鎌倉発電送かわら版(最新版)

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2010年3月18日(木)
根が張り、芽が吹き、枝葉が繁ることを祈る
10日に倒れた鶴岡八幡宮大銀杏の根元幹の植え替えも終わり、再生を祈願してのお祭りが行われた。
これから、大銀杏の再生を願って、根を張り、芽が吹き、枝葉が繁るのを祈るばかりだ。

何か、ホッとした気持ちになり、一休みという思いだ。さすが、1000年の樹齢を感じさせるお祭りであった。
祭事の周りには再生を願っての人々が取り囲んでいた。子孫に大銀杏の木も、気も繋ごう。
2010年3月17日(水)
新たな芽が出ますようにと記帳を。
今日も大銀杏の再生計画現場は、人だかりでいっぱいである。どれほどの人たちが、大銀杏の倒壊に心を痛めているか分かる。
倒れた銀杏の再生を確実にするため大銀杏は切断され、根元側幹が、元の位置から少し離れた場所に埋められた。

大銀杏埋め込み前に設けられた「鶴岡八幡宮 銀杏の芽吹きを祈ります 記帳所」に並んで記帳する人たちがひっきりなしである。
私も早速、記帳した。早く芽が出てくることを祈るのは、素直な思いである。大木になるには100年、300年、500年、1000年と先は長いが。

それにしても、現場のクレーン車の高さぐらい大銀杏はあったと思うと、すごいなぁと感慨深くなる。近くには若い銀杏の木と細い幼木が見える。何か微笑ましい。
2010年3月16日(火)
鳩山邦夫議員、自民離党、ガラガラポンの時代再来か?
今、私は何党かなぁと、議員が秘書に聞く」こんな川柳があったことを思い出す。日本新党が政権を取る前後から、政界は政党のガラガラポンが始まり、それ以来、どれほどの政党政派が出来、どれほどの総理大臣、国務大臣が生まれたか。政党の野合、合従連衡による政権で、誰が総理か、大臣か、名前すら消えていった。

小泉ブームで一度は安定に見えた日本の政治、小泉首相が引退するととたんに、毎年の首相交代、大臣は腐るほど出来、交代どころか、辞任騒ぎが連続であった。鳩山政権でも、すぐ、藤井財務大臣が辞任。政治とカネの問題で、鳩山政権はガタガタ。いつまで持つやら。

まさに、鶴は千年、亀は万年、鳩は一年と新聞にあるように、どこへ飛んでいくのか分からない。小沢民主党幹事長は、参議選でも過半数確保して、絶対安定政権を目指しているようだが、本人が問題。小沢幹事長が引っ込めば、民主圧勝との声もあり、鳩山首相、政権維持に、ここは、踏ん張りどころ。

ところが、コロコロ変わる鳩山兄弟、ちょっと待ったと、兄よりコロコロ政党を替えてきた弟の邦夫議員、ここで、やらなきゃ、誰がいると、またまた、ご登場の国士か、自民党離党宣言。これからは自民党からも、ちょっと待った、ちょっと待ったの声が国中で響き渡り、政界ガラガラポンの時代が再来か。私がやる、俺がやる、いや、あんたがやるなら、私はここに?

もう、すでに、ここ数年、新党日本、国民新党、みんなの党等が登場してきているので、政界再編が加速するかも。
鎌倉には新党結成ではなく、政党渡り鳥の大物政治家がいるようだが、今度はどちら飛んでいくか、それとも、飛ぶエネルギーも使い果たし、地上でチョロチョロ。いや、このさい、覚悟の上、チキンレースか。いや、そんな、度胸はない?でも、自民がどこへ飛んでいくのやら?
2010年3月15日(月)
携帯に大銀杏の昨年の秋の記録があった。
携帯のメモリカードを整理していたら、なんと、鶴岡八幡宮の大銀杏の写真が残っていた。
まさに、紅葉真っ盛りの時だ。下に2009年11月30日 13時55分とある。

見事な姿だ。これが大銀杏の紅葉の見納めであろう。でも、その後も訪れているので、写真では最後かも。

このころ、生検を受けるため、数値を落とす必要から、一日一万歩歩行に励んでいたので、昼食後に本殿に参拝したときだ。石階段上から見て、圧倒させられたので、思わずシャッターを切った。

携帯の写真なので、画素数が低いので荒いが、何か、絵画のようだ。

確か、ガン手術準備のため、東大病院に通っているので、イチョウにあやかっていた。特にこのころ、鎌倉の山歩きをしたり、神社仏閣を歩いていると、紅葉が気になっていたので、よく写真を撮った。

鎌倉は良い、素晴らしい、それだけに、八幡様の境内はいつ、紅葉するかと気になってしょうがなかった。

舞殿前のイチョウは先に紅葉したのを憶えているが、上から見下ろした大銀杏の紅葉は忘れていた。余りにも、舞殿前から見上げた紅葉がイメージとして強く残っているので。

それにしても、何と優しい、包容力溢れた姿であろうか。60数年もそれとなく、大銀杏と過ごした若宮大路育ちの自分は幸せであった。本当にありがとう。大銀杏の気を浴びて、元気です。

2010年3月14日(日)
びっくりした、トンビが水浴びなんて!
鎌倉消防署近くの海岸橋から滑川を覗いていたら、大きなトンビが川に舞い降りてきた。何事かと思い、すかさずカメラを向けたら水浴びを始めるではないか。雀の水浴びは見たことがあるが、こんな大きな鳥が、それもトンビが水浴びとは。もう、びっくり。興奮してシャッターを押した。

写真の上をクッリクすると大きくなります。   トンビの水浴びスライドショーはこちらです。
2010年3月14日(日)
春うらら、見てびっくり

昨日は5月初旬の気温、春うららと陽気に誘われて、八幡様、光明寺、来迎寺と歩いたが、八幡様で大銀杏の再生準備を見てびっくり。
大銀杏が消えた八幡様風景は、淋しい。昨年、秋の写真と比べて、喪失感がヒシヒシと。
周りにはびっしりと人だかり。作業現場には、大銀杏の大幹が切断された姿。見てびっくり、大幹の真ん中は空洞、本当に頑張っていたんだ。

本当にご苦労さまでした。ありがとう。



春うららの風景。八幡様太鼓橋際には満開の桜の木が。光明寺の大聖閣、来迎寺のミモザが見事。

2010年3月13日(土)
芽を出せ、根を張れ、蘇れ、鎌倉の宝
樹齢1000年とされる鶴岡八幡宮のご神木・大銀杏の倒壊はショックであった。拝見して時が経つとともに目に浮かぶのは、境内に横たわっていたそのお姿は、涅槃図に描かれたご臨終のお釈迦様のようだ。

明治維新まで、鶴岡八幡宮は神仏混淆の八幡宮寺であった。明治以降、神仏分離で神道となっているが、800年の歴史のうち、まさに、650年は神仏混淆であった。ご神木がお釈迦様の涅槃仏と思えるのは私だけであろうか。その倒壊を惜しんで周りに人々を見ると、涅槃図そのものようだ。

人それぞれの思いは違っていても、それは威容で慈悲に満ちた優しいお姿であった。何か光を、気を発していることには違いないと思う。
私は、本殿への階段を上がるとき、どれほど、意識なしに大銀杏の気を浴びてきたか。特にここ数ヶ月、東大病院でガンを宣告され、また、糖尿病数値を落とすため、連日連夜、1万歩の歩行を続けて来た。立ち寄るところが、八幡様。もう、そのお姿は拝することはないが、お宮では、なんとか根の再生をはかるため準備に入ったようだ。芽を出し、根を張り、蘇ることを祈る。

いずれ、芽を出し、根を張り、100年、300年、800年、1000年とそのお姿が蘇るのを楽しみにしたい。思いは消えることがない。生きていないが。

今日の神奈川新聞には八幡様の大銀杏再生の記事と、鎌倉・広町緑地の漆林再生の記事が載っていた。これまた、鎌倉の象徴的伝統品である鎌倉彫に欠かせない漆の地元産にひとすじの光が見えてきた。

ここの場所は、30年前に地元・鎌倉彫職人が植えたものであるが、市有化され、漆の木75本は、老木となり、手入れも、停止していたため、漆採取は無理であったが、鎌倉彫関係者の奥西さんを始め多くの方から復活の要望があり、地場産業の意識高揚、振興のため取り組んできた。

いよいよ、萌芽更新の為、伐採が始まった。一部、切り株状の漆の木から樹液が染みだしたと報告があり、関係者が喜んでいるとの記事。
鎌倉彫も鎌倉の宝、芽を出せ、根を張れ、蘇れの思いが募る。頑張れ、老木。僕も頑張ろうと。
2010年3月11日(木)
大銀杏を惜しむ人々で
 
今日も倒れた大銀杏が気になり、八幡宮を参拝に行った。境内にはいつもの平日より人出が多い。大銀杏の倒壊を知っての惜しむ人々が。
ご神木の見るのも最後だと、小学校時代の知り合いが、90歳を越えたであろう母親を連れ合って行くのに出会った。住まいが八幡様の近所であるので思い出も多いと思う。お宮の関係者が、大銀杏に水を掛けていた。乾燥しないようにしているのだろう。また、頑張って、ご神木の命を繋ごうとしている。

鎌倉から一つの歴史物語が消えては、淋しい、つらい。いずれ、若い芽も出てくることがあり得る。自然の力を信じよう。1000年も生きてきたのだから。生命力があるはずだ。

今年の元旦の鶴岡八幡宮には元気な大銀杏が。
今年、1月31日のブログに載せた鶴岡厄除大祭の写真に、大銀杏の姿が映っている。何でもないのに、どうしてと思う。

また、役所に戻ると、文化財の浪川さんがテーマーにしている関東大震災で倒壊した舞殿の後ろに、大銀杏の姿が映っている写真を。堂々と立っている。あの大地震でも、びくともしなかった姿だ。

必ず、大銀杏の命は繋がる。岸根卓郎先生によると、万物はエネルギーの変化。それも、800年の周期だとか?エントロピーの法則?永遠。
2010年2月10日(日)
八幡様の大銀杏が倒れる。若宮大路で育った私は大変な衝撃を受ける
3月10日4時過ぎ、鎌倉の鶴岡八幡宮本殿前の石階段際に立っていた1000年の樹齢の大銀杏が倒れた。天然記念物でもある
鎌倉時代から、いや、その前からかも知れないが、幾年月もの鎌倉の歴史を見てきた大銀杏、まさに、生き字引であった。

私は若宮大路育ち、60数年間、大銀杏は私にとっては、母なる存在でもあった。冬になれば、葉を落とし、春になれば、緑の葉を萌やし、秋になれば黄金色を一杯輝かし、どれほど、その存在が、自然の畏怖畏敬の念を与えたか。でも、大銀杏の最後は自然にも寿命があることを教えてくれた。

昨夜、久しぶりに知り合いと飲んだ酒に酔って、胸騒ぎが起きていた。今朝、4時頃、3回も猫が布団に出たり入ったり、私は吐き気が起き、もどした。何かの響きであったか。朝、市長やNHKの中村さんから大銀杏が倒れたとの電話が。八幡様に急ぎ、写真を撮った。

1000年の間には、わずか90年前の関東大震災をはじめ、いくつも大地震を経験し、風雪に耐えてきたのに、昨夜の3月の風雪で倒れるとは、堪えに堪えてきたのことを思うと、叫ばずにはいられない。

ありがとう、ご苦労様でした大銀杏さん。何か、目が潤んでしょうがない。虚脱感が沸いてしまうのは、私だけではないだろう。

大銀杏の元気なお姿はこちら
2010年3月7日(日)
今朝の朝日新聞に恐ろしい予想が。
今朝の朝日新聞に悪夢「20XX年日本破綻」とのシナリオの予想記事が。
シナリオによると200XX年ーー。 日本の財政は破綻の危機が。政府の極秘に練り上げた財政再建プランを公表。国債の引受先を決める入札が不調に。消費税を25%に。株価は暴落。物価は高騰。クレジットカード、電子マネーは断られ、現金取引。企業は経営難、工場操業停止、リストラが続出。銀行は国債暴落で巨額の損失。混乱は金融システムに飛び火、誰も制御できなくなっていた。

いずれこんな、「破局のシナリオが現実になるかも知れない。日本の国・地方の借金は先進国で最悪の水準。10年度の政府予算案は税収が歳出の半分にも満たない異常事態。このままで大丈夫かと。

さらに、日本破綻を 防ぐにはーーー。

              借金頼みは?ーーー 先進国で最悪。あと10年もつかどうか
 
              財政が悪化し続けると? ーーー 不景気なのに物価は上がり、年金が減る恐れもある。

              しわ寄せは嫌だーーー税金の無駄遣いは減らし、私たちも真剣に考えないと。 

いやぁ、よく読むと恐ろしい。ヒシヒシと迫って来る感じがする。財政が厳しくなると、公債(国債、地方債)の利回りを高くするので、借金の金利が上がったら、まず、財政破綻だ。そのくらいの借金ををもうすでにしている。

鎌倉市の財政でも、1000億円の借金をしている。金利が安いから大丈夫と言っても、日本の財政は深刻。国債が売れなければ、金利が上がり、地方にも大影響。もし、3%~5%の金利になったら、数十億円の利払い追加が毎年起きてくる。恐ろしいことになる。

借金して、土地をバンバン買っても公務員の給料を上げられるのは、公債の金利が安いから。要するの、先食いである。ツケを次世代に回していることだ。財源確保に公務員の待遇見直しは必至だ。まず、退職金の減額を。財政再建の道を、はっきりと示さないと、悪循環で破綻必至。夕張市が、民間では日本航空があるように。
2010年3月5日(金)
平山郁夫画伯を偲ぶ会
3月5日、平山郁夫画伯を偲ぶ集いが、平山郁夫画伯を囲む会、鎌倉ユネスコ(会長・佐藤美智子さん)主催により鎌倉芸術館で行われた。

昨年12月2日に亡くなられた平山先生とゆかりの人々、ご遺族、来賓等が集まり、先生の人柄を偲んだ鎌倉地元での会であった。

始まりに献歌を、中国人のサイ・イエングァンさん(オペラ歌手)によるシューベルト「アベ・マリア」、献奏を水谷川優子さん(チェリスト)によるカザルス「鳥の歌」。平山先生のシルクロードのビデオ。平山美知子夫人のトーク・フォト「平山と共に歩いた63年」。来賓等による平山画伯回顧2分間スピーチ。

本当に素晴らしい偲ぶ会であった。平山夫人のウィットに富んだトークには笑いを呼び、オペラ歌手のサイ・イエングァンさんが平山先生のハーモニカ伴奏で歌った浜辺の歌にはジーンとする。会場は和やかな雰囲気であった。

どれもこれも感動。先生の人柄を彷彿させた。ありがとうございました。

2010年3月3日(水)
卒業の月、少年野球も卒業杯。
3月は卒業のシーズン。鎌倉少年野球連盟の卒業記念杯の閉会が先日、七里ヶ浜小学校校庭で行われた。優勝したチームも良い思い出となった。

来賓の浅尾慶一郎衆議院議員と記念写真を。

卒業する球児に記念のメダルを贈る監督も、感激が。卒業生が多いチーム、少ないチーム、ばらつきがあるのも、変化がある。

卒業生を下級生が送る列も、卒業杯の恒例であるが、今年は何か賑やかであった。

浅尾議員が球児に人気があるのは、テレビのお陰か、少年野球に取り組んで数年。大分定着してきたか、モテモテであった。これからもよろしくと安西事務局長。若い監督の石井君が、運営委員長として、頑張ってくれているので、これからが、頼もしい。
2010年3月3日(水)
リズムがある
最近の新聞報道で川柳風に今の政治を皮肉っているのがある。見事というか、吹き出したり、唸ったりする。どうやら、リズムがある。

鳩山政権の政治生命は、3種の生き物に絡めて「鶴は千年 亀は万年 鳩は1年」 いつまで続くやら?

今の政権の政治とカネの3大金脈を「ゼネコン マザコン 日教組」 まだまだ、懲りない金権選挙。これからも、金脈さがし?

この調子は、日本人が好きな七,五調か、好きな7,5,3か。語呂合わせか数合わせか?とにかく、いろいろある。

今日は3月3日、桃の節句。5月5日は端午の節句、7月7日は七夕というように。

数あわせで調べてみると面白い。朝青龍で話題の相撲界。3役(大関、関脇、小結)3賞は「殊勲賞、技能賞、敢闘賞)。そうだ、市議会の3役(議長、副議長、監査)となる。 五輪の3賞は金、銀、銅。

五輪といえば、5大陸。日本で五輪は宮本武蔵の五輪書。鎌倉は五輪塔。辞書によれば、五輪塔は五大にかたどった5つの部分から成る塔とある。下から地輪は方、水輪は球、火輪は三角、風輪は半球、空輪は宝珠形。密教で、物質構成の要素は地、水、火、風、空。なるほど。

どうやら、難しいことになってきた。五倫は儒教で、人としての道。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信とある。
さらに三綱五常(さんこうごじょう)?君臣、父子、夫婦の三つの道と仁・義・礼・智・信の五つの徳のことを。うーん、参った。

政権を支える七奉行、いつもいるもんだなぁ。松尾市長を支える七奉行は?まずは、高・・・、長・・・、いや、筆頭は兵・・・?いない?淋しい?
竹内市長の時は、良く言われた。七奉行がいると、それも、提灯奉行だなんて。懐かしいなぁ。竹内市長は図太かったからなぁ。

それに、側近議員のゴルフメンバーがお付きとか?それを尾行するお付きもいたとか?内部告発はいつでもあるが、今では、直接市長へ?
いま、日本に欲しいのは、七賢、七賢人? いや、梁山泊に集まる野心家のような方か? でも、ポピュリズムのパフォーマンスが優先?
2010年3月2日(火)
教育委員人事案件が漏れている?
昨日、教育委員の人事案件が先送りになると、兵藤副市長から言われたが、それ何?何も聞いていないです。えっ、市長から話が無かったですか。それより、教育委員のことが漏れていると、共産党の代表質問であったが、漏れているとか、話がないとか言ってるのは、おかしいと思うよと言った。それは、市長から相談がなかっただけで、相談の話が、漏れ伝えられるのは、当たり前だ。優先順序の問題か?聞いた方も、どんどんオープンに?市役所が明るくなった?秘密のことはありません?口利きか?相談か?

候補者がどんな人物か知らないから、聞いたら、人に話して、話題にするのはごく、自然のことだ。話題にされるのが嫌だったら受けなければいいのだ。それより、どんな人物か分からないで承認する方が無責任かも。12月議会でも監査委員の承認人事案件があったが、経歴を見て、私は承認した。会ったことも、話をしたこともないが。それでも、人事案件に反対した議員がいた。そうでないと、準公選システムか?

本当なら、承認する前に抱負など聞いてからにすればいいが、もし、否決されたら当事者は恥をかくことになるから、事前に名前を出して市長も相談するのは当然であろう。まあ、根回しの仕方はあるだろうが、若くして当選した市長であるから、よく分からないから、仕方がないが、名前が出た方は、どう思っているか。でも、会ったことも、話したこともない方を選ぶのは追認行為か?だから、話題にすることは良いことだ。

これからも、この様なことはあり得るので、候補者は覚悟がいるだろう。まぁ、なんでもオープンな松尾市長の政治姿勢であるのは、4万の民意を受けているので、問題ないかも。どんどんオープンでやりましょう。議員の口利き、市長の口利き、市民の口利き、本当に全部オープン?
2010年2月28日(日)
緊張した津波情報
27日午後3時半(日本時間)すぎに南米チリ中部でM8.8の強い地震が起きた。テレビ、新聞等で見ると、被害がひどいようだ。最近、世界に起きている地震は巨大地震が続いている。四川、ハイチと今度のチリ地震。日本では、阪神・淡路地震でも分かるように自然の恐ろしさを見せつけられる。

今朝から、チリ地震の影響の津波が、日本にも押し寄せるとのニュースに釘付けであった。11時頃、海岸方面を車で視察したら、白いビニールコートの警官、黄色の消防士が警戒していた。また、いつもはサーファーがいるのに、一人も由比ヶ浜、材木座海岸にはいなかった。また、防災無線から津波の警戒警報が流された。

駅前の状況を見に行ったら、交通機関も混乱しているのに意外に人出もあり、冷静であった。そこへ、市長から滑川周辺が水位が上がる可能性があるので、材木座方面の避難所を第一中学校に設けると。家が滑川際なので、急に緊張感がこみ上げ、警戒心が募る。また、地元であるだけに、住民のことが気になる。

テレビの津波情報を注意しながら、再度、材木座方面を見て回り、消防署前であった早稲田議員と避難所にも顔を出した。 担当職員は3組来たが引き上げたと。また、市役所にも行き、情報交換。

家に6時前に戻り、滑川をのぞいたら、水面の上下が護岸に濡れた跡か。消防署に電話し確認したら、近隣では、30~40cmとの情報。やはり、津波の影響で川の水が逆流したのかと。でも、被害が無いのでホッとしたが、まだ、警戒は解除されていない。油断大敵であるので、緊張は続く。また、速やかなチリ被災地の復興を祈る。
2010年2月27日(土)
危ない松尾市長の答弁
鎌倉市平成22年度一般会計予算他議案に対しての代表質問が終わった。6人の代表質問まで、松尾市長は無難に答弁していた。これは、十分兵藤副市長や関係職員と答弁を検討した上のことだろうと思った。ところが、民主党早稲田議員の質問で、これからの市政が思いやれる答弁が松尾市長から飛び出した。

それは、「山崎に予定されているバイオリサイクルセンター建設は一から見直す」と松尾市長のマニフェストに書かれていることに関しての質問に対し、松尾市長の答弁に懸念していたのでとの答弁があった。さらに慎重に対応していくと。

私はバイオ施設に松尾市長は懸念なんてことを思っていたなら、バイオ関連予算を計上していることに矛盾が起きてきてしまう思う。
これからバイオ施設建設に向けての予算計上したなら、松尾市長は自信保って進めなければならない立場だ。

懸念と言うなら、懸念の中身はなんであるか説明しないと、不安要素が有りながら計画を進めていくことになる。ましてや、議会の質疑は、インターネット中継されている。ゴミ問題に関心の高い住民、市民は見てただろう。

これから、予算特別委員会で十分審議されるだろうが、この点を曖昧にしておくことは出来ないだろう。ネットの質問で、武田薬品の研究所のことが取り上げられた。動物実験後の処理の問題であったが、納得いかないことは、ズーッと続けて反対の声を挙げていくことと同じように、松尾市長のが言うバイオ施設の懸念のことは、場合によっては本当に懸念しなければならないことかもしれないと思ってしまう。専門的知識のある議員が話してくれたことを聞くと、懸念をすぐ、払拭することが出来ないくらい深刻な話も。鎌倉市はバイオ施設を実証実験するため予算を計上したのではなく、建設に向けての予算計上だ。

懸念の点をはっきりしないと、住民、市民に疑心暗鬼を生じさせ、ゴミ問題解決に混乱を招く。松尾市長は、はっきりと問題ないという態度で、建設に向けての責任から、住民、市民を納得させなければならない立場だ。一議員の問題意識を、問題化させ、問題点を争点化させる立場とは違うはずだ。しかし、不安に思う住民、市民の側に立って、発言していくのは議員の責任でもある。
沖縄の基地問題、東京都の築地魚市場移転問題等のように問題が複雑化すると深刻だ。鎌倉市でもバイオ施設の関谷農地での建設問題が挫折したのは、つい最近のことだ。

早稲田議員は松尾市長は答弁書を読んでいるだけだと追及していたが、このバイオ施設に関しては、松尾市長は自分の言葉で答弁したようだ。やはり、懸念のある点が気になるのか。

代表質問は質問する方も、答弁する方も原稿を読んでのことであるが、50~100項目質問は原稿なしでは出来ないと同じように、答弁も原稿なしでは出来ない。
対面して一問一答方式の一般質問とは違うので、質問者は登壇して読むが、答弁する市長も登壇して読むべきである。次の時から実現したらいい。県会や国会では、当たり前のことだ。時には自分の言葉で発言することあるだろうが。
2010年2月22日(月)
桜一輪ほどの暖かさ?
明日、東大病院にガン手術前の最後の精密検査を受けに行くので、鶴岡八幡宮にお参りした。本殿前階段際の桜が満開。
河津桜か、見事に咲いている。また、流鏑馬の馬場にも満開の桜が。段かつらには玉縄桜か、ポチポチ咲いていた。2分咲か。

梅一輪一輪ほどの暖かさから、桜一輪ほどの春模様の今日この頃。三寒四温とも言うが、季節の変わり目はコロコロ変わる。
梅は咲いても、3週間ぐらい長続きするが、桜は満開から散るのが早い。来月の今頃は、桜で春爛漫の鎌倉になる。でも、お天気次第。

世の中に春が来ると良いなぁ。今朝の深夜便、こころの時代を聞いていたら、日本人の死亡はガンが半分とか。いや、年寄りはもっととか。
ガンからのサバイバルなんて聞こえたが、目が醒めていないのでぼやっと頭に残っている。しかし、運、縁、恩はいけるなぁと、憶えている。

なるほど、人生は、運、縁、恩か。桜井なおみさんの言葉だ。NPO法人HOPEプロジェクト理事長。有り難い。
「あ い う え お」と「ん」の結びつきで、 安 因 運 縁 恩となる?

先日、新聞に劇作家花登 こばこの言葉に「泣くは人生 笑うは修行 勝つは根性」とあった。あぁ、良いことを言うなぁ。
2010年2月22日(月)
新市長は過去の入札、開発、公有地管理(買い取り、交換等)、職員管理(給与、職務)の徹底検証から。
松尾市長は政党推薦に依らないマニフェストを掲げ、まさに、住民投票的な形で市長に当選した。松尾市長を推しだした政治団体がマニフェストを発行の責任と松尾候補に投票した有権者に責任が重い。議会としては、議決権と調査権を持っているので、チェック機関として責任がある。

松尾市長は、当選してまず、やらなければならいことは、前石渡市政の検証であり、特に入札、開発、公有地管理(買い取り、交換等)、職員管理(給与、職務等)の徹底検証である。市長就任3ヵ月が過ぎ、もうすでに大きな問題が起きている。岡本マンション問題、洞門山開発問題、十二所公園用地交換問題、マニフェストで掲げた入札制度見直し、さらに職員定数、勤務時間等減問題。石渡前市長の検証から始めなければ、うやむやになって焦点がぼけてしまう。マニフェストも絵に描いた餅に?

ところで、岡田議員が徹底検証、問題点指摘している時間外勤務問題は、特に一人、400時間といった時間外勤務、一人2000円~4000円という時間給、いずれ、大問題に発展するだろう。よくまぁ、ここまで調査、検証をしたものだと、敬意を憶える。いずれ、新たな行革ヒーローに?

かって、鎌倉市の高額退職金は日本一で、30年前、最高、4000万円~5000万円台が続出したことは、有名であった。市民の怒りは行革市長を誕生させた。岡田議員の鎌倉市職員の時間外問題提起は、市民に怒りと話題が広がっている?いや、ビラでも広げている?

岡田議員が取り組んでいる時間外問題の検証は全国の自治体へも波紋が広がり、いずれ、テレビ、週刊誌、新聞等でも大きな話題になるであろう。また、それだけの検証資料を岡田議員はブログで公開している。松尾市長の取り組みも注目されている。当然、大ナタを振るであろうと?

私は一般質問の他、議案質問もした。松尾市長のマニフェストの中に、公共工事の見直し、まぁ、事業仕分けということもあるが、入札に関して、入札金額だけではなく、業者の鎌倉への貢献度も評価するとある。

今回、議案で、契約案件が提出されている。それは、大船西口の横断橋に関しての工事であるが、契約工事会社が西松建設とあった。この会社は、一昨年、6月、突然、腰越漁港の工事仮契約を辞退し、再度入札のため3ヶ月工事発注が遅れた。その違約金支払いの報告が、昨年、12月報告された。それが、終わってすぐ、今度の仮契約では、貢献度の評価はどうなっているのかと、質問した。つまり、迷惑を掛けたマイナス貢献度についてである。鎌倉市では違約金を払っての、仮契約辞退は今までないとの市側の答弁。でも、入札に関し、貢献度評価は市長はまだ、やっていないと答弁していた。入札には選定委員会があるのではないか?

とにかく、市長に当選したら、まず、入札、開発許可、公有地買い取り、職員管理等は、慎重に扱わないと、何が出るか分からない。検証なしで、分からないでは済まされない。そのため、支援した議員、支援者の協力は大いに求めるべきである。後の祭りでは、市民へツケが。

松尾市長はマニフェスト掲げ、4万の民意を背中に背負っている。正々堂々と出来るはず。でも、有権者15万弱の4万。3分の1以下?いや、投票数の過半数を大きく超えていると。

いずれ、地方自治は議会が要らない、あっても、議員は無報酬で、議会は夜間、休日に。住民投票で重要案件を決め、責任は市民に。
名古屋の河村市長が孤軍奮闘。議員は半数、議員報酬は市長と同じで良いと。

そう言えば、、相模原市が横浜市、川崎市に次いで政令市に。これでは、神奈川県は3分の一の権限県。県会議員が多すぎるとの声が、出てきている。鎌倉市、逗子市、葉山町から一人で十分?あるいは、鎌倉市議会から選出の県議で良い?地方分権、地方政治改革、道州制は目の前だ?

神奈川県会議員は多い、減らすべきだと来年の県会選で訴えれば、当選間違いない?でも、鎌倉市議会議員は多いと訴えて落選した市議候補がいた。直接民主制度か、代議制民主制度か、どちらも民主主義にはコストが掛かるが独裁は怖い、民主と独裁。誰のこと?
2010年2月21日(日)
忙しや浅尾議員
鎌倉少年野球連盟の秋季リーグ表彰式と卒業杯開会式にテレビの取材が入った。その後、13日のテレビ東京の朝の番組・週間ニュース新書において、浅尾議員の活動の一端として、地元の少年野球大会での風景が放映された。カップ授与、卒業杯の始球式と。本当に忙しい方だ。
写真は13日・テレビ東京より:(浅尾議員了解済み)。

2010年2月21日(日)
浅尾君、胸のバッジは何?
鎌倉少年野球連盟主催の第30回卒業記念杯閉会式に出席の浅尾衆議院議員の胸に、大きなバッジが。

それは何と尋ねると、バンクーバーオリンピックの男子フィギュアで銅メダルを取った高橋大輔選手を応援に行った知り合いから、オリンピックの記念のおみやげですと。

閉会式の挨拶では、球児に向かって、何かスポーツで、オリンピックに向かって頑張って下さいと。夢は大きい方が良いです。

ところで、日本の選手も頑張っているが、勝負が1秒の100分の幾つかの差や、何ミリの差の競技も。運、不運の激しい冬のスポーツだ。

目測での判定ではいかないのかなぁ。何か、虚しい思いもする。
人類、そんなに、キリキリした競技を続けると、疲れるかも。
でも、ついテレビを見てしまう。気になる日本選手。民族の祭典です。
2010年2月20日(土)
30年前の渡辺元鎌倉市長の一言が。
10年ぶりに一般質問をした。議長を2期4年半務め、議会運営に多くのエネルギーを費やした。その立場にあって、その職に全力を尽くすことことこそ使命と考えていた。

時には、自分の意と反することであったことも。ここは、議会を運営することが優先であると思ったとき、自分を殺す、押さえることに務めた。
それでも、大所高所から、自分の責任として判断しなければならないことは、覚悟の決断をした。

3年前、大船駅東口都市再開発事業の補正予算の時、いずれは180億円の事業費となる大事業であるが、議会採決が賛否同数となり、議長裁決で決することとなり、議長の私は反対した。大事業であるが、議長反対で事業が遅れることになる責任は、議長の私の背中に重くのしかかった。

でも、議長が反対したことは良かったですねと今は、声を掛けられる。経済不況で市財政も厳しいので、もし、事業が中断したら大変でしたと。また、解決にはまだまだ、時間がかかりましたと。また、本会議が秘密会で損害賠償事件案件を扱わなければならない時も、苦渋の選択であった。でも、教育上の人権問題でもあるので、緊張の度合いは、相当厳しかった。それも、2回も扱った。

体が議長から一議員としての構えに戻り、松尾新市長へ忠告、忠言、苦言に聞こえるかも知れないが、とにかく、危ない、不安の気持ちが松尾市長に対して持つので、ここで、松尾市長の胸を借りて、真剣勝負の質問した。事前の調整なしである。私の思いこみもあるかも知れないが、馴れ合いの質問なんて今更出来るかと、それより、30年前の新人議員に帰り、初心に帰り質問をした。

一般質問をする前、した後、30年前の新人議員であったころのことを思い出す。それは名越え清掃工場改修工事契約案件。21億円のM社、13億円のN社との壮烈な争いであった。正木革新時代に随契でN社に予定されていたが、渡辺保守市長になるとM社にひっくり返った。それも、工事価格が8億円もの差があり、N社がたたきで低価格を提示したことから大騒ぎ、大問題になり、徹夜議会で結果はM社になった。

このことで、当時の渡辺市長に、排出ガス数値の視点で私は質問した後、与党でありながら、反対した。議会閉会後、渡辺市長に頭を下げに行って、市長、申し訳ない、私は納得いかなかったので反対しましたと詫びた。

ところが、私は驚いた。渡辺市長は「君は、偉い、若い内は要領を使ってはいけない。夜中になると、反対だと騒いでいた議員が、採決で賛成にまわるのを度々見てきた。私は市長になる前、収入役、議会事務局長であったから、その場面を見てきた。筋を通した君は偉いと」。

私は渡辺市長の言葉に胸が詰まった。今でも、その言葉を思い出すと胸がきゅっとする。その言葉があるから、議員としての私が、今、あるのだと思う。
今、ブログを書いているときも目頭が熱くなる。人に語るときも、同じだ。松尾市長に質問するにあたっても、終えても、渡辺元市長も言葉が聞こえてくる。まさに、言霊だ。しっかりやれよ、筋を通せよと。何か、私を動かしている言葉だ。一生忘れることはない。

松尾市長とのやり取りも、初心に帰って、率直聞いたことに悔いがない。松尾市長の政治の思いも、態度も良かった。真剣勝負だ。
でも、少しは先輩の私。そっち行っちゃいけない、そっち行っちゃ危ないよ松尾君。心配するのは親心か。

そういえば、先輩議員から、新人の頃、良く言われた、松中君、もっと、大人にならなければいけないよと。つまり、要領を使えと言うことか。当時、企業から1000万円以上、献金がぞくぞく届いたそうで、これは当時の実力議員の話ですが。
2010年2月14日(日)
手術に向けて準備
先週、東大病院で生検の結果が分かり、担当医からガンの細胞がありましたので、手術の準備に入りますと言われた。
覚悟をしていたので、はっきりし、何か気持ちが晴れた。でも、さらに、精密検査へと進んでいくので、これまた、気になる。
CTと骨シンチの検査が告げられた。1ヵ月後、その結果を見た上、手術の準備の検査がありますと言われた。あぁ、検査漬けだ。

病院の帰り、東大病院近くの湯島の白梅で有名な湯島天神をお参り。梅はまだ、2分咲きであった。本殿際に置かれた太宰府天満宮からの紅白の梅の盆栽は見事である。また、境内で猿回しが行われていて、何か癒された。

夜、知り合いと食事をした。メガネを替えたこともあり、元気な顔写真を撮った。家に帰るといつもネコに癒されるので、ブーニャンとクロの写真を。
また、図書館の湯浅君が撮ったネコの写真が、ブーニャンに余りにも似ていて、欲しいと声を掛けていたのが手に入り、比べた写真を。

17日から始まる定例議会では、久しぶりに一般質問を行う予定であることは、緊張があって良い。短い時間であるが頑張ります。



2010年2月9日(火)
鎌倉のスケールだ。殿様からのプレゼント。
鳩山、小沢民主党幹部の巨額な政治資金の問題が連日報道されるなど暗いニュースが続く中で、加賀百万石の前田家18代ご当主から鎌倉文学館隣接地にある土地(4475㎡)と建物(264㎡)が鎌倉市に寄付されることになり、その目録が松尾市長に手渡されたことは、ビッグな明るい話題だ。鎌倉の名所が広がる。

現在、鎌倉文学館なっている前田家の洋館は、佐藤元首相が別荘として使っていたころ(45年前ぐらい)、私が若いころ(20代前半)何度か、クロネコ大和のアルバイトで届けものの配達をしたことがあるので、なつかしい。
また、今から30年前、大手新聞社の知り合いの方が友人の前田氏から、長谷にある洋館建て一帯を何か有効に使って欲しいとの話があった。それは、現在鎌倉市の文学館として利用されているところだ。当時、教育長であった小島さんに話をしたところ、鎌倉に高校が欲しいので、検討したことがあるが、無理とのことだった。

その後、文化人の墓地の多い東慶寺の井上禅定和尚さんから、神奈川県から問い合わせがあり、文学館を作りたいから、鎌倉に良いところがないか、探していると。小田切氏他関係者が見に来るのでと言うので、適当なところを話した。一箇所が、現在の鎌倉文学館の場所、もう一つが、佐助トンネルを越えた右側の場所であった。その後、県は横浜市が強烈な誘致を計って、港の丘公園隣接に神奈川県立文学館が決まった。

それでも、鎌倉文学館建設の希望は、鎌倉文学振興の運動を続けていた鎌倉文学史話会(芥川賞作家の清水基吉氏、大沢市議他)メンバーから強い要請があった。そこで、鎌倉・長谷にある前田家の場所を文学館にと、鎌倉市長に当選した小島市長に申し入れしていたが、なかなか、動かなかった。2年くらい経ってから、突然、文学館の話があったので、何かあったのかと、思ったら開発の話が出ていたと。

実際は、前田家裏側の場所で、一時、文学館用地として市は買い上げようとしたが、正木市長時代、議会の反対で断念した。
当時の岩沢助役から話があり、松中議員の話を無視したのは申し訳ない、小島市長は文人市長として、実績の目玉としたいことだからと頭を下げられたので、私も協力するようになった。

さらに、議会で運営には財団として文学振興会を作ったら良いと提案したが、市の直営ですることになったが、館長は民間からにすべきであると私は主張し、折衷案として初代館長に永井龍男氏が就任した。

私の行動にバックアップしてくれたのが、文芸評論家の江藤淳先生、元文化庁長官の今日出海氏、芥川作家の清水基吉氏ほかであった。
その後、鎌倉文学館の現在の運営は、市直営から鎌倉芸術文化振興財団の指定管理者に移った。結局、私が主張していたことになった。

その後、鎌倉文学館の右側隣接地・島津家の山林3千坪が、格安の価格で(㎡3千円)で風致保存会に。一帯の緑地は前田家山林ともども保存された。源頼朝公墓一帯は島津家所有であったが、島津家、毛利家から一帯の土地が無償で鎌倉市に寄贈された。

鎌倉とお殿様のゆかりの話は尽きない。鎌倉に明治維新後、藩主の別荘が建てられたのは、明治政府が武家政権から公武合体となり、全国の藩主は東京に住むことになった。乱を恐れたのであろうかもしれない。さらに、井上馨が別荘文化を外国から取り入れたことが、ハイカラの始めとか。鎌倉は、武家文化、神社仏閣、それに、別荘文化、保養所文化が混合しているところだ。それが、鎌倉らしさ。スケールが大きい。いや、深い。