商


湯王{成湯}
 姓は子、名は履、廟号は天乙。帝コクの子、契の子孫。最初、亳にいた。夏の方伯となる。最初、葛氏が祭祀をきちんとしないことからこれを伐つ。後に伊尹を採用、無道である夏の桀を時期を見計らって放伐し、天下を獲得した。国号を商とした。
 彼の徳を示すエピソードとしては人が網を四方に巡らして鳥を一網打尽に得ようとしたのに対し、一方だけは開けさせたというのがある。
 甲骨文に「大乙」あるいは「唐」という商の祖先の名があり、王国維がこれを湯王のことであると考証して以来、湯王は最古の実在君主とされるに至った。
二百五十八

伊尹
 湯王による商の建国を助けた功臣。二代目王の外丙、三代目王の中壬の死後、太甲を立てて帝とする。しかし後に太甲を暴君として追放、三年後に更正した太甲に大政奉還を行うなど、商の基盤確立に大いに貢献した。そのあまりに大きな役割から伊尹の背後には大きな勢力が存在したとする見方もある。
九十一

伯夷(殷) Bo2yi2
 武王が商を攻めようとする際、叔斉(Shu1qi2)とともに諫めた人.周が天下を取ってからは「周の粟は食らわず」と言って、武力で天下を取った周を非難、餓死する.その毅然たる潔い姿勢は、後々まで王朝が替わる際の生き方の一つの見本となる.

紂王
 商の最後の王。商の武王により放伐された。政治を乱したとされるが異説もある。
二百七十

妲妃
 紂王の寵妃。彼女の機嫌を取るために政治が乱れたという。