九月二十二日(四日目)

 蘇州への船にて。

 杭州はやはり素晴らしい。今日はあまり行動しなかった。しかしながら「ああ、杭州へ来て良かった」という感じの一日だった。

 朝から友人と別れ、セッコウショウ省博物館へいく。一昨日と同じ経路で白堤へいく。今日も天気が良い。
 行く途中でユ越の家があるのを発見。彼は清の文人で章ヘイリン(太炎)の先生である。おお、その裏には蘇軾が昔建てた亭の跡があった。蘇軾は最初の杭州赴任で欧陽脩やなんとか和尚と出会い、意気投合した。その後、再び赴任したときには彼らは相次いで亡くなり、旧事の交友を偲んで亭を建て、その文を石刻したと言う。その碑は元代に壊され、そこの壁面にはくり貫かれた跡があった。ユ越の家も、亭も現在工事中である。昨日のウケン墓といい、今回のものといい、杭州は何か観光地を整えているのであろうか。

 さてその後西冷印社へ行く。一昨日、みんなと行きそこなったところだ。ここは1900年頃、金石学の研究社が出来たらしい。今でも出版社として続いているようだ。呉ショウセキが社長だった。さて入るといろんな建物や、休憩所が斜面に点在している。いやあ、素晴らしい。所々岩の壁に金石文が彫られている。三老なんとかもある。これは古代好きの私としては気になるところで後漢時代の碑なのだ。とりあえずそれをぜひ目指して敷地内を歩く。見つけた。そこは各時代の碑を集めたところで、その代表として後漢の碑の名前がついたらしい。さすがにコンクリートのしっかりした建物で鉄の柵が厳重についており触れない。三老の碑は経歴、内容ははよく分からない。画像石のような宴会の絵が書いてある。

 いやあ、良いところだよ、西冷印社は。西湖が凄く好い景色で見える。中国の建物とかっていうと派手な感じのものが思い浮かびやすいけど、こういう風情のある場所もやっぱり人気があるのではないだろうか。学者の集まりの場所はやはりこういう落ち着いた場所なのかな。お茶を啜りながら、学術的な場所で、風流な西湖を眺める感動。しかしなんか西冷印社の人物説明は呉ショウセキのことばっかりだ。その説明のパンフもあった。

 さてその後、メインのセッコウショウ博物館へ行く。まず文潤閣へいく。乾隆帝は四庫全書を作り全国に7つ配置した。その一つが収められたのがここ、杭州であった。文潤閣はセッコウショウ博物館の一角になっている。一昨日はあまり時間が無く、建物の配置が分からなかったが、実は現在、四庫全書のケースが収められている建物ではなく、後ろの写真展がやっている建物が文潤閣だった。乾隆帝の額も掛けられていた。周囲には太湖石がたくさん配置されている。太湖石の上の亭でお茶を啜る。

 昨日行きそこなった建物へ行く。しかし現代展のようだ。流石にまだ現代中国は興味が無い。
 さて本館へ。また一階からじっくり見る。カボト文化。新石器文化で一番古い。農業の最初である。しかしこの頃から陶器に文様、すなわち鳥や太陽、草木の絵が描かれていたのが興味深い。馬家浜文化。う〜ん、骨とかが多いがそれが独自なのか。そしてリョウチョ文化。おお、こっから玉文化が始るのか〜。しかも模様はこの博物館のシンボルになるくらいの変な顔。立派な[王宗]もある。そう言えば[王宗]の起源ってどこなのだろうか。器とかは道具であり、ばらばらにそれを発展させたりする可能性もあるだろうが璧とかになると、その思想、すなわち文化も共通性がないと用いないであろう。陶器は黒陶が始まる。ということは龍山文化に相当するのか。

 二階。春秋以降。越の剣がある。青銅器がある。かなり中原っぽい。そして鏡。おおお、いくつかあった。でも中原っぽい。神獣重列鏡がある。この前読んだ「ソウケツ達の宴」で漢字を生み出した四つ目の神、ソウケツを探す。しかしないな。琴の名手はあったかも。
 そして陶磁器。越は初期の青磁、陶磁器の産地として実は有名である。その為、越窯のものが結構ある。そして後漢へ。そこにある熊人陶磁器。一昨日みてすっかり惹かれてしまった。私はこれを見るためにまた来たのかもしれない。
 本当に不思議な陶磁器だ。一体熊はものを食べているのであろうか、何か演奏しているのであろうか。その周りで踊る人たち。熊人は実はこのころあちこち出てくる気がする。陶磁器の飾りとして、狼のような熊のような飾り。神獣鏡に出てくる熊人。このころ熊に対する特別な信仰があったのであろうか。そもそも、前の建物の飾りがついた陶磁器は後漢に頻繁に出てくる。鳥が飛び交い、人が踊ったり演奏したり、している。これは画像石にも見られる構図である。これらは墓に埋められたもので故人が死語も生前と同じように埋められたものである。本によればそれらは現世を表したものではなく、幻想的な舞台を表したものらしい。熊人もなんかそういうのに関係するのであろうか。宴会と言えば琴を弾いたり、踊っているヨウもあった。

 やがてオウギシの書に基づく石刻があったりする。そして銀製品。杭州の豊かさを表すものだ。そして宋代へ。う〜ん、仏像関係はあまり興味ない。絵画もやはり模倣品しかない。しかし青磁はき奇麗だ。

 三階へ。近代以降だ。この辺はアヘン戦争の舞台だったり、太平天国関連だったり、文物には事欠かないなあ。そういえばここに関係ある文人のコーナもある。昨日のウケン、今日のユエツ、キョウジチン、鳥獣画で有名な呂紀や、絵画の戴進などもそうなのだろうか。総長として北京大学に自由の雰囲気を広めたサイゲンバイ、女性革命家であるシュウキンが所属した光復会。

 ああ、これを書きながら酔っ払った。さて続いて、貨幣記念館、陶磁器記念館、呉越時代記念館などを寄った。またお土産も扇子、パンフ、古銭などを買う。お茶を飲んでのんびり。

 白堤をまた歩く。天気が好いせいか素晴らしい。杭州を本当に素晴らしいと思ったのはこの時だ。保淑塔を左手に見ながら進む。保淑塔に行こうとしたが挫折。結局ビールと高菜の入った薄パンで食事を済まし、ホテルへ。I先生は既にいた。SちゃんとM先生が若干遅れる。

 そして船乗り場へ。しばらく待たされて天堂号に乗る。杭州と蘇州を結ぶに相応しい名前だ。なぜなら「天に天堂(天国)有り、地に蘇杭(蘇州と杭州)あり」と言われたのだ。乗り込む。四人部屋だ〜。そしてコンセントがある。これで日記が書ける。そして今書いている。食堂へ行く。凄く奇麗。去年の長江くだりの船の食堂より奇麗。そして外は暗い中に浮かぶ明かり。おおお、船旅好い感じや。これで蘇州に行くとは実に好い感じ。飯も美味かったI先生のお陰。米飯は来なかったけど。

 さてようやくリアルタイムになってきた。SちゃんとI先生は寝てしまった。酔っ払ったM先生と私がおきている。私はパソコン版だいなあいらんをやりながらメールを書く。中国で、水の都、蘇州へ向かう船の上で、パソコンで日記を書きながらだいなあいらんをやる幸せ。これはほとんど至福と言えよう。