新

王莽
 漢王朝の簒奪者。外戚として力を持ち,やがて禅譲により皇帝として即位,「新」を創設した。
 当初はそれほどの反発を浴びなかったものの,政策が極端な復古主義を唱え,土地の国有化,華夷を強調するあまりの無礼外交,くるくる代わる貨幣制度など次第に国内外の反発を浴び,各種の反乱を起こすことになる。反乱軍は首都長安に攻め込むと最後まで力戦して敗死した。
 儒教による国家制度の利用を推進する反面,呪術的なものを信頼していた。なお土地の国有化は豪族による大土地所有の問題を解決しようとするものであった。
百七十一

劉玄{更始帝}
王莽に対して蜂起した緑林軍によって皇帝に押されるが、人徳少なく劉秀の軍に敗退した。
七十八

呉漢(後漢) ?-55
 時代を変えました。
 南陽の人。策略に優れる。家貧しく、単なる亭長であったが、王莽の末、漁陽へ逃げ、馬の売買に携わる。後に劉秀(光武帝)に帰順し、偏将軍となった。蜀の公孫述に八戦八勝し、遂に匈奴へと追撃した。後に大司馬となり、広平侯に封じられた。復讐心が強く、敵国平定の後の処理が酷薄だったという。

馮異 ?-34
漢字を直して統合しました。
 『孫子』の兵法を通じて、光武帝の統一を助けた。王朗、赤眉の賊、公孫述の討伐などに活躍。他の将軍が軍功を争って自慢し合う中でひっそり見つめていると言った奥床しい性格で、大樹将軍などと呼ばれた。

賈復
 小さい頃から学問を好み『尚書』を習った。光武帝の各地討伐に参加し、負けたことがなかった。後に既に統一が進み、皇帝が望んでいるのがもはや戦争の終了と文治政治の開始、功臣達の武装解除にあると知ると、積極的に室内で国家の政治を論議する作業に入った。恩遇は甚だ厚かった。
二百三十八