2012年6月24日(日) |
とんぼの会・進藤新会長の登場でござる。 |
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武者姿で集うとんぼの会代表が山本氏から進藤氏に変わったでござる。
新代表の進藤氏が、岡氏と大きな仕事を務めたでござる。
いざ、鎌倉、武者姿で集う会の提唱者の松中、感激でござる。
是非、見て下され。鎌倉の宣伝を努めてくれたでござる。
下の文は、進藤氏のメールでござる。
6/8 大阪造幣局に抽選会の立会いに、行ってまいりました。
その模様が大阪造幣局のホームページで動画(26分)が見えます。
興味がありましたら 見てください。
http://www.mint.go.jp/coin/coin_topics/20120615.html
販売 地方自治法施行60周年記念千円銀貨幣プルーフ貨幣セット(神奈川県)の抽選会
:独立行政法人造幣局
とんぼの会代表
進藤 延二 |
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2012年6月18日(月) |
三菱電機出身の山田総務常任委員長は、大丈夫か? |
現在、鎌倉市議会では一般質問が行われているが、理事者の口から三菱、三菱電機という企業名が出ているが、
三菱電機出身の山田総務常任委員長は、その席にいて良いか、いずれ、問題になるであろう。
鎌倉にとって、大企業の三菱電機、その企業が鎌倉市の行政と深く関わっていくことはあるであろうが、
三菱電機出身の山田総務常任委員長が、その行政を取り扱う総務常任委員長の責任ある立場にあることは、おかしいと思う。
理事者から三菱電機の名前が出た以上、所管の総務常任委員会で扱うことが予想されるので、山田総務常任委員長は、その席を速やかに降りた方が良いと思う。
議会として問題ないのか、、伊東議長は、代表者会議、議会運営委員会で諮るべきである。
総務常任委員会でも問われるでこともあり得るが、伊東議長は総務常任委員でもあるのでどうするか、注目。
問題になってからでは、遅くなる。私は、おかしいと思うから、声を大にして行く。
これからの鎌倉市議会、問題点を、問題化していくことが、問題となっていくかも知れないが、素人感覚では務まらない局面が予想される。松尾市政も同じだ。 |
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2012年6月10日(日) |
なーんだ松尾市長がしゃっべていたんだ。 |
去年から副市長候補の名前が、話題になっていた。今回も早くから名前が話題になっていた。いつ出すか、いつ出すかと言われたが、財政が厳しいので、諦めて、先に職員給与引き下げを、
暫定的に2年間することを決めた。かってないほど、鎌倉市の職員の給与、財源確保のはずだが、まず、高給取りの副市長を2人増やすために使うとは、この時期に副市長増やす理由があるのか。
財源が厳しければ、一人副市長で頑張らなければいけないはずだ。それが、3月の議会が終わって、3ヶ月も経たないうち、副市長人事優先とは、これから行革なんて言っても信用出来ない。
日頃、行革だ、職員給与が高いと吠えている議員も、副市長を増やすために協力することになる。言っていることと、やることが違うと言われてしまう。これからは、財源のためではなく、もともと、高い鎌倉市の職員の給与を他市並みにずーっと引き下げなければならないので、とても、今回のような職員の給与を暫定的に引き下げて、副市長人事を優先するようでは、厳しい批判が市民から出るであろう。
また、批判の声は、なーんだ、そのため早くから、松尾市長は副市長候補の名前を、ちらつかせ、職員給与が高い高いと言っていた議員も副市長人事に協力していたのかと。
そういえば、中西元市長は、助役(現副市長)無しで頑張った時期もある。また、竹内元市長も二人の助役が辞めてもその後、一人で頑張った。
また、石渡前市長は、一期目の時、一人助役で4年間頑張った。
二人の副市長がいて、上手く行くか、また、鎌倉在住であるか、国から来た副市長は鎌倉に住んで、頑張ると張り切っていると。とにかく、今二人目の副市長の必要性があるのか?
それにしても、松尾市長は口利きの公開に取り組んでいるので、ペラペラ喋ることは、当然であろう。
開発に関し、ある元議員が良く動いていると松尾市長から聞いたことがあるが、これも口利きの公開か?
まだまだ、他にもあるかも?市長が喋れば電光石火、喋った相手が喋ってくれる?今回も市長から副市長人事を聞いた議員がすぐ、漏らしたとの話も?漏らすことが政治力の時代? |
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2012年6月8日(金) |
これが行革か |
職員の数を減らす、職員の給与も減らすと以前から松尾市長。6月議会には職員給与の暫定2年間の給与減額案を上程予定。また、議会では議員報酬減額の検討に入る。
ところが、昨日、6月議会冒頭に副市長人事案件を提出したいと松尾市長から電話。私は、反対と即返事。
また、、先週、知り合いからか、副市長の人事のことがなり話題になっていると言われ、私なりにあたってみると事実の様だ。
また、副市長の名前も回っていて、かって、議員と職員のゴルフ仲間のことで話題になった方だ。もうここまで話が回っていることは、聞いた議員か、誰かが話を漏らしたのかも知れない。
このような話は、電光石火広まってしまう。それにしても、職員の数は減らします、職員の給与も減らします、議員の報酬も減らします、でも、高給取りの副市長は、真っ先お願いしますとは、
呆れてしまう。
議会の見通しがついたから、月曜に議会に説明、すぐ、返事とは。私は一人でも反対します。先の予算議案も反対しましたし。
でも、これが行革か、それとも、2人も副市長がいなければ仕事が出来ないのか、なぜ、今、副市長人事か、、数ヶ月前まで、兵藤副市長一人であったのに。
市政アドバイザー、副市長2人など、松尾市長の周りには、人が増えるばかり。やはり、能力の問題かも。これじゃ、行革の旗が泣く。
でも、選挙は強いと言われている。今や、、市長の和服姿に、いいねぇ、いいねぇ。
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2012年5月31日(木) |
今度は房総半島沖に地震源とは |
今朝のNHKのニュースによると関東大震災並みの地震源が房総半島沖にと。
Google「房総半島沖で大地震の可能性 」
房総半島沖では、陸側の岩盤の下に南からフィリピン海プレートと呼ばれる岩盤が潜り込んで、岩盤が押されて地震を引き起こすひずみがたまり続けていると。三浦半島付近も、同じようだと。
大正12年にマグニチュード7.9の関東大震災が起きてひずみはいったん解放され、一方、房総半島沖では、少なくとも300年間は大地震が起きていないと。
このため、国土地理院では、関東大震災を引き起こした震源域とは別に、千葉県の房総半島沖を震源域とする大地震が起きる可能性があるとみて、今後、地震の規模や繰り返し間隔などを詳しく調べることに。
西村卓也主任研究官は「この地域で地震が起きた場合、マグニチュード8クラスの地震になる可能性がある。
観測の精度を高めて地震想定の見直しに役立てるようにしたい」と。
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2012年5月31日(木) |
フェスブックのハイライト作成 |
フェスブックを4月から始め、いくつかの写真とコメント載せてきました。最近、ブログを更新していないですねと言われ、フェイスブックを見て下さい。
たびたび、アップしていますと言ったら、見ることが出来ないと言われ、あれ、どうなっているのかと思ったら、私の勘違いで、フェイスブックのマークを
クリックすれば誰でも見ることが出来ると思っていました。
ところが、会員登録しなければ、見られないということが分かり、また、個人情報が知られるので、登録しないという方もおり、残念ながら、
もうすでに、非表示にしたため、いくつかのコメントと写真を削除してしまいました。これも、私の勘違いで、いつでも元に戻せると思っていました。
そこで、フェイスブックに載せたいくつかの写真をお見せしたいので、写真ギャラリーのページをつくりました。
ここをクリックすれば、 写真ギャラリーを見ることが出来ます。(6月2日追加) |
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2012年5月25日(金) |
さぁ、どうする、予算に賛成した議員、また、決議に反対した議員。 |
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24年3月に可決された鎌倉市24年度予算は、市職員の給与は全国的にも高水準であった。
その予算案に反対したのは、私一人であった。職員の給与引き下げを訴えていた議員も賛成であった。
また、平成24年度鎌倉市一般会計予算の執行に関する付帯決議は、僅差で否決された。
それが、2ヶ月も経たないうち、松尾市長は、給与引き下げ、削減を盛り込んだ給与条例改正案を6月議会に上程するという。もう、条例と予算補正か?あきれた?
平均7,7%の職員給与削減のようだ。議会の意向とは違うようだが?
さぁ、どうする、予算に賛成した議員、決議に反対した議員。
ころっと、態度を変えて賛成に回るのか、それとも、もっと下げろといって、賛成か、それとも、徹底反対か。
市民の圧力が怖い、批判が怖いから削減案に全員賛成か。
削減しても、まだまだ、高いという職員給与、さらに、引き下げよとの声は広がるであろう。
また、正職員と非正規職員との格差という問題等多くの課題があるから、行革はまだまだ終わらない。
それに、鎌倉市の財政は、厳しい状態であるから、批判はさらに続くであろう。
私は、削減案に賛成し、さらに、行政改革に取り組んでいく。でも、かってのエネルギーはないが、経験から見通しはつく。中途半端が一番いけない。下がる下がると喜んではいけない。もっと下げろ、下げろの声が広がる。松尾市長はさらに、次なる行政改革に徹底的に動かなければ、なれ合い政治で終わる。
やれば出来るではないか、さらにやれとなる。やらなければ、お終い。かっての元中西行革市長を見るが良い。一時、評価を受けても、後が厳しい。
それにしても、松尾市長も3月には、やらないと言いながら、市民の批判、議員の批判には耐えられないのだろう。今回の削減案は、市長主導であったらもっと下げるべきであった。中途半端なやりかたでは、激しい行政改革の闘いは続くであろう。みよ、西の維新の会・橋下市長、給与引き下げだけではなく、政治体制まで改革闘争である。
私が取り組んだ、日本一の鎌倉市職員高額退職金引き下げは10年以上掛かった。
今回の削減は、入り口である。それも2年の暫定。やらなければいけない、当たり前のこと、今頃、遅いよとの声多し。とにかく、国、地方は閉塞感に満ちあふれている日本の政界、中途半端な状態が、橋下ブームを呼ぶ。特に野田民主党政権は、最悪である。鎌倉では和服でも着ないとは。 |
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2012年5月15日(火) |
有り難い、研究者に頭が下がる。 |
先日、 鎌倉の地震・津波対策には緊張感がないと書いた。その後、インターネットで思わぬページに出会った。
津波・防災標識・表示板(tsunami sign)も大きく取り扱っている。鎌倉の七里ヶ浜の写真から始まっている。
それは、 「防災システム研究所 山村武彦氏」のホームぺーじである。大変参考になると思い、リンクをお願いしたら快諾を得たので、是非見て欲しい。
また、つくば竜巻災害も取り上げている。このページを研究して、議会で質問したら、かなり深く掘り下げることが出来る。
それより、鎌倉市は一度、ご講演をお願いしたら良いと思う。もし、すでに行われていたら、私の調査不足である。
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2012年5月8日(火) |
私は真っ正面から戦った。 |
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当時、背中を見せず、日本一の鎌倉市職員の高額退職金に対し、発言通り、闘いを続けました。
議会内でも新自由クラブが同調してくるかと思ったが、新自由クラブはそのご解党し進歩党となって、我々の行動から離れていきました。
当時は土光臨調、中曽根行革と国では自民党が積極的に行革を訴えていましたが、鎌倉の自民党は、革新市政の時、なれ合い政治体制が出来上がり、どちらかといえば、職員側でした。
当時の自民党が応援してくれれば、もっと、行革が進んだと思います。日和見主義の自民党は今でも変わりません。解散、解散と騒ぐだけです。
私を応援してくれたのは、同志の松尾議員(現市長の父)、石井議員、斉藤政朗議員数名でした。
また、亡くなった江藤淳先生が強烈な応援していただき、マスコミ、新聞、雑誌、週刊誌等で私たちの行革運動を支援してくれました。
また、行革市民の会の有志達が大きな力となってくれました。
その力が行革市長を誕生させるのです。
そして、日本一の鎌倉市職員の高額退職金は、国家公務員並みまで引き下げました。(つづく) |
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2012年5月8日(火) |
なつかしい資料が |
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なつかしい資料が出てきたました。その一部を紹介します。市職員組合員が200人以上が座り込んで騒いでいました。
当時、私の対する組合から攻撃は激しく、発言も都合良く書かれています。
まぁ、攻撃されるのは、当然でしょう、さらに下げるべきだと私は戦うと、委員会を常にリードしていたのですから。政治の世界は背中を見せたら切られてしまいますから。
幹部も一般職も高いことには変わりなく、制度が変われば同じように下げなければいけないはずですが、組合は、市職員労組の立場で書いています‥いずれ、PDFで紹介します。
市会再選後も、私は留まることなく、行政改革を訴えていきました。
それが、行革市長誕生となるのです。市民の有志も立ち上がり、行革市民の会が結成されました。
下の記事は今年1月31日のものです。 |
私が、32年前、日本一の高額鎌倉市職員退職金制度を議会で問題にし、引き下げに戦っていた当時のビラが、出てきた。
当時の鎌倉市の職員労働組合は、共産党が支持する日本で最強と言われた。右の記事のように、200人の組合員が総務常任委員会が開かれている日、廊下に座り込んで、抗議の行動に出ていた。
私はいずれ、もっと、下げるべきだと発言すると、廊下では組合員は声を出して騒いでいた。数年後、高額退職金引き下げ実現のため、行革市長を誕生させて、国家公務員並みへ、市職員の高額退職金引き下げを実現させた。
懐かしいビラである。当時は、ワープロもなく、新聞の切り抜きと手書きで作成し、市民に訴えた。
写真のように、私の頭には髪の毛がフサフサしていた。 ウソみたい!
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2012年5月4日(金) |
鎌倉は緊張感がない? |
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何か緊張感がないと感じる鎌倉の地震・津波対策。
腰越まつりの時、時間があったので、江ノ電江ノ島駅から商店街を抜けて、周辺を歩いてみた。
海へ出たら 、何か見慣れないものがあったの。近づいてみると、
「津波(気象)情報 電光表示盤」ではないか。それも、そばには無線塔が立っている。
設置者は、神奈川県藤沢土木事務所・藤沢市とある。
確か、想定では、鎌倉・由比ヶ浜方面には14m以上の津波とある。
鎌倉の海岸にも同じような表示盤があるかなと思って歩いて見たら。津波避難表示盤ではない。説明板だ。電光表示盤ではない。
それも、神奈川県藤沢土木事務所・鎌倉市とある。どうして、藤沢市と違いがあるのかな。それとも何処かにあるのかな?
また、鎌倉消防署の前には、海抜表示盤があり、津波避難建物の表示板がある。
いつ来るか分からないが、14以上の津波が想定されいるのだから、14mの津波対策前提の表示を考えるべきだ。
また、津波のことは当然であるが、震度6以上の場合、避難しても建物は大丈夫か、崩壊しないか、その点も表示すべきである
大地震が来たら津波、建物倒壊、火事、液状化、ガケ崩れ等の対策は重要だ。緊張感を待たないとすぐ、忘れる。
とにかく、来たら、まず、安全な場所にすぐ、逃げろだと。安全な場所へ誘導するには、道路に分かる標識を。
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2012年4月30日(月) |
なんと情けない日本の国の政治家 |
絶望的に近い日本の国の政治家。野田政権、民主党内部で対立、自民にすり寄るが、解散、総選挙と、言われにっちもさっちもいかず、支持率が落ちるばかり。
自民は自民で維新の会に秋波を送るときたもんだ。これじゃ、地方の政治家の株が上がるばかりだ。それも、維新の会が独り占めだ。橋下旋風が怖いか、開けてびっくり玉手箱か?
とにかく、民主党は速やかに解党し出直しすべきだが、しかし、そのエネルギーもない。内輪もめでエネルギーを使いすぎ。なんとか、保身と延命で必死だ。まぁ、時間の問題であろう。頼みは自民の有志か?
でも、維新の時代が期待されているが、地方政治家に頭を下げることが出来るか、国の政治家。そういえば、ここ鎌倉は地方の武士が立ちあがって政権を取った武家政権発祥の地だ。それ以来、日本の政治は幕藩体制650年。明治維新から国体政治、戦後は、民主主義、この間150年。でも、行き詰まった民主主義、パフォーマンス選挙のなれの果てのド素人政治家が続々、新たな政治体制が期待されている?
今や神奈川県独立運動の声が出る始末。幕藩体制に戻るか?国だ、国家だと言っても、党内がまとまらない民主党、自民党では、当分お家騒動で滅茶苦茶。やはり、維新の会しきゃないということになると、この国はどうるか分からない。民主、自民の大連立も、実力者の小沢氏次第。維新の会か、小沢政権か?鎌倉はみんなの党の実力者がいるが、これまた、数では維新の会次第。 |
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2012年4月28日(土) |
行革をやるには覚悟がいる。それには予算を反対し、市長を変えること。 |
岡田議員が「鎌倉市の職員の給料は、日本でも有数の高位にランクされている」と、ビラを出し、その反響が市民から頑張ってという激励が続々あるという。
岡田りぽーとA面 岡田りぽーとB面
私が、岡田議員に言っていることは、そのようなビラを出し、行革が実現すれば英雄になるか、袋たたきになるかだと。その覚悟をと。
それには、予算を反対し、市長を変えることである。行革を訴えて当選した松尾市長には、行革はとても無理だ。度胸もなければ信念もない。市長でいたいだけだ。
私もかって、鎌倉市の職員の退職金が日本一で、30年前で、5千万円台が続出した時、引き下げに戦った。それも、国家公務員並みにするのに10年掛かった。
立ちあがった最初の頃の記事(日本一の鎌倉市職員の退職金).
30年前から戦い、まず、第一回目の引き下げに成功したが、それでも、給料の130ヶ月から110ヶ月であってので、せめて、国家公務員並み(60ヶ月ちょっと)に引き下げる運動を始めた。
それには、予算を反対し、5党相乗りの現職から行革市長に替えて引き下げに成功した。予算に賛成しては行革は出来ない。信念が疑われる。下げると言っても、予算に賛成しては腰砕けである。
しかし、引き下げに成功してから、袋たたきにあった。行革市長は箱物市長に豹変し、私には利権政治家から徹底的なつぶしが始まった。妬み、ひがみから次は松中は上を狙ってくると思われたのだ。
英雄どころか、次の選挙で最下位当選であった。批判をしないで、ほめ殺しである。また、私の周りから有力な支持者をはぎ取り始めた。それも、市長自身に詰め寄って、圧力を加えるのだから。
ところが、最後は、私を守ってくれたのが、清川先生であった。確かに先生の周りから、私の支持者をはぎ取るため、圧力があったようだが、全部、渡すことはしなかったので、私は、セーフであった。
次の市長選挙では、私は逆襲し、市長を替えた。また、また、恨みをかったが、もう20年前のことだ。こちらこそ、行革が市民のためになると思ったのに、身内から邪魔にされるとは。まさに、敵は身内にありか。でも、懐かしく思うのも、時間が解決するのかも。でも、岡田議員はこれからが試練だ。果たして耐えられるか、まず、予算に反対し、市長を替えることだ。松尾市長には無理だから。
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2012年4月23日(月) |
世界遺産登録を目指す鎌倉は名越にある煙突をなくすべきだ。 |
世界遺産登録に推進している鎌倉市、景観を問われているが、大蔵幕府跡も残せないのでは、その熱意のない姿勢で鎌倉は登録出来るのかと市民の声がある。
本当に鎌倉市の声の中に、何が世界遺産なのかとの声は多い。私は面はダメだろうが、点では可能性があると言っている。
しかし、市民の声を考えてみると、もっともだと思うことがある。一度は世界遺産登録のため、高い煙突はダメだと、行政はバイオ施設建設用地を名越から関谷に移す計画をした。
それが、土地問題で振り出しに戻り、そのまま、名越クリーンセンター改修で高い煙突を残したまま、温存しようとしている。たかが10年のため、無駄な数十億円を掛けても、その後の計画が不透明であるので、いつ解決するか分からないまま、見切り発車しようとしているゴミ問題、それで、世界遺産とは世界の笑いものになってしまうではないか。顔かくして尻隠さずである。世界遺産は永遠のはずだ
世界遺産のため景観を問題視するなら、まず、名越クリーンセンターを深沢JR跡に移設するのが、行政の最優先課題である。鎌倉が笑いものにならないため、すぐ、名越クリーンセンター移設を検討すべきである。また、大蔵幕府跡は買い戻し、、国大附属小中学校は、世界遺産登録後の世界遺産センターとしてすべきである。そもそも、世界遺産は国家事業ではないか、国が最優先に協力すべきことではないか。
また、鎌倉市として、御成中学校、第一中学校も世界遺産の景観ためなら、将来、移設を検討すべきである。日本人口は激減すると言われているが、鎌倉市も当然、想定されるので検討に入るべきである。また、必ず、近いうちに来ると言われている大震災、ガラッと変わることも想定される鎌倉である。細かい取り組みより、大胆な取り組みが大事である。行政の責任者の勇断が問われている。
維新の会の勢いからすると、神奈川県が存在するか分からない、日本がどうなるか分からない、だから、鎌倉もどうなるか分からないとは無責任である。確かに神奈川県がいらない声は多い。
市町村合併、新自治体構想等色々取りざたされているが、鎌倉は、武家政権発祥の地、鎌倉から日本を、世界を考えることは、鎌倉の心意気だ。
中身がバラバラの既成政党に任せていると、日本は破滅である。政党の組織の問題ではない、政治家の人物の問題である。誰か良い人いませんかと、言われるが、今の政党人の多くは、パフォーマンス選挙のなれの果てであるから、いないと言うことにしている。名越クリーンセンターの煙突も撤去出来ないようでは、鎌倉も暗い。 |
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2012年4月16日(月) |
それなら、市外に住んでいる鎌倉市職員も、鎌倉へどうぞの声あり |
松尾市長のつぶやきかと思ったが、どうやら、本格的取り組みのようだ。
松尾市長のツイターにある以下のつぶやきは、本音であろう。
「 鎌倉市の職員を募集します。年齢の上限は40歳(昭和47年4月2日以降に生まれた人)。
鎌倉市を住みたい、住み続けたい素晴らしいまちに一緒にしていきたい人、大募集。」
私の希望としては、市外の方は職員になったら鎌倉に住んで欲しい
昨年より年齢上限を引き上げました。今後、さらに緩和していきたいと考えています。
もっと鎌倉市民に職員になって欲しいですね。
そうです、まずはそちらです。
今回は市の広報掲示版、鎌倉市内事業者、商店の方々にもお願いをして職員募集案内ポスターを掲示していただきます。
来たれ!鎌倉市民!!!! |
ところで、以下の松尾市長のツイターにある「ななめの関係」とは、なんだろう?今度聞いて見よう。
学校教育はもちろんですが、まちぐるみの取り組みも必要不可欠です、
地域のおにいちゃん、おねえちゃん、おばちゃん、おじちゃん、おじいちゃんおばあちゃん・・・ななめの関係を濃くしたい |
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2012年4月12日(木) |
いつ起きても不思議ではない |
報道によると、11日午後3時40分(日本時間同日午後5時40分)ごろ、インドネシア・スマトラ島西方沖のインド洋を震源とするマグニチュード(M)8.6の大きい地震があった。約2時間後にはM8.2の地震があり、余震が続いている。
米ハワイにある太平洋津波警報センターによると、スマトラ島北西部ムラボで1メートルを超す海面上昇を観測。震源に近いスマトラ島西方沖のシムル島からの情報では、島の西側の海岸で水が引いた後、2メートルほどの津波が押し寄せたという。地震の震源は、スマトラ島最北部バンダアチェの南西約435キロで、震源の深さは約23キロ。2004年12月に大津波を起こしたM9.1の地震の震源に近い。この時は計約22万人以上の死亡・行方不明者を出したと。
以上の報道から、地震が連鎖、連続である。日本では日本の東海、東南海、南海地震が想定されているが、昨年の東日本大震災から1年、スマトラで大地震が起きたことで、考えなければいけないのは、環太平洋地震帯のことである。
昨年、東日本大震災の支援にきた米軍の幹部の方が、環太平洋地震帯のことに触れたことは、今でも印象に残っている。そうだ、環太平洋地震帯のことを考えると、日本には、地震がいつ来ても不思議ではないと思う。ただただ、地震が来たときは逃げること、地震後の対策を考えておくことが大事である。それには、まず、逃げる場所、避難所は広く、数多く準備することだ。
科学技術振興機構 防災科学技術研究所・自然災害情報室
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2012年4月10日(火) |
民主党・枝野大臣の、またもや、ただちに影響はないか |
今朝の天声人語に、「経産省の枝野さんには官房長官時代の(ただちに健康に影響はありません)が重なる。発言が迷走するのは、思いとはざまで揺れるゆえとお見受けす。ともあれ、ゴマカシの上塗りはもう御免こうむるとある。大飯原発再稼働問題で、批判されている。政府は3日で作った安全対策の基準では、再稼働への基準が甘く、再稼働ありきという「靴」に合わせて、足の方を削った印象だとも。安全宣言するようだが、信を置けようかと。
とにかく、民主党政権にはどれほど騙されたか、そもそも、民主党政権誕生時のマニフェストは詐欺まがいであることは、いまや、多くの人々が思っているのではないか。
よくまぁ、そこまでウソの上塗りで政権維持が出来るものだと思う。民主党の議員は何を考えているのか、また、民主党党員、中央、地方を問わず、なぜ、立ちあがらないのか、不思議でならない。議員という立場を失いたくないため、静かに潜行か?でも、小沢、鳩山両政治家は違うようだ。若い議員ほど、静か?
まさに、詐欺集団となっていくのか、政権延命、議員の保身、ますます、維新の会に期待が増すばかりであろうが、新党乱発、政治塾乱立、それらにあやかり、政治家志望志望者が続出、志士まがいのスタイルで候補者乱立、この国はどこへ行くかと、もはや、あきらめの雰囲気である。パフォーマンスで当選してしまえば勝ち、政治そっちのけの行動で受け狙いの議員ばかり。
そもそも、駅前、駅立ち政治家出身の野田首相、政治責任感無し、政治能力無し、あるのは、パフォーマンス演技力?そんな政治家が増えたのはなぜか、マスコミが取り上げるからとの声も。そのツケは、国難となって国民に回ってくる。民主党議員の動きを見れば、お粗末すぎて、情けない、でも、自民党にもいるのか?いや、いない?、シンジロー君が成長するの待つばかりか、その間、平成の志士まがいの政治家が暴れ回るか、それも、パフォーマンスの舞台の上で?それにしても、ミニ政党までお家騒動だから、大所帯では、迷走するばかりだ。解散総選挙、政界再編成しかない、政治の出直し時代。いや、今解散すると、議員のバッジを失うので、任期まで我慢我慢か?当選の若い議員ほど?
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2012年4月5日(木) |
漂流して座礁するのか、野田政権 |
予想通り野田政権は、期待はずれだ。駅前、駅立ち政治家の断末魔は、国民を不幸に陥れ、滅茶苦茶にして投げ出しだろう。 情けない、お粗末、惨め、おお、なんと閉塞感が満ちていることか。
しかし、落ちるところまで落ちて、何かが生まれるか? 一気に政界再編成か、野田首相のお陰?
いや、維新、維新と錦の旗がなびいている。確かに維新、維新の歓迎の声が聞こえる。既成政党の幹部、実力者もその声に応えている。
次の選挙で維新の会が爆発的飛躍をするか、落ち着かない政治家、候補者もいるだろう。維新、維新と「忍び来るその広がり」、でも、次の選挙に保険をと、維新に「こっそりと忍び寄る方」もいるだろう。
開けてびっくり、自分だけではない、あなたもと、既成勢力から、抜け出すこともある。最後は、日和見主義の要領か。あぁっ、政界渡り鳥が、飛んでいる。見事な飛び方だ。鎌倉には多いなぁ。
私は「いざ、鎌倉、鎌倉ひとすじ 一松懸命」です。
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2012年4月1日(日) |
連続して厳しい巨大地震想定 |
先月、 何か不気味な気がすると書いたばかりだ。それが、今度は、文部科学省のプロジェクトチームが首都圏直下の地震の震度分布図を発表。
また、昨日(首都圏・直下地震)、今日(内閣府による南海トラフと巨大地震モデル検討会)と連続して大地震の想定地震の予測図が発表された。もはや、防災はもとより、震災後の対策が急務である。刻々想定が変わるのは、どうしてか。不気味である。想定範囲が前回の推計より23倍の広がり。
とにかく、想定される大地震、それによる崩壊、津波のことを考えると、逃げるしかない。それには、逃げる避難路、安全な避難所、高台等建設が行政の最大の急ぐべき仕事。
また、震災後のガレキ対策、大型焼却炉建設は当然である。現在の東北大震災でのガレキ問題を考えると、これから来るであろう巨大地震は広範囲の被災地域が想定されるので、自助中心に震災後対策を検討すべきである。それも、速やかに取り組むべきである。ゴルフ場が避難所、仮設住宅建設地になることもあり得ることだ。
報道によると、首都直下の地震で、2500万人に震度6超が想定されている。また、首都圏はどこで直下型の大地震が起こる分からない、南関東はどこでも直下地震の強い揺れに備えるべきだと中央防災会議が発表。
また、南海トラフト地震による最大の津波高が34・4mが想定され、浜岡原発付近では21m、現在18m想定で防波壁を建設中だが、抜本的見直しが迫られる可能性が。
さらに、鎌倉には9・2mの津波が予測されると。南海トラフト地震だけではない、東海地震、東南海地震、さらに、首都圏直下地震が想定されている。鎌倉には、最大14・4mの津波が想定されている。
内閣府「南海トラフトの巨大地震モデル検討会」のページ
文科省「首都圏・直下地震の震度分布図」
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2012年3月31日(土) |
雨にも負けず、風にも負けず |
鎌倉桜友会の石島会長から講演会のご案内をいただき、出席した。講師は長年にわたって天皇家にお仕えしてきた渡辺 允(前侍従長)氏、演題は「天皇家の執事」。
なかなか聞くことの出来ないお話し、そして良い機会と思っていたが、期待通りで、大変貴重なご講演であった。また、会場は鶴岡八幡宮の直会殿。吉田宮司のお話も面白かった。
出かける前に、今日の天候は、天気予報で心配していたが、予想通り午後、大荒れとなった。会が始まる11時頃から風や雨が強くなったり、止んだり。
講演会が終わって外に出た二時半頃、小降りであったのに、途中、バケツの水が降るごとく土砂降りの雨、さらに、突風が。何か嵐のようであった
僅か、10分ぐらいの間であったが、びしょ濡れになった。傘を広げたら、危うく風に飛ばされそうにもなった。
知り合いの家で雨宿りして、その後、小降りになり駅近くの喫茶店で一休みしながら、雨の止むのを待った。濡れた服も乾き、陽がさしてきたので、店を出た。
もう大丈夫であろうと、生涯学習センターで行われている 「鎌倉彫教授会創立50周年記念展」を見学。
教授先生方の力作の作品に圧倒された。素晴らしい作品が、館内を埋めていた。
さすが、鎌倉彫本家の地元鎌倉での企画展。でも、二度と見られないのではないかと思った。見逃したら50年後?4月2日までです。
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2012年3月29日(木) |
義経 鎮魂の場 |
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鎌倉市教育委員会 文化財課による文化財めぐり・国指定史跡永福寺跡を見学した。
当日、文化財課から配られた説明書によると、『吾妻鏡』に永福寺に関する記録が残されている。それによると、文治5年(1189年)奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は、平泉に入り、中尊寺・毛越寺等諸堂を見てその荘厳さに打たれ、鎌倉の地に永福寺の建立を思い立ったとされている。源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の鎮魂・供養をすると共に、内線の終結とそれを行った頼朝の力を誇示ためでもあったと。
奥州合戦の戦没者の鎮魂とあるので、藤原泰衡等一族は当然であろうが、頼朝の弟、義経は奥州で悲劇で終わったと思っていたが、鎌倉で頼朝が弟の義経の鎮魂、供養をしていたとは、私は思ってもいなかった。
史実ははっきりしないが、見学会の説明書に明記されていることから、信じても良いと思った。これからも史実解明に努力してもらいたい。
頼朝人気は、とかく、義経の処遇で冷く、追っ手まで送って奥州で藤原一族共々滅ばした行為があるので、低い。しかし、怨霊による祟りが信じられている時代とはいえ、鎮魂、供養をしていたことは、頼朝の評価が再認識されても良い。
日本において650年も続いた武家政権を立ちあげたことは、源氏一族、源頼朝、義経を中心に、東国武士とともにしたことは確かであり、悲劇の義経を頼朝は忘れていなかったことは、やはり、兄弟である。その後も三浦一族、比企一族等凄まじい権闘争は続くが、鎮魂は必ず行われたと思う。鎌倉の神社仏閣は何らかの関係があるだろう。
源頼朝が行った義経の鎮魂を、永福寺跡を見学して思う。いずれの日か、武家政権発祥の鎌倉時代を実現させ、活躍した義経の顕彰と鎮魂をこの鎌倉で再び。頼朝のためにも。 |
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2012年3月20日(火) |
実は最高責任は松尾市長に? |
先日、気になる報道があった。それは、「藤沢市は16日、津波避難ビル用地取得をめぐり、市幹部が取得の起案文書に虚偽の日付を記載した問題で、文書に押印していた部長2人、参事6人、課長7人、課長補佐3人を、いずれも口頭による厳重注意の追加処分にしたと発表した。これを受け、副市長は給与1カ月分を10%減額する。
市は先月、虚偽の日付を書くよう指示した計画建築部長と実際に記載した都市計画課長の2人の厳重注意処分を決めたが、市民から「甘すぎる」との批判が寄せられたとして、鈴木恒夫市長が見直すよう指示していた。」と。(毎日新聞:3月17日)
以上の記事を考えると、先日予算特別委員会で飯野議員が担当及び松尾市長に質した小町通り電線地中化の公文書偽造問題は、深刻な事態に発展することもあり得る。
飯野議員は、刑法156条の公文書偽造、間接正犯等の条文から鋭く指摘していたが、松尾市長は第三委員会等で調査をすると明言。
ところで、関心のある方が、最近、法律に詳しい専門家に解説を聞いたところ、間接正犯ではなく、市長の正犯で、部下の共犯という見解を述べたと。これまた、「実は」の展開?
市長は公文書に市長の公印を押して、予算議案を送付しているので、市長の責任が問われる。また、問題となっている不明管撤去がすでに行われたことを知り、速やかにその事実を調査し、公文書を変更して送付すべきであったのに、部下による起案と説明で済ましていたことは、最高責任者としての松尾市長はこれから、自ら調査の対象となることもある。
それとも、部長答弁のように、全てを把握することは無理なので、部下の責任であると松尾市長も言うことが出来るであろうか?「実は」の実話第5弾が飛び出すか?
課長の言うように、事実は係長以下の部下が知っていたので、これから、どのようなことになるかが注目である。
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2012年3月12日(月) |
鎌倉の行政の計画は地震が来るという前提で考えるべきだ。速やかに、再検討を。 |
関東地震クラスM8(1703年元禄関東地震・1923年関東大震災)の前後に発生する「M7クラスの地震が今後30年以内に発生する確率は、 70%程度と推定されている。さらに、首都直下型地震の報道もかなりされている。
地震が来ることが想定されているから、学校や住宅の耐震工事を進めているのではないか。さらに、津波の海抜標識も設置されるようになったのは、地震が起こる可能性が高くなったからではないか。さらに、避難ビル、避難タワー等も検討され、地震、津波に備えているのではない。これは、地震が来るという想定があるかではないか。
それならば、起きた後、ガレキのことを考えたら、名越クリーンセンターを改修をするより、災害後の対策として、大型焼却炉を速やかに検討すべきである。地震、津波が来てからでは間に合わない。東北大震災が起きて1年でガレキの処理が出来たのは7%弱であるという。それも、被災地以外で受け入れを検討している自治体は、僅かである。鎌倉はガレキは受け入れないのとの市民の声があるが、全く考えていない自治体の一つだろう?ましてや、鎌倉に地震が来たらどうするかも考えていないかも。目先のことは考えているかも知れないが。
そのことを考えても、行政の計画は、地震に襲われることを前提に考えるべきだ。耐震工事程度では、気休めである。やらないより良いということだが、防災都市としてまず、インフラ防災対策を優先すべきである。住民対策で時間を掛けているうち、地震が来たらどうするのか。もう、来るのは予期されているではないか。
東北大震災のような大地震、それほどでなくとも、もうすでに都市化された鎌倉は、ひとたび大地震に襲われたら被害は甚大であろう。関東大震災時より、鎌倉は住宅が、過密化している。それも逃げる場所、避難所、空地、広場が少ない鎌倉である。がれきの山は当然、学校の校庭は、仮設住宅で密集するであろう。
地震がいつ来ても不思議ではない前提で行政は、危機管理をもって、行うべきである。勿論、議員も強い危機管理をもって取り組むべきである。目先では、鎌倉は後悔することになる。10年、20年、30年はすぐ経ってしまう。早くから、地震が来ることで取り組むべきだ。備えあれば、憂いは減る。
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2012年3月12日(月) |
早いもので、昨年の大地震3・11から1年過ぎた |
昨日は、3・11の東日本大震災から1年。私は癒しのクラシックコンサートの会場で黙祷をした。
曲目にベートーベン「運命」が演奏された。被災地の犠牲者の追悼と被災者へのお見舞いの思いで昨年から予定していたと七澤清貴さん「(コンサートマスター)、オーケストラアンサンブル湘南 」が語っていた。演奏は、迫力があり、心に響き、被災地の方々にその思いが届くことを祈りたい。
さて、大震災からの教訓として、がれきの問題は大きな問題である。また、誘導しやすい、分かりやすい避難所設置である。
まず、がれきの問題として、鎌倉市は空き地確保は急務である。旧JR跡地の計画は即中止し、空き地、広場として確保すべきである。今、都市の発展より、防災都市計画を優先すべきである。大船の東口再開発も最大限、防災優先のまちづくりをすべきである。周辺道路拡張が優先されるべきである。
また、避難所としての高台の空き地確保は、急ぐべきだ。鎌倉・材木座紅が谷の旧市営住宅空き地は、速やかに整備し、避難所として指定しておくべきである。払い下げなんていうのは、市長は人命無視も良いところである。
とにかく、逃げろが最大の地震、津波対策であるので、空き地、広場、高台確保は最優先だ。名越クリーンセンタは改修計画は止め、深沢旧JR跡地に計画を立て、建設すべきである。
このことを怠れば、後悔すること大である。今回の大震災を考えれば、やることは、分かるはずだ。そのために行革を断行し、財源を作るべきだ。日本一だ、上位だ、わたりだ、地域手当だなんて言っていられない。 |
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2012年3月11日(日) |
行くも地獄、行かぬも地獄の松尾市長 |
飯野議員から職員給与のわたりについて、予算特別委員で鎌倉市の実態の一部が明らかになったようだ。岡田議員の調査によると、最近まで日本一、あるいは、高位の鎌倉市職員の給与、運転手職員数、さらに、わたりと職員の給与実態が明らかになってきた。国の方では、7,8%国家公務員の引き下げが実現、さらに、退職金引き下げも検討されはじめた。また、職員数削減も検討されている。
行革市長として期待された松尾市長、次々明らかになる市職員の給与実態、地域手当撤廃もモゴモゴするようでは、行くも地獄、行かぬも地獄のどん詰まり状態だ。
赤松予算委員長が、予算を通過させないと市民の批判を受けるので、相談をしたいともちかけられた。即、断ったが、まだ、1日しか予算委員会は行われていないのにもう、相談とは。
次々明らかになる鎌倉市職員の給与実態が、市民に知れ渡っていくことの方が、市民の大きな批判を受ける。それを、松尾市長は厳しく受け止め無ければなければならないだろう。
それとも、国から来た大谷副市長が、身体を張って行革断行をしてくれるのか。岡田議員の調査は、総務省のデータであるから、国のパイプがある大谷副市長の出番?
鎌倉市の財政実情から職員給与等引き下げの行革は、鎌倉市にとって最大の課題であり、急務である。金がないから市有地を払い下げしますでは、市民の怒りが松尾市長に向かう。
とにかく、松尾市長自身が先頭に立って、市職員給与待遇等の実態を明らかにし、行革断行を進めるべきだ。これだけでも松尾市長の意味がある。
地域手当は即廃止すると表明しなきゃ。今までの姿勢は情けない。まぁ、このまま行けば、やりたい放題されて、ツケは全部、松尾市長にまわるであろう。先は見えている。
岡田議員の調査ブログ |
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2012年3月8日(木) |
何か不気味だ |
最近、首都直下型地震の報道が多い様な気がする。
それも、首都直下型地震の一つ「東京湾北部地震」について、東京都東部の沿岸地域などで従来の想定の震度6強より大きな震度7となる可能性があるとの調査結果を文部科学省のプロジェクトチームがまとめ、7日発表したなどの報道は、神経にきつい。
2007年に始まった今回の調査で、想定される震源の深さが従来の約30キロから20キロへと約10キロ浅くなることが判明、それに伴い震度も大きくなるという。中央防災会議が今後、被害想定の見直しなどを行うと。
刻々変わる震度と被害想定である。最大想定を予想して、最悪事態を考えると、毎日、報道を気にしていなければならないので疲れてしまう。
確かに、予知は出来ないだろうが予期が身近に迫っているような報道であるので不気味である。
また、警察庁は8日、首都直下地震が発生した際、11都県の高速道路などで一般車両の通行を禁止するとした交通規制計画を策定した。特定の災害を想定し、複数の都道府県にまたがる広域の規制計画が策定されるのは初めて。
東日本大震災の教訓を踏まえ、最優先で対応すべき人命救助や道路復旧のための緊急車両を円滑に走行させるのが狙い。9月に関係都県警が連携し、大規模な合同訓練を実施するという。
警察庁は8日、大規模災害の発生時、直ちに被災地に投入する部隊を現在の約6400人から1万人規模に拡大することを決めた。広い範囲で被害が出ても対応できるよう、救命救助や行方不明者の捜索、避難所の警戒など幅広い活動を想定して体制を強化する。
防災報道が多いことも気になるが、何か、具体的対応が感じられる。
ますます、細心の対応が必要となってくる。備えあれば憂い無しを越えるスケールだ。
でも、備えを諦めてはいけない、震災前、震災後のため、共に取り組むことは多い。
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報道される記事の中に数字が具体的であるのはさらに、神経に響く。
これから、さらに、近づく大地震を考えると、防災行政大優先の時代である。
7以上余震、1年に6回=「引き続き注意」―気象庁
気象庁は8日、東日本大震災の巨大地震について、1年間の余震状況を発表した。昨年3月11日の本震は国内観測史上最大のマグニチュード(M)9.0だったが、余震は広範囲で発生し、M7.0以上が6回、M6.0以上が97回、M5.0以上が599回となった。最大震度4以上を観測した余震は231回に上った。
同庁は「M7以上の余震の可能性は低くなったが、発生地点によっては最大震度5弱以上の揺れや津波の恐れもあり、引き続き注意してほしい」と。
さらに報道によると、気象庁は8日、東日本大震災の余震域で昨年3月11日以降今月7日までに起きた震度1以上の有感地震が、7224回(本震を除く)に達したと発表した。
これ以外に全国で2895回の有感地震が起こり、合わせて1万119回に上った。01~10年の有感地震は多い年でも2000回程度で、震災を引き金に日本列島で地震が多発したことが改めて浮き彫りになった。
気象庁によると、余震の多かった04年の中越地震でも、発生後1年間の余震は約1000回で、東日本大震災の余震の多さが際立っている。本震を含めた有感地震1万120回のうち震度5強以上は27回、震度4以上は328回。震度4以上の地震は、01~10年は年平均49.4回だった。同庁は、東北から中部地方にかけて誘発地震が多く発生したとみている。
同庁は、青森県沖から千葉県にかけての震源域付近を余震域としている。月別の余震発生回数は昨年3月の2320回から徐々に減り、2月は182回だった。
また国土地理院によると、宮城県の牡鹿半島は、震災当日と、その後もゆっくりと続いた地殻変動で、この1年間で計約6メートルも東南東方向に動いたことが分かった。
これらの報道を気にすると、本当に恐ろしい気もするが、何か忘れたい気にもなる。
でも、被災地の方々を考えると、頑張って下さいと祈るばかりだ。
明日は我が身かも知れないが。目をそらすわけにはいかない。一歩一歩、我は歩くことだ。
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2012年3月4日(日) |
ガレキ |
東日本大震災の被災地・岩手県、宮城県のがれき受け入れで、自治体の86%が難色を示しているという。また、53%の自治体が全く考えていないという。「カナコロ」
これを考えると、鎌倉にはいつ来るか分からない大地震後の対策として、深沢のJR工場跡地に新焼却施設の清掃工場を検討すべきことは急ぐべきである。
鎌倉市では、現在、JRの大船駅から南西へ約2キロ、湘南モノレール「湘南深沢駅」に隣接する市有地(旧国鉄清算事業団用地約8.1ヘクタール)や東日本旅客鉄道㈱鎌倉総合車両センター(旧大船工場)跡地(以下「JR工場跡地」、JR東日本所有地約13.3ヘクタール)を含む周辺地域約32.3ヘクタールで、まちづくりの計画策定を進めているが、大震災対策として空き地、広場として残すべきだ。
ひとたび、大地震がくれば、想定最大ではなくとも、10mの津波で鎌倉は襲われる。そのとき、周辺他市が、がれきを受け入れてくれることは難しい。当然、鎌倉坂の下、由比ヶ浜の海浜公園はがれきの山になるであろう。ましてや、鎌倉は東北大震災のがれきを受け入れるのに手を挙げているわけでないので、とても、東北にお願いすることも困難であろう。
処理場に余裕のある横須賀市でも、速やかに受け入れるとならないことを考えても、自前のがれき対策を鎌倉市ではしておかなければならない。ましてや、がれき焼却施設、ゴミ発電、エタノール処理等検討しておくべきである。生ゴミのバイオ処理をと訴えている方々もいるが、それは平和時、有事の大震災時には、焼却か埋め立てしか考えられない。大量処理が現実。
鎌倉を襲う大地震が想定されている現在、電気、水道、道路、下水道、そして、ゴミ処理施設は、欠かせないインフラ施設である。JR工場跡地利用の再検討は必然である。
大型清掃工場、焼却施設建設は、鎌倉にとって急務である。
これは、今の状態を延命することではない、将来、それもいつ地震に襲われるか分からないことが現実だが、今でもあるかも知れない非常事態である。最近の連続する小地震は不気味である。とにかく、少しでも、備えあれば憂い無しを目指すべきである。
地震が来ることが想定されているのに、がれき対策を無視し、近代都市建設を進めることは、虫が良すぎる。人口増加政策をすれば、ゴミも増える、今、やるべきことは大地震に備え、新焼却施設建設と空き地、広場対策。
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2012年2月1日(水) |
一度決めたら変えるのに10年あるいは、もっと。 |
日本一の鎌倉市の職員の高額退職金制度を変えるのに、激しい戦いがあった。とにかく、公務員の制度は一度決めたら、変えるには10年、20年掛かるのは当たり前な世界である。
給与にしても退職金にしても、上がっていくことが当たり前と言われていた過去。それが、三十数年前はバブル経済の始まり、民間も成長で浮かれていた。
でも、鎌倉市の高額退職金制度は、ひどかった。私が初当選したときは、職員の退職金は、給与の130倍であった。それを、110倍に落とすには、7年、90倍落とすにはさらに5年、63倍ぐらいの国家公務員並みにはさらに5年と掛かった。
その間、いろいろな妨害があった。そのためには5党相乗りの現職市長を倒し、行革市長に変えての戦いであった。そのため、私は勢力を伸ばし、県会議員や国政に挑戦するのではないかと、警戒された。
確かに仲間の同士の一人は、2回の県会挑戦で選挙違反で刺され落選。現役勢力は団結で、保身に躍起であった。行革市長誕生の勢いはあっても、新人とってかなりきつい。ましてや、退職金引き下げが実現すると、行革市長は、延命を考えるので、行革色から箱物行政へと変化。行革市長への取り込み作戦が、既得権益勢力によって、行われてきた。まず、都合の良い助役人事から始まる。
また、陰で、松中の言うことは聞くなと長老勢力が市長へ、言い出す、それに、市長は行革を忘れ、バブルの勢いで名誉のためか、また、まわりの利権集団に圧力を受け、箱物市長に走り出す始末。いくら、利用されていると忠告しても、もはや、聞く耳を持たない。まさ、首長は使い捨てである。その後は、落選であった。
その前に、松中は邪魔であるからと、退職金引き下げの手柄を薄くし、落とすことに市長派も、協力する始末であった。あれほどの、激しい退職金引き下げの戦いがあったのに、次の市議選で、その、見返りが最下位当選であった。それならと、次の選挙で別の市長候補を立て、現職を倒した。政治刷新は激しいものである。
今は、リーダーは別であるが、県会、国会を始め、いとも簡単に議員に当選出来る。政治経験もなく、パフォーマンスが出来れば。これでは、政治が良くなるわけがない。
やはり、政治には、変えること、守ることで戦いがある。戦いを避け、口先、パクリのパフォーマンス選挙で当選した議員で国や地方が動かしていけるのか、お先は暗い。
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