振り返る東日本大震災リポート25.

4月28日石巻方面への視察後のブログ。平成23年5月5日

2011年5月5日(木)
ものの見方がガラッと変わる。
3.11の東日本大震災で、ものの見方がガラッと、変えないといけないと思う毎日である。1000年に一度の大地震と言われるが、鎌倉は,どうかと、調べてみると、
鎌倉大地震というのが,鎌倉時代の末期である1293年にあり、関東全域で死者2万3千人とあり、明応7年(1498)には大地震と津波で大仏殿が崩壊、死者200人、
大仏は露座になったと。江江戸時代には,元禄(1703)地震でもかなりの被害が。さらに、大正12年には関東大震災があった。

関東大震災の鎌倉震災誌によると、その被害は、旧鎌倉と言われる鎌倉町で、戸数4,183の内、全壊1,455戸、半壊1,549戸、埋没8戸、全焼443戸、半焼2戸、流失113戸、死者412人とある。

以来、関東大震災から100年になろうとしているが、その被害は、鎌倉に大地震が来たら、100年前の人口と,戸数が数倍も多いので、災害規模は比較にならない。
ましてや、想定外だと言われる東日本大震災は未曾有の被害だと言われるが、今後ありうる大地震、レベルを落とした想定でも、被害は甚大だ。

東日本大震災では、津波災害の恐ろしさをみせつけられたが、さらに原発崩壊問題は,深刻である。それこそ、人類が経験したことがない数基の原発の事故である。
地球にやさしくしようと地球温暖化対策や二酸化炭素対策が強調されてきた。
そこで地球温暖化で原子力が人類を救うとか言われているが、どうもおかしいと、考えさせられた。。

どこか変と思う。地球に優しくと言われるが、自然の方はそんなことお構いなく人類を襲う。地球にやさしくするには、原子力と言うが、人には、人類滅亡まで考えさせられる事態も起きてきた。まず、人にやさしくが先ではないか。どうやら、原子力は、当分、恐怖の存在だ。とにかく原発はなくす方向で進むだろう。

進歩のはずが、後退とは、頭の切り替えが必要だ。そういえば日は朝、東から昇り、夕方、西に沈むと思っていたが、どうやら、そうではなく、地球にいる私が東に沈み、西から昇るのが本当らしい。でも、頭の切り替えがなかなか効かないのは、慣れてしまったからか。この辺のことか、ものの見方を変えないといけないかも。出来るかなぁ?

これからのまちづくりは、大地震が来る前提で考えるべきである。でも、そんなことはすぐあり得ないと考えてしまうが、大銀杏崩壊も800年のことだ、
何が起こるか分からないから、地震はくると思うべきだ。それにしても民主党菅政権、日本を沈没させるのか、それとも自信があるのか?暗い、暗い、無責任な民主党政権、いずれ、大崩壊?


振り返る東日本大震災リポート24.011年4月23日(土

石巻へ行くチョック直前、昨年、平成23年4月23日のブログより、              

その直後、4月26日に中沢議員から4月28日、石巻方面に行くことを告げられた。同行させてもらった。

「津波、海抜の想定が、違う。これには、かなりショック」1年で想定が次々変わる。       

東日本大震災が起きて1ヶ月半が経つ。新聞、テレビ等で報道されてくる震災の現状を見ると、言葉が出ないくらい衝撃を受けている。
心から、被災者、犠牲者のお悔やみとお見舞いを申し上げます。被災者のことを考えると、遠く離れてぼーっとしているわけにはいかないが、
ささやかな後方支援としての募金活動するぐらいである。

現場に駆けつけて行きたいが、とても、無理であり、迷惑であろう。やはり、プロである鎌倉市の消防署救助隊員が救助へ行った話を聞いて見たが、
その悲惨な現場の写真を見て、さらに、今、自分がやっていることが、小さく見える。
でも、気を落としてはいられない、これからのことを考えて、少しでも行動し、先に進まなければいけない。

現実をはっきり凝視し、何が大事か、必要か、整理しなければならない。まずは、心理的ショックから、精神的安定をさせることである。なぜ、今こんなことが、なぜ、なぜと思うことが尽きない。

昨年、鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏が倒壊した。鎌倉の象徴の光景が、何故、私の時代に消えたのか、その時の喪失感は、深いものであった。
800年間、鎌倉の歴史物語であったのに。しかし、大銀杏の再生の夢が、実現ししつあるのは、嬉しい。がんばれ、大銀杏と密かに思う気持ちがなんとも、私を前向きにさせる。

それが、今度は東北関東大震災、東日本大震災に統一されたが、1000年に一度?大地震、大津波、原発(放射能)、電力(大停電)と4重苦である。
東日本のみならず、日本、世界とその影響は莫大である。
何から取り組んで良いのか定まらないが、とにかく、テレビ、新聞、雑誌等で、現状を鑑み、今すべきことは、これからも予想される大地震に備えることである。

大地震の後だけに、余震も頻繁に起きているし、規模も大きい。それに、福島原発問題が深刻である。原発問題が、早急に安定することを期待するが、
私の能力を越えていることだけに、無事を祈るばかりである。

しかし、どうして、こうなったかと専門家は問われれば、想定外と答えるが、いや、以前から指摘していたのに、聞く耳を持たなかったと怒りを込めて嘆く方も。
とにかく、何を信じて良いのか、誰を信じて良いのか、行政は無責任か、政治家は自己中心で選挙、政争に夢中?企業は金儲け優先?専門家の学者はご都合主義か?

先日、知り合いの方から、東日本大震災のことで、鎌倉は大丈夫と聞かれた。もはや、これからことは想定外とは言えず、私が声を出して、訴えると、土地の値段が下がりますから、慎重にしているのですと言ったら、それは、そうですねぇと納得していたが、煽るわけではないが、はっきり指摘しなければならない時があると痛切に思っている。

巨大地震が起きたことが現実なので、これから30年間の間に来ると確率の高い地震は、東海地震、東南海地震、南関東地震、三浦半島活断層地震、首都圏直下型地震が話題になっている。その時、鎌倉はどうなるか。まず、浜岡原発のことが、問題になっているが、浜岡原発が襲われる地震、津波を想定すると、鎌倉は当然、襲われると思った方が良いと思う。東日本大震災から想定すると、その、津波の規模は10m、20m越えるかも。早く、専門家による検討がされて、安心、安全対策をするべきである。

先日、鎌倉の大仏が津波に襲われた過去のことが、ニュースで扱われていたが、これからも想定される津波の規模である。
また、鎌倉の海岸線を歩いてみたら、所々にここの標高は3,1m、7,1mと書かれた標識を見たので、現在、自分の住んでいるところの標高はどのくらいかと思い、調べてみた。

あくまで、参考であるが,グーグル・アースによれば、私の,住んでいる材木座は、標高7mとあった。また、鎌倉東口駅前は標高12m、八幡宮舞殿周辺は標高12m、本殿前は標高30m、鎌倉大仏像前、広場は標高21mと。東日本大震災のことを考えると、鎌倉市発行のハザードマップの検証は急務だ。
改訂版にすぐ、取り組むべきである。

また、大津波を考えると、海岸周辺の風致地区指定はすぐ解除し、避難所建設のため,高さ制限を変更すべきだと思う。これも、早急に検討すべきである。
 


振り返る東日本大震災リポート23.

 調べてみると液状化現象とは、地震の際に地下水位の高い砂地盤が、振動により液体状になる現象だと。

これにより比重の大きい構造物が埋もれ、倒れたり、地中の比重の軽い構造物(下水管等)が浮き上がったりする 

地表付近の含水状態の砂質土が、地震の震動により固体から液体の性質を示すことにより、上部のや構造物などが揚圧力を受け破壊、
沈み込みを起こすものである。「流砂」とも呼ばれていた。

発生する場所は砂丘地帯や三角州、港湾地域の埋め立て地などがほとんどである。
だが、近年の研究では、旧河川跡や池跡や水田跡なども発生しやすい地質であることが分かってきた。

近年、都市化で該当地域が多いことで被害拡大の影響が懸念されるいると。鎌倉市も液状化現象の地質調査を始めるべきだ。
でも、土地の価格への影響も心配?

旭市や浦安市の液状化現象を視察してみて、地震発生後、2ヶ月後であったが、その現象が多く残されていた。

確かにユーチューブなどの動画を見ると、水が溢れているのが分かるが、その後、建造物が傾いているのが現地でははっきり分かった。地盤沈下も。

また、被災地で、浦安駅前の交通管理人から液状化現象のことを聞いたが、30cmぐらい水が上がり、水が流れた後、砂質の土が残されていたと。、
     
     



振り返る東日本大震災リポート22.


旭市から浦安へ戻る途中、田んぼが造成されて宅地にされたところが、液状化現象を起こしていた。

鎌倉でも田んぼが造成されて住宅が建っているところがあるので、液状化の前に地質調査をしていた方が良い。地盤が問題。

液状化現象で被害を受けた浦安に入って、その、凄さに驚く。干潟や河口であったところの造成地では液状化現象に注意だ。

     
 田んぼの道路際に液状化現象で吹き出した砂状の土。  液状化で家が傾いた。左と右へ傾いている。  液状化で、ぱっくりと隙間が出来た。



振り返る東日本大震災リポート21.

低木の松は、しっかり根を張って津波に耐えていた。旭市海岸。
     

旭市海岸線・九十九里はひどく津波に襲われた

     



振り返る東日本大震災リポート20.

千葉県旭市を視察していた。その時のレポートです。
心の落ち着きを戻した私は、同僚の中沢議員が被災地へ行くというので、是非、同行させて欲しいと頼み、4月の終わりに福島から石巻へと被災地を視察した。

余りにも悲惨で、言葉が出なかった。その時撮影した写真もあるが、とても、ページに載せることが出来なかった。
また、5月13日には、液状化の激しかった浦安市と旭市を視察した。被災地の現場を見ると、そのショックでとても、正常に戻るには時間が掛かる。

特に、今回の地震が鎌倉を襲ったら、どうなるか意識しながら視察をした。思い出し、考えると思考が止まるくらい、恐ろしい心理状態になる。

しかし、気を取り戻し、こども達の世代を考え、語り継いでいこうと思う。
大震災発生以来、テレビ、雑誌、新聞、インターネット等食い入るように見て、その膨大な資料、情報が身体に染みついているが、何か、慣れてしまうのも、気になる。

この一枚の写真は、千葉県旭市飯岡港近くに立っていた、元禄地震の再来想定津波高の標識である。平成20年2月に立てられたことが表示されている。

この津波高、いや、それ以上が旭市を襲ったのだ。地元で被災にあった方から聞いたのだが、津波は一方向からだけではなく、正面、左右と次々押し寄せてきたと。

元禄地震は鎌倉も襲った。最近、大仏様が津波に襲われたことが話題になっているが、その元禄地震の想定津波高だ。
今後予想される東海地震他巨大地震で鎌倉が襲われることを想定すると、旧鎌倉地域はかなり、奥まで襲われる可能性がある。

現在、鎌倉のハザードマップが改訂されるようだが、標高、想定される津波高の標識設置は急務で、警戒は怠るべきではない。

とかく、天災は忘れた頃にやってくると言われるが、この標識を信じるか、忘れるか、想定するかで、ガラッと鎌倉のまちづくりも変わる。
今や、地震。雷、火事、親父から、地震、津波、原発、放射能の時代、忘れてはいけない。人災が大。
 

千葉県旭市、飯岡港付近の被害も大きい。
 
     



振り返る東日本大震災リポート19.

今回の大震災で、大きな宿題を残したのは、津波被害、原子力発電所の安全神話の崩壊、そして想像絶する瓦礫の量だ。
震災からの再生復興で、これらの課題は、余りにも大きな壁となっている。

津波、市街地を高台にするか、防潮堤か、これからの都市復興再生に決断の道へは時間が掛かる。
また、原発問題、どこまで続く放射能被爆からの恐怖解決。これほどまでの経験は世界にない。日本は原爆、原発倒壊となぜ、日本がだ。
また、瓦礫問題、都市化が進んで瓦礫、ゴミの性質も変わった。そして、量が凄い。どこへ処分したらいいのか。

関東大震災の時、鎌倉は鎌倉の海岸・坂の下を埋め立てて瓦礫を処分した。世界遺産を目指す、現在の鎌倉、もはや海の埋め立て方式は無理であろう。

また、ゴミの処分で、現在鎌倉市では、名越焼却場を改修して、10年後に新規に大型焼却場を造ると言うが、なんと、無駄なことか。
今からでも遅くはない、名越焼却場改修計画を止めて、旧深沢JR工場に建設を検討すべきである。そうでなければ、必ず、後悔することになる。
広町緑地も清掃工場のため、開発をしなければならないこともありうる。何が起きるか分からないから。エコがエゴになってはいけない。

東日本大震災・被災地の瓦礫の山を見て呆然とした。鎌倉は何か協力出来るか?

 
 
 

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振り返る東日本大震災リポート18.

ともだち野球イベントの一つ、野球用具を石巻支部の少年野球チームへ届けることが出来、帰りは、折角であるからと、ボランティアのバスは、
未だ厳しい状況の被災地である石巻市街地、野蒜方面を回って、仙台駅でピーターさん、ボランティアグループと別れた。

明日は、大槌町から釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼方面を視察である。仙台はホテルが満杯、花巻のビジネスホテルがやっととれた。
8ヶ月後の被災地、その前に、心の支えになっている宮沢賢治、その記念館、武士道の新渡戸稲造記念館、そして、遠野物語で有名な遠野市を、
回って被災地に入ることに。仙台で食事をして新幹線で花巻で降りるが、車中では疲れでグッタリとした。これが、帯状疱疹の前兆であった。

次の日、レンターカーを借りて、出発、中沢君の手際の良いことに感心する。が、若い彼の運転に付いていくには、覚悟が。身体が振り回される。
とにかく、花巻はみぞれが降るような気温と小雨模様であったが、震災を忘れさせる紅葉、自然とは正直なものだ。時期が来れば、変化を表す。

いずれ、宮沢賢治についても語りたい。、朝早くから多くの来館者が来ているが、人々は、宮沢賢治に何かを求めてきているのであろう。環境も最高であった。
また、遠野市は被災地への中継基地にもなっている。遠野昔話資料館の駐車場はボランティアのバス等の駐車で一杯、前のセンター駐車場もかなり混んでいた。
さぁ、これから、被災地釜石方面へ行きますと中沢君は、車を飛ばした。

僅か数分、津波で暴れ回り、地獄をつくるほどのエネルギーで住宅地、市街地、漁港等を襲った自然は、そのことを気にもせず、極楽を思わせる景色を見せつける。

なんと言う不条理であろうか。時期が来ればいつものように、平然と、自らの輝きを見せる自然の風景から。

   
宮沢賢治記念館 

 
 宮沢賢治記念館前  新渡戸稲造記念館

 
 日本のふるさと 遠野へ

   
 遠野物語の碑・遠野駅前  柳田国男先生の胸像と資料館

 
 気仙沼から山を越え、一関へ


   

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