2010年8月23日(月)
我が意を得たり
小坂さんの古絵はがきにあった八幡様背景の裏山に見えるのは、松樹林のようにも見える。そうだ、大町に松岡という町名があり、松が多く植林されていたとかで、付いた町名であるようだ。地名の謂われの本に出ていたこと思い出した。その隣町が中座、合併して松中という、町名になったとか。鎌倉と松は縁がある。世界遺産登録推進協議会発行の、武家の古都・鎌倉ニュース16号に我が意を得た記事があったので、その抜粋を載せます。

鎌倉には魅力がある。街の構え、街のたたずまいが現在まで、引き続き残っており、それが替えがたい魅力として魅了する。

自然環境は鎌倉幕府のできたころから、ほぼ変わっていない。ただ、現在の鎌倉は照葉樹林が多いが、鎌倉時代は松の木が多かったことが花粉分析で分かってきた。山が利用される松が増えてくる。松の木があるのは人の手が入っている証拠。
鎌倉時代、鎌倉の山には人の手が入っていたということだ。大きな地形は変わっていない。
講師・東京大学史料編纂所准教授/高橋慎一郎さんのお話。

やはり、樹林が変わってきたのか。、人の手が入った植生は人工植生。針葉樹林から照葉樹林に変わった。緑の放置でか?

2010年8月20日(金)
何を今頃、だけど、気がついて幸いか?
緑、緑と騒いで40数年、緑地保全として、古都法を成立させ、都市計画法関連による線引き、近郊緑地保全、風致地区、特別緑地保全、あるいは、都市公園等様々である。
そのため、多くの土地買収も行われ、整備も行われてきた。しかし、緑に関し、今最優先にすべきことは緑の手入れである。景観上、手入れなしで放置しておくわけにはいかない。

特に斜面緑地である。もっとも危険な緑地保全作業であるが。最近、鎌倉市緑の基本計画 見直しの概要その1 (緑の基本計画の基本方針等)が発行された。
基本理念、緑の将来都市像などの基本方針は引き続き継承する方針であると。 が、見直しでは新たに追加する項目以外の、補強しようとする主な内容は、下線をを引いて表示している部分ですと。その中で、特に注目したいのは次の内容である。

4−1 暮らしを支え豊かにする緑  その他の緑 4−2 補強しようとする内容  4−2−6 安全を高める緑の中にあることだ。

(1)現況と評価

それは○土砂災害発生の危険性 

●鎌倉市は、丘陵に谷戸が複雑に入り込む起伏に富んだ地形構造と、風化しやすいシルト岩の地質を持つことから、神奈川県が作成している、土砂災害の被害の恐れのある箇所を示した「土砂災害危険箇所マップ」には、鎌倉地域を中心に土石流危険渓流47カ所、急傾斜崩壊危険箇所361箇所におよぶ土砂災害の危険性を有する場所が掲載され、平成16年(2004年) 10月には、台風22号の影響により市内の364箇所でがけ崩れ発生しました。

土砂災害防止法に基づく、土砂災害警戒危険区域が153箇所指定されており、危険の周知、警戒避難体制が整備されています。

●生活空間に隣接する鎌倉市の斜面樹林の多くは、表土の薄い場所に形成され、その一部では生活様式の変化などによって伐採・再生という里山の循環システムが失われたことなどによる樹木の巨大化や、植林地での除伐・間伐等の保育作業が長年おこなわれなかったことによる林地の荒廃により、災害を引き起こす可能性があります。

大規模地震の発生の可能性

鎌倉市では、切迫性が指摘されている「東海地震」や、国の長期評価で今後30年以内に発生する可能性が高いと評価された「三浦半島断層群の地震」の発生が懸念されている状況に対して、災害による被害を最小限に抑えるための減災措置や、「市民及び年間 1,800〜2,000万人に達する観光客の安全性を確保が課題となっています。

緑の評価

●土砂災害の危険性を有する場所の多くは、下位面に住宅地が形成された丘陵や谷戸の急傾斜地にあり、必要な崩壊対策施設の設置とともに、災害にも強い質の高い樹林地の適正管理を起こっていくことが必要です。

(4)保全・創造の方針

○丘陵樹林地の保全と適正管理

斜面樹林地を適正に管理し、土地の植生に応じた混交林化・複層林化や直根性樹種の配植などを行って、土壌の流出防止機能を高め、地域と共存する質の高い緑地を保全することにより、都市環境の持続性の確保を図ります。

以上、注目した点を抜粋しましたが、補強された内容で、災害についての項目が緑の基本計画盛り込まれたのは、緊急性が高いと言えるからだと思います。
実際、上記にもありますように平成16年の台風22号の損害額が20億円とも言われています。緑を放置してきたツケです。今後、さらに厳しくなると思います。

特に大地震も予想されています。これからは、景観優先か防災かとなります、コンクリートによる急傾斜地の防災工事か枝打ち等の林業的手入れか、どちらをとっても莫大な費用が掛かります。土地の買収の何倍もの費用が掛かることが予想されます。手入れは長期にわたります。そうです、緑がある以上永遠です。緑には金の掛かる手入れは当然です。

斜面樹林地の手入れには、危険が伴います。誰が、やるのでしょう。鎌倉の山は危機的な状況であることは、以前から声を出してきました。そのためには、受益者負担、入山料、借景料、観光税は当然の時代が来るでしょう。鎌倉は住むには良いところ、訪れるのには良いところ、でも、金が掛かるところとなるでしょう? 緑の放置のツケ?

2010年8月20日(金)
なるほど、長い間の知恵が
知り合いの専門家に、小坂さんの鎌倉年表稿にある鎌倉鶴岡八幡宮の古絵はがき(130年前ぐらいのもの)ページを見せて、なぜ、八幡様の裏山の樹林に隙間が空いているのかと聞いた。

専門家即曰く、八幡様へは海から風が吹いているので、風通しを良くしている。また、木々の接触を避け、育ちを良くしている。さらに、下草を刈るにも、表土を安定させておくためにも、良い。また、落ち葉が腐葉土となり、活性化する。害虫対策にも良い。これは、人の手が入り、枝打ちをしている。それに、倒木や崩落から神社の建物を守っていると。

なるほど、大変参考になった。インターネットでも調べてみると、枝打ちの解説で詳しく書かれている。
山は手入れをしないといずれは暴れる。特に都市部の緑地、斜面地は常に必要だ。平地であれば作業はやり易いであろうが、斜面地は難儀だ。それだけに、よく手入れをして隙間を造り、目に見えるようにしておかなければならない。特に雑木の樹種は、定期的にかなり、根本から切ることが必要のようだ。

確かに、林業、里山といった生活形態は、鎌倉のような都市化されてところでは、極わずかになったが、長い間の生活の知恵が、上の写真から察せられる。
地産地消を兼ねて、住宅、神社仏閣の建築用材も、地元で調達できるよう樹木を育成し、日頃手入れを怠ることがなかった。

また、枝打ちされた木々は、真っ直ぐ伸び、良質な材木として、育った。また、切り落とされた枝は、薪として燃料として使われた。落ち葉も火付けとして使われたであろうし、また、雑木は炭の材木として、多く栽培された。数十年前まで、鎌倉では、生活と自然の循環型営みが行われていた。

私が10代の頃、アルバイトしたところが、燃料店、炭屋さんと言われたところ。そのころは、まだ、薪や炭が主流で、練炭、豆炭も出回っていた。そのころから、風呂を薪から、石炭へ、さらに、暖をとるにも、炭による掘りごたつ、石油ストーブ、電気こたつへと変わってきた。たき火、火鉢が懐かしい。今や、ガスストーブ、クーラーだ。床暖もある。
最後は、せセントラルヒーティングと便利極まりない。 1年中快適に? 夏は涼しく、冬暖かく? 家でなければ、飛行機で、外国へ避暑、避寒がある?

50年前くらまでは、生ゴミは家畜のえさ、屎尿は肥料であった。鎌倉の下水道の普及は遅かったが、家庭用浄化槽を持っている家庭が多く、トイレの水洗化も戦前からあったが。

地球温暖化、資源の枯渇等で、エコだ、バイオだとややこしい時代だ。循環型生活のようにも見えるが、科学的循環か。自然型は、もはや、贅沢生活か。

生ゴミでバイオというけれで、費用対効果、いや、エネルギー対効果は。バイオ施設を造るのにどれほどのエネルギーが必要か、そして、どれほどのエネルギーが出来るのか。
石油、天然ガス、原子力等のエネルギーを使って、使ったエネルギーより少ない生産をするとなると、どこか変ではないか。この辺の検討は十分されているのか。
まぁ、専門家に聞いてみたいが、養老孟司先生は、本でいろいろ語っているようだ。まだ、まだ、議論があるようだ。

私は焼却派だが、皆がどうすか。今泉のクリーンセンター再開も議長時代手がけたが、以前、深沢旧国鉄工場に一元化焼却施設を提案していた。また、迷惑施設として、熱源利用の温水プール思ったが、石油を燃やす温水プールに変わって、山崎に温水プールを強引に市は作った。今度は、バイオ? 石油等のエネルギーを使ってバイオ?

一枚の古絵はがきのことが、思わぬ方へ話が飛んだが、この絵はがきの写真のインパクトがいかに大きいかだ。
何かを暗示している。都市の緑地は、人が守る。神様ではない?自然を壊すのも人、守るのも人。 でも、天変地異は自然。9月を前に、天災か人災か、考えるなぁ。

2010年8月18日(水)
140年前の八幡宮と現代
左の写真は小坂宣雄さんの鎌倉近現代史年表稿に掲載されている明治30年末?ころの絵はがきか。
(小坂さんの了解済み)

右の写真は2008年12月末。

本殿裏の背景の樹林に注目。

明治の頃は、手入れがされているのか、樹種が違うのかかなり間が透いている。

また、舞殿前に鳥居があるが、年表には、昭和5年撤去とある。

現在の建物は、本殿他が関東大震災で崩壊し、その後、改修、再建された。

他にも年表稿には、絵はがきが掲載されているので、いろいろ比べてみました。
古い鎌倉絵はがき
   

2010年8月11日(水)
買ってどうするの、貰ってどうするの、残してどうするの
地球温暖化の影響か、樹木の成長が早いような気がする。鎌倉は大手ディベロッパーによる宅地造成の開発の嵐によって、戦後直後は樹林地が61%もあったのが、現在は30数%に減少。高度成長経済のお陰で、鎌倉に土地、建物を買い求める人々は殺到し、人口も3倍弱膨れあがった。しかし、自然、緑地の破壊は許さないと文化人が立ち上がり、古都法成立、都市計画による市街化区域への線引き等で、緑地は3割弱でストップしている。

だが、高度成長経済の神話も崩れ、鎌倉は借金財政で何とか、やりくりをしている。が、緑を残せとの市民の声に応えて、さらに借金をして市街化区域の開発を緑地化してきた。ところが、古都法等で残された緑地の樹林が成長し、特に、もっとも鎌倉の特長づけている歴史的景観である旧鎌倉周辺の斜面緑地の樹木が成長の限界に達している。もし、伐採し、手入れをしなければ、危険なことは、必至である。そのため、莫大な費用を要することは覚悟しなければならない。

現在、鎌倉商工会議所裏の斜面地防災工事を見れば分かるが、樹木の伐採は、皆伐。樹木の種類はクヌギ、タブ、桜、モミジ、ツバキ、雑木で、樹齢、15年から70年。まさに、住宅地周辺の斜面地では限界であろう。経済の成長はなかなか期待できないが、樹木はどんどん、成長している。

ところで、防災工事の写真を市役所屋上から撮っていたら、いつも、秋になると素晴らしい紅葉を見せてくれる銀杏の木が、剪定され、枝、されに、上部は切られていた。これは、御成小学校児童の登校安全確保のため、危険防止対策だと。そうです、木はどんどん、成長しているので、手入れは大切です。

しかし、後ろを見たら、御成小学校校門際の大きな松の大木が枯れているではないか、どうして枯れたのか、松食い虫か、歩道整備でか、まさか、寿命ではないだろうが、枯れたまま放置いることは危険だ。樹齢何十年であることは、私が御成小学校の頃からあったものであろう。残念だ。樹木は成長しても、枯れても手入れは大変。費用は莫大だ。八幡宮の大イチョウ倒壊以来、各地で古木の点検が始まったようだ。

また、費用が通常の倍掛かった御成小学校の校舎であるが、古い講堂が荒れたままだ。あの御成小学校校舎問題の情熱はどこへ。
まさに、残してどうするのだ。これまた、朽ちるのを、待つばかりか。改修しても莫大な費用。そうだ、浄明寺にある旧華頂の宮邸は買収して10年、未だ未計画。
寄付していただいた吉屋信子邸、使用勝手は、さえない。鎌倉文学館下の旧前田邸は寄付されたばかり、今後はどうするのか。

旧野村総研跡地も貰って、10年近く、市民参加で計画を決めたのに、白紙で埋蔵文化財収容で当面使用と、金がないので、期待外れ。美術館は?
さらに、鎌倉山にある旧長尾美術館跡地の寄付の話が舞い込んできた。そんなに貰ってどうするの。維持管理に莫大な費用が掛かる。持ち堪えられないところが、増えてくるから、今後、どうする。財政見通しがカギ。それとも、事業仕分けがありますか?

北鎌倉明月荘は、改修の金がないので閉鎖したの。旧野村総研跡地のように貰っても、鎌倉山の寄付地の、使用可能時期は、10年、20年後。その頃、私はいない?それより、次々、出てくる学校改修計画。まず、大船中学校を早くお願い。図書館施設の充実、スポーツ広場は、どうするの。保育所、老人福祉施設は。病院は、徳州会が頑張っている、いや、医師会も。

旧大船国鉄工場跡地も、土壌汚染で、見通し暗し。それに、ゴミ処理問題、バイオ施設は、横須賀市はバイオ施設建設断念。各地も続くであろう。鎌倉は?

とにかく、買ってどうする、貰ってどうする、残してどうする、計画と財源の裏付けをしっかりしないと、ツケは次世代に。さらに、樹木は成長続ける.斜面地の樹木も。

     
 御成小学校旧講堂。何か、風格がある。  御成小学校校門際の枯れた松の大木。  頭が切られ、枝払いされた木。