ある患者さんのつぶやき

−浄土真宗本願寺派布教使 木曽 隆師 (新潟教区 長岡組 長永住職)−


教は頭で知るものではなく、身につけるものです。
私は毎週一・二度長岡西病院 のビハーラ病棟を尋ねます。そこで患者さんとさまざまな話をします。先日、末期の肝臓ガンで入院しているAさんとのやり取りを紹介しましょう。Aさんは毎朝必ずビ ハーラ病棟の仏堂にお参りをする方でした。ある日のおあさじで私は「仏さまとは決 して私たちを見捨てることのないお方であり、私を抱き留めて必ずお浄土へ連れてかえるお方です。この仏様に見守られて今日も生かされているのです」というお話をさ せていただきました。Aさんを見ると目に薄っすらと涙を溜めて「ありがたいなあ」と一言洩らされました。 自分のいのちの短さを知らされて一日一日を精一杯生きているAさんにとって今日も 仏様に見守られて生きている、しかしまもなくいのち終わって行くAさんは死んで無になるのではない、仏様にさせていただくのであったという事がしみじみと感じられたのだと思います。
それからしばらくしてAさんの部屋を訪ねました。するとAさんはベットに座ったまま考え込んでいました。「どうしたのですか」と尋ねると「木曽さん、仏様の前でお参りしている時は大変有り難い気持ちになりますが、部屋へ戻っていろいろ考えると、仏様は本当にいるのか私は極楽へ参れるのか解らなくなります 、これで良いのでしょうか」と尋ねられました。その時私はAさんに「仏様の前で手 を合わせ有り難いなあと思ったままを信じれば良いのです」と答えました。Aさんはうなずいてくれました。
私がいくら考え、覚えても仏様を頂くことは出来ないのでは ないでしょうか。仏教は頭で理解するものではありません。仏様の前に手を合わせ、 お釈迦さまが説かれたみ教えを素直に聞かせていただく事ではないでしょうか。Aさんはそれからしばらくして八十年の生涯を閉じられました。
(本文中改行、空白はホームページ作成者が入れました)


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