鎌倉発電送かわら版(最新版)

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2007年10月21日(日)
議会が終わっても忙しい。
20日には鎌倉芸術館でほしづきの里10周年記念の集いに出席。30年前に工房ひしめきで始まった地域作業所もほしづきの里として大きく発展。本当に関係者の皆様にはご苦労さんの感謝の気持ちでいっぱいである。これからも、利用者にとって元気で末永く楽しく過ごせる施設であって欲しい。

芸術館から文学館へ。ルートカルチャーが企画した中原中也 生誕100年記念のイベントとして、鶴田真由さんによる朗読が文学館全面に庭園で。なかなか、若者もやるもんだ。あれ、会場には、どこかで見かけた方が。また、中原中也展を館内に入って見学。なかなかの人気だ。

21日には鎌倉市役所前広場で鎌倉市技能者団体連絡協議会と鎌倉市による技能祭に出席。技連協は今年で30周年。また、技能祭も29回目。
とび職団体による木遣りの後、テープカットをした。小泉会長、馬瀬副会長も30周年に感無量だと思う。技能祭は鎌倉にとって市民生活に必要な技能の披露の行事。

明日からも何かと、忙しい。今年いっぱいは、休む暇なしといったスケジュールだ。それでも、経験と要領でこなしていこう。それにしても12月議会は、また、荒れそうだ。関谷のバイオ施設建設問題に臭いが。住民、農業関係者が白紙撤回に立ち上がったようだ。ボタンの掛け違いをしたら大変だ。
2007年10月21日(日)
文教常任委員会の視察
視察1日目は、泉南市埋蔵文化財センター・古代史博物館。全く羨ましい施設である。館の前にある白鳳時代の史跡・海会寺跡から発掘された大量の瓦、塑像仏像類や相綸の部材等出土品は総数302点。それも文化遺産としての価値が高く評価され、重要文化財に指定されている。優品100点が常設展示されている。泉南市埋蔵文化財センター・古代史博物館

館2階には展示室の他、講堂兼視聴室があり、1階は文化財の記録保存、研究、資料の整理・保管などを行っている。この様な施設は世界遺産を目指している鎌倉には絶対必要であり、無いのが不思議である。頑張らないといけない。

視察2日目は、愛知県西尾市立寺津小学校において、高橋校長さんから「学校における食育の推進」についてスライドを見ながら説明を受ける。
中身の濃い内容で、いろいろと考えさせられた。小中一貫教育であるから、これほどまでの成果が出来るのか。

食育の授業を導入することで給食の食べ残しがなくなったり、豊かな心の育成、親子・人間関係など、児童・生徒だけでなく家庭や地域にも変化が現れているという。衣食住でも食は一番大事である。日本のどこかで、先進的努力をしているところがあるんだと、つくずく思った。これまた、鎌倉も頑張らないと。
 
2007年10月14日(日)
全国都市問題会議
全国都市問題会議が静岡市で行われ出席した。「分権時代の都市とひとー地域力・市民力」のテーマーで、講演とパネルデスカッションが2日間にわたって催された。静岡市は初めてで、近くて遠いところであったが、行って良かった。武家政権発祥の地の鎌倉として、最後の武家政権であった徳川時代のゆかりの地を訪ねることが出来たから。講演でも、徳川家康公の歴史も披露され、会場の市民文化会館は駿府城址の中にあり、駿府城に徳川家康公が、晩年、住んだ大御所の400年祭も始まった。大御所四百年祭

また、会議後、視察先コースが用意されていて、私は、山田議員と日本平と久能山東照宮コースを回った。東照宮は50年ごとの漆の塗り替えもほぼ終わり輝いていた。

鎌倉市議会の決算議会も無事終わったといえ、延長また延長と3週間にわたって、決算審議が行われ、夜の12時ごろ帰宅すること、度々であった。その疲れか、久能山東照宮にある家康公の神廟にたどり着くまで、一段一段が通常の石段より高く、足はガクガク、バテてしまった。

それでも、家康公に敬意を表して、お参りすることが出来て、なにか、爽やかであった。それにしても、家康公の神廟は厳かで立派である。鎌倉の頼朝公の供養塔は、武家政権発祥の地である鎌倉の英雄の墓としては、まさに、質実剛健そのものである。でも、周辺を整備すれば、さすがと言われ、世界遺産に相応しい環境となるであろう。是非、熊代教育長さん、お願いいたします。

上の写真:記念館入り口にデンと、葵の御紋が。また、会場前の看板と佐野副市長、山田議員、松中議員、納所議員。講演する中西進先生。駿府城址内の徳川家康公像前で、記念の写真。

下の写真:家康公廟。東照宮石段前と本殿前での私。
2007年10月8日(月)
忙中閑。海岸を散歩。
3週間も決算審議に掛かり、市長辞職勧告決議がさらに、追い打ちの紛糾。連日、帰るのが夜中の12時前後。さすが、私には堪えるが、元気な若い議員たちは連日、はりっきている。

7日、私は、運動不足で身体が鈍っているので、久しぶりに海岸を散歩。イルカの大群かと思えるくらいサーファーで、埋め尽くされた鎌倉の海。絶好のサーフィン日和。若者は本当に元気だ。それにしても、平和な日本である。世界はイラク、地球温暖化と世界のいく末は見えないのだが。

今日は、昼前は小雨であったが、夕方は、夕焼けが。薪能は大丈夫か。明日もあるが、天気は大丈夫のようだ。
石渡市政、旨く波を乗りこなすことが出来るか。サーファーは、大きな波を期待しているとか。でも、嵐となれば、危険だ。
2007年9月24日(月)
こんな深刻な決算委員会を見たことない。
鎌倉市議会の決算委員会が、今までにない深刻な事態に陥っている。今、シャンシャンと閉じても、12月議会、2月予算委員会へと問題点を先送りするだけで、さらに深刻なるだけだ。

27日の本会議においては、審議終了の多くの提案議案、陳情はあげることが出来る予定でいる。
しかし、18年度決算議案は、今の流れで行くと、とても無理である。9月議会の会期の延長を検討せざる得ないが、見通しがたたない。先週の4日間で理事者質疑までいく予定であったが、未だ日程初日分を半分過ぎたところで、止まっている。

決算委員会の初日に始まった野村総研跡地活用問題で、余りにもコンサルタントとの対応がずさんで、3ッ日間掛かった。
委員のやりと入りを聞いていると、野村総研跡地活用計画は振り出しに戻るよう状況だ。ましてや、世界遺産登録を目指している鎌倉市、古都6条、国指定史跡に囲まれた野村総研の跡地の近代的建築物があって良いのかがいずれ問われるであろう。

海や、遠方から見える旧野村総研ビルは、世界遺産登録推進しいる鎌倉の山並みの景観に合わないのではないか、ましてや鎌倉大仏ウラ手、国史跡である北条常盤邸隣接地である。鎌倉市は、名越クリーンセンターにバイオ施設計画を世界遺産登録推進に障害になると諦めたばかりである。

さらに決算委員会を深刻化させたのが、農地活用違反問題。この問題は、もうこれ以上ないと行政が3月の予算委員会で答弁していたが、9月の大雨時に、十二所の資材置き場で土砂崩れが起き、3棟半壊の被害がテレビ、新聞棟で大きく報道された。防災担当も、そのことをいち早く、議員周辺に語っていた。

ところが、その後調べてみたら農地法違反が発覚、さらに都市計画法の市街化調整区域関連違反、県条例の風致条例違反、古都法違反と次々明らかになった。また、政治献金のことも話題になっている。どうやら、オーナーは自称大物政治家の側近とか。

決算委員会において、この発覚した農地法違反に関連して質疑が行われ、基本的な質問で、お化けが出てきた。
もうこれ以上ないと行政がいっていたが、答弁で未調査が1千筆あることも。
その内容はと聞かれると、12月頃までにはと、答弁。コンピューターで調べてはとのことに、税担当が1時間で出来ると言うので休憩に。

ところが、漏れ伝わっている結果は、1千筆が1万筆以上あるようで、さらに深刻な内容が。休憩後再開された委員会で部長が、深刻な表情で検討時間延長を願い、真相は週明けに持ち越し。さて、どんな、お化けがでるか。

1千筆が、1万筆となっただけでも、深刻である。コンピューターがおかしいのではないかとの疑問があったようだが、コンピューターは正直だとの声も。旧野村総研跡地活用のデーター検索も、コンピューターは正直であった。
それにしても、2月に発覚してから、半年、一体どうなっているのか。石渡市長の責任は重い。怠慢。

新人の早稲田委員長、経験不足から思わぬ落とし穴に落ちないよう慎重に。本当に、終わりが見えない決算委員会である。鎌倉市議会では、まぁ、4,5ヵ月続いた議会もあるから、ここは、しがらみのない新人議員によって、思わぬあぶり出しがあるかも知れない。国も政治の転換期、鎌倉も転換期である。政治への未熟さが起こす修羅場である。ガラガラポンの転換期。信念がないと吹っ飛ばされる。日和見が一番危険。
2007年9月17日(月)
坊ちゃんと言われてぽっーとした事がある。
安倍首相が辞職する。投げ出したようなやめ方で、やはり、坊ちゃんには無理だったとの批判がある。
とかく、「坊ちゃんとか、若殿とか、若旦那とか」と言われ、長を進められてその気になってやってみたところ、親爺や爺さんの七光りであることを忘れてしまうとえらい事になる。特に魑魅魍魎の政界では厳しい。

かって、若殿の登場かと、もてはやされた細川首相も一年持たなかった。やはり、いい参謀、番頭がいないといけない。安倍首相等二世、三世政治家の功罪は、いずれ、歴史が証明する。今回の自民総裁選もどうなることやら。

私は熊さん、八っちゃんと思って江藤淳先生と親しくさせていただいていた。とても、坊ちゃんには似会わない私だから。
その私が一度だけ、映画界、経済界の大物人物である上森氏から、「あぁ、松中の坊ちゃん」かと言われたことがある。ぽーっとしてしまった。20数前のことである
それは、東京都議の自民党重鎮であったA氏邸の地鎮祭の折、頭山満先生の門下生と言われたN先生から紹介されたときであった。

早速、父に、「どうして上森氏のような大物の方から、坊ちゃんと言われるのかなぁ」と問いただした。
父は、鎌倉署に戦前、戦後、勤めていた。往時、署に度々出入りしていた上森氏が父を存じていたからだろうと言った。
上森氏は、昭和20年、30年代の鎌倉カーニバルを演出していた方でも有名で、小学生のころのことを覚えている。
そうか、親爺の関係で私は「坊ちゃん」と言われたのだ。

親爺は、警察署に勤めていたが、警察業務ではなかった。親爺は、県の建築等の技師で、熊本工を出て、震災後の県庁の新庁舎建設技師として勤めた。その後、その経験から、建築の許認可の監督官となり、川崎、横浜、横須賀、鎌倉方面担当として、働いた。戦時下であったので、建設関係も統制経済となり、内務省管轄となって、警察署に事務所が置かれた。大手の会社の工場から、一般住宅までの許認可を扱っていたようだ。

かなり、親爺は頑固で、厳しかったようで、怖かったと亡くなった県会の重鎮であった松岡正二先生から言われたことがある。親爺を知る方から、特高とも言われ、間違われることがあった。まぁ、そのくらい、仕事が、戦前の内務省行政であるから、間違うのかも知れない。

親爺が話してくれたことがある。上司から葉山に、別荘の建築申請をして方がいるが許可が止まっている、申請人は誰だと思っているのかと、怒鳴られたことがあると。条件が十分でないので、許可を親爺は止めていたのだ。

それは、政府高官のK氏邸であった。上司はどうしたら許可出来るのかと言われたので、親爺は、条項による上司の命令での許可なら従うと言って答えたそうだ。上司は、命令したそうだ。戦後、2,3年経って、父は、役人を辞めた。

そうだ、思い出した、関谷のマンション建設で、27年前、議会で取り上げたことを。そこは、市街化調整区域で、「なぜ、市街化調整区域に8階建てマンションが建つのか」を調査していって分かった。
建設省に問い合わせしたところ、珍しいケースだが、旧都市計画法に知事が認めたとき、この限りではないとの条文があることを教えてくれた。これにより既存宅地制度で建設が認められたのだ。

土地を売ったのは、亡くなった渡辺市長であったが、建つことを知らないで、坪5万円で売った。さらに転売されたのが、55万円だ。ぼやく市長は、分からないから調べてくれとも言われたので取り上げた。
また、私も、本当にそんなことがあるのかと思っていた。

調査をすると、担当職員から、怖い人が5,6人行くかもしれないですよと言われたが、そんなことは無かった。
そのとき、この関谷一帯には農振地域、農用地があることを知った。未だに問題のあるところだ。
2007年9月9日(日)
岡本マンション問題への議員の態度が一目瞭然
久しぶりに岡田議員、早稲田議員、渡辺議員のブログを拝見した。本当に内容が濃く、よく続いているもんだと感心した。早稲田議員や岡田議員のブログは、写真も豊富で、見応えがある。

ところで、岡田議員のブログでは、岡本マンション問題で議員がどのような態度を経ってきたか、一覧表にしていので、議員の態度の変化が一目瞭然である。

特に、今回、岡本マンション問題で請願が提出されているが、民主党会派の代表で中村聡一郎議員が紹介議員になっているので、これから民主党会派は、乱れることなく取り組んでいくことであろう。

本当に岡田議員のブログに掲載されている表は、市民にとっても議員の態度が分かりやすく、評価の材料になる。
これから審議される岡本マンション問題の請願、市長辞職勧告決議に対し議員の態度の結果として、いずれ、○、×が表につけられるであろうから、市民も注目するであろう。果たして結果はどう出るか。
岡本マンション問題への議員態度結果表・岡田議員のブログ
2007年9月9日(日)
2ヵ月ぶりの再開
7月11日から電送瓦版は更新していなかったので、大分ご無沙汰しました。
どうしたのと、知り合いから声を掛けられましたが、パソコンの前に座って、キーを打とうとすると、なぜか、動かなくなって、頭が真っ白になってしまって、何も書く気がなくなり止まって2ヵ月である。

確かに、コンピューターが故障したのもあるが、6月議会を乗り越えた後、白倉議員の死でショックを受けたことも辛かった。

また、他の議員のブログを見るのも、あまり気が進まなくなり、関心も薄くなっていた。8月に入って、医者によると過労が原因だと言われて、咳と下痢で1ヵ月間、悪戦苦闘した。確かに厳しい猛暑であった。

9月定例議会も、一般質問、議案上程へと、なんとか、台風直撃の折であったが、乗り越えた。
名誉市民の称号贈呈議案もあったので、政争の具となり議会混乱により失礼になってはいけないと思っていたのが、無事、皆の協力で、きれいに終わったので感謝している。

一般質問最終日の議会運営委員会で、石渡市長の辞職勧告決議陳情の取り扱いを協議したが、はじめ、誰も発言しなかったので、どうなるかなぁと、冷やりとしたが、先送りとなったので、無事、議案も上程できた。

扱い次第では、かなり、緊迫する局面となっただろうと、後で思った。竹内市長時代では、議会混乱は日常茶飯事といった場面を思い出した。今議会は、どうやら、決算委員会が山で、決戦委員会と言われている。

最終日まで、どうなることやら。6年前の議長と違い、私の体力も大分落ちた。でも、何とか経験による要領で、一つ一つ、こなして来ている。また、仲間の協力も有り難いものである。

でも、秘密会が行われたさきの6月議会を乗り越えた後、副議長からこんなにスムースに議会が終わって良いんですかねぇと言われた。それには、仕込みがあるのだ。馴れ合いではなく、高度な検討と、対策が。神経を使うから、どーっと疲れが後で出たのかも知れない。本当に疲れた。

今9月議会は、常任委員会、決算特別委員会が修羅場になるかも知れないので、各委員長は、覚悟していた方が良いと思う。議長の出る幕ではないから。なにやら、中西市長時代、竹内市長時代を彷彿させるムードが出てきている。

最後は、体力の勝負?私は、経験による知恵と要領そして、信念で。若い議員の方々は、体力は十分であろうが、経験が浅いから、どう展開していくだろうか。

先輩の指導と言うが、5,6,7期の議員が空白の鎌倉市議会構成。1,2期が26人中、15人。同期の結束で行くのか、また、3,4期の中心勢力は、どう動くか、特に動物的感の鋭い3期議員は注目されている。