学校行事、市行事等に顔を出す、顔見せ興行的行動も一利か。
しかし、地縁、血縁、社縁が絡まない、しがらみの無い行動は、神出鬼没で恐ろしい。まともでは、手に負えない。

私は、団塊の世代、どっぷり、しがらみに囲まれているが、時には、鬼になってしがらみを払いつつ、生涯挑戦である。
老いても、心は若い。頑張るぞー。頑張るとは、(眼を張る)がんばるで、じっくり眺めて、確実に行こう。ホイホイとは行かない。
2008年9月17日(水)
しがらみの無いのは強い?
今週から決算委員会が始まった。しっかり審議しておこうと、各委員細部にわたり質問しているようだ。
深夜に及ぶと言われたが、初日は夜8時で終了。待っていた私も、早々に引き上げた。

渡辺議員と議会棟を出て、トボトボと歩いて空を見上げれば、立ち待ち月(17夜月)がくっきりと。雨上がり直後だけに冴えていた。
彼が、歩きながら、今日、街宣車を交差点で見かけたと。どうやら、昼時、そば屋でスーッと通り抜けた街宣車のようだ。

しがらみのないことは、強いかも。来るものは拒まない、去る者は追わない。何を言われようと気にしない。
ひとたびチャンスと見れば、大暴れ。とにかく目立つこと。
アッと言わせること。あれは、あれは、誰だ、誰だ、あいつだ、あいつだ。お化けだと。

なんで、なんで、どうして、どうしてと考えさせられている内、終わって結果が出てしまう。
面白い、面白いで目が集まり、いつの間にか、ファンになっている方も。

選挙は爆発だ、動きだ、暴れない若者は置いてきぼりだと。とにかく、暴れること、引っかき回すこと、気にしないことだと。
しがらみのあるものは、若さがない、時代を変えられない、寄らば大樹の陰のものだと。

しがらみの世間のものは使い捨てだ、ポイだ。邪魔だ。そこのけ、そこのけおいらのお通りだ。
なるほど、パワーが違う、しがらみに絡むエネルギーは使わない。それを暴れ回るエネルギーにか。

わたしゃ、しがらみだらけ。やるときは、しがらみ捨ててなんて、さっそーと構えたところで、しがらみに揉まれてくちゃくちゃだ。
でも、いつの間にか、すり抜けて生きてきた。世渡り術を心得たか、身につけたか。どこかに筋があるからか。鎌倉一筋か。

いや、いや、世の中には、上手を行く方も。政党渡り術を心得ている大物政治家も。とにかく、暴れること、目立つことか。
やるときは、やる。相手がどう出ようと、告発、告訴は当たり前。やることに意義があり、結果は気にしない。さすが、大物だ。
2008年9月16日(火)
出た、出た、月が、いや、お化けが?
「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪冴えて 涼しかりけり」 道元禅師。 秋は月だが、連日の曇り、雨模様で中秋の名月はお隠れか。

この歌は、道元禅師が鎌倉に滞在したとき、詠まれたとか。また、作家の川端康成先生が、ノーベル賞を受賞したとき記念講演で、
「美しい日本の私」を話された中で取り上げられたと山折先生が語っていた。

鎌倉が今のように開発されていないころは、まさに、道元禅師の詠まれたような環境であっただろう。戦前、米軍によって撮影された写真を見ると、
爆撃を受けなかったことが、幸いであったはずであるが、現在はそのスケールはない。

でも、隠れ里のような場所に、鎌倉らしい趣が。トボトボと歩いていると、思わぬ出会いが。

私は、戦前、乱橋材木座(現由比ヶ浜)で生まれた。歩いて2,3分で由比ヶ浜海岸に出るところだ。海を見れば、マンションは全くない頃だ。
周りは、松林、まさに白砂青松であった。鎌倉の中心、若宮大路は松並木であった。
また、昭和30年くらいまで、夏の夜は星降る空で、流れ星はよく見ることが出来た。今は、全く無理だ。

夜間の明かりが、明るく過ぎるのか。停電が全県範囲で起きなければ、見ることが出来ないだろう。広域停電でもすればパニックだ。
明かりだけではない、電気無くして生活できないくらい、電気漬けである。もはや、文明利器抜きの時代には戻れない。

ところで、ここ数日、衆院の予定候補が話題である。元市議だとか、市長だとか、がなりたて、町中を暴れ回る街宣車が出没しているとか。
その話題をして、市役所前のそばやで昼食をしていたら、なにやら、威勢良い街宣車が、通り過ぎたではないか。

あれは、話題の予定候補者じゃないか、自分一人で運転し、マイクを口に当て、がなっているではないか。タスキもしている。
いや、いや、余りにもスーッと行ったものだから、お化けではないかと、あっけにとられた。月が出ないで、お化けが出たである。

いよ、いよ、引っかき回し役が登場か。自民の総裁選で話題の日本政界。
地元政界では、新人候補が何をしてくるか、恐怖で一杯か。腰が抜ける方も?
でも、地元政界が活性化されると、歓迎する声も。面白いとボランティアで参加する若者が馳せ参じるか。
これは、サーフィン感覚か。スイ、スイか?波さえあれば、障害物無しですから。また、風さえあれば、スピードも。格好良いなぁ。
2008年9月14日(日)
私も仲間入り。
9時半から、富士塚小学校グランドで行われた第27回消防団と家族の大運動会開会式に、出席。市長と議長が挨拶。
本当に、消防団員の方々には、日頃ご苦労である。特に今年の夏は猛暑で、夏の火事発生件数として今まで最悪であった報告された。
私も、大町を始め、いくつかの火事現場に駆けつけ、猛暑の中での消火活動は激務だと思った。また、家族の心労を思うと、市民の、
安心、安全のために活動する消防団員、家族の方々に敬意を表し、感謝の気持ちが絶えない。

笑いを呼ぶカクテルレース、豪快な綱引きを拝見し、敬老行事・名越やすらぎセンターフェスティバルが行われている名越に。
センターに入るや、似顔絵をどうぞ誘われた。会長の青木さん、ゴルフの青木功の兄ですなんておどけて、声を掛けていた。
また、中村聡一郎市議とは子どもが同級生とか。とにかく、私もお年寄りの仲間入りだ。似顔絵を描いてもらって、館内を見学した。

元気なコーラスが、舞台で披露されていた。また、絵画、書等も展示されていた。老いても、なにより元気が一番。老いてますます活躍だ。
私の似顔絵を描いてくれた方は、日本の高度経済時代の戦士。大手自動車会社を始めとする企業のコンサルタントであったとか。

リタイア後、似顔絵作者に、素晴らしいことだと言ったら、クラブの会員に入りませんかと言われた。では、私のホームページで載せますと、
約束。名前を言ったら、どこかで聞いたことがあると言われ、ハイ、市議会議員で、現在議長ですと。絵師の方は市長さんのも描きましたと。

似顔絵に注文をつけた。私の似顔絵のイラストは、前頭部に毛があり過ぎる、頭髪詐称と言われることがあるので、猿より3本以上あると、
描いて下さいと。見事、証明された似顔絵が。会長の青木さん、ちょっと、いい男に描かれていると。私のまずいところを外してくれたのでしょう。

午後3時に、国政通の有力者と情報交換。そして、天下国家論で口角泡を飛ばすであった。話をしてみなければ分からないことばかりだ。
また、生々しい衆院4区の話になると、知っているか、長島がここで出るのは、これからの地元政界の引っかき回し役だと。私も同じだと言った。
さて、決定の結果はどうなるか。また、政界再編成があるかも知れないからと言われた。政界ガラガラポンか。若い者の出番か。
こちらは、老いても心は若いでいこう。風雲急をつげるか。小泉純一郎元首相が、また、一暴れするかも知れないぞと。まだ、陰に飯島がと。
2008年9月13日(土)
本土決戦になっていたら鎌倉は。
鎌倉がなぜ、米軍に爆撃されなかったかと気になり、、図書館に行った。何冊の本をのぞいた。また、NHKの「その時、歴史は動いた」は、
(日本の降伏)が今週の特集で、番組を録画をしておいた。どうやら、日本の本土決戦、米軍の日本上陸作戦が避けられたことで、鎌倉の、
米軍による爆撃が行われなかったと推測する。

日本は米軍の本土侵攻を防ぐため、1億玉砕の覚悟をと防衛基地と防衛陣地建設をし準備していた。その中に、相模湾からの進攻を想定し、
沿岸一帯は固めていた。鎌倉山にも日本陸軍が駐屯していた。また、小さいとき、小坪飯島に砲台の塹壕あったのを憶えている。


また、頑固に戦う日本軍に対し、早期終結を狙った連合軍は、日本本土上陸作戦を計画していた。原爆投下以前から計画されていたようだ。
上陸作戦は、ダウンフォール作戦と言われ、マッカーサー元帥も主張していたようだ。
九州、九十九里浜、相模湾のいずれかから進攻するものであったようだ。相模湾からが有力な候補で、コロネット作戦と言われた。


その作戦は、20年11月頃から決行される予定であったが、米軍による原爆投下や、ソ連の参戦で、日本の降伏が早まり、中止となった。
アメリカは、戦後の反共対策に重点を置き、作戦が中止になって、犠牲が増えなかったのは幸いであったが、終戦はもっと、早ければと思う。

でも、マッカーサー元帥の日本上陸は、厚木飛行場で、相模湾には膨大な艦船が、浮かび、戦後、辻堂の海岸は射撃演習場になった。

それにしても、原爆の犠牲で、終戦となったことは、今ある我々の存在がいかに、多くの犠牲あってのことであるかと思う。複雑な思いがする。
鎌倉の近隣でも、小田原、平塚、茅ヶ崎、横浜が空襲をうけている。本土決戦、米軍の日本本土上陸があったら当然鎌倉も巻き込まれていただろう。
それも、米軍の上陸が相模湾から始まったら、ひどいことになっていただろう。

また、本土決戦を考えると、現在の、アフガニスタン、イラクの現状でも分かるように、何時終わるか分からない、テロと、ゲリラ戦が続く。
戦争は、始まったら、終わるのが大変、また、恨みを残せば、いつまでも禍根を残す。しかし、日本は、戦ったアメリカとすぐ、手を結んだのも早い。

戦後、アメリカは反共政策が重要であったので、日本を大事にしたか。それは共産主義国家である旧ソ連、中国対策であった。
その、旧ソ連も、今や崩壊したが、別の冷戦が米ロで始まったか。それは、資源争奪戦か。難しい国際環境。でも、日本は総裁選で浮かれている?
2008年9月13日(土)
咲いた、咲いた、月下美人が。
今年も 月下美人が咲いた。つぼみを含めると6輪か。

知らなかったなぁ、メキシコの熱帯雨林のサボテン科だなんて。

月下美人は一年に2度咲くときもあり、新月の夜でなくても咲く。
どうやら、俗説の多い花だ。でも、一夜にして萎むのは淋しい。

芳香がつよい、少し、目に染みる。でも、うっとりする。

美人と一杯も良いものだ。白色の色は蓮の花と似ている。

美人薄命と言われるが、花びらは食べることができると聞いた。

妻が手入れしているので、咲いた時、写真、写真と言われる。

ホームページにも載せてとも。 秋の月の季節だ。まだ、残暑が。
2008年9月12日(金)
米軍の爆撃は逃れたが、戦後は。
米軍は鎌倉を爆撃目標にしていたが、どういうわけか、されなかった。爆撃目標のリストでは、鎌倉となっているが、海軍工廠、
軍用飛行機製造工場のあった大船、山崎方面がピンポイント爆撃の目標であったことも分かった。しかし、一度空襲を受ければ数キロ範囲は
被弾することあり得たであろう。

数キロ範囲には、建長寺、円覚寺、八幡宮と言った現在、世界遺産登録推進の対象となっている箇所だ。
かっては、明治維新初期、廃仏毀釈で日本人自らの手で貴重な文化財が破壊された。しかし、周辺を囲む丘陵の緑地は残った。
 又、米軍の爆撃からも逃れた。

しかし、戦後、鎌倉の山野は住宅地として開発され、かなり破壊された。40年前、文人たちが立ち上がり、八幡宮等を取り巻く丘陵は守られた。
でも、未だに開発問題は、ミニ開発から傾斜地の開発、マンション建設と騒動は続いている。

鎌倉が米軍の爆撃から守ったのは、ウォーナー博士とも言い伝えられているが、多くの話題が語られている。
戦後、日本が占領状態になったとき、最高司令官であったダグラス、マッカーサー元帥は日本の降伏調印式をミズリー号で終えた直後、
鎌倉を参謀と訪れていることも分かった。

元帥は日露戦争時、父のアメリカ大使館付武官の副官として日本に来ていた。その頃も、鎌倉、日光、奈良、京都を訪ねていることも分かった。
意外や、鎌倉を爆撃から守ったのはマッカーサー元帥ではないかと推測したくなる。かなり、日本の文化、歴史に造詣が深かったのではないか。 
これからも、このことを考えてみよう。
2008年9月10日(水)
米軍の写真を、見てびっくり、知ってびっくり。


 富士飛行機、大船工場。大船、日本とある。
米軍は縦、横の座標軸で照準点を決める方式で、
日本全国の爆撃目標地図を作成していた。

そのため、B29を改造した写真偵察機F13を完成。
19年11月から、偵察飛行を開始し、日本上空から
爆撃目標地を撮影していた。

 
 部外秘
 予定日  1945年4月28日
 目標    90/17/2033
 座標
 撮影日  1945年2月11日
古都鎌倉は米軍の空襲目標から外れていると語り伝えられていたが、確かに空襲はなかった。

しかし、爆撃都市の目標として180番に記録されていた。
それも、事前に鎌倉の上空から航空写真が米軍によってバッチリ撮られていた。

江ノ島を中心に、左に藤沢方面、右に鎌倉方面だ。深沢にある旧国鉄跡地が富士飛行機か。
それにしても、米軍は日本全国の軍需都市、陸海基地を調べ上げていたのだから、驚いた。

米国国立公文書館には凄い資料があるもんだ。藤沢市の資料収集力は素晴らしい。
鎌倉市も米国国立公文書館に行ったら鎌倉に関しての凄い資料が発見できるかも。
                                   (藤沢市・鵠沼郷土資料室了解済)
2008年9月9日(火)
日本のサーフィン発祥の地。
30年前に湘南高校時代の同級生から、何か、良い話題が鎌倉にないかと言われた。彼はNHKのアナウンサーで横浜支局にいた。
NHKテレビの朝のロータリーという番組で、各地の話題を取り上げるため鎌倉を取材に来て、私に協力を求めてきたのだ。

そうだ、当時、鎌倉の若者たちの間で、サーフィンが盛んになっていたので、知り合いに相談したら、快く引き受けてくれた。
ちょうど、そのころ、ウインドウサーフィンも出始めたので、七里ヶ浜の海で撮影した。反響は凄く、一気に七里ヶ浜が、日本でサーフィンの海として
話題になった。同級生の彼も喜んでくれた。

また、サーフィンの取材にに協力してくれた知り合いも感激してくれた。七里ヶ浜の海で、サーフィンの大会を開催し、来賓として招待してくれた。
私は、サーフィンはやらないが、由比ヶ浜生まれなので、子どものころ、海に行くと洗濯板ぐらいの板を持っていき、遊んだことがある。

そのことが、きっかけで、サーフィン仲間から海水浴シーズンのトラブル解消など相談にのった。鎌倉、湘南はサーフィンが似合い風物詩になると
思い、彼らに、大いに期待した。しかし、最近、サーファーの中には、危険をかえりみず、無謀なサーファーもいるので、心配している。

サーフィンに関心持っているので、最近報道された藤沢市の鵠沼郷土資料展示室で開かれている企画展「思いでの湘南遊歩道路」を見学した。
企画展の中に、サーフィンの特集コーナーがあり、藤沢の湘南の海が、サーフィン発祥の地であると分かった。納得した。資料が豊富だ。

展示してある資料には、案内してくれた内藤さんの初期のサーフボードがあった。また、板子と言われる洗濯板のようなサーフィンも紹介されている。
大正時代、板子乗りと言われ、芸者がモデルとなっての資料は、可笑しかった。本格的サーフィンは、戦後、進駐軍から伝わったようだ。

私はアメリカのサンタモニカでサーフィンをみたことがあると言ったら、サーファー仲間の写真に写っているアメリカ人をさして、知らないかと言われた。
なるほど、シャツもボードも最初は、アメリカから輸入したようだ。しかし、50年前ぐらい前から、若者たちは自作のボードを作り始める。

展示室の中をじっくり見ていたら、思わぬ資料があった。それは、鎌倉、藤沢の航空写真だ。ばっちり、空から撮られていた。それは、昭和20年、2月。
空からの攻撃のため、作成されたのだ。米国国立公文書館から得た資料だ。鎌倉が攻撃目標であったことを知りショックであった。

もう少し調べてみよう。又、資料の中には、山本五十六元帥の長男が書いた思い出話の記録があり、山本五十六元帥が将校時代、鎌倉に住んでいた
ことの記述を読んで、なんとも不思議な思いがした。滑川や、ハリス幼稚園が出てきたのことから、今、私が住んでいる近くであることがはっきりした。

郷土資料室を見て、素晴らしい企画だと思った。企画を立てながら、資料を集める。これが、いずれ、素晴らしい郷土史の資料になる。
多いに参考になった。鎌倉も企画を立てながら、資料を集めると良いが、常設展示場が必要だ。それに、中世歴史研究所も必要だ。
2008年9月7日(日)
地元、材木座のルーツを聞く。
鎌倉福祉まつりを見学。焼きそば、クッキー、磯辺焼きを昼食用に求め、そして、バザーで掘り出し物あさり、外では、和太鼓の披露等。
ボランティアの方々がご苦労さんでした。晴れてよかった。朝方、そして、夕方から雷雨。本当に天候が変わるので、いつも、計画には心配です。

午後、私の生まれた乱橋材木座(現由比ヶ浜)、又、現在住んでいるのが材木座、当地の地形と地名の講座が材木座公会堂あり、参加。

講師は、材木座三丁目のマンション予定地の遺構調査を行った斎木 秀雄先生。いや、面白かった。知らないことばかりであった。

材木座村は江戸時代の名称で、それ以前は「和賀」とも、市史では名越の一部とも。元八幡が「由比若宮」と言われているが、江戸以前は、
よく分からないと。

また、由比ヶ浜は稲村ヶ崎から、飯島までの海岸の総称とか。いずれにしても、地形状、砂丘が大きな要素となって、作られていたと。
古代から、海が主要の外との交通路。七つの切り通しは、狭い、当時は幅1、5メートルくらいで人一人通るのがやっとであったと。
御成小学校、市役所がかって 郡衛跡、材木座には官衛があったのではないかと。

いろいろ、聞いていて、最近、大仏の佐藤美智子さんから、材木座の補陀落寺は大変由緒ある寺だと聞いていたことを思い出し質問した。

材木座の補陀落寺の補陀落信仰、これは熊野と関係あるか、鎌倉が海運との関わりが重要であるなら、熊野水軍と関係ないか質問した。

それは、よく分からないが、伊勢とは縁がある。伊勢の土鍋がよく発掘されているから。へーと驚いた。
海が重要な交通路で、海から見えるランドマークは補陀落寺と由比八幡宮であった。当時、補陀落寺は中心的存在。

東に、補陀落寺、西に大仏が目印。砂丘のため、大鳥居は見えないと。現在の光明寺と考えてしまう。
由比若宮(元八幡)は源頼義が創建。(1058年)   補陀落寺は頼朝祈願所として創建。(1181年) 光明寺は1240年創建。元は、佐助に
あった蓮華寺であると。和賀江島は1233年に完成。聞いてみないと分からないもんだ。

また、補陀落寺の東側に、弁ヶ谷高御倉があったと。常滑の壺が発掘されている。 御倉は幕府の倉庫。かなり、豪奢な生活とか。
質実剛健はどうしたのかなぁ。 ますます、鎌倉の歴史は分からないことばかり。 あぁ、大三輪君が生きていたなぁ。淋しい。

やはり、世界遺産登録より、中世歴史研究所が先だ。 何とか作らないと。 常設展示場も必要だ。
2008年9月7日(日)
文化の秋がやってきた。
9月6日、瑞泉寺で第22回方代忌が行われた。
暑い日であったが、例年になく参加者が多かった。
方代人気が増えているのがよく分かる。

死してこの人気であるから、生前、方代さんからおごって
貰った私として、得意になってしまう。

司会者の柳さんは、一度も会ったことがないと言っていた。
私を羨ましそうに眺めている顔を見ると、申し訳ないと思った。

今回のゲスト講師は、佐々木幸綱氏で、方代さんから3回、
山菜を送ってもらったことを話された。これまた、羨ましいこと。
そうか、今回のゲストが佐々木先生であるから、盛会かも。
でも、佐々木先生をゲストに出来る方代さんの会は凄い。

鎌倉の史跡 瑞泉寺の庭は、
いつ見ても気持ちがからっとする。

中腹の鎌倉石の洞、池、中島、橋、
が独特の宇宙観を連想させる。
夢想疎石作の庭園。

この様な史跡が、鎌倉の文化財。

京都、奈良とは違うのは、大きさ。

でも、宇宙観はでっかいぞー。

鎌倉石がいいのかなぁ。

これまた、世界の遺産です。

2008年9月7日(日)
スポーツの秋だ。リーグ戦も秋の大会だ。
いよ、いよ、スポーツの秋。鎌倉ライオンズクラブ旗争奪・
少年野球リーグ戦の開会式に出席。

元気な球児たちの行進、生山会長へ優勝旗返還、選手宣誓は
きびきびして、気持ちが良い。

来賓に、鎌倉の政界の重鎮が。忙しい秋となった政治家も。

大会を支えてくれている、ライオンズのボランティアの方々に感謝。
午後には、鎌倉少年野球連盟の秋季リーグ、開会式に出席だ。

今や、鎌倉には少年野球リーグが3つ。チームも大会掛け持ちだ。
それに、トーナメント。子どもたちの野球がうまいこと。感激だ。
鎌倉少年野球連盟の大会にも、政界の重鎮が。 鎌倉で少年野球リーグ戦の生みの親。
また、育ての親である佐藤先生。
同じく、事務局長。安西監督。
今年、75歳になる。若い。
石渡市長へ春期リーグの優勝旗返還。

松尾副会長へ優勝杯返還。

挨拶する来賓の浅尾慶一郎顧問。

また、湘南リーグの会長。

すっかり、少年野球に馴染んで来た。

ところで、新たな重鎮が登場するか?

戦々恐々してる方は、どなた?

みんな、デンとしている。ご立派。
優勝メダルを掛ける安西事務局長。よく頑張った。嬉しいねぇ。 秋季リーグ戦へ宣誓する球児。佐藤先生、マイクスタンド役。
どなたか、少年野球のためにご寄付を。
2008年9月5日(金)
戻ってきた岡田議員
垂れ流しブログの岡田議員と言われるが、その垂れ流し情報にはプロの関係者から高く評価されている。かっては、岡田議員は紙爆弾と言われたビラを蒔きまくっていたが、今やブログで市民に真相のえぐりより、まず、現実の情報提供をきめ細かくしている岡田議員が質問席に戻ってきた。
垂れ流し情報と言っても、その情報収集には労苦が絶えないであろう。敬意を表する人が多い。


再登場の一発目からヒットを飛ばした岡田議員。昨年2月から今年6月まで、議運の委員長としての立場であるので、本会議での質問、発言を控えてきたが、6月の役選では議運の委員長の留任を固辞された。私は3度も頭を下げたが、聞き入れてくれなかった。辞退したのが、分かった。暴れ回る岡田に変身したのだ。質問封じにあってはと、考えたのか。見事な大ヒットである。お酒を飲んで、おどけている姿はカモフラージュか、どうして、どうして、アンテナは鋭い。  岡田議員のブログ

これで、岡本マンション問題で、民主党会派は6月の早稲田議員に続いて連続ヒットである。6月の早稲田議員は危険防止の原状回復問題、今回の岡田議員の質問は、岡本マンション問題で市職員の復命書(出張が100回以上あるのに報告書がない)の服務見直し。

そうだ、自民党の総裁選があるが、かって、小泉首相は立候補で、駄目な自民党は、私が壊しますと言った。既得権にあぐらをかいている状態に切り込んでいったことで、人気爆発となった。そして、小泉首相勇退後、どうやら、自民党はご先祖帰りをしていると言われるくらい、エネルギーが感じられなくなった。300席にあぐらをかいたのか。

鎌倉を含む衆院4区の候補に、前逗子市長の長島氏、壊して見せますぬるま湯の4区政界をで登場するか。いや、4区民主党支部をか。
その前に、岡田議員がどう動くか、ご注目。怖い民主党になるか? まず、ぶっ壊すことが先か。
2008年9月4日(木)
福田首相の投げ出し後は、選挙一色。
天下の笑いものになっている(日本にとって悲劇)福田首相の政権投げ出し後は、首班指名、初の組閣、そして、話題は解散、総選挙だ。
公明党は総選挙後の都議選まで、戦略に入れた行動を取っているようだ。

鎌倉を中心として衆院4区では、もっぱら、話題は長島氏の民主党公認候補のことだ。なにしろ、小池自民党衆院議員、石原伸晃衆院議員が話題になるように、マスコミ界出身、それも、テレビ関係が強い。かっては朝日にあらずんば政治家ではないなんて、新聞関係が強かった、今や、パフォーマンス二時代、顔が売れなくては。浅尾参議院議員もテレビに出て、国会で取り上げた追及姿勢で一気に、有力者の土俵に登場するようになって、人気が沸いてきた。

県連の笠会長も、テレビ界(テレビ朝日?)出身、そこにフジテレビ出身の長島氏が候補に。暴れ回るであろう。受け狙いはプロだ。鎌倉市議を投げ出して、逗子市長になって、問責を喰らえば、辞任して市民の信を問うて、再選された経験。これらを見ても、何をするか分からない行動だ。

当然、総選挙後、鎌倉では市議選、周りは彼に付いていくか、どうかで、変化が起きるであろうし、でも、小泉流で若い刺客候補を送ることぐらい朝飯前だろう。当然、秋の鎌倉市長選での発言権、あるいは、中心的存在となろう。また、2年半後の県議選でも直系の候補の可能性が十分ある。

鎌倉の政界地図をひっくり返すぐらいのことをやるだろう。小沢党首もその辺をかったのかも知れない。
松中君、小沢の時代が来るよと言ったのが亡き江藤淳先生であった。また、小沢さんから浅尾君を頼むと言っていたことも聞いた。
江藤先生の葬儀の時、鎌倉に小沢党首が参列に来ていただいた時、私は、小沢さんを江藤先生がよく語っていましたと小沢党首に挨拶をした。

江藤先生が存命であったら、何と言うだろうか。時代の変化か。昭和17年5月24日は私の誕生日、小沢党首も?。誕生日を占いで見てもらったら、黒幕的戦略家と言われた。どうやら、黒子が表に?

2008年9月3日(水)
福田首相は問責決議可決の時、辞任すべきであった。
今年の6月11日に福田首相への問責決議が参院で可決された。その時、速やかに福田首相は退任すべきであった。あるいは、解散、総選挙をすべきであった。

問責決議は重いものだが、法的拘束力がないから 辞めることもないとか、野党のパフォマーンスだとか言われたが、解散、総選挙が話題になった。
また、衆院で首相信任案可決まで与党から応酬があった。これは、わずか、3ヵ月前のことである。その後1ヶ月前に内閣改造が行われた。

そして、今回の福田首相の政権投げ出しである。松沢知事は、土下座して謝罪すべきと言っているが、政局混乱を考えたら衆議院議員も辞職すべき責任があるくらいだ。今回の責任は誰が取る。速やかに、解散、総選挙で、国民の信を問うべきである。

問責決議と言えば、鎌倉石渡市長も喰らっているが、反省どころか不祥事続きでも辞めないし、ドタバタ市政の続きとなっている。
殿、ご決断をとの進言をする支持者もいないのか、居座り続けても良いこと無いと思うが。このツケは、市民に回る。

自分の意志で辞めれば、福田首相のように政権投げ出しと言われるし、問責決議では法的拘束力ないと、開き直る。
政治改革の道は、険しく、長いか。それなら、劇場型選挙で、一挙に変革できるか。いや、行くところまで行かないと分からないか。

ここは、じっくり見極めをしないと、いけない。今回の福田首相辞任劇、与党が守るどころか、知らん顔していたり、足を引っ張っていた方までが与党にとの報道がある。真相はいずれ分かるか。
2008年9月2日(火)
今や、首相は使い捨てより投げ出し。
首相や首長は使い捨てと言われるが、今や、投げ捨て時代か。それにしても、政権を投げ捨てた福田首相に対し、潔いとか政治の混乱、停滞をまねかないため、良かったなんて与党の声はおかしい。これじゃ、政権がたらい回しされて、辞めて良かったで投げ出しの連続になる。挙げ句に、誉められるのだから。

首相を辞めればいいのではない、政権を野党に渡すべきである。そうでなければ解散、総選挙をすべきである。でも、どちらがなっても同じだろう。
もはや、議院内閣制の限界かも知れない。首相公選論が出てくるかも知れないが、議員に大臣ポストが来なくなれば、これまた、やる気をなくす議員が増えるかも。あるいは、口利き政治家の横行かもしれない。大分県の教員問題でも分かるように、県議の口利き等がばれて大騒ぎだ。

先日、地方分権シンポジウムで、元自治省の役人であった大学教授の講師の方が、県議は口利きをしている、口利きしかしない方もの発言には苦笑のざわめきが。この様な方には、都合の良い首長が大事であろう。でも、いずれは、首長は使い捨てだ。

しかし、政権維持に行き詰まり、政権放棄じゃ、与党もたまったもんだはないだろう。都合の良いように首相を使おうとしても、投げ出して逃げられたのでは、何のために首相にしたか分からないから。それにしても大局的に見る政治家がいないのは、日本の政治家の人材不足か。辞めるのが大局的だって。

政治家を育てない日本の政治風土も問題だ。政治家は使うもの、なるものではないと言った経済界の方もいたが、これじゃ、首相もたまったもんだはない。投げ出したくなるのもうなずける。さらに党内問題、連立問題と人気で政治は出来ない。去年、小泉元首相にあったとき、再登場はと言ったら、首を振っていた。小泉人気にあやかって当選した方、300席にあやかって大臣になった方、政権維持が出来なくてゴタゴタでは、堪らない。

福田首相の政権放棄で、解散、総選挙の風が吹き出した。ここ、神奈川四区では衆院候補に民主党長島氏の話題が持ちきり。
なにしろ、鎌倉市議出身であるから、関心が高い。どうして、そうなったの、論客派の浅尾さんではないのと。現職の話題が出てこないのはどうしてか。

鎌倉市議もたいしたもんだ。県議二人も鎌倉市議出身。鎌倉市議会には若い議員が多いから、どんどん、上を狙っていくかも知れない。
となりの逗子や葉山の首長、県議も議員出身だ。長島氏の話題で、4区の政界は、活性化するだろうか。刺激されて負けてはいけないと、鎌倉市議OBの長老が来年の鎌倉市長選で話題に。自ら話題にしているとの声も。石渡市長の話題も尽きない。辞めると喜ばれるか与党に、潔いと。でも、残念がる野党の方もいるかなぁ。しかし、自民も民主も市長推薦で、会派は二つに分裂。政治の一寸先は闇で分からぬもんだ。分からないことばかり。

とにかく、選挙に強いのは、目立つパフォマーンスがうまい方。長島氏の立ち回りは、激しいから、目立つなぁ。どこまで、抵抗するか批判派は。
私は、鎌倉一筋、トボトボと。でも、鎌倉大好き人間ですから、何かと絡んで参ります。鎌倉にマッチューありーと。筋が通らぬ時は、仕掛けます。
2008年9月2日(火)
福田首相は政権を投げだす、鎌倉市長は丸投げ?
何時まで保つかと言われた福田首相、政権を安倍前首相に続いて投げ出した。早くからやめた方が良い、いや、そもそも、やらない方が良いとも言われていた福田首相。政権維持に行き詰まったか、昨夜、突然首相辞任を発表。次の首相もどうなることやら。どうせ短命だろう。

現在の日本の政治が悲劇なのは、人物というより、選挙が劇場型になり、パフォーマンス有利となっているからだ。地道、ひたすらと言ったじっくり型ではない政治になってしまう。 やられる前に、辞めてしまうということになる。 民主党の小沢党首も、度々政権を作ってきたが、作っては壊し、自民党と連立しては、飛び出し、また、また、政権狙いだと。これまた、なってもすぐ、投げ出しだろう。もう、すでに、飛び出し議員が出ている。

劇場型選挙は、有権者が興奮、刺激を求めているからか、爆発するとダントツの勝利となる。しかし、中身はふにゃふにゃである。
小泉首相の選挙がまさに、劇場型、多くの小泉チルドレンを誕生させたが、彼らは力にはならない。彼らはあやかり選挙で当選であったから。 

また、大臣希望者も多く、実力無くしてなってか、不祥事等で辞任大臣の多いこと。挙げ句に、首相は連続政権投げ出しである。

鎌倉石渡市長も小泉旋風のお陰で、鎌倉選挙史上、ダントツの得票で当選したが、当選後、すぐ、混乱が待っていた。次々起きる不祥事、辞めた方が良いと言われても、辞めない。傷は、深くなるばかりである。問題多発で、陰では市長の丸投げ行政とも言われている。職員はたまったものではないが、その気になってやりすぎる職員もいるようだ。ツケは市民に回り、行き詰まった結果は、ズタズタだ。議会は静観か、調査特別委員会が二つ。それでも、動きは静か。市民の動きが不気味である。

でも、次の市長候補もいなければ、続投か。ここらで、引っかき回し役の長島型政治が登場か。4区衆院候補に、当の長島氏が民主候補に予定。
民主党が引っかき回し役を必要としている4区の現状。

長島氏の話題作りの凄いこと、鎌倉市議を1年半で投げ出し、逗子市長に、今度は衆院へ、これまた、投げ出し政治の先駆者か。いや、若い成長株の筆頭か、いずれは、大臣、ついには、総理か。こんな調子で話題なれば、当選間違いない?周りも、ナガシマ、ナガシマとなびくこと必至。

うかれば周りの方々のお陰より、実力と言う、落ちれば周りが手抜き、いや、玉が悪かったと平然は、選挙の常だが。鎌倉には政権渡り鳥の大物政治家がいるが、動きはどうなることやら。鎌倉に長島時代の到来か。あやかり地方政治家も続出か。何しろ、伊藤玲子前鎌倉市議が、育ての母。忘れてはいけません。伊藤玲子氏も現在、教育問題で、全国を飛び回っている。凄いパワーです。長島に続けと、号令鳴り響くか。後継者の原議員もいる。

とにかく、民主党が政権取ったところで、体制能力に欠けるから、当分、政治は、乱の時代。政党再編成は当然だが、確かな野党と言っても、共産党、社民党は時代遅れで、衰退加速であるが、ここらでブレーキが掛かるか。アメリカ、中国、ロシアを見ると、力の政治が、日本の政治の軽いこと。
私も反省します。
2008年8月31日(日)
鎌倉の世界遺産登録へは地味で当たり前。。
今日、知人の納骨の法事に呼ばれた。場所は海蔵寺『建長5(1253)年創建。開山は、源翁禅師(げんのうぜんじ・心昭空外)』で行われた。
法要が始まる前に、庫裡に通され、目に映った庭園に感銘。 これぞ、鎌倉の世界遺産だと思った。鎌倉時代の精神文化が継承されている。

奈良の重厚さ、京都の雅と違って、鎌倉の武家文化、仏教文化、禅文化は質素で地味だ。鎌倉には鎌倉時代から、遺構はあっても、
残された建物は少ない。引き継がれてきたのが精神文化。
武家の魂は『質実剛健』、鎌倉の遺産は質素で地味であるのは、当然である。
その文化の特徴が、時代とともに広がり、茶道のように日本の伝統文化となっているのだが、京都で花開いたことで、鎌倉をお忘れなく。

鎌倉武士の質実剛健の魂は、墓にもあると、海蔵寺横にやぐらが。
そこには、いくつもの五輪の塔が。大三輪君を思い出す。彼がいたらなぁ。

ピラミッド、古墳、江戸時代の墳墓と比べると、本当に質素だ。

それとなくある遺産。それが鎌倉だ。世界遺産、世界遺産と騒ぐことはない。

世界遺産に登録させて下さいと言われるまで、じっくり鎌倉文化の継承を。

夜には、鎌倉深沢商工クラブの納涼パーティー。

そこで聞いたのが、平家琵琶。 題目は一の谷。

平家物語には、滅びの美学が?今度、じっくり聞いてみよう。

クラブも粋なことをする。

ところで、海蔵寺、禅、鎌倉武士を調べていたら、世界遺産登録対処にもなっている建長寺とゆかりのある鎌倉学園の教育理念が。


『季節の移り変わりが、花や鳥のさえずりで感じることのできる古都鎌倉にある本校は、「質実剛健」の武士の魂と、「自主自律」の禅の精神を現代に受け継いで、知・徳・体のバランスのとれた教育を目指しています。

  校訓は『礼義廉恥』で、教育のモットーである『文武両道』は、今までも、そして未来へと鎌倉学園が追い求めていく姿です。
  生徒には理想を高く掲げ、勉強は当たり前のこととして今しかできないことに挑戦して欲しいと思っています。

歴史的風土に包まれた古都鎌倉から、新しい息吹を日本へ、世界へ…!

と発信できる、豊かな人間性を兼ね備えた新しいリーダーを育てることが、本校の使命と考えております。 』とある。

この理念こそ、鎌倉の世界遺産登録のコンセプトだ。『質実剛健』の精神は、地球温暖化、環境問題を乗り越えるには、必要だ。

知人の納骨で、思わぬ思いをした。『頑張って、マッチュー』と言われているみたいだ。出会いに感謝。
2008年8月28日(木)
空から撮った写真で思う。
大船駅西口もいよいよ整備がスタートする。バス停で雨の日に待っている人々を見ると、
整備が遅れていることに申し訳ないと思っている。
私も20数年に渡り夢を描いて提案してきたが挫折の連続であった。

とにかく、スタートとなったことにほっとしている。大船観音様も喜んでいると思う。
でも、後ろ姿を見ると、前に見えるぽっかり空いたところには、嘆いておられるようだ。

どうしてそうなるのー。今後の成り行きは、裁判次第か。いつまで続くぬかるみぞ。
農民の方々は強い。鎌倉ブランドンの野菜生産地を、
守った。身体を張って守った。凄いパワー。

これからも、すばらし農業作物を生産して、人々に感激を。
また、後継者作りにも頑張って貰いたい。

これからの政治は、農業振興が大事である。
後継者がいないと諦めてはいけない。応援しています。

鎌倉の海はエメラルドか。サーフィンが似合う。 大仏様の後ろに、旧野村総研。これから、
どうなるか。バイオの候補地はないねぇ。
鎌倉大仏様。
左の写真のどこ?
さすがです、加賀百万石の
旧前田邸。今は鎌倉文学館。

世界遺産登録へは、八幡宮中心になることであったが、平泉の登録延期でどうなることか。
若宮大路を中心とした市街地の密集度の凄いこと。

これで、世界遺産登録と言えるのか。コンセプトを考え直しましょう。それより、大地震時の対策が急務。
延焼対策として壁になる道路を作らないと大惨事になる。また、市街地に空間を。斜面地も注意。
鶴岡八幡宮。
左手奥に古都法発祥の地である御谷。
2008年8月27日(水)
ヒヤリとした。
9月1日の関東大震災記念の前に、鎌倉の防災訓練は毎年行われる。防災会議のメンバーである議長と総務常任委員長はヘリコプターから鎌倉を視察ですと案内があった。

私は強度の高所恐怖症であるが、お役目と覚悟をしていた。事前に、保険の手続きと血液型の届けも出した時でも、胸がきゅっとした。
ここ数日間、雨模様で、すっきりしていなかったが、当日晴れたので、気持ちも少しは落ち着いて搭乗した。大船観音周辺、関谷農振地区もばっちりであった。

防災訓練会場も上空からはっきり見えた。会場を数回旋回していたとき、突然、撮影中に、機体が傾いた。どうしたのかと思ったが、怖いのを超えて、必死にポールに捉まった。降りてからヒヤリと感じた。原因はエンジンや操縦ミスではなく、トンビ2羽を避けるため、機体を傾けたと後で知った。2時間後くらいから身体がだるくなり出したので、搭乗中、かなり、身体が硬くなっていたようだ。本当に、驚いた。へりが地上に着いたとき、石川委員長とまず、喜びの握手をした。

ここで、搭乗体験からの報告をします。

今年は中国四川の地震、東北内陸地震と大地震が続いて起きている。被災地では道路の寸断が大きな問題となった。
災害発生後の対策として、がれきや、土砂崩れの処理をどうするか、また、その間の、輸送、交通対策はどうするかである。
特に、鎌倉は山に囲まれているから、道路の寸断は予想される。先日、葉山で議長会があり、葉山港を視察した。ヨットハーバーになっているが、災害時には輸送対策にも使われるという。

上空から、藤沢の江ノ島港、葉山港を視察、また、鎌倉の腰越港見たが、改修計画もあるが災害時にも使えるようにすると安心である。でも、由比ヶ浜や材木座海岸にはないので、小型船の係留できる施設が欲しい。800年前に和賀江嶋が築港されたが、今や世界遺産候補であるから、坂の下に是非、作るべきだ。ヘリポートも作ると良いが、大型ヘリが発着陸出来ないと。それにしても、最近、世界で航空事故が多発している。陸では地震、洪水、空気は温暖化、そろそろ、スローライフの時代か。オリンピックでは、早い方が勝利だが。

上の写真:自衛隊へり、搭乗体験者は金沢副市長、戸原経営企画部長、松中議長、石川総務常任委員長、辻教育部長、石川防災安全部長。
中段:大船観音周辺、関谷農振地区とお騒がせのバイオ予定地、防災訓練会場。
下段:江ノ島港、葉山港、腰越港。