九月二十八日(十日目)

 ホテルにて。

 昨晩は結構熱が出たようだ。慌てて薬を飲む。朝には熱が引いていた。この薬が北京の時と同様、効くことが判明。

 9時出発。まずホテル近く(北西)の旅行社に行くが、列車の切符が取れるのかよく分からない。

 仕方ないので飯を食う。小龍包と豆乳。おばさんがなんか嬉しそうに話し掛けてくる。清潔感を出すためか、白衣(汚れているけど)を着ていて、保健室のやさしい先生といったところだ。列車の切符売場はなんとか門という北のほうにあるという。でも結局中山路の鼓楼から南に行った所にある総合切符売場に行く。

 どわ〜、と人が並んでいる。しばらくこういうのは無かっただけに「体調悪いときに限ってなぁ」とか思う。I先生に並んでもらい、私は取りたい切符を書き出して、破片を彼に渡す。3,40分以上たって順番が回って来た。結局第一候補が取れた。めでたい。以前なら切符売りの人に拒否されたり、横入りする人とかがいて大混乱するものだったのに、みんなちゃんと並んでいるし、売る人は紙も見てくれた。待つのが大変だっただけだ。

 鼓楼へいく。明時代の鐘は見つからない。楼閣はこんもりした丘の上で、うっそうとした木々に囲まれている。洪武帝の時代から街の中心で時を告げて来たのであろうか。

 中華門へ行く。門が四重になっている、南京で最大の門である。かなりすごい。門が四重になっているので、塀と門に囲まれた中庭のような空間が3つあり、説明によればここに相手の兵士を閉じ込めたという。門の上に登るには裏の両側からついている坂か、外に近い第一の空間から登る階段が利用できる。うむ?しかし第一の空間から登れるようになっていては四重に門を設けている意味がないのではなかろうか。すごく、すご〜く、疑問に思う。第一の空間から登る階段は最近つけたのであろうか。しかし階段の石とかには文字が刻まれていたので新しいものではないのであろうか。よくわからん。

 今回の旅行で知ったこと(司馬遼太郎の本)だが門というのはその上部に細長い四角い穴があいていて、門の内側両脇にはこれに続いて上下に溝が走っている。緊急時には門上から穴を通して石版を落とすことで門を閉めるということである。蘇州の盤門では実際に穴が空いている門もあって、上から覗くと門を通る通行人が見え、下から覗くと空が見える。盤門では門上のこの穴を囲むようにして4本の石が斜めに立っていた。おそらくその重い石板をうまく穴に落とすための装置なのであろう。しくみは良く分からなかったが。この中華門ではもはや門上の穴は閉じられているし、石もないようだ。しかし下から見上げると溝は上まで残っていて、単に門上で軽く蓋を閉めているだけのことが分かる。

 第一の門の上は非常に広い。第一門の裏側に穴がいくつかあり、何千人かの兵士を収容できたと書いてあるが、この第一門の屋上でもたくさんの人数を収容できるであろう。戦争のときにはここに武器が並び、激しい攻城戦が繰り広げられるのであろうか。

 第一の門はトンネル、確かチ道と言ったきがするが、これがすごく長い。歩いていて酒見賢一「後宮小説」を思い出し、思わず身震いしてしまう感じがする。石板を落とす溝は結構前面の方についている。いくらトンネルが長くても、石板の層が一層なら防御力としてはあまり変わらない気がする。

 ここで起こった戦争は永楽帝のクーデタ、清の明征服、太平天国とかであろうか、などと思いながら後にした。

 飯を食った後、太平天国歴史博物館へ。セン園路を東に行った所にある。セン園は呉王時代のシュゲンショウ、明建国の功臣徐達、太平天国東王ヨウ秀清の庭だった所だ。今から考える決して十分とは言えないスペースと展示内容だが、なんか結構面白くてじっくりみてしまう。ここでI先生とは別れる。太平天国のでっかい玉璽がある!(しかもお土産品でこの模様のハンケチがあった)。今、岩波新書の「太平天国」という古本を読んでいるが、ちょうど昨日ずいぶん読んだ所が出てきて、ひじょ〜に面白い。蘇州で見た忠王李秀成は実はすごく有名な人で、ここでも取り上げられていた。

 中国共産党は太平天国とかを評価していたので非常に好意的に、大々的に書いてあるようで、レリーフや現代の絵画付きである。それはともかくとして結構面白かった。しかし大きく飾ってあった各王の立派な旗はやっぱり守り立てるためのレプリカなのだろうか。

 セン園の方はそんなに面白くない。徐達らが使ったと思うと感慨深いものがあるが、その後どれだけ壊されたのであろうか。

 その後、あまり期待しないで「朝天宮」に行く。ここは呉王夫差が冶鋳工房を建てたとされる跡だが、その後、いろいろ経て、清時代に文廟が出来た所だ。今は南京市博物館が出来ている。

 大収穫であった。南京市博物館は。大体、こういうローカルな博物館はイケてないものだが、イケていた。たまたまか知らないが、所蔵絵画の展示もやっていたし、六朝時代の文物がきちんと各種の説明付きであった。絵画はリョキ、八大山人、金陵八家、ヨウシュウ八怪、などなど明清の絵画。六朝展示は、陶磁器や青銅器、中国での発明品(指南車とか)の模型とかある。

 なお入り口の壁面には南京の観光地を説明したパネルが大きくはってある。メジャーな所はもちろんだが....なんだ?鄭和記念館!!(太平南路か太平巷に入ってしばらく行った緑地?)、王安石故居!(明故宮の北東、后半山園路と前湖の間)、うおおお、やはり中国は侮れない。日本のガイドや現地の旅遊地図に載っていないものがたんとあるようだ。もっともこの「南京観光地パネル」は94年に作られたものの、古びていて今にも撤去されそうな感じである。これがあればここ、南京市博物館は観光客が真っ先に来るべき所になりそうなのに残念だ。

 見る時間が無くもう一度行きたい。ついでに文廟の前には蘇州と同じで骨董品街があり、またいろんな人が骨董品を前に並べて一大骨董品市になっていた。ともかく私にとってここは良すぎ。なんかこんなところで一日お茶を飲んでいたい。太成殿(?)の甍も黄金で奇麗だった。