振り返る東日本大震災リポート17.

斉藤隆選手の野球指導が始まると、ことも達は、真剣。こども達の質問に答える形で指導は始まったが、やはりボールを投げての場面は、すばらしい。
大リーグの選手も共にと、こども達へ夢と希望を届けた今回のプログラムが、将来、蒔かれた種が、芽を出し、健やかにこども達が成長してくれれば幸いである。
鎌倉在住・MLB選手会日本代理のピーターミラーさんの鎌倉の助っ人として少しでもお役にたてればと始まったお付き合い、最後は笑って記念写真を撮った。

   

   


   

   

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振り返る東日本大震災リポート16.

ともだち野球イベントは2011年11月8日にアメリカ大使館で発表され、NHKテレビや、スポーツ紙に大きく取り上げられた。
やはり、大リーグ選手の東北支援とあって関心が高い。
地元石巻市でも贈呈式、野球教室が行われた石巻市の河南中央野球場には多くの新聞、テレビ等マスコミが取材に来ていた。
私も取材を受けたが、あくまで鎌倉発の支援接着剤で、鎌倉在住のピーター・ミラーさんの助っ人であるからと、掲載は遠慮した。

   



振り返る東日本大震災リポート15.

いよいよ、2011.11月.12日、石巻支部への野球用具の贈呈式が始また。拍手で迎えられた選手会の代表・斉藤隆選手から各チームに贈られた。
32箱の段ボール箱の中には野球用具一式が入っている。重い箱を運び、贈呈するのに大活躍してくれたのがボランティアの学生達です。

斉藤選手は球児一人一人に握手。球児はチョッと緊張気味であったが、最後に女子球児からお礼の挨拶。スタンドから聞いていて、ほろりとした。

私やピーターさん、中沢君は写真を撮るのに動き回った。贈呈後、斉藤選手による野球指導が行われた。
 

   

     

   

   



振り返る東日本大震災リポート14.

ピーターさんから11月12日で石巻へ野球用具の贈呈式と野球教室のイベントがあるので如何ですかと連絡があり、
それでは、中沢議員、ビル・ヤングさんに連絡を取ります。その報告を後ほどしますと電話を切った。
二人に連絡すると中沢君は、OKの返事、ビル・ヤングさんは体調が悪いのでいけないと、残念な返事。

この大リーグの選手会の話は、鎌倉在住・日本代理のピーターミラーさんからの話、その助っ人達が、鎌倉の縁で私、中沢君、ビルさんの3人。
石巻へも2回ほどビルさんは同行、、微妙なところを通訳してくれて、助かった。さらに、翻訳するときも、完璧な調査報告書がニューヨークへ
送ることが出来た。また、英語で、ピーターさんとやりとりもしてくれたので、食い違いがでないよう配慮してくれた。

私とビル・ヤングさんとの関係は、彼の母親が、横須賀米海軍基地に勤めていた縁、私も2年間ベースで働いた。50年前のことである。
それを、20年前くらい、先輩議員の亡き斉藤さんが教えてくれて、共に空母・ミッド・ウエイに案内してくれ以来のお付き合い。
また、母親のヤングさんは、横須賀日米婦人会の幹部、講演を依頼され、私は、鎌倉の版画家・ピーターさんを紹介した。

ビル君の母は、2年前に亡くなったが、息子をよろしくと言われ、鎌倉まつりの武者行列に誘う、弁慶役として、人気もあり、仲間も出来た。
また、東日本大震災の支援では、個人的にも、活動していて、武者姿の仲間の募金活動にも馳せ参じてくれた。
ビル・ヤングの弁慶役は人気がある。現在、甲冑を制作中。どんな甲冑が出来るか楽しみだ
また、グラミー賞受賞者アリソンブラウンを招いてナッシュビル・鎌倉両市交流でも、仲人役で元国務相日本部長ジムアウワー氏とも知り合い。

     

     



振り返る東日本大震災リポート13.

ともだち野球イベントの一歩が始まった。3月末から取り組んで来た大リーグ選手会の東北支援が大きく発展し、こども達に笑顔一杯の夢と希望が。

まさか、現役の大リーグの選手が現地に赴いて、こども達に野球の指導が実現するとは、それも、ボランティアの学生達の大きな協力もあり、
まさに、WE are with you である。現地に着くまで、どのような物が届いているのか分からなかったが、開けてびっくり、野球用具はMLBのマーク入りだ。

中沢君が、まず、発したのが、やることが凄いと。とにかく、見届けることが出来て、ホッとした。関係者の皆さん有り難う。お手伝い出来幸せです。

   

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振り返る東日本大震災リポート12.

私が少年頃、野球はあこがれのスポーツ、日本の選手では、青田、川上等は忘れられない。アメリから来日したデマジオのことも。
また、戦後の物のない頃、アメリカ人の生活は、米軍の高級将校が鎌倉には多く住んでいたので、豪華で羨ましかったことを覚えている。

今や、生活レベルでは、日本もかなり高い水準になっているが、野球の世界では、まだまだ、大リーグは飛び抜けている。
多くの野球愛好者で、大リーグフアンは多い。日本人の選手も活躍しているので、関心はかなり高い。

ピーター・ミラーさんから大リーグ選手会から東日本大震災への支援を聞いたとき、有り難いと思った。
あこがれの大リーグから夢と希望をこども達へ送ることは、将来の日本にとって、大切なことだ。また、日米関係にとっても。

WE are with you (共に私たちが)のかけ声は胸をうつ

ともだち野球イベントの前に、震災後すぐ、活動してくれた米軍のともだち作戦には感謝したい。
4月末、仙台方面を中沢議員と視察したとき、仙台空港が、再開されていた。ロビーにはその時の写真が。
また、6月に石巻方面を案内されたとき、避難所になっていた小学校校庭には、シャワー施設が設置されていた。

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振り返る東日本大震災リポート11.

いよいよ、11月12日(土)、少年野球石巻支へ大リーグ選手会からの支援の野球用具を届ける日が来た。
仙台で斉藤隆選手、ボランティアグループとインターナショナルハイスクールの学生と合流。

石巻へ行くバスの車中で、斉藤隆選手は仙台出身、少年時代は、野蒜にあるチームにいたと。
なんと言う偶然であるか、そのチームは少年野球石巻支部に所属していた。

さらに、4月の終わりに、中沢議員にお願いして、海岸線で、松林があるところを見学したいと言ったところが野蒜であった。
たどり着いたとき、呆然として言葉もなかった。だが、そこの悲惨な現状は鎌倉の防災対策参考になるのではないかと、写真を撮った。
松林が津波でなぎ倒されて、無惨であったが、残った松林は、緑濃く、立っていた。なんとも言えない感激でもあった。

   

 
   



振り返る東日本大震災リポート10.

いよいよ、ともだち野球イベントが始まることとなったが、もうすでに、いくつかの東北大震災関係では、野球の交流が始まっていた。
ピーターさんからの話があって、8ヶ月その間、各方面ではいろいろな取り組みが計画されていた。

ピーターさんの関係である大リーグ選手会のプロジェクトも4日後の12日に石巻で行われることも発表された。斉藤隆選手がゲストとして同行。
また、米大リーグ歴代1位の2632試合連続出場の記録を持つカル・リプケン氏が10日、東日本大震災の復興支援のため、岩手県大船渡市で野球教室も。

 そのための、出陣式のような、大使館でのパーティーであった。そこへ招待された少年達へサインしたり、記念写真を撮ったり、和やかであった。

私や、ピーターさんにも快くサインをしてくれたり、写真も一緒に撮ってくれた。見事なホスピタリティーであった。
12日は3時に起きて、朝早くの上り電車で東京へ、さらに新幹線で仙台へ向かった。

     
 玄葉外務大臣の挨拶。  ルース駐日アメリカ大使の挨拶。  球児たちにサインをするカル・リプケン氏。

     
 サインするカル・リプケン氏。  カル・リプケン氏と写真を。  野茂さんと写真を。

     
 ルース駐日アメリカ大使と写真。  日本人初の大リーガー・村上雅則氏と写真。  野茂とカル・リプケンのサイン。



振り返る東日本大震災リポート9.

11月8日、ともだち野球イベントの披露がアメリカ大使館で行われた。会場は石巻の少年野球のチームも招かれ、大盛会であった。
ピーターさんに私はどうして招待されたのですかと聞いたところ、大リーグの事務局に話をしました。事務局が手配しましたと。
選手会の代表で、石巻へ一緒に行くことになっている斉藤隆選手に挨拶をしたら、松中さんのことは良く聞いております、頑張りましょうと、手を握り合った。

大リーグ選手会・日本代理のピーター ミラーさんは鎌倉在住、その縁でピーターさんの助っ人としてヘルプしていたことが、このようになるとは。
なんとも不思議なことである。ピーターさんは版画家、その縁もあり、10数年のお付き合いで、鎌倉の世界遺産登録推進にも、協力を戴いている。

また、私が鎌倉少年野球連盟の会長として少年野球振興に尽力していることで、大リーグが日本へ来ると、いつもピーターさんから招待状が届く。
2010年には、鎌倉少年野球連盟結成30周年記念の会を開いたとき、来賓の小泉純一郎元首相(初代会長)も見え、ピーターさんも一緒に写真を。

     
 ともだち野球イベントの紹介。  斉藤隆選手と頑張ろうと手を握り合う。  仙台市出身の斉藤隆選手の挨拶。

   



振り返る東日本大震災リポート8.

2011年11月のはじめ、ピーターさんから石巻へ大リーグ選手会から野球用具が届きます。松中さんも一緒に行きませんかと連絡があった。
分かりました、ご一緒いたしますと即答した。また、石巻では、大リーグの日本選手である斉藤 隆さんも行きます言われた。
また、ピーターさんは、近いうち、斉藤選手に会いますが事前にお会いしたければ、連絡しますと言われた。是非、お願いしますと言った。

連絡を待っていたら、アメリカ大使館から、ルース大使の招待状が届いた。何が何だか分からないが、是非行きたいと思い、出席の返事をした。
11月8日のパーティー前、ホテルオークラで、ピーターさんと落ち合い、厳しい事前チェックを受け、大使公邸に入った。中では、記者会見が行われていた。

記者会見後、広間で、関係者の紹介があり、余りにも凄いメンバーであったので、驚いた。これは、ともだち野球イベントのお披露目であることがその時分かった。

   


振り返る東日本大震災リポート1.振り返る東日本大震災リポート7.はこちら

   

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