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小坂さんの古絵はがきにあった八幡様背景の裏山に見えるのは、松樹林のようにも見える。そうだ、大町に松岡という町名があり、松が多く植林されていたとかで、付いた町名であるようだ。地名の謂われの本に出ていたこと思い出した。その隣町が中座、合併して松中という、町名になったとか。鎌倉と松は縁がある。世界遺産登録推進協議会発行の、武家の古都・鎌倉ニュース16号に我が意を得た記事があったので、その抜粋を載せます。
鎌倉には魅力がある。街の構え、街のたたずまいが現在まで、引き続き残っており、それが替えがたい魅力として魅了する。
自然環境は鎌倉幕府のできたころから、ほぼ変わっていない。ただ、現在の鎌倉は照葉樹林が多いが、鎌倉時代は松の木が多かったことが花粉分析で分かってきた。山が利用される松が増えてくる。松の木があるのは人の手が入っている証拠。 鎌倉時代、鎌倉の山には人の手が入っていたということだ。大きな地形は変わっていない。 講師・東京大学史料編纂所准教授/高橋慎一郎さんのお話。
やはり、樹林が変わってきたのか。、人の手が入った植生は人工植生。針葉樹林から照葉樹林に変わった。緑の放置でか? |
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