釈尊とその教え

これあるゆえにかれあり、これ起こるゆえにかれ起こる。...
これなきゆえにかれなく、これ滅するゆえにかれ滅す。...


−本堂内菱灯篭−

縁起

釈尊は、菩提樹の下で四十九日の観想ののち、縁起の法をさとられました。縁起の法とは「相互にあい縁りあいま って存在すること」をいいます。「わたくしが世にでるとでないとにかかわらず、この縁起の法は常住である」と釈尊 ご自身がいっておられるように、これはだれもが納得せずにはおれない基本的な法則です。

「これあるゆえにかれあり。これ起こるゆえにかれ起こる。...これなきゆえにかれなく、これ滅するゆえにかれ 滅す...」

こうくりかえしながら釈尊は、人間の背負っている苦悩の原因をたどり、ついに「無明」こそそのもとであることをさとり、 その解決の道を自問しあきらかにしていかれました。

正覚の直後、鹿野苑(ろくやおん)での最初の説法は、中道・四諦・八正道の教えであったと伝えられております。 まず釈尊は、快楽を追い求めることの愚をたしなめ、また反対に、極端な苦行の無益であることをさとし、両極端に とらわれることを排して正しく道を修めてゆくよう、中道を説かれました。つづいて説かれた苦・集(じゅう)・滅・道の 四つの諦とは、つぎのような教えであます。

人生の実相−苦諦(くたい)−

釈尊は、まずありのままに人生をみることから出発されました。そうしてみれば、うわべははなやかにみえても、人生 は苦そのものであることが実感されてきます。生・老・病・死の四苦にくわえて、愛するものに別れねばならぬ苦、 憎いものにあわねばならぬ苦、ほしいものが得られぬ苦、人間としての生存にともなう苦、の八苦は、今日でもなお 解決することのできない永遠の苦として、わたくしたちを悩ませています。

この苦諦は、人生をみる、ある一つの見方ではなく、いかに目をおおってもかくすことのできない、人生の実相その ものであります。なぜならたとえよろこびのひとときをもってもそれは永続せず、希望的見とおしをたてても結局、思う にまかせぬのが人生だからです。

苦悩の原因−集諦(じったい)−

病気をなおすには、病気を正しく知って適切な手あてをせねばならないように、苦悩を解決するには、まずその原因 を知らねばなりません。
集(じゅう)とは招き集める意味ですから、集諦とは、苦をまねき集める原因が、わたくしたちの煩悩であることをいうの であります。煩悩は、あの除夜の鐘の数にあらわされるように無数にありますが、なかでもつよくわたくしの心を煩わす のは「むさぼり・怒り・愚かさ」の三つであります。

貪欲(とんよく)のために、どれだけ多くの人がみずから苦しむだけでなく、家族や他人を泣かせていることでしょう。 怒りは、どんなに社会を住みにくいものにしていることでしょう。正しい道理を知らぬ愚かさのために、どれだけ無益 なことに精力をついやしてきたことでしょうか。

この三つの煩悩の源をさらにさぐっていけば、ついに我執につきあたります。つねに自己を中心にして物事を判断し、 何でも自分の思う通りになることを望んでやまない、はげしい自我拡大の欲求が我執であります。こうして釈尊は、 苦悩の病源をあきらかにされました。

苦悩を超えよ−滅諦(めったい)−

こうして苦の原因がわかったからには、我執の心をなくして、なにものにもわずらわされない平静で自由なさとりの 境地=涅槃(ねはん)を求めねばなりません。涅槃とは、煩悩の火が吹き消された状態をいい、滅度(めつど)と 訳されます。これが三番目の滅諦であります。

仏教では、根本的な原理として、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の、三つの旗じるしをかかげ、これを三法印 (さんぼういん)といいます。諸行無常とは「すべてのものはうつりかわる」ということであり、諸法無我とは「すべて のものには、不変の実体がない」ということであり、最後の涅槃寂静が、ここにいう絶対さとりの境地=滅度にほか なりません。
苦悩を超える道−道諦(どうたい)−

苦悩のもとである我執を、いかにして超えるか、これが仏教の根本の課題であり、その方法として釈尊は、つぎの 八正道(はっしょうどう)を説かれました。

  1. 正見(しょうけん)・・・・・・・・・正しい智慧
  2. 正思惟(しょうしゆい)・・・・・・正しい思索
  3. 正語(しょうご)・・・・・・・・・・・真実のことばを語ること
  4. 正業(しょうごう)・・・・・・・・・・正しい行為
  5. 正命(しょうみょう)・・・・・・・・清らかな生活
  6. 正精進(しょうしょうじん)・・・・正しい努力
  7. 正念(しょうねん)・・・・・・・・・正しい思いをもちつづけること
  8. 正定(しょうじょう)・・・・・・・・・心の安定をたもつこと

この八正道はさらに要約されて、戒、定、慧の三学となり、大乗仏教では、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にん にく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)という六波羅蜜(ろっぱらみつ)の実践行にまとめられ、仏道 修行の規範とされてきたものであります。


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