HP TOP】 【プロフィール】 【フラメンコ
写真館】 【句集】 【瀬戸市紹介】 【新何でも帳】 【フラメンコ掲示板

お遍路メニュー】 【お遍路1】 【お遍路2】 【お遍路3】 【お遍路4】 【お遍路5】 【お遍路6


女3人お遍路日記


第7回 43番明石寺から45番岩屋寺 その2


 3月20日、6時です、朝です。ゆ−っくりと用意して足にテーピングをして完璧!7時30分出発です。今日もラクチンな距離23キロゆ−っくり行−こおっと。るんるんるん 朝の春美さんはいっつも元気です。

 タッタッタッ帝京第五高絞を8時通過・・サッサッサッ8時20分・・前から颯爽としたおじいさん遍路が歩いて来られます。白いリュックとズックがお似合いの、元気なお遍路さんのお名前は尊力 信さん。車で2回まわられた後、徒歩4回目でその18日目の出会いでした。お歳は75才です。お互いに納め札を交換します。私は白い礼、尊カさんのは緑の礼でした。この様に四囲遍路は回数によって納め札の色が違います。

 沢山まわられた先達さんの金色の礼や錦の礼を、納札入れの中から捜し出し持って帰ってよいと言う事を今回はじめて知りました。ご利益を戴けるとか・・でも私は歩いている間に、緑、金、錦と戴いています。きっと先達さん達は分かって下さってたのですね。

 もくもくもく豚太郎8時45分通過・・・道しるべに従って国道を抜けて遍路道に入り身心共にホッとします。写真を撮ります。歩きます。なんだかとても整備されているなぁ−と思っていると、この遍路道はうちこスポーツインの中でした。遍路の山道から公園内に入り入り口に出てくると言う訳です・入り口の案内版の所で写真を撮ってもらいました。遍路道を抜けて町に入ると内子町です。ここで帰りの高速夜行バスの切符を買って本当に安心しました。それも1席しか残ってなかったのです。くわばら・

 とことことこ おしゃれな奥さんに千円のお接持を受けてびっくりしました。有り難うございます。セブンでおにぎりを買って(どこか座ってお昼ごはん食べる、いいあんばいの所はないかなぁ−・・本当に食堂なんて何処にも無い所だわ、宮崎さんの本がなかったら私はきっと此処でおなかを空かしてなきべそをかいているはずだったんだわ・・ありがたい、アリガタイ・・)

 11時20分あったあったちょうど座る所に芝もあるし・・此処は・・実は富岡造園さんの玄園前でした。気にしないフフ・・・おにぎりとお茶を出して、昨日の内に買っておいたちくわをガブリ!と、そこにスーッと一台の車が来て止まります。ウン!?又、愛媛新聞の高市さんです。この人は本当に神出鬼没でいつも驚かされます。ちくわかぷりつき写真をしっかり載せられました。

 歩き始めます。とことことこ・・・12時35分和田トンネル通過・・・12時45分郷の中に入ってみかんを食べます。とことことこ・・1時25分大江健三郎さんの実家を通過(なかなかご立派なお家でした。)とことことこ・・・1時55分足が痛くて畑の中で休息です。ふぅ−ツ!ここら辺から痛くなってきた足を引きずりながら歩きます。3時です。

 「千人宿記念大師堂」に着きました。此処でお祈りをして写真を撮っていただきました。お堂の管理を親子二代で続けておられる山本宗清さんに「三年がかりで千人を達成」の新聞をいただき又、歩き遍路さんにいつも渡して喜ばれていると言う氷おかしと缶コーヒーを接待して下さいました。(私はとても有り難かったのですが、この氷おかしと缶コーヒーの重さは背中のリュックにズッシリとかかり、私は泣きたくなりました。山本さんごめんなさい。)

 ひょこヒョコ・・・3時30分楽水大師堂通過・・クックックッ此処で私は見つけました。無人の露店の奥の方に一個だけ残っている苺を!早速に箱の中に250円を入れて・・又、上手い具合に近くに水道も見つけました。苺を洗って石に座り、うぅ−んばくり!パクリバクリ・・あぁ−美味しい!幸せ!一パックを一気に全部平らげて(わぁーどうしょうー下痢したら・・なぁ−んちゃって・・)元気が出て来てタッタッタッーーーさかえや旅館に4時15分に到着です。

 ここのおばさんと店の前で記念写真を又また先回りの高市さんに撮っていただきました。このおばさんはシャキシャキとまぁ−よくお話好きの方だと思っていましたら、後からお会いした娘さんの方はもっとお話好きでぴっくりしました。お子さんのお話から、地震のお話、四国回りのお話から、なんやかんやと終わりがありません。イヤホント!

 私は都会では、マンションの快適な暮らしをしていますし、とてもわがままなのですがお遍路に出ると変わります。風に吹かれ南に打たれ、田畑や道に座り寝転び、山の中で用を足し重いリュックを我慢して山道を登り痛いアスファルトを歩くのです。何故!?その答えは、歩いた遍路の一人ひとりが、それぞれに味わい感銘できるものだと思います。そして多分歩き遍路は答えを求めてでは無く只、歩きたいそして歩かされている、歩かせていただいていると思っているのではないでしょうか?・・・

 よく人様に「何でそんな事をしてんの?何かあったの?よっぽど憾悔する様な悪い事をしたの?」と聞かれる事がありますが私はいつも答えに困ります。なぜなら、とても悲しい事もないし又、悪い事もしていないのですから。この質問をされる方にはどう言ってみても「歩きたい、歩かせて頂いている」と言う意味はきっとはなから、分かって下さら無い様に思います・・・

 歩き遍路は、立派な事でも自慢できる事でもありません。でも、とてもとてもトテモ本当に素晴らしい気持ちを味わえますのヨ!3月21日今日も食堂がありませんので、さかえやさんにお弁当を作って頂いて7時30分出発です。朝はいつも最高です。山と川なぁ−んにも無い所を歩きます。とことこ10時掛橋と言うバス停で休息。山の中には何処からか運んで来た大きなゴミが捨てられています。車の灰皿の形のままボコッと吸穀が捨ててあります。私は四国の美しい山や川が好きなので悲しくなります。

 三嶋神社11時通過・・トイレに行きたい・・トイレが無い・・そりゃ無いわ・・山やまヤマ山ぁ−−−もう−我慢できない!ザッ!ざくザッ!ざく(山の奥の落ち葉を踏みしめている音)ここら辺の草を足で押さえて平らにして、お尻に草がチクチクと刺さらない様にして・・・ちょっと失礼!!???・・・・

 とことことこ12時30分土手一面に菜の花が咲いていました。私は下りていって写真を撮ります。木の技にカメラを置いて自動のボタンをプチッ!ソレ走れ・・しかし土手を斜めに走るのですからハハハ間に合いません。出来上がった写真は隅の方に私が写っていました。

 菜の花は 歩き遍路に 何を問う ホーホケキョ 歩く遍路が耳すます

 徒歩遍路 菜の花畑に 我ひとり 菩提伊予大師は遍路に何さとす

 新真弓トンネルを通過・・歩き続けます。 歩いていると前方に腰を掛けて休息なさっているお遍路さんが見えました。「こんにちは」と声をかけて行って写真を写させて頂きお名前をお聞きしました。その方は新潟県長岡市の中野裕二さんでした。とても立派な体格で歩き遍路の為に日焼けなさったお顔は精悍でいて、その眼差しは仏様の様に慈愛に満ちていました。お話してみると今日の宿泊先が同じ富士旅館だと言う事が分かり、そこまではもう7キロなので一緒に歩く事にしました。お陰様で中野さんの早い歩幅につられ、いつもなら旅館に着く迄の一番苦しい距離を一気に歩く事が出来ました。(正直に言いますと、機嫌良くお話しながら元気に歩いていたのですが、とても早くて足がついていかなくなり・・・あぁ−これはもうダメだと思い迷惑をかけてはいけないし、丁度お店があったので
「すみません、私はもう足が痛くて・・ここで少し休みます」
「あ−あそれでしたら、私も一緒に休みましょう・・」と言って下さいました。ここで飲んだ牛乳はとても美味しかったです。

 富士旅館はもうすぐ近くでした。3時15分に着きました。感じの良い旅館でお食事もとても美味しかったです。今日の道連れの中野さんはとても温厚な方で非常に聞き上手の方でした。後の7キロが2キロにも感じる程に話が弾んだのです。と言うのは私の見栄?で殆ど私が喋っていためかも知れません。終始ニコニコと私の話を聞かれた後にさらりと一言・・・
「これからは再婚もされた事だし、お店は辞められた方が良いのではないですか?又、一歩引く事を知らなければいけませんよ」と私はドキっとしました。仕事の事でなく「一歩引く」と言う言葉です。私は女手一つで店を15年続け、娘を育て上げ嫁がせた事に対しての自負がおのずと言葉のはしばしに出ていたのではないかと・‥思いました。今は主人のある身なのだから、気をきつく対等に接するのではなく、つねに一歩引く心構えを持つ事が、これからの人生をより一層深みのあるものにしていけるのではないかと考えるのでした。中野さんは、短い時間と会話の中に私の利己的な性格を感じ取り諭して下さったのだと思いました。

 遍路も修行の土佐を終えて菩提の伊予ノ国に入っています。大師は中野さんを通じて一つ悟りを教えて下さった様に感じました。中野さんも私と同じ区切り遍路ですが、一日40数キロと言う健脚で日程も多い事から5月の末には結願なさいましたそうで、高野山も御参りを済まされ、新潟名物の美味しいお饅頭を持ってBAR「曼陀羅」に立ち寄って下さいました。四国の地での歩き遍路のご縁とは、不思議に心温まる有り難いものでございます。中野さん、本当にありがとうございました。私も頑張ります。

 3月22日7時30分出発。私は一番札所からの順打ちですが44番と45番は逆打ちにしました。歩き遍路に楽なのです。宮崎さんが私に送って下さいました「68才からの同行二人」を参考にして計画を立てているのです。・・・私はモチロン若い!とことことこ10時10分、槙谷から入るへんろ遭は想像していたより、はるかにしんどい!!ここで、どんな事になっても誰も来てくれない!深い山の中・・・杉林と私・・・ここでは一番存在感の無い私・・ははは・・ザクザクうんこらしょっと・・

 うん?!・・前方、下から何やら人の気配?・・・目を凝らしてちょっと息を止めます。ジーッ!・・・なぁ−んだ中野さんだ。中野さんは私と同じ逆打ちコースで、早朝発たれてもう45番を打たれて逆戻り44番に向かわれる途中です。
「わぁ−中野さん、私はこの遍路道はとてもしんどいですわ−」
「あぁ−そうですか?私はとっても楽しいですよ。私は道路より山の中の遍路道がいいですなぁ−」
(まぁ−そりゃそうやけど、どうしてこの人は、この遍路道がしんどくないのかしら?不思議だわ−、いいなぁ−・・)

 お互いに山の遍路道を登っている姿を写して別れました。こういう写真は、なかなか一人では撮れないので嬉しいです。11時50分着きました。45番岩屋寺に。すごぉぉぉぉぉ−−−−い!!!すっごいお寺で、びっくり大仰天!!・・・世界中の人達に見てもらいたい。1番から今まで歩いて来て、ぜひぜひもう一度訪れたいと、心底思わせたお寺です。

 私の語彙カをもってしては、とてもこのお寺の凄さを言い表す事は出来ません。これは岩、岩ですよね!しかし?山の様な巨大な岩の中に本堂が建っているのです。私はこっちで見て、あっちで見てみて、やはり圧倒され、そして言葉を失いました。山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ と大師が詠んで海岸山 岩屋寺と名付けられています・

 おそるおそると手探りで入っていった洞穴の奥には、不動明王様が安置されていました。本堂の上の方に梯子段があり登れる様になっていますが怖くてやめました。今度お参りに来れたら絶対に登ってみようっと!帰って来てからちょっぴり後悔!本堂から坂道を300メートル程登ると(歩き遍路は必ず通る道なのですが、車での御参りの方達は見なくて帰られる人もあるのではないかと思います)岩をくぐって鎖を頼りに梯子を登った岩山の頂上に大師の行場跡と言われる「迫割禅定」は思わずゾクッ!と足がすくみます。

 「仙人が割って通った巨岩の裂け目」とも栞に書いてありました。一日中でも眺めていたいお寺です今回のお遍路で歩き始めて約85キロやっと、辿り着いたお寺45番岩屋寺。感激もひとしおです。ゆっくりと御参りしました。「中北百合平安供養」の祈願書を納めます。そして、もう一度私はゆっくりと瞼を閉じて、魂を百合ちゃんと一つにして・・・山の空気を身体全体に吸い込みます。(百合ちゃん・・見てる・・感じてる・・・)ふぅ−−−・

 岩屋寺の御子息、大西善真さんは愛姪新聞にお勤めで、以前に高市さんと高校野球開催の折りに私のお店に寄って下さいましたその時に岩屋寺まで歩かれたら、ぜひ声を掛けて下さいと仰っていました・納経所には、先程から女の方が座ってはります・ 「こんにちは、あの一私は森と申します。西宮で曇陀羅と言う店をしている者ですが‥以前に、ここの息子さんが・・」
「あぁ−聞いてます。聞いてます。息子が御世話になったそうで・・母さん寄られたら宜しくと・・聞いてます・聞いてますよ」私はホッとするやら、嬉しいやらで、大西くんの心遣いがとても嬉しく感激しました。お母様は岩屋寺の手拭いや栞や絵葉書をお土産に下さり、昨日は21日でお大師さんの日だからとおはぎを御地走して下さいました。

 私はおはぎを見たとたんに疲れはぶっとぴ、思わずにこ−っと笑ってしまい大感激です・クックックツーーーーーーこの山の上で、おはぎに出会えるなんて、やはり人様のご縁と言うものは大切にしなくては・・と思いました。ははは・・

 お母さまがお茶のお盆を運んで来られ、ベンチの上の黄色い粉を手ではたきながら 「すみませんね−杉の木の花粉が一杯でね−」
「えぇ−この黄色い粉は杉の花粉だったんですか−」私はピックリしました。確かに遍路道はびっしりと杉木立でした。標識の上なども(えらい黄色いなぁ−)とは思いながら歩いていたのですが・・・と言う事は私はこの花粉をズーッと吸いながら歩いて来たのかぁ−。ゾーッとしました。(私は花粉症でなくて良かったぁ−)としんから思いました。イヤ ホント!ハハハ

 さぁ−1時に名残惜しい岩屋寺を出発です。お寺の裏手に大きな不動明王様がいてはります。そこで私は今までで初めて女性の歩き遍路さんに会いました。この方は東京の榎本カズ子さんで私より若そうでした?。お話をしてみると長い距離は乗り物を利用され歩ける所は歩き約1ケ月の予定だそうです。たとえ乗り物を利用されるにしても、女性で1ケ月の通し遍路は大変な事です・私は感心して頭が下がりました。後に28日間で満願の吉報の知らせが届きました。御苦労様でした。

 山の中の遍路道・・白装束はじっとりと汗で濡れて・・はぁ−はぁ−ふぅ−ふぅ−言いながら歩いていると・・ふふふなんだか泣けてきちゃう。こういう山奥のへんろ道を歩いていると(なぁ−んにも考えられへん、なぁ−んも、かぁ−んも、どぉ−でもよくなってくるのであります。)遍路とは歩きへんろなり。山道のへんろ道歩かずして何を語ろうぞ。・・・

 3時です。44番に向かうへんろ道の途中に川があり、あんまり水が綺麗なので下りて行って手を洗いました。今回のへんろ最後の日です。頑張って歩きます。44番まで後2キロの標識がありますが、この矢印がはっきりしません。どっちの道も道らしからぬ草ぼうぽう・・・こっちかなと思う方に少し歩き始めます・・だんだん不安になり泣きそうです。

 引っ返して、もう片方にしばらく歩くと礼が木にぷら下がっています。小さな礼ですが、どんなにありがたいことか。合掌..(この礼は先達さん達が、歩きへんろの為に苦しい山の中の木に、励ましの為に又道しるべの為に付けておいてくれた礼です。私もへんろみち保存協力会の宮崎建樹さんに頂いて二箇所につけています。)

 3月22日4時40分、44番大宝寺に着きました。納経はキッチリ5時までですので本当に心からホッとしました。44番大宝寺と45番岩屋寺は、大西君からご親戚だと聞いていました。納経の方は若い男の人で私はこの人を見て大西君の顔を思い出したほど似てはりました。その方に百合ちゃんの写真を胸に持って撮って頂きました。有り難うございました。

 このお寺で今回のお遍路の打ち止めと、無事に御参り出来た事へのお礼をしてさぁ−出発です。足どり軽くしっかり道を間違え無い様に気をつけて・・・途中で大学生らしい山歩き風の遍路(?)に会い道を聞かれました。多分、彼は野宿等もしている風でした。自転車遍路も見ました。今回は7人くらいの色々な遍路を見掛けたり会ったりしました。5時30分伊予鉄バス久万営業所に着きました。ここで打ち止めのお祈りを済ませてニッコリと写真を撮って頂きました。

 次回の遍路はこのバス営業所から打ち始めです。6時10分のバスに乗り松山市駅まで乗ります。松山市駅発10時50分の夜行バスに乗ると23日の朝6時に着くのです。時間はゆっくりあります。食事をしてもお茶を飲んでも余ります・有名な道後温泉はもうすぐそこです。あ−あ温泉に入りたいなぁー、目の前の市内電車に乗れば温泉に行けるとの事です。

 次回の遍路で入れたらいいなぁー・・・やっと開いたバス待合所で、よもやま話をしながら時間を待ちます・・・・やっと来たバスに乗り、ウトウトしながら3月23日朝6時大阪梅田に着きました。一つの事をやり遂げた充実感で満足です。梅田には朝が早いのに主人が迎えに来てくれています。有り難い事です。ニッコリ 御苦労さま ・・・早く次のお遍路に発ちたいです。なるべく今年中に、一年に二度は行きたいと思いますが・・・なかなか・・

 遍路に出たのが3月、この手記を書き上げたのは9月です。BAR曇陀羅は御陰様で9月で三周年を迎えました。色々あった三年ですが、お遍路の卸陰で苦しい時も乗り越える事が出来ました。そしてこれからもお遍路は私の心の支えです。

お遍路メニュー

その1




supertag


hama_topホームページへ

bar-mandara@nifty.com