天気が良いので、久しぶりに輪行せずに自走して、都内をちょっと長距離を走りました。先週、鉄腕DASHでタクシーとカーナビで江戸六地蔵巡りの競争をしていて、「江戸六地蔵」というのを知りました。そこで、都内は日曜日に車が少なく走るのには一番で、がら空き都内の幹道を快走し、時には裏道に入って近道をしていく。
《江戸六地蔵巡りのコース》
カシミール3Dで作成した地図の使用については、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号平17総使、第320号)
「江戸六地蔵」とは、
江戸時代の前期に、日本橋に通じる街道のうち江戸の出入口六ヶ所に造立されたのが、「江戸六地蔵」だという。「江戸六地蔵」は、深川の地蔵坊正元(しょうげん)が発願し、江戸市中から多くに寄進者を得て造立されたものです。各像にはその氏名が刻まれていて7万2千名以上にも及んでいました。
青銅の座高2.75mぐらいある地蔵菩薩座像で、神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀の作といわれています。永代寺は寺が消失した際に、地蔵像も鋳造業者に廃棄されたということです。確かに、寺は新しくモダンでしたが、文化遺産級のものを簡単に廃棄してしまうようでは、私は愛着を覚えない。その代わりに、妙蓮和尚の呼掛けにより、浄名寺が代わりに名乗りを上げて、現在では第六番目の地蔵として位置しています。
江戸六地蔵第一番(1708年):品川寺 東海道 品川区南品川3-5-17
江戸六地蔵第二番(1710年):東禅寺 奥州街道 台東区東浅草2-12-13
江戸六地蔵第三番(1712年):太宗寺 甲州街道 新宿区新宿2-9-2
江戸六地蔵第四番(1714年):真性寺 中山道 豊島区巣鴨3-21-21
江戸六地蔵第五番(1717年):霊厳寺 水戸街道 江東区白河1-3-32
−−−−ーーーー(1720年):永代寺 千葉街道 (地蔵は消滅)
江戸六地蔵第六番(1800年):浄名院 ーーーー 台東区上野桜木2-6-4
品川寺
久しぶりに5時起きして暗いうち家を出る。産業道路を通って多摩川を渡るころにやっと朝日が出てきた。旧東海道を品川に向い京急青物横丁駅の近くで、第一番地蔵の品川寺に到着する。ここは何度も来ているので、出発する。
太宗寺
第一京浜に出てから泉岳寺の前を通って、国道1号線を横切って、明治通りに入る。新宿の追分で、一旦、右折して、まだ開園していない新宿御苑の脇を行くと、第三地蔵の大宗寺はビルの谷間にあった。ここの地蔵は笠を被っていた。第一番地蔵は笠なしだった。ここのお寺には境内には大震災の慰霊碑や高遠藩主の内藤家の菩提樹で、内藤正勝の墓がありました。内藤新宿の昔を偲ぶミニ博物館もあるようだ。
真性寺
明治通りに戻り早稲田あたりまで行き、都電を見たら右折して裏道の近道に入って目白台で不忍通りを進む。千石交差点で左折して巣鴨にある第四地蔵の真性寺にいく。ここも中山道の探索の時に寄ったところである。ここの地蔵さんも深く大きな笠を被っています。
浄名院
コースの都合上、根津を通って、先に、第六地蔵の浄名院に寄っていく。道脇には、谷中周辺のためか最近、江戸商家が移築されていた。浄名院には、明治時代に第六地蔵を造立したそうです。ここの寺には多くの地蔵さんがある。