私と大滝師匠との出会い
私が大滝作品との出会いはやはりあの81年の「ロングバケーション」でした。
と書くと初めて大滝作品を聴いたのがこのアルバムのようですが、
実際はそれ以前に大滝作品を聴いておりました。
はじめての大滝作品
では、初めて聴いた大滝作品は何かというと、ラジオから偶然流れてきたモンスターの
「ピンクレディー讃歌」でした。しかし、当時小学生だった私はこの曲が大滝作品である
こと、モンスターというグループがのちのラッツ&スターであるとは知りませんでした。
ただ曲のおもしろさにはまっていました。
(蛇足ですが、この当時テレビでは「ザ・ベストテン」という番組が人気絶頂で、私も
まねごとで自分独自のチャートを作っておりました。そしてこの「ピンクレディー讃歌」も
しっかりランクインさせていたのを覚えております。)
2度目の大滝作品との出会い
「ロンバケ」を知るちょっと前、当時世の中はYMOブーム。
私もあのテクノサウンドにはまっていました。
YMOに夢中になっていくうちにYMO以前の作品へとさかなぼっていきました。
特にYMOの中でも細野さんが気に入りティンパンアレーそして、はっぴいえんどへと聴いて
いったのでした。ここで既に大滝師匠の作品を聴いていました。
(しかし実際のお気に入りは細野作品ばかりでしたが・・・)
そしてナイアガラマニアへ
さていよいよ81年あの歴史的名盤「ロンバケ」が発売される訳ですが、実際に
聴いたのはその年の後半だったと思います。
当時、私は今はマイナーではあるがきっとメジャーになるだろうというアーティスト
ばかりを聴いておりました。その中に杉真理や佐野元春などがいました。
特に杉真理のファーストアルバムは愛聴盤で彼の軽めのポップスがお気に入りでした。
その頃、私は松田聖子のファンで彼女のアルバムということで「風立ちぬ」を聴きました。
このアルバムのA面は大滝師匠のプロデュースでしたが最初は特に意識はしていませんでした。
実際、このアルバムでのお気に入りは杉真理作品の「雨のリゾート」でした。
しかし、このアルバムを聴くうちに少しずつA面の大滝サイドにも興味がでてきました。
そして、あの「ロンバケ」を聴くことになります。
すっかり気に入ってしまい他のアルバムが聴きたい!状態になり次に聴いたのが
「ナイアガラ・フォールスターズ」。オムニバスということもありますが「ロンバケ」とはひと味違う?
しかしながら、もともとコミックソングの好きだった私には「禁煙音頭」「河原の石川五右衛門」が
お気に入りとなりました。
運命の出会い・・・
この勢いで聴いたのが「モアモアナイアガラフォールスターズ」。
ここで運命の出会いが・・・
そうです、あの小学校の頃に聴いた「ピンクレディー讃歌」が収録されているではないですか!
これが私がナイアガラーとなるとどめだったと思います。
大滝師匠からの影響
ナイアガラーとなると同時に、師匠のDJ番組「GO!GO!NIAGARA」の存在を知ります。
「GO!GO!NIAGARA」は東京TBSラジオのみの放送で地方局のネットがありませんでした。
大阪から毎週雑音と戦いながら聞いておりました。(少しでも感度をよくする為にアンテナを
コンセントの片方につなぐことをしていました。しかしうっかりショートさせてしまい深夜に
ブレーカーを落とし真っ暗になってしまった。なんて事もありました・・・(^^;
)
この番組で数々の名曲に出会いました。ロネッツやフォーシーズンズなどなど、オールディ
ーズの魅力にとりつかせてくれたのもこの番組でした。それけではなく、クレージーキャッツ
やトニー谷など日本のノベルティ物もこの番組で知りました。
この番組でもっとも影響を受けたのがDJそのもの。当時の日本のFM局は、全部で4つしか
なくまた番組もDJというよりはパーソナリティといった感じでした。
そんな時にアメリカンスタイルのDJには非常に興味を持ちました。
そして、ついに自分でもDJのテープを作るようになりました。
(番組名は「GO! GO! NIAGARA」が火曜1時に移った時の「SOUND STORM DIANGO」から
「SOUND WING JOY」。SOUND=音、WING=羽という意味です。足して私の名字です。
昨年の「CHRISTMAS SPECIAL '96」で134本目になりました)
この番組で「GO! GO! NIAGARA」で覚えたてのオールディーズやクレージーの曲をかけて
いました。
と、いうことで大滝師匠には音楽的にも個人的にも多大な影響を受けた訳です。
まだまだ書くことはありますが、とりあえず今回はこの辺で・・・
また次の機会に続きを書きます。
1997年1月15日 OTOKICHI