旧東海道ほど遺蹟がないので、街道沿いの主なものを撮影しながら進んでいく。この街道は旧東海道が整備された後は
寂れたが、江戸に運ぶ荷物の最短コースとして利用されたようである。その為、一里塚の整備もほとんどされていない。
史跡が少ないと思いきや都内は江戸時代から大都市だったので意外とあり、虎ノ門の近くにある金刀比羅宮に寄って から街道の左側を探索したら、栄閑院に杉田玄白の墓があったり、天徳寺には弥陀種子板碑があったり、驚きました。 東京タワーの真横を通って、1号線と合流して赤羽橋を通過すると右側に親柱が保存されていました。 ここら辺は再開発されて歩道も広くなっています。ここを右に入った三田高校が母校で久しぶりに寄ったら、全く 変わっていました。 |
虎ノ門の交差点にある 虎ノ門遺跡を出発 |
虎ノ門遺跡の表(?) | 虎ノ門をそろそろ 出発する |
右手のビルの谷間に 改装した金刀比羅宮 |
金刀比羅宮の本殿 | 杉田玄白の墓がある 栄閑院 |
杉田玄白墓の石碑 | 続いて天徳寺にも寄る (式典の準備中だった) |
天徳寺には弥陀種子板碑 があると説明されている |
八幡神社の石段 | 東京タワーの真横を 通っていく |
首都高を潜るがそこは 赤羽橋 |
赤羽橋の親柱が脇に 保存されていた |
ここの歩道の広いこと | わが母校の三田高校 すっかり変わっている |
ここは慶應義塾大学 東門 |