文学部東洋史学科でのこれから

夫れ河に沿いて下り苟に止まらずんば
遅疾有りと雖も必ず海に至らん

2000年4月6日


要旨

詳細

私的中国史調査会の名称について



[要旨]
なるべくお読み下さい

 私は2000年4月から某大学文学部東洋史専修で勉強することなりました。学士入学という受験方式を利用し、27歳にして果たした大学三年次編入です。お世話になった皆様方、本当に有り難うございました(^_^)。
 出身大学ということもありまして、現在の実力云々よりも情熱を認めて頂いたのだと考えておりますが、その分、本当に大変なのはこれからです。

 今後の生活の中心は自らの勉強、授業、アルバイトの三本柱になるでしょう。入学前準備期間の検討により、やはり今までの程度ですら、ホームページを更新することは困難が予想されます。

 そのようなわけで「私的中国史調査会」の更新頻度はさらに少なくなると思います。

 いつの日かいつの日か、1999年以前と同じくらいに更新できる日を夢見て、そしてその時には1999年以前よりももっともっと中国史をいろいろ知った上で、楽しく更新が出来る日を夢見て、今はただ「中国史関係で生きる人生」を目指し、自分なりに一生懸命努力したいと思います。

 まあ、ホームページなんて気紛れですから、衝動に駆られて更新してしまう時もありそうですけど(^^;;)。
 皆様の御記帳による投票頁とかもありますし、まあまあ、気が向いたときには時々覗きにいらして下さい♪



[詳細]
お暇な方はお読み下さい

 私は2000年4月、出身大学文学部東洋史学科に、学士入学という受験方式で、無事三年次編入を果たすこととなりました。
 お世話になった先生方、メールなり訪問者リストなりで励まして下さった多くの方々、快く退社を見送って下さりその後を心配して下さった会社の上司先輩等の方々、本当に本当に本当に有り難うございました(^_^)。

 さて私の大学再入学の目的は二つです。

(1)中国史を学ぶためのスキル、すなわち中国語、漢文、その他の言語、研究法、研究に関する考え方、姿勢、等を身につけること。そして同時に中国史自体を思う存分学ぶこと。
(2)文学部で取得しやすい資格等を身につけ、それらと1により、中国史あるいは中国あるいは歴史に少しでも関係する職業を目指すこと。

 しかし(2)が大変困難なことは重々承知していましたし、今もしています。才なく運なくして、技術系の時と同じくらい中国史とも中国とも全く関係のない職業についてしまうかもしれません。なるべく嫌ですが、それも覚悟しています。

 一方で(1)ですが、これはどんなことがあってもしなければならない。少なくとも自分が満足できる程度まで最大限勉強しなくてはなりません。それこそが会社を辞めてまでも、今のうちに最もしたいことだったのです。そして(2)に繋がることでもあるのです。

 さらには生活を成り立たせるためのアルバイトもしなくてはなりません。2000年春現在、TVも繋がず、冷暖房もなく、完全自炊の生活で、詳細な家計簿をつけて支出を抑えている毎日です。しかしどんな最低限の生活をしようと生活費はかかり、さらには私には学費やら書籍代やらも必要です。貯金残高と睨めっこしながら、バイトによって少しでも収入を得て、中国史を学べる生活を長くせねばなりません。金銭的な面からの勉学断念の可能性も極めて大きい状況にあります。

 以上のようなことから考えると、私には極めて時間がありません。家計簿に加えて詳細な行動時間統計を取っていますが、まあなんとまあ、集中した勉強の出来ないこと!(^^;;)。

 そのような理由で、とてもとても今までのようにホームページ更新の余裕は無さそうなのです。

 私の作っているようなホームページ作りは、時間さえあればいつでもどこでも出来ます。実際、今まで私は公には中国史とは何ら関係ない立場で、ずっと作ってきました。そしてその時間の余裕もありました。
 けれども今は違います。人生をひっくり返してまで入り直した、折角の大学生活で、今しか出来ないことが多くあります。大学文学部の学生という、中国史を学ぶ上では非常に恵まれた今の立場でしか出来ないことが多くあります。

 ホームページ作りにはいつでも戻ってこられる。そして自分がそれを好きだということも分かっている。だからこそ、慌てずに、今は今しかやれないことをすべきだ、そう思うのです。

 ホームページを作り始めて3年間、私にとってホームページ作りは、至福に感じることが出来る、充実した、生き甲斐とも言える、大切なことでした。そして、ホームページを作ることにより、私は自分の「中国史好き」を改めて何度も何度も確かめることになりました。ホームページというものが無かったら、中国史への人生練り直しを決心するまでになっていたかどうか、正直なところ分かりません。

 私にとってこのホームページは自分の「中国史好き」の結晶であり、象徴なのです。自分が今誇れるもの、誇りたいものは、中国史への「思い入れ」だけですが、その具体的な形こそが「私的中国史調査会」家頁なのです。ですからこの頁は決して無くさないし、たとえ更新が滞ってしまっても無くすつもりはありません。

 更新を楽しみにしている皆様には本当に申し訳なく、勝手な理由とは分かっておりますが、今後は今までよりももっともっと長い目で、おつき合い下されば幸いです。



[私的中国史調査会はいつまでも「私的」である]
お暇な方はお読み下さい

 「私的中国史調査会」ホームページを立ち上げた時、「私的」という言葉は主に「個人的に」「素人として」という意味で考えていました。
 つまり、専門家ではないという表明であり、素人としての開き直りであり、また専門家を目指すことを半ば諦めている悲哀を含んだ言葉でもありました。

 東洋史学での勉強し直しを決心したとき、その名称をどうするかが私の心の中で問題となりました。専門家を目指して、または目指す場で学んでいる人々は「私的」とは言えないだろう、と私は思っていたからです。

 さて人生の練り直しを図って会社を辞める時、父親と半ば言い争いのようになりました。その時、サラリーマン出身の父親は
「お前が会社を辞める理由の『勉強したい』だけでは将来の仕事にならないんだよ。
勉強してそれで終わるだけでは自己満足に過ぎず、生活の糧にはならないんだ。
だから、良く知らないけど研究者は教育とかを一緒の仕事として課せられるんだろう?論文とかだけじゃ飯の糧にはほとんどならないはずだよ。
 特に歴史とかは実学ではないし、社会からは一層認められにくい。勉強したいだけじゃなくて、それを生活の糧にする将来の見込みがきちんとないとなあ」
と言いました。

 「勉強するだけでは飯の糧にはならない」。
まさしくそうなのです。だから生徒も学生も給料が貰えないのです。
 私の大学入学の目的の一つには、勉強後に中国史に少しでも関連する職業に就くことがあります。けれども、実は私にとって関連する職業につくことが本当の目的ではないのです。真の目的は一生の間に出来る限り、中国史を楽しく面白く「学び」「味う」こと。関係する職業を目指すのはそれを実現する手段に過ぎません。

 今よく「生涯学習」という話が言われます。詳しいことは知りませんが、この学習というのは別に生活に役立つために行う性質のものではないでしょう。私が学ぶ姿勢は結局、それを持っている人とほとんど同じ土台な気がしています。

 私にとって中国史は生活とは何ら関係のないものでした。私は歴史を学ぶことから実利的なものを得ようとするつもりはなかったのです。それでも少しづつ、中国史を読み続け、知り続け、味わい続けようとしました。高校時代も、工学部生時代も、技術系の会社にいた時もそうでした。
 そうすることが、とにかく面白かった、楽しかったのです。

 「一人であろうが、自分のために、自分が知りたいから、自分が好きで中国史を調べる。そしてその知りたい心たるや、どこかの団体に所属して、義務となっているが如し。
 私的中国史調査会のこの表明文は、実に私の心意気を示しており、今となんら変わるところがありません。

 結局のところ、私が歴史を学ぶということは、父親が言ったように限りなく「個人的」に近いことだという気がします。たとえ「公的」上、勉強する義務、研究する義務がある立場になったとしても、私がそれを選んだのは「自分自身が学びたいから」すなわち「私的」であることに他ならないのです。

 そう思い至ったとき、ようやく「あ、『私的』という看板を降ろす必要は全く無いじゃないか」と思い至りました。

 大学で学問を修めるには期限があります。
 職業というものには普通定年があります。

 けれども私が中国史を学ぶのは大学に在籍しているからじゃないし、それに関係する職業に就くからでもない
 幸いにして将来、中国史に関係する職業に就き、定年まで勤めたとする。
 残念ながら、中国史に関係しない職業に就いたとする。
 それでも私は中国史を学び続けたいし、味わい続けたい少なくとも今はそう思っている

 「私的」な部分こそが私の中国史への原動力であり、私にとって一番大事な部分なのです。
 私的中国史調査会はこれからも私的中国史調査会であり続けます。