三百六十一〜三百八十 |
書いていただいた方々、本当に有り難うございます(^^)。
人物名:蘇軾{蘇東坡}in北宋
投票者の方:dolbie
< dolbie@poo.interq.or.jp >
蘇軾。北宋の詩人といったらこの人でしょう。失脚しようが左遷されようが希望を失わないところが好きです。
しかもいったん登用されれば確実に政務をこなし、あの新法・旧法の派閥対立の嵐の中で筋を通したのはさすが。
新法党の領袖、王安石との友情もマル。
ところで、蘇軾の弟って、なんて名前でしたっけ。
人物名:韓非子in戦国
投票者の方:かとーGO
< fwkt8839@mb.infoweb.ne.jp >
中国の故事成語の9割が誕生した春秋戦国時代。
韓非子はその春秋戦国時代の諸氏百家の内で、ずば抜けた存在だと思う。
韓非子の思想を始皇帝が実行し、秦帝国が誕生しましたが、それ以後の歴代帝国も、
基本的に秦帝国から引き継いでるだけなのだから。中国帝国の生みの親と言っても全く過言ではないと思う。
よく比較されるマキャベリズムがヨーロッパに誕生したのが中世であることを考えると、それと同等かそれ以上の思想を紀元前に作った功績はあまりに偉大です。
始皇帝にはじまり、曹操、諸葛了、現代まで、読者に影響と衝撃を与えつづる韓非子こそ、中国史上最大の天才でしょう。
人物名:李贄{李卓吾}in明
投票者の方:dolbie
< dolbie@poo.interq.or.jp >
投票してはみたのですが、実はこの人のことあまりよく知りません。
明末の学者で、何か革命的なってゆうか異端児的な学説を唱えた人らしいんですが、
具体的にどういう説を唱えたのかよく分からない。
ともかくかなり現代的な学説を唱えて、「社会秩序を破壊する」とか何とかいった
理由で捕まってそのまま獄死したらしいです。
あそうそう、この人曹操、武則天、馮道なんて人たちを弁護してるらしいんです。
それで私も興味を持ったんですけどね。
「とりあえずこのページにいきゃ概要ぐらいわかるだろ、何しろ李卓吾だし」とか
甘い考えでアクセスした私がバカだったようです。
――――続報求む!
人物名:楽毅(燕)in戦国
投票者の方:楊 金泉
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宮城谷氏の小説を読んでのファンです。
人物名:楽毅(燕)in戦国
投票者の方:楊
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人物名:二郎真君in西遊記・封神演義
投票者の方:楊 金泉
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・・・歴史?・・でも悩殺(!)されました。ちなみに北宋のだれかさんとは違うという説の支持者です。(当たり前ですよ!ほんと、同姓同名でも一緒にするな、ってかんじです!)
人物名:馮道
投票者の方:エスエスケイ
< e-sasaki@ttmy.ne.jp >
一番最近読んだ本が、中公文庫・礪波護著の『馮道』ということもあって、この人に
しました。後代の評価ははかばかしくない、どころか司馬光の『資治通鑑』以降、
「全否定の対象だった」とまで書いてあります。文革以降は再評価されるようにもなった
らしいですが。
よく言われることですが、後代の倫理観だけから過去の人物の是非を判断するのは、
後の世の人間の賢しらというものですよね。宮崎一定先生なんかも言っていたように、
あの時代の文官はああいう処世しかなかったんじゃないかな、と思います。
猫の目のような天子の存廃にいちいち殉じていたら、命がいくつあっても足りない。
ヤクザはヤクザ同士で勝手に殺し合いをすればよい。自分の仕事は、少しでも一般庶民を
救済できるようはからうことだ、みたいな。
恬淡とした人物という印象の一方で、滅茶苦茶な時代に生を受けたことに対する、一種の
やるせない思いも本人にはあったんではないかな、と思ったりします。
人物名:符堅
投票者の方:讙々
< janjunjon@mub.biglobe.ne.jp >
東晋十六国の内、前秦の皇帝で、一時は華北を統一するも、民族融和の理想に溺れ、無謀な東晋遠征を行った挙げ句、大敗して何もかも失った悲劇の英雄。昔から(陳舜臣先生の小説十八史略あたりからかな)ファンなんです。まあ、田中芳樹先生なんかは現実より理想を優先させる人物と、少々酷評されていたりしますが。でも、こういう人は好きですねえ。
人物名:呂布{奉先}in後漢末
投票者の方:
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人物名:夏侯惇(魏)in三国時代
投票者の方:
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人物名:尉遅敬徳in隋末唐初
投票者の方:
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人物名:何玉鳳(シーサンメイ)in児女英雄伝
投票者の方:庸正
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物語の中ごろ彼女が結婚するあたりが非常に可愛らしいのでご一読を。
追伸 説岳通俗演義は邦訳されているのでしょうか? 誤字にはご容赦を。
人物名:何玉鳳(シーサンメイ)in児女英雄伝
投票者の方:庸正
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人物名:高宗武丁in商
投票者の方:エアダブリン
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商(殷)王朝の第22代目王。某宮城谷さんの小説では言語障害者になっていますが、ほんとかどうかはしりません。
戦争や外交で支配領域を拡大したり、有能な人物を身分に関係なく役職に抜擢したりして王朝史上最高の繁栄をもたらした人です。
人物名:謝安
投票者の方:よしあき
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前蓁の符堅が攻めてきて、甥の謝玄が勝った後に「小僧がちょっと・・・」と言って 強がってるのが、とても微笑ましいです。この後、二年後に亡くなるのはさみしいです。
人物名:武帝in南北朝
投票者の方:dolbie
< dolbie@poo.interq.or.jp >
ええと、いちおう、蕭衍さんですよね、この人は。なんか南朝の初代皇帝は全員「武帝」というおくり名だったような…。
なんだか「仏教に溺れて国を傾けちゃった人」というイメージの強い人のようなんですが、しかし一方では「南朝史上最高の名君」と称揚される人でもあります。
確かに暗君昏君暴君入り乱れる南北朝時代では特筆すべき皇帝ではあります。やれどんな残酷な殺し方をしたの、どんな大規模な土木工事をしたのと暗い話題の多い中、経済政策を成功させ、文化を振興した彼の治績は評価されるべきでしょう。
南北朝時代という、中国史上の転換期、その中心にいた皇帝だと思います。貨幣経済の発展や貴族制度の崩壊(の始まり)…彼の治世の初期はそれらの問題に実にうまく対処したと思えます。
ただ、この人の治世は長すぎたと思います。在位47年というのは、ええと、史上4位か5位ぐらいになりますよね?30年以上政権を執って名君と呼ばれた人は、ほとんど清の康煕帝ぐらいでしょう。あと武則天とか。どうしても体制自体がダレてきて、いつの間にやら悪政を敷いてしまっていることになります。
彼の晩年、彼自身の人生と梁、さらには南朝自体の運命が暗転するのは、さながら1920年代のアメリカのようです。梁が滅びたのは侯景の乱のせいではなく(そういえば侯景に投票してる人いたな)、歴史的な必然(という言葉はあまり好きではないのですが)でしょう。時代を象徴する人物だと思います。
余談ですが、南朝宋の武帝・劉裕もわりと好みです。この人の人生もいわゆる「南朝の幕開け」ってカンジで面白いですよね。
人物名:張良
投票者の方:dolbie
< dolbie@poo.interq.or.jp >
本当は史記・三国志などの人物には投票する気はなかったのですが、この人物についてはあまりにも好きなので。
この人はかなり年をとって死んだのですが、なんだか「若い」というイメージがあります。「天才的な青年」といったような。
若くして両親を失い、「必ず仇である秦に復讐する」という、鬼気迫る情念にとりつかれ、そのこと一つに打ち込んだ彼の前半生はすさまじくて、いいようのない魅力を感じます。
彼は漢の高祖を得て(高祖が張良を得たともいうが)復讐を果たしますが、今度はその高祖をもり立てることに熱中してしまい、項羽という圧倒的なまでの強さを持つ強敵を倒させてしまいます。もちろん張良のみの功績ではないのですが。
終わりを全うしたことでもこの人には好感が持てます。それは漢帝国成立までの彼のすさまじい人生と好対照をなしていると思います。
そういうわけで私は中国の歴史上の人物では彼が一番好きです。……魅力的な人物はいちおう他にもたくさんいるのですが、まあそういうことで。
人物名:周皇后
投票者の方:讃良
< b00h044@twcu.ac.jp >
明の最後の皇帝崇テイ帝の皇后です。夫の愛情を失っていたのに、国に殉じたと言う所が立派だとか見事だとか言われていますが、立派であるぶん、悲愴だなあと思うのです。寵愛を十分に受けた女が悲劇的な最期を遂げても、それは別に、愛されたんだからいいだろう、と私は寧ろ思いますね。それよりも、こう言う愛されなかった女性に強く同情してしまいます。
人物名:戚夫人in前漢
投票者の方:鈴木雪弥
< lifelong@wg7.so-net.ne.jp >
典型的な美人薄命キャラ。なぜか駒田信二の著作、梶原一騎&中条 健「カラテ地獄変」や、 石ノ森章太郎「漢書」などではヌードで登場。なかなか色っぽいです。謎の多いミステリアスな歴史上の人物ということで。
人物名:李成梁in明
投票者の方:天鵞絨
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明の末頃、遼東方面で対蒙古・女直戦に大きな功績を挙げた武人。
戦争は強かったけど、偽の戦勝報告をしたり、奢侈におごったり、素行はあんまりよくないです。
人物名:何皇后(何太后)
投票者の方:
< >
何皇后についてです。
後漢の末期、細身の美女の彼女は、南陽の屠殺業出身で賄賂で後宮に入ります。ここで霊帝に非常に寵愛され、劉辯(後の少帝)を生みます。この時の皇后は宋氏と言い、寵愛は全く無く、宦官とのいざこざで計略に
掛かり、廃后され、憤死してしまいます。(何氏も一枚かんでたかも)そこで、何氏が皇后に立てられました。
しかし、ほかの寵妃であった王美人が劉協(後の献帝)を生んだのに嫉妬し王美人を毒殺。霊帝の怒りを買います。
何皇后は逮捕され廃后されかけますが、宦官の取り成しで事無きを得ます。その後は寵愛が戻ったようで、父母が爵位を受けたり、兄・何進、何苗は将軍職へ出世と何一族の栄華が始まります。世の中はこの時、黄巾の乱などで乱れていました。
189年に、霊帝が崩じ皇太子を立てていなかったことから後継者問題が勃発。何一族は強引に劉辯を即位させ何皇后は皇太后として政権を握ります。一方、劉協を推していた、董太后(霊帝の生母)と宦官たちは反発します。何太后は何進と謀り董太后を殺害します。しかし宦官は何太后に命乞いで助かります。その後も何進は宦官を狙いますが、何太后が認めず、逆に何進は宦官に暗殺されます。宦官も何進の配下に皆殺しにされ、宮中が混乱しているときに、董卓が入京してしまいます。このとき何太后は伝国の玉璽を無くしてしまいます。入京した董卓は何進の兵を吸収し軍事を握ります。
しかし、皇太后がいては権力が好きな様にならないと思った彼は、何太后を脅し、劉辯を廃させ、何太后に母を殺され、聡明な劉協を即位させます。何太后の政治権力も剥奪し、幽閉。何太后はまもなく、董卓に毒殺されます。何一族も皆殺しにされます。何太后の埋葬時に董卓は歴代皇帝の陵を盗掘したそうです。三十歳前後の死とされています。
陰謀だらけの人ですが、三国演義とは異なり、実際は寵愛をガッチリつかんでいた不思議な人です。因果応報な人生でした。
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