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▲ 清め塩・釘・旅装束・六文銭

故人は私にとって大切な人でしたから、「清め塩」で穢れを除くなどの行為はいたしません。

「清め塩」は、死の「ケガレ」を清める意味です。大切な方を「ケガレ」と貶(おとし)め、また「清め」ることによって「死」と離れようとする心は、生死無常の道理を見失わすと同時に、阿弥陀さまのお慈悲をも見失うものです。断ち切らなくてはならない習俗です。もうやめましょう。

また、出棺前に棺に釘を打つことはないでしょうか。釘を打つのは「封じ込め」の意味です。恐ろしいから、たたるから封じ込めるのです。故人を「たたる者」にしてしまう、悲しい行為です。大切な方を封じ込めるようなことは、もうやめましょう。

旅装束も、旅立ちに茶碗飯に突き立てた箸、手甲、脚半、わらじ、松明(たいまつ)で、三途の川の渡し賃「六文銭」を持って旅立つ姿は、想像するだけでも、痛ましく悲しい限りです。

如来さまのお慈悲で、お浄土に生まれさせていただく者が、どうして冥土に行くのでしょうか。「冥」という字は、暗くかすかなという意味です。「冥福」という言葉は使いません。お浄土は明るい世界です。
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