近代建築の事前調査では王子まで行く計画だったので、空いている道を飛ばしていたら、途中に道路の真ん中に
木立があるので不思議でしたが、後で調べたら西の原一里塚だったようです。写真は撮り忘れました。飛鳥山公園
に到着して渋沢史料館青淵文庫と
渋沢史料館晩香廬が公園内にありました。
なっと、日本銀行の常盤橋門跡にあった銅像の渋澤栄一氏の建物だったとは偶然とは恐ろしい。世間は狭い(?)。
戻りながら見ていたら、六義園の入口が以前と違うところに変更になっていました。大きな通りから脇道に変更になって いました。その脇道から小石川植物園に向かう。途中で、簸川(ひかわ)神社のお祭りで通行止めのため迂回する。 旧東京医学校本館は小石川植物園の外に あるのだが、正面の庭園からは小石川植物園に入るしかないので、休憩をかねて散策することにした。しかし、ここはかなり 広いので、彼岸花を見ながらの散策となる。都内にもこんなに群生している所があるとは思いませんでした。おまけに、 紅白(?)でありましたから驚きです。 裏道を利用して、丸の内線を潜るとまたお祭りで通行止めで迂回する。住宅街を縫うように進むと子供たちの山車と 御神輿と遭遇し、かつ目的地が同じで、鳩山会館 はにぎやかな休憩場と化していました。ここは気づかないうちに結構の高台になっていました。 ここから下って神田川に沿って裏道を進み、ニコライ堂 にいく。 お外堀に出て、古そうで新しい東京銀行協会 をはじめに日本の首都の中心的なビル街である。昔の丸の内の雰囲気を残している新丸の内ビル、 明治生命館などがあり、最後に、 JR東京駅がなんといっても近代建築の代表作だと思う。 この日の東京ポタリングのコースはこれで終わりとし、まだ、回り切れていないので第2回を企画せざるを得ないと 思いつつ自走して帰途につく。(三田からは、来た道と同じコースのため、省略致します) |
旧古河邸 | 旧古河邸の テラスと花壇 |
旧古河邸の庭園 に咲いていた彼岸花 |
渋沢史料館晩香廬 1917年(大正6年) |
渋沢史料館青淵文庫 1925年(大正14年) |
渋沢史料館青淵文庫 | 六義園の新しい正門 | 以前の六義園の正門 |
小石川植物園の園内 を散策する |
小石川植物園の園内 にある記念館 |
小石川植物園の園内 にある功績者像 |
小石川植物園の園内 の小道 |
小石川植物園の園内 の彼岸花が群生 |
小石川植物園の園内 の白い彼岸花(?) |
旧東京医学校本館 1876年(明治9年) |
園外ですがこの位置は 入場料が要ります |
旧東京医学校本館 (この位置は無料) |
簸川神社のお祭りで 御神輿が出ていた |
鳩山会館 1924年(大正13年) |
鳩山会館はお祭りの 子供で大賑わい |
ニコライ堂 1891年(明治24年) |
ニコライ堂 | ニコライ堂 | 逆光のニコライ堂 |
新しい東京銀行協会 1993年(平成5年) |
新丸の内ビル | 明治生命館 1934年(昭和9年) |
JR東京駅 1914年(大正3年) |