以下は高崎真哉によって作られるサイト全般に関する制作ポリシーです。
【はじめに】
【利用環境】
【はじめに】
2003年現在、私が私的なサイトを作成し始めてから既に8年が経とうとしております。このページでは私のサイト制作方針を述べるわけですが、その方針も当然の事ながら「対応利用環境」を中心として変化してきました。
その結果、以下のようなことが発生しています。
特に当サイトは「古いデータでも極力残すようにする」という方針で制作しており、古い内容でも削除せずに積極的に残している部分が多い為、上のような状況が一層発生しやすくなっております。
そのことを前提とした上で、以下の制作方針は「最新版」でしかないことを御理解頂きますよう、よろしくお願いいたします。
【利用環境】
本サイトの頁は主にMicrosoftインターネットエクスプローラ6.0での閲覧を前提に制作しております。
Opera6、Mozilla1.01での閲覧確認も行っておりますが、十分なものではありません。何かお気づきの点がありましたら、掲示板・メールなどにて御連絡下されば検討させて頂きます。ただしこれはそれらのブラウザへの十分な対応を保証するものではありません。
Netscape NavigatorVer.4.Xについては上述のブラウザ群との差が激しいため、基本的に非対応としております。たまにNNでの閲覧確認を行い、「本文が崩れて読むに耐え難い」とならない程度には対応するつもりですが、それ以上の快適性は見込めませんので御了解下さい。
画面の解像度に関しては800*600以上で閲覧確認を行い、1024*768、1152*864を標準にして制作しています。これら以外では確認を行っておりませんので御容赦下さい。
当サイトでは訪問者の方の閲覧の利便性を高めるため、一部にJAVAスクリプトを使っております。ただし出来る限りJAVAスクリプトが使用不可でも閲覧に支障がないように配慮しているつもりです。何かありましたら御連絡下さい。
【個人情報取扱指針(プライバシーポリシー)】
ここで述べる「個人情報」とは以下のようなものを指します。
以下、それぞれの情報の利用目的や取扱方針について記述します。
1番:訪問者の方々の接続元情報に関しましてはセキュリティの為に利用させて頂きます。よほど特殊な事情がない限り、アクセス制限をかけることはありません。
接続元情報からは御利用になっているプロバイダー、会社、大学などが判明し、場合によっては部署や地方が分かりますが、それ以上に個人を特定する為の情報は一般的に得られません。すなわち訪問者の個人を特定することは警察権力の協力を得なければ一般的には出来ません。そして当たり前ですが、悪意ある訪問者でない限り、私が個人を特定しようとすることはありませんので御安心下さい。
2番:パソコン環境情報につきましては、多くの方々に対応したサイトづくりを目指すための参考情報として主に利用させて頂いております。それらは統計的調査に利用することが中心であり、真っ当な訪問者の方々に対し、興味本位で個人を特定したり、追求したりする為の目的では利用いたしません。
3番:掲示版、アンケート等で頂く情報に関しては以下の方針で取扱をいたします。
1.当サイト下の掲示板頁、アンケート・意見聴衆頁などにおいてはクッキーを利用しています。
クッキーとは訪問者の方が当サイトで取ったアクションに関して、御使用のパソコンにデータを残しておき、再度の御訪問の際にその情報を利用させて頂くシステムです。「利用させて頂く」と言っても、当方からクッキーの情報を覗くことが出来るのではなく、あくまで御利用になったパソコンが、以前に当サイトからの指示で作られたクッキーを利用するだけですのでこの点でのプライバシー漏洩はあまり考える必要はありません。
たとえば、一度掲示板で投稿して頂くと、再度の投稿の際には名前やパスワードが既に入力されている、ということがあると思いますが、それはクッキーの働きによるものです。そのように、当サイトでは訪問者の方の各種記入の際の労力を減らす目的でそれを利用しています。
しかしながらその結果、このサイトに訪問する際に用いたパソコンの中に、訪問者の方が当サイトを訪問した形跡や当サイトで記入した名前、連絡先、パスワード等が残る場合があります。
個人で使っているパソコンで、それらの情報が悪用される可能性は少ないのですが、複数の方で使っているパソコンにおいては別な方がそれらを覗けてしまう危険があります。このような場合には(他のサイトでも言えることですが)
などを強くお勧めします。
「パスワード」部分に関しては2002/06現在、投稿を頻繁にする可能性のある掲示板にてクッキーを発行しています。それらのパスワードで、御自分の重要な個人情報を入力しないことをお勧めします。
2.後述のバナー広告ではクッキーを発行します。
これはバナー広告の使われ方を判定するためのもの(たとえばバナー広告が同一人物による重複を除いて何度表示されたか、申し込みをした人がどのバナーから申し込んだ人か、など)であり、取り立てて大きな害悪のあるものではありません。御理解下さい。
当サイトでは2002/10より、バナー広告を載せさせて頂いています。これはお金が欲しいから...というレベルではなく、当管理人の私的な事情によって、微々たるものでも収入を作りたい(増やすんじゃないんだよな...汗)からです。第一の目的がそれであるのは言うまでもありません。
さて、高崎真哉的電網家頁の一コンテンツ、『迷惑メール(spam)撲滅私的調査会』では受信者の了解なしに一方的に送られる広告・宣伝メールに強く反対しています。広告というものが受け手に与える嫌悪感の可能性を常に心がけるべきだと考えます。詳しいことは後にして結論から書きますと、広告について考えるコンテンツを持つ私の頁としては以下のようなポリシーでバナー広告を利用していきたいと考えます。
訪問者にとって嬉しい出会いの出来る広告、それが無理でも嫌悪感を抱かない広告、うっとおしくない広告、許せる広告、そういうものを模索していきたいと考えます。
さて改めて、例の如く冗長に。
当サイトでは一方的に送られる広告・宣伝メールに対し、強く反対しています。
しかし間違えてほしくないのは、私は広告・宣伝行為全体を問題行為としているわけではない、また、するつもりもないということです。私は「『資本主義で広告活動は正当なものでしょ』への反論」に書いたように、従来の新聞広告やTV広告など、「土足マーケティング」と揶揄される、ある意味で「一方的」である広告手法(参考:メールマーケ教書)も、真っ当なものとして考えています。WWW上のバナー広告というのは、まさしく従来の新聞広告やTVCMに相当します。
しかしながら実は「スパム」も「従来の土足マーケティングという手法」も根本的には「一方的」な面を持つことには否めません。では一体何が違うのでしょうか?
上の私の文の中では一応違うこと、そして一方的なメールこそが迷惑であることを主張しているわけですが、景観問題を引き出しているように、厳密に境界を定めようとすると大変難しい問題になります。
ここで、一つ私が気になっている話題として「囚われの聴衆」「とらわれの聞き手」という概念を紹介します。これは通勤電車内における商業放送が問題にされ、最高裁まで争われた事件です。
大阪市営地下鉄商業放送差止等請求事件(囚われの聴衆事件、最判昭63年12月20日) (The Cat Chaser)
通常、「自由」という言葉でイメージされるのは主体的な行動が出来るか、という雰囲気がありましょう。けれども人間社会が人間同士の軋轢を免れない世界で在る以上、その間には「受け身としての自由」というのもまた、大切な自由の一つになります。そのことがこの争いの中でにじみ出ています。上の裁判の判決の中で一裁判官により以下のような補足意見が述べられています。
「人は、法律の規定をまつまでもなく、日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を本来有しているとされる。私は、個人が他者から自己の欲しない刺戟によって心の静穏を乱されない利益を有しており、これを広い意味でのプライバシーと呼ぶことができると考えており、聞きたくない音を聞かされることは、このような心の静穏を侵害することになると考えている。」
この裁判では商業放送の争いなので「聞くこと」に話の中心がありますが、最初にあるように「見たくもないものを見」ない自由も重要であることが述べられているわけです。結局この裁判では本件の商業放送は違法に相当しないとなったわけですが、改めて一方的な広告というものが「受け取りたくない自由」と対立しがちなものであるか、争議されたという点で興味深いものです。
この話の中の「囚われの」というのは通勤電車という、他に選択肢の幅が狭い中において「受け取りたくない自由」を維持することの難しさが注目されています。
十分にこの問題を読んだわけではないので、私の勝手な認識ですがTV広告や新聞広告において私達が「囚われている」とは言えないでしょう。TVは決して見なければならないものではないですし、新聞も読まなくてはならないものではない。ましてや日本のTVではNHKあり、民間放送あり、有料民間放送あり、と選択肢が多いのみならず、コマーシャルの時には切ってしまうことも出来る。実際、ビデオが普及し、CMを飛ばすようになった人は多いでしょう。さらに電化製品の発達の中でCMが危機になるという見方もあります。
「HDビデオレコーダの台頭でテレビCMは衰退する?」(ZDnet)
それと同様にやはりWeb、ホームページという性質も「囚われている」のではない。これを見ているあなたは今日は訪問していただいたとしても明日以降、否、直ちに今以降、二度と来ないという選択肢を持っていますし、客観的に見てそれに関してあなたを強制する環境は何もないのです。
その一方で私が感じるのは、メールボックスというのはプライバシーで保護されるべき場所であるということです。メールを使っている人はメールボックスは見なければならないものです。それはポストと同じできちんと受け取らねばなりません。その際に「見なければならない」ものと一緒に「見たくもない」ものを見せられる。その問題が「スパムメール」と言えるでしょう。
そのささやかな違いが、個人から大手企業まで、当たり前のようにホームページに張り付けるバナー広告の氾濫・暗黙の了解と、憎悪され、ネット業者にも追い出され、法律でも規制しようとしているスパムメールとの運命を分けています。
しかしバナー広告でも無論、節操が大切であり、サイトの中身と広告のバランスや、サイト内容と広告内容があまりにマッチングしない場合には違和感があり、「?」と思ってしまうこともあることも確かです。無論、逆にサイトの中身と非常にマッチしていて、実際にそれで新しいサイトを知り、商品を買い、結構良い店だった、ということもあるでしょう。私自身そういう「広告のありがたみ」を感じたこともあります。
勿論、小銭稼ぎが目的なのは隠しませんが、迷惑広告を考える当サイトが、広告を否定的な側から論ずるだけでなく、「広告を使う」という前提にたった時、どのような「品の良い」広告作りが出来るのか、そのようなより良い広告のあり方を同時に探るのもまた面白いこと、そしてそれこそが広告を真剣に考えることが出来るのではないか、と思っています、