鎌倉発電送かわら版(最新版)
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2010年10月5日(火)
こりゃ、たまらない、分別の分別の分別
ゴミ処理として、バイオマスの施設が山崎下水道処理場敷地内に論議されているが、見直しを指示している松尾市長とバイオ推進派議員と激しい対決が続いている。
施設のことばかり議論されているが、家庭から出るゴミの処理から議論しないといけない。

現在、燃えるゴミと資源ゴミの分別が、各家庭で行われているが、バイオ処理には、さらに、分別が厳しくなる。それは、分別の分別の分別であると、話をすると、とんでもない、そんな施設はいらないと、声高に言われる。今でさえ、分別は大変だと、お年寄りは言う。それが、燃えるゴミと、生ゴミ、さらに、生ゴミ中身を分別とは、年寄りをいじめるなと。
そんなの面倒くさいから、しないよ、そんなこと詳しく知ったら、市民の多くは怒るよと。

この話を飯野議員に話したら、それは大変ですよと資料を見せてくれた。確かに生ゴミに、たばこのフィルター、梅干しの種、割り箸等が入っていたら、機械が壊れてしまうと、横浜市の実証実験をしている企業から説明を受けたことを思い出した。梅干しの種というが、17万人の人口のうち、1万人は毎日梅干しを食べることを考えると、1万個の梅干しの種が毎日?

飯野議員の資料によると、バイオのため、家庭から分別した生ゴミを出す前に、生ゴミの分別をしっかりやってほしいと資料に書かれている。

生ゴミとして出してはいけない、生ゴミのような生ゴミは、牛や豚の骨、卵の殻、貝殻、伊勢エビやカニの殻、籾殻、樹木の枝葉等。別の資料では、トウモロコシの芯、竹の子の皮、も。
そうでないと、機械がすぐ壊れるようだ。そして、メタンガスを発生させるメタン菌が死に、メタン発酵出来なくなると。さらに、一度壊れると、メンテナンスにかなりの時間が掛かり、生ゴミの山が出来、周囲に悪臭が漂うとの話もある。こんな分別は嫌だと市民は怒り出すだろう。ゴミ倫理、分別倫理の市民教育から始めないととても無理だ。

横浜市に視察して聞いたが、事業系生ゴミのなかでも、いろいろなものが混在されていて、大変だと堆肥処理の現場の声もあった。
朝忙しい、サラリーマン家庭は、夫婦共稼ぎであったら、とても、分別の分別の分別なんてやっていられないだろう。また、お年寄りにとっても、叶わないだろう。暇な方は良いだろうが。
2010年10月5日(火)
滅びの美学
小沢一郎さん、あなたは民主党を離党し、新党を結成すべきである。

日本再生のため、政治資質をもった政治家を育てることです。

今の民主党に留まっても、民主党が発展することはない。政権に執着した要領の良いものが増えるだけだ。

私はかって、尊敬していた江藤淳先生から、いずれ、小沢一郎の時代が来る。小沢一郎は分かっているとよく、私に語っていた。
その後、紆余曲折があったかも知れないが、300議席の自民党政権を破って民主党政権を誕生させた。しかし、今の菅民主党政権はダッチロール状態だ。これからも続くことは日本のために良くない。

その原因に党内の小沢批判勢力がある以上、党内をもまとめられない菅首相では、日本を統治することは無理です。
民主党を離党し、新たな党を作るべきです。あなたについていく同士もかなりあろう。

よく、江藤先生は、西郷隆盛のことを語ってくれた。それは、滅びの美学があると。先生も自死されたが、凡人の私にはとても出来ないことである。
私は、小沢一郎さんとは全く、同じ誕生日、昭和17年5月24日です。あるアーティストで、占いの出来る方に、名前を言わず誕生日が昭和17年5月24日の人を占って貰った。
その方曰く、この日の誕生日の方は、大変な戦略家で、黒幕的存在だと言われた。それは、私ではなく、小沢さんのことだと思った。また、その方の占いはすごいと思った。

小沢一郎さんには、行動の美学、政治の美学があるはずだ。また、いずれは、滅びの美学も。今すべきことは、政治資質のある政治家の種を蒔くこと、育てることです。

以上、凡人、松中健治の思いです。
2010年10月4日(月)
政治にならない松尾市政?
今、鎌倉市政で話題になっているのが、市政アドバイザー制度。唐突に出てきたので、こりゃ、何じゃ。副市長じゃ頼りならないのか。部長他幹部もいるじゃないか、審議会等の諮問機関があるじゃないか、専門委員もいるじゃないか、疑問噴出。屋上屋を重ねる自転車操業的状態の松尾市政。

確かに選挙では自転車で町中を駆け巡るパフォーマンスはまさに曲芸乗りのように見事であった。それが、政治という土俵では、お子様自転車に補助輪付きでないとこげないのか。いや、3輪車でないと無理かもなんて声も。

補助装置が付いた電動自転車ならスイスイか。アドバイザーが電動役か、お子様自転車では、補助輪か。何時まで、そんな状態では、何時倒れてもしょうがない。
倒れても起き上がることを覚えなければ、いつまで経っても、無理。お手を拝借しなければ立てないなんて、これじゃ鎌倉市政を運営できない。それに、信念が大事。何考えているか分からない?

いくら、経験豊かな方からアドバイスを受けても、身体で思えなければ、とっさの状況判断は出来ない。質問されても、待った、待ったでは、アドバイスが邪魔になる?
制度そのものに議論があるので、議会での審議は最低必要だ。まさか、そんなことは必要ないとアドバイスされたのではないだろう。でも、人選では、議決事項扱いしないと、思わぬ方が?

市長が職を投げ出した他市で参与をした方も。その方は、鎌倉とどんな関係があるのか。選挙で知り合った方か。今、松尾市長に必要なのは政治アドバイザー?
一回1万7千円なら受ける人いるかも。でも、責任を取るのは嫌じゃと言うかも。ただなら良いと言う方もいるかも知れない。

そういえば、法制面で問題になると、いつも言うことは、顧問弁護士と相談しました。でも、裁判は負け続き。その責任は。専門家でさえこれだから、報酬はたっぷり払い、法的決着に対処しないと、これから、裁判でのケースはしんどい。

また、議員は報酬なし、議会は休日、夜間開けばいいの声もあるが、重要案件は住民投票でとなるであろうから、民主主義のコストは相当掛かることに、覚悟しなければならない。それに、補助輪付きのお子様自転車乗りにも、何かとコストが掛かる。それとも、どこかのように、独裁か?いや、独断と偏見?
2010年10月4日(月)
鎌倉少年野球連盟の球児が赤い羽根で駅立ち
       
     
 
鎌倉少年野球連盟の球児たちが元横浜ベイスターズエースの遠藤一彦さんと鎌倉駅前で、赤い羽根の募金活動に協力。
球児たちは大きな声で、募金をお願いしていた。元気が良い。次々、募金をしてくれる通行人の方々。有り難うの声も大きかった。

鎌倉少年野球連盟は今年、30周年を迎えた。来月、11月20日に監督、コーチ、球児OB等と記念の会を開く。
育った球児は2千数百人、現在、六大学で活躍している加賀美(法大)渕上(慶大)君も連盟出身。大きく育ってきた。

初代会長に、元総理大臣の小泉純一郎さん、2代目に私、松中健治が務めています。副会長に松尾崇さん、顧問浅尾慶一郎さん。
2010年10月3日(日)
閉塞感漂う
菅内閣は、即総辞職した方が良い。政権担当能力を我慢して様子を見ていたらとんでもないことになる。政治無責任時代。

政権交代→政権後退 最小不幸社会→最高不幸社会

先日、新聞の政治戯画に、尖閣諸島問題での態度に関しここまで書かれたかと、思った。

腰が引けた、腰が抜けた、腰が壊れた

イラ菅、ダラ菅、ぶれ菅、空き菅といずれは、ド菅ーと空中分解か。もはや、誰も期待しない。
尖閣諸島問題で土下座外交は、戦後、最低の外交と。どうしてこうなったか。それは、パフォーマンス選挙の結果。

今や、議員になるには、人気投票型の選挙で勝利すれば、一番簡単。それには、パフォーマンス。
駅立ち、ビラ配り、自転車乗り、出来もしないマニフェスト。まさに、目立ちがり競争。
政治が目的なのに、選挙が目的化している。これでは、政治資質もなければ、育ちもしない。

だから、政治の土俵に乗れば、無力、無能、無気力で、ガタガタ。でも、パフォーマンス競争では生き生き。

もはや、行くも地獄、引くも地獄の菅政権。政界再編成で強力政治体制を造らないと、日本沈没だ。

菅政権は速やかに総辞職し、衆院解散総選挙か、政界再編成をすべきだ。
それにしても、統治能力のない日本の政治。人気投票型の劇場型選挙では、これからさらに、政治の劣化がひどい。
2010年10月3日(日)
坂の下に岸壁を
今朝も海岸へ。由比ヶ浜だ。潮が引いていたので海浜の広いこと。50mから100mは違う。

坂の下の方へ歩いて行くと、やはり、潮が引いているので広い。貝が散在している。

なぜ、漁港が出来ないのか、漁船が接岸できる岸壁は、最低造っておくべきだ。

四方切り通しの鎌倉、大きな地震が来れば崩れば四方ふさがりだ。災害時には海からの救援が必要だ。そのためにも岸壁建設は急務だ。

また、ヨットも接岸できれば、乗船できる。
もうすでに、テトラポットがあるので、景観上は同じだ。日本最古の港は800年前。

鎌倉は海のある古都。海を生かそう。
      散在している貝は、ハマグリの稚貝?味噌汁入れるとおいしいとか。

由比ヶ浜海岸にクリーンなトイレが。

原前市議の尽力でシャワーが設置されている。

海岸のトイレを水洗化させたのは僕。10数年前。
でも、砂が吹き寄せ、問題があった。

それを、さらにアップさせたのが、原前市議。
置き土産して、今はいないのは残念。
 

     砂浜から上がって歩道をあるいていると歩道に張り付いた粋な方角版が目に着いた。

高浜虚子、与謝野晶子、松尾芭蕉、安斎仙鳥女の作による俳句も。

そうだ、鎌倉小町通りの電線地中化で話題になっているのが歩道のデザイン。

現在土色で舗装されているが、余りにもだらしないので、悪評である。

以前の方が良かったとの声が多い。先日も何とかした方が良いと、元商店会幹部から話があったが、商店会の協議で決めて貰いたいと言った。その後は私も頑張りますと。

30年前に小町通りをモール化したとき、私も、協力したので、是非、良いものにしてほしい。今や、鎌倉の顔の通りとなっている。

ところで、由比ヶ浜には県立の大きな地下駐車場があるが、予算の関係上、道路を地下にすることが出来なかった。

出来れば、上の公園広場は広くなって、植栽された松や防風林で緑化されたはずだ。

鎌倉は三古都のなかで、海があることが鎌倉の自慢だ。
海のある城塞都市とは世界遺産登録への鎌倉の切り札。

それにしても、海の変化は、様々、文化、文明の入り口、出口。
鎌倉の海も世界に広がっている。

鎌倉幕府誕生は海あってだと、聞いたことがある。

それは、三浦一族の力があってだと。三浦一族は大きな水軍勢力であったと、三浦先生が。

北条も水軍であったが、三浦水軍にはおよばなかったようだ。
日本は海あっての国。領海、経済水域を忘れてならない。
   
2010年10月2日(土)
今こそ、鎌倉精神
 
今朝、6時前家を出て、海岸へ。潮が大潮か、浜辺が広がっていた。和賀江嶋もくっきり。いつも波を被っている玉石も浜辺側には相当な数。波で打ち寄せられたのか。元に戻せば、日本初の築港が復元されるかも。こどもの頃は、玉石づたいに沖まで行ったもんだ。潮の流れが変わったか、波が強く押し寄せるのかも知れない。

ここ、和賀江嶋は世界遺産登録への候補地。大きな玉石による築港とはよく考えたものである。説によると宋船が入っていたとの言い伝えもある。中国の青磁のかけらが見つかることあるという。鎌倉と中国の縁は深い。鎌倉時代には、経済交流、文化交流はかなりなものであったろう。

でも、経済、文化交流があっても、侵略民族は突然襲って来た。その元寇を撃退した鎌倉幕府。今、領土、領海で問題になっている日本の領土である尖閣諸島事件。
今こそ、鎌倉精神を思い起こすべきである。中学生の頃、よく、歌った元寇を歩きながら口ずさむ。

   
  四百余州をこぞる 十万余騎

 国難ここにる 弘安四年夏

 なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり

 正義武断 一喝して


2010年9月30日(木)
町の衆が燃えている
難民支援の活動している松田 陽子さんが鎌倉・大町に住んでいる。町内の人が出会い、彼女のことを知り、活動を少しでも支援しようと立ち上がった。そば処、炉端焼き、焼き鳥、お好み焼きの店等を開いている町の衆が「松田 陽子 難民支援チャリティーコンサート」を企画した。

難民とはあまり馴染みのないもの達が、コンサートを成功させようと、ボランティアとなって、奮闘している。良いねぇ、良いねぇ、町の衆。

難民とはいえば思い出すことがある。30年前、鎌倉・小町の修道院跡にベトナム難民センターがあった。ベトナムからのボートピープルだ。
その難民の子らが鎌倉市立第二小学校に通っていた。私の長男が1年生の時、同じクラスに難民の子がいて、週刊誌女性自身に教室風景が取り上げられ、長男と難民の子らクラスの生徒が大きく写真に載り、その後、難民の子の要保護扱いのことで手伝い、給食費、遠足の費用等を減免させた。
また、鎌倉から外国へ行くことになった難民の子のお別れ会を私の自宅でした。担任の沢田先生も同席してくれた。
その後、ベトナムの難民の子は、日本に戻り、銀座でベトナム料理店を開き成功していると、消息を聞いた。懐かしことである。

そうだ、ミャンマーのスーチン女史の従兄弟の方等によるメンバーが、鎌倉から平和アピールをしたいので協力してほしいと知り合いから話があり、大仏の佐藤住職、小島元市長、作家の胡桃沢耕史さん等に呼びかけ実現し、TBSの筑紫哲也さんの番組に報道されたことがある。

未だ、紛争が絶えない国々がある。そして、難民問題。今の日本も外交問題は重要である。かっての敗戦では、苦労した日本人の引き揚げ者が多かった。今、平和ぼけしている間に、とんでもないことにならないようにしなければいけない。立ち上がった町の衆、ピッリトしている。
上の大きい写真はこちら。
2010年9月29日(水)
秋晴れの運動会
    ここ2,3日の天候はもう冬が来たかと思うくらいの気温と雨であったが、今日は一転天下の秋晴れ。

第一小学校、御成小学校の運動会を覗いてみた。
元気な児童が力強く、動いている姿は、嬉しい。

運動会は、私にとっても良い思い出である。

年を考えると、児童と60歳の違いがある。 
各学校工夫しての種目を披露していたが、なかなか考えるものだと感心する。


2010年9月29日(水)
間違って一ヶ月間のブログを消す

思わぬミスを冒し、1ヶ月間のブログを消してしまった。思い出しながら、編集し直します。

2010年9月26日(木)
腰越みなとまつり
   
     
  腰越みなとまつりもすっかり定着し、大変な盛況であった。餅つきや腰小の生徒が演じるよさこいは会場を盛り上げていた。上空にはカラスの一団かと思いきや、ヘリの飛行群。

帰りは江ノ電鎌倉高校前駅から鎌倉へ。

途中、サーファーの大群。見事に波乗りする姿に、拍手。

私も若かったらやってみたいと思った。
 
 
     
     
秋晴れに誘われて、亀が谷切り通し付近を歩いた。彼岸花が盛り、萩の花も咲き始めた。そらはすっかり秋模様。崩落の危険があると言われていたので、
切り通しを見上げながら歩く.確かに、怖いところも。電柱には土砂崩落の恐れありと。 川喜多映画記念館裏手の和辻哲郎邸が映えていた。早期開放を望む。