それから、小辻節三さんの事を調べ、子ども達にも語り継ぐべきだと、
若い上畠議員に話し、彼が運転し敦賀に。また、外務省にも。
このことを鎌倉市議会9月定例会で私は取り上げ、教育委員会では、
来年1月に杉原千畝さんの映画会の時に紹介すると。
これらのことの切っ掛けになったのが山田純大さんの「命のビザを繋いだ男」であり、
教育委員会の杉並課長が中心となり連絡を取り進めてきたら、
関係資料の展示打ち合わせに山田純大さんが28日に見えることに。
その場に、私、上畠議員、私の妻も同席。貴重な話、素晴らしい話、奥の深い話、良い出会いであった。
来春、4日からの企画展が楽しみである。
★小辻節三 1940年。リトアニア領事代理・杉原千畝は、ユダヤ難民へのビザ発給を決断し6000人に日本への渡航ビザを発給。
ユダヤ難民はシベリア鉄道で極東のウラジオストックへ。 ユダヤ難民は日本の敦賀に到着。温かくもてなされる。さらに、ユダヤ難民、神戸へ。
発給ビザは10日間しか通過期間が許されなかったが、ユダヤ文化研究者・小辻節三が政府・自治体に働きかけ、滞在期間の許可を得る。
その背景には松岡外務大臣に会って、「滞在期間の延長は自治体に権限がある」との示唆があった。
小辻節三の尽力でユダヤ難民が神戸、横浜から出国。上海やアメリカへ渡ることが出来た。。 |