命のビザを繋いだ男

     
 小辻節三について、掲載されました。
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ユダヤ難民の命を繋いだ人は鎌倉の人だと噂が流れていると知り合いの須田さんが教えてくれた。
もう、一年前ぐらいのことだ。私は気になり、資料を集めた、

その中に
山田純大著「命のビザを繋いだ男」小辻節三とユダヤ難民に出会う。
小辻と名前を見て、私の妻が突然、「小辻さんを知っている、遺族の方だ。
それも、大町に住んでいた頃で、夢松洞ギャラリーにも見えた方だ」と。
それから、知り合いの方に連絡先を聞き、電話を掛けたら連絡が取れた。

小辻さんの遺族の方には「地元にいて知らなかったことは申し訳ない」と言ったら、
良いのですのよと、父はイスラエルのエルサレムに葬られておりますと。

それから、小辻節三さんの事を調べ、子ども達にも語り継ぐべきだと、
若い上畠議員に話し、彼が運転し敦賀に。また、外務省にも。
このことを鎌倉市議会9月定例会で私は取り上げ、教育委員会では、
来年1月に杉原千畝さんの映画会の時に紹介すると。

これらのことの切っ掛けになったのが山田純大さんの「命のビザを繋いだ男」であり、
教育委員会の杉並課長が中心となり連絡を取り進めてきたら、
関係資料の展示打ち合わせに山田純大さんが28日に見えることに。
その場に、私、上畠議員、私の妻も同席。貴重な話、素晴らしい話、奥の深い話、良い出会いであった。
来春、4日からの企画展が楽しみである。

★小辻節三 1940年。リトアニア領事代理・杉原千畝は、ユダヤ難民へのビザ発給を決断し6000人に日本への渡航ビザを発給。
ユダヤ難民はシベリア鉄道で極東のウラジオストックへ。 ユダヤ難民は日本の敦賀に到着。温かくもてなされる。さらに、ユダヤ難民、神戸へ。
発給ビザは10日間しか通過期間が許されなかったが、ユダヤ文化研究者・小辻節三が政府・自治体に働きかけ、滞在期間の許可を得る。
その背景には松岡外務大臣に会って、「滞在期間の延長は自治体に権限がある」との示唆があった。
小辻節三の尽力でユダヤ難民が神戸、横浜から出国。上海やアメリカへ渡ることが出来た。。