九月二十四日(六日目)

 帰ってきてホテルにて。

 今日は簡略版。ソウロウテイへ行く。ここの私のメインは500人以上の名臣図。他の人が、行っちゃう中、文テンショウ、ゴシショなどを見つける。林則徐の碑文などがある。司馬リョウ先生の本では贅沢なものだったといっていたのに結構質素で良い。

 次に文廟へ行く。良い。とにかく良い。とにかく碑がたくさん有る。書家の筆。有名人の筆。経済関係の筆。しかし一番は平江図である。しかも!宋代までの帝王図が。拓本がほしい!文廟の周りには文物商店、骨董品を扱ったのも多い。

 そこでみんなと食事をとる。終わってみると既に2時。私は文廟がもうちょっと見たかったので別れて、夜にみんなで会うことにする。文廟へ行って太成殿を拝む。孔子の経歴などが書いてある。時間がなさそうなので蘇州博物館へ行く。時化ていた。個人的にちょっと良かったのは清の陶磁器。これは結構奇麗なものがそろっている。それ以前の展示もそれなりにある。あと太平天国忠王の展示。忠王はそんなに代表的な人物ではないようだ。あとの展示はなんかしょぼかったような気がする。印章の展示が大量にあったが、並べてあるだけ。総じて考えるに、説明が足りない。もう少し良い見せ方があるのではないか。もっとも所蔵はたくさんあるはずで、そういうのを見せないのは甚だ残念だが、それは仕方ないのであろうか。一部を使って麻薬撲滅キャンペーンをやっていた。中国っぽく酷い写真などを見せて、啓蒙に勤める。時間が無いくせに思わず見てしまう。こういうのって確かに教育が大事だと思う。たばこ、麻薬、アルコール中毒、などなど日本でももっと教育して好いくらいだと思う。

 そのあと北寺塔へ。いやああ、良かった。期待していたのは元末に蘇州を拠点にして独立していた地方領主、チョウシセイのことを称えた碑。彼はシュゲンショウの敵だったので、そのシンパだった蘇州を徹底的に破壊した。この碑は蘇州とチョウシセイの結びつきを表し、蘇州の歴史をも表す面白い碑である。

 塔に登る。一人で高い塔に登ったのはあまり無かっただろうか。そのせいか異様に感慨にふける。あまりの高さに震えが来る。なんかすごい高い気がした。職場で高いのには慣れているつもりだが、なんかこちらのほうがずっと高い気がする。まわりに高い建物が少ないせいか。町の車や人が小さく見渡せるせいか。人々はこの高い塔に登って何を思ったのだろう。塔は高いところに上りたいがために作られたのではなかろうか。鳥でさえ低いところで羽ばたきながら旋回し、木々へ写り渡るのをはるか下に見ながらそんなことを考えてしまう。虎丘の塔が見える。

 これでまあ満足だと思っていたら、清時代の蘇州の繁栄を表した図の複製が!昨日見たショ門の繁栄が如実に表されている絵であり、蘇州の繁栄を表現するのにしばしば使われるものだ。いろんな店が建ち並び実に興味深い。面白い。リョウネイショウ博物館にものはある。

 文物商店本屋へ。平江図を捜す。M先生とSちゃんに出会う。店の人に聞いたら拓本がないらしい。凄いショック。飯を食う。別れの会。酒をたっぷり飲む。カンゼン街へ。いろいろ買ってしまう。四十いくらが十六元になった清泥人形。50元が30元の腕時計。35元が10元になった飾り陶磁器。1枚35元が7枚60元になったクッションカバー。最後のが特に交渉が面白かった。最後はみんなで歓談。寝る。

 そういえば。夕飯でスーパー高崎の話が出た。私も若干最後気になっていたのだが、他の三人からは完全に浮いていた。一緒にまわるときも、目的地まではさっさと独断専行で歩き、目的地では気に入るととことん遅れる。他の人は先で待っている。他の人は精力的に動きまわる私をみて、その活力に感心したらしい。しかし裏返せば薄々感じていたように4人としての団体行動を乱していたとも言える。

 すっかり他の人とペースが違ってきてしまったのだ。私の目的はとにかくじっくり見ること。そのせいで見るまでの時刻は一刻もおしく、見始めたら飽きるまで見る。余計な雑念、妄想が浮かぶまで見る。その為に旅行にきているのだから。

 中国史が本当に好きになって見るもの大部分興味がある。だから全てにわたってそうなってしまった。彼らとのコミュニケーションはすっかり放棄していたのだ。たしかにわいわい見ながら観光するのも楽しい。ましてや中国史の知識は私に劣らず持っている友人達(ただし私ほど通史に渉っては思い入れを持っていないだろう)なのだから。それにも関わらず、コミュニケーションをたっぷりととりながら見るつもりがなかったのは、インターネットで言えばMLで他人とペース配分をしながら話しを進めていくのと、ホームページで自分流で進めていくのと、どっちも楽しいけど、やっぱりホームページも捨て難いのだ、のだというところだろうか。

 おそらくそんな気持ちがあったので、つまり旅行を一人で思い入れに浸ることに対する楽しみを改めて感じてしまったので、最初に旅行を計画するとき今回は一人で行くことを主張してしまったのであろう。これからはやっぱり一人で行くしかない、一人で行った方が同伴者の為な気がするな、仲良し友人達との旅行でさえ、これが最後になるのであろうか、と思いつつ、昔の旅の思い出話に華を咲かせたのであった。

 そういえば私が疲れを知らないように見えると言う話があったが、友人達と観光中はあまり喋らなかったせいもあるだろう。前述のようにペースが違うので会話できない。会話をするというのは結構疲れるものだ。しかも8時間は寝たりしているしな(彼らは旅行で歩き回るのでそのぐらいは必要だと言っている)。ということでどうも今回は余裕のある気がする、スーパー私なのであった。