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女3人お遍路日記


第5回 37番岩本寺39番延光寺

その2


発心修行

 海に向かって叫びます。
「大日如来さーん大師さーん西藤さーんきょこぉー合田さーんご先祖さーんゆりー・・竹内春美、今元気に四国を歩いてまぁーす。お遍路してまぁーす」涙が出てきます。 私がお遍路を出来るのは誰のおかげなの。それは・・・

 それは・・・3月4月5月と飛行機の切符を早め早めに手配してくれてママさんのおかげ。
 それは・・・BAR曼荼羅を開けてくれている由里のおかげ。
 それは・・・PUB LINNA・LEEを開けてくれているバイト達のおかげ。
 それは・・・私が苦しいときに助けてくれて兄や友達のおかげ。おかげさん。おかげさん・・・。

 私は、四国遍路「土佐修行の道場」の最後になって、600キロ歩いてやっと完全に一人で歩けるようになりました。「発心修行」とはよく名付けたものです。右も左も遍路の意味さえも分からなかった私。ここまで来てやっと分かりました。京子が私を引っ張って歩く事が、どんなに大変だった事かを。自分の歩幅でなく、私の歩幅に合わせて、距離を計算し民宿を予約し遅い私を待って待って・・・本当に京子・・・ありがとう。京子のおかげでここまで来ました。

 沢山のおかげさんで、アカンタレの私も土佐の修行を終えようとしています。もう、怖いものは無い。負けない!! みんなのおかげさんで、宮崎さん(私にとっては大師さん)にも会えた。沢山の先人達が私を励ましてくれている。流れ出る感動と感謝の涙を拭う事もせず・・海を見ていました。そして、私を築いたのです。

 心の底から込み上げてくる感謝の気持ちと思いやり。これがこれが神様なんだと。神様は形ある仏像などでなく目には見えないものなのだと(人は目に見えるものしか、信じないので仕方なく、人は仏像などの形に表してきたのだと)あぁーそうかー神様は。人の心にいらっしゃるのだ。私はお遍路をして本当の神様に出会えたのだ。感謝と思いやりの心。

 そうかぁー・・・神様とは物体ではなく、目に見えるものではなく、心、無なるもの、自然なのだと。私流に確信しました。

 私はお遍路とは、歩くという事は精神修行なのだと、はっきり自覚しました。そしてお遍路は高校生や大学生が春休みや夏休みを利用して体験したならば、どれほどの人間形成に役に立つだろうと感じました。いやいや青年実業家こそが歩くべきだと思いました。よく、新入社員が山にこもり研修するといいますが、こういう事のかじりをさせるのだなと思いました。

 さぁー背に弘法大師を感じ歩き出した私に、もう怖いものは有りません。とことことこトコトコトコ・・・
15キロ地点、窪津郵便局から入っていく遍路道は、階段を登って行きます。(京子へ・・この階段を登っていくと、階段は上の方と前の方と有り、身体は前の方へ行こうとしますが、後ろの上の方の階段を登って下さい。畑の中を歩いて行きます。気持ちはいいよ。畑の中を歩き終わると道路に出ます。身体は前の方向・・左に進もうとしますが、ここは右に曲がって下さい。ははは・・よけいに分からん様になったカナ!私はここでずいぶんと考えたのです。京子はすぐに分かるやろ・・)

 歩いているとバイクに乗った女の人が、みかんを下さいました。道端に座ってたべたみかんは、とても甘くておいしかったぁー!ママさんは「民宿二浜ドライブイン」に荷物を預けて、38番金剛福寺を打ちそのまま逆戻りコースで「二浜」に泊まられると「二浜」の方がおっしゃっていたわ(二浜から38番まで20キロ、引き返して20キロ、ママさんは40キロを今日は歩かれるのだわ、あいかわらずばけものみたいやなぁー。と言う事は引き返して歩いてこられるママさんと私は出会うのだわ・・早く会いたいーーー!)

 とことこトコトコもくもく黙々・・歩いていると角を曲がった時でした。見えました、見えました・・ママさんやーーー!!ママさんも同時に私を見つけて、大きく手を振ってらっしゃいます。私も手を振りながら走り寄って行きました。

 ママさんと感動の御対面をした私は、どうかママさん私の話を聞いて下さいと石の上に二人で座りました。私は朝からの出来事・・・(宮崎さんに出会えた事・・これもみんなママさんのおかげ様、京子や由里やバイト達のおかげ様だと気づいた事、感謝と思いやりを心ふかく胸にきざみつけた事などを涙とともに話しました。)
「ママさん、本当に有り難う。今回の遍路は来たくなかった、でもママさんが飛行機の切符を手配していてくれたし行こうよ行こうよ・・あと言って下さいましたから・・宮崎さんに会えるという御褒美をいただきました。有り難うございました。」
「いいやいいや私は何もしてへん。歩いているのはママさんやん、先月も夜通し歩いたのはママさんやないの、誰のおかげでも無い。自分でしてるのや」と言われ(ママさんらしい返事やなぁーと思いました。しかし、さすがのママさんもこの時ばかりは目をうるうるさせてはったのを私はみのがしませんでした。)

 いつまでも手を握り合って喜んでいる二人ではありません。お互いに先を急ぎます。お互いの無事を祈って励ましあってさようならします。この時リュックを背負い杖をつき、後ろ手にバイバイしている後ろ姿をママさんが撮ってくれました。私が角を曲がって現れた瞬間の写真と、この後ろ姿の写真の二枚は私にとって大変に意味のある宝物です。ママさん有り難う。

38番金剛福寺

 とことことこ・・38番金剛福寺まで後6キロです。津呂郵便局でトイレを借りました。もくもくもく・・歩いているとスーッと白い車が私の横に停まりました。車の窓が開き男の人が話しかけます。
「竹内さんですか」
「はい、そうです。(なんでなんでぇー、私は四国に知り合いはいないわよー、誰なのこの人は・・?)」
「私は高市です。愛媛新聞社のものです。竹内さんの手記を連載している・・・」
「ええーーー?!?!?!(なんでなんでなんでーーーー朝に宮崎さんに会って、今度は高市さんに!この広い四国の地で・・・」

 高市さんは車を止めて、私の遍路の邪魔にならないために私の進路方向に一緒に歩きながら、写真を撮ったり話をされました。高市さんも愛媛から高知に時々来ている事。今回は来るつもりはなかったが何故か来た。すると宮崎さん達一行に出会った事。宮崎さんが竹内さんに会ったと聞き、後を車で追ってきた事・・・を話されました。

 私も朝からの素晴らしい出来事や、心の感動を話しました。そして、宮崎さんだけで無く高市さんに同じ日に会えたという事はこれはもう神様の仕業でなく何と説明できましょうか。私達はお互いに四国にいる事さえも知らなかったのです。たとえ知っていたとしても会おうとして会える四国では有りません。本当に本当に不思議な出来事を私は体験したのです。頑張って頑張って歩いてきた私に、神様は素晴らしい御褒美を下さいました。宮崎さんと高市さんという目に見えるものと、私の心を素直に「無」の心境にして下さいました、目に見えないものとを。

 足摺りの岬に4時に着きました。足摺りの展望台に立ち、海に向かって叫びます。 「悪霊よ不況よ私に襲いかかる全ての荒波よ。この竹内春美をへこたえさせる事が出来るものならやってごらん。お前なんかに負けない!全て乗り越えられる。そして、もっともっと私は大きくなる。私の後ろには大日如来さんも大師さんも、宮崎さんをはじめ沢山の先人が応援してる。しまいには、私に後光がさしてくるよ。はははー」
私は何も怖くない。おまけに底の方からぷっくりと力がますます湧いてきました。もっともっと何かをやるぞーーーーー!!この時に私は、すごぉーいパワーを感じた事は確かです。

足摺りの岬から金剛福寺までは「えッ!ここは沖縄かしらサイパンかしら??」と言うような不思議な植物園を通り抜けます。あーぁ来んな素敵な所は、お遍路で来るのではなく好きな人と来るべきだわ・・・はぁー・・

 金剛福寺は立派なお寺でした。門の前で観光の方に写真を撮っていただきました。私は、お寺について門前で記念写真を撮るときが一番の「やったぁーホッ!一つ終わった。」の瞬間で大好きです。今日の宿泊先は国民宿舎「あしずり」です。

 「あしずり」さんが悪いと言うわけでは有りませんが、私は人情のある民宿の方が好きです。なんとなくここでは寂しかった。夜になってお布団に入って、今日一日のことを思い浮かべて泣きました。そして宝塚の西藤さんに電話を入れて今日の感動を聞いてもらいました。
「良かったね、良かったね。竹内さんが頑張ったからだよ。だから神様が御褒美を下さったんだね」とおっしゃってくださいました。とてもうれしかったです。・・・すやすやすやスヤスヤスヤ・・・・

 5月18日の朝になりました。神様は悪い悪戯もされるようです。何とそとは土砂降りのザーザーざーざー雨です。ウッソー!!私はお遍路に出て今まで雨らしい雨にはあわずに来ました。今日のこの雨は救いようの無い大雨です。しかし出発しなければなりません。覚悟しました。雨具は500円の木枯しもんじろうのカッパだけです。

 7時30分、逆戻りコースをとって昨日の民宿「安宿」に向けて25キロです。かんたんカンタン・・・それに、ここでも運は私に向いています。戻りコースなので道は分かっています。だから大雨でも地図を見ずに歩けるのです。「あしずり」を出て、昨日の間に選んでおいたお土産がありましたので、今のうちに送っておこうと思いました。

 お寺の前のお土産や「足摺荘」で売り物ではないという、土佐和紙で出来た大きな籠を、私がとてもとても気に入ったので売って下さいました。完全装備の白装束で、おまけに雨合羽の私を、とても哀れに思って下さったのかも分かりません。今はBAR「曼荼羅」の座敷に置いて小物入れにしています。「足摺荘」のご主人様どうも有り難うございました。

 私は、大雨の中を何とこの座りたがりの私が、4時間・・11時30分まで、一気に歩き続けました。すごぉーい!! やっと座ったのは、昨日の喫茶店です。もう下着までびっしょりです。ここでお店の方に写真を撮っていただきました。私は大阪では霧のような小雨でさえ濡れるのは絶対に嫌なのです。しかし、お遍路では出来るのですね。本当に不思議です。休めば休むほど苦になります。私は食べるとお店の方にお礼を言って出発しました。

 すごいすごい雨です。昨日おじさんが「雨の日は絶対に歩いたらあかんで」と言われた遍路道に来ました。どうしょうかなぁー!少し考えて「えぇーい、いてまぇー」私は歩きはじめました。確かに道はびちゃびちゃです。しかしたったの1キロじゃーないのよ。でも・・進めば進むほど、昨日の小さな小川は濁流のような川になっています。靴の中がぐっちょりなのはもう諦めていますが、膝まで浸かる事はないでしょう。私はおじさんの言われる通りだと、素直に反省して引き返す事にしました。

 (ほらね、やっぱり目上の人の言う事や、わざわざ教えて下さったのに無視するから時間の無駄になったじゃぁーないの馬鹿春美)私は、休みたくても座りたくても、そんなんしてたら、よけいに寒いし濡れるし、私の大好きな草の上は水浸しだし・・・歩いて走って歩いて走ってもうーーーやけくそのびっちゃんこでタッタッタッーーーでなんと3時に「安宿」さんに到着!

 すぐに着ている白装束を干します。なんせこの一枚しか持ってないのですから。この日のお風呂は最高でした。私は靴の中に新聞紙を入れておかなきゃと思いながらも、うっかり忘れて眠ってしまいました。

 でも、朝になって私の靴の中をみると、まぁー倍(?)程に膨らむほどの新聞紙が入っているでは有りませんか?。「安宿」のおばあさんが入れておいて下さったのです。お蔭様で靴はほとんど乾いていました。有り難うございました。

39番延光寺

 5月19日6時15分に土佐修行完結の39番延光寺めざして、出発です。今回のお遍路はこれで最後です。今日の宿泊先「若松屋旅館」はお寺のすぐ前です。約34キロ有ります。頑張らなければなりません。

 なぁーにも無い山道です。お店はもちろんの事、自動販売機も有りません。今日はとても良いお天気です。ママさんは昨日の大雨の中を、この山道を歩かれたのだわ。きっと辛かったでしょう。雨で土砂崩れのために自動車の交通止めの場所があり、運送の人達が引き返さなくてはならなくて困っていました。ちゃっかりとその人に車を降りてもらって写真を撮っていただきました。ただひたすら歩きます。こんなに何も無い道って有るの?

 視界に入るのは低い山々と田圃とあぜ道だけ・・・宇宙の中の点のような自分を見つめます。地図を見ます。河内神社を通過して歩いていると、やっとおばあさんに会いました。
「こんにちは、自動販売機は有りませんか?」
「そんなもんはあらへんよ・・」
おばあさんは、ちょっと待っとり・・と家に入ってヤクルトを持ってきて下さいました。  私は嬉しくて嬉しくて、道のまんまん中に座り込んでゴクンゴクンと飲みました。おいしかったーーー。有り難うございます。

 三原キャンプ場を通過して「鶴場橋」に来ました。橋の名前の所を入れて記念写真を撮ります。だって写真に収めておかないと私がこの道を歩いた事なんて・・・この世の誰も知らないと・・・悲しくなるぐらいに静かで美しくて・・・ 帰ってきて出来上がった写真は「東山魁夷の緑の谷」の様でした。

 しばらく歩いていると、わぉーーー牛がいました。あまりに突然の生きてるものとの出会いだったのでビックリしました。ふっと見上げると、わぉーー牛がいぃーっぱいいるではありませんか。まぁーまぁーのびのびと放してあります。勿論撮りました。

 ここで9時15分です。3時間歩いています。休めそうな所は有りません。とことことこ黙黙黙・・・田圃と山と鳥の鳴き声・・11時になりました。4時間以上歩いています。15キロ地点やっと有りました。「たけうち商店」で食べるものを買って店の前に座り込んで食べます。
「あぁーーーーしんどーーーー」
店の前の、名木たぶの木を見上げます。
   「ふぅーんこれが名木なの?」
歩かな進まへんねんから・・歩こう・・先はまだやし・・うんこらどっこいしょ・・

 よっちらこっちら・・・とぼとぼとぼ・・やっと町(?)らしい所に出てきました。1時です。7時間歩いて19キロ地点・・喫茶「草花」で休息です。すごーい遅いペースです。足も痛い痛いいたぁーぁぁい! お茶をいただいて出発です。とろとろとろトロトロトロ・・・・

 3時30分です。9時間歩いて25キロ地点「伏見大明神」通過・・足いたぁぁぁい痛い痛いクスンクスン・・なんでなんでこんなに今日は、距離がのびないの?昨日はあんなに早く着いたのに・・・

 とことことこ黙黙黙ひょこひょこひょこ・・痛い痛い痛い・・スーパー平田・・平田小学校・・平田ハイヤー・・モービル石油。あったーーー39番延光寺の案内標識が・・歩いていくと延光寺の石柱が立っていました。また寺山口バス停も有ります。お寺は此処から1キロ奥に歩いた所にあります。私はこのバス停まで明日は歩いてきて打ち止めにしょう。次回の遍路はこの寺山口バス停からの打ち始めです。

 お寺の前には民宿が数軒並んでありました。私の泊まる「若松屋」はお寺のすぐ側でした。民宿を通り過ぎてお寺に着いたのは5時でした。ホッとして写真を撮りました。有名な鐘を背負った亀の石像や、お寺の宝の鐘や、池の中の鯉や石の亀、石の塔、門を撮りました。私は3月4月5月と頑張って歩いて今日5月19日に土佐の修行を終えました。私の発見した「感謝と思いやりの神様」にも会えました。宮崎さんにも高市さんにも会えました。うれしーーー!!!一つの事をやり遂げた充実感はもうーー最高です。

 お寺に打ち止めの挨拶を真剣にしました。
「神様、大師様、先人達、そしてご先祖様、私を励まし続けてくれた友人知人達へ本当に有り難うございました。」
さっきまで、しんどくて辛かったはずなのに、私はもう「ケロリ」と元気です。ははは、私らしい。

 「若松屋」さんは古い民宿らしくお風呂はごえもん風呂でした。足で底のすのこを踏みながらつかります。なんだか嬉しくなってしまいました。そしてとても暖かみのある民宿でした。お食事も心のこもったお料理で美味しくいただきました。

 今回の遍路を打ち終えた私は、明日は大阪に帰るだけですから気分も軽く、夕食の後に散歩に出かけました。 「へんくつや」と言う自称へんこつの御主人が、石風呂などを手作りしたと自慢される民宿に遊びに行きました。コーヒーをご馳走になりながらお話を伺いました。また、札所のタオルで作られたオリジナルのちゃんちゃんこを買いました。此処の御主人は、他に喫茶店もなさっているらしく一日中働いてられるそうです。
「人間は死ぬほど働らかなあかん!」と元気一杯の御主人でした。とても私の事を気に入って下さり今度来た時は、必ず泊まりゃーと何度もおっしゃって下さいました。

 御主人が野宿なさってはるお遍路さんに接待に行くと、食べ物をもってはるので私はついて行きました。とことことこ・・私はその時は、テントの中にいてはるお遍路さんをそーっと横から見ていただけでしたが・・(寒そうやなぁー大変やなぁー・・偉いなぁー・・なんで民宿に泊まりはらへんのやろ・・)翌朝、出発の時に近付いていってお話をしました。
「こんにちは、あのズーッと野宿をなさっていらっしゃるのですか?」
「はい、私は歩いて通し打ちをする事と、民宿に泊まらずに野宿をすると言う事を心に決めて遍路をしているのです。私は1番から始めていません。もう残り少なくなりました。しかし野宿をすると食事が悪くなり10キロくらい痩せました。」
私はリヤカーを引っ張り歩きの通し打ち、おまけに野宿と聞き、世の中には何で凄い人がいるのかと只驚くばかりです。

 「あのリヤカーを引っ張ってられるという事は、遍路道は絶対に歩けませんよね?」
「はい、道路ばかりでとても辛いです。」
(あぁー此の方は、あの素晴らしい山の中や海の中の遍路道を御存じないのだわ。)私はお名前をお聞きしました。その方は北条市の大堀さんでした。書かれた時の横顔と筆跡はただ者ではないと私は思いました。お写真を見てみると、大堀さんの立派な風貌がその人格と共にしっかりと写し出されておりました。とても心に残る方でした。

 私は「若松屋」の奥様に御相談して、帰りの方法を考えました。そして、昨日見た「寺山口バス停」まで1キロ歩いて打ち止めのお祈りをしました。6時47分のバスに乗り中村に7時21分に着きました。くろしお鉄道南風6号7時42分発に乗りました。岡山に12時に着きました。12時20分発のひかり44号に乗り大阪に帰ってきました。ほんの少しは四国の交通の便が分かってきたような・・・ははは・・・まだまだ不安の遍路の旅です。

しばらく休憩

 最初に書きましたように、店を手伝ってくれていた娘の結婚のため、私の次回の伊予の国「菩薩の道場」へ、一歩足を踏み入れる日は一体何年後になることやら・・遍路はむりして行くものではありませんし、きっと行かされる時が自然に来ると信じております。また私は必ず結願いたします。心はいつも四国の道を歩いております。行きたい行きたい歩きたい歩きたい。私のつたない手記を読んで下さいました方々へ・・・本当に有り難うございました。とてもとても感謝しております。

 女3人で始めたお遍路の旅も途中、それぞれの仕事の都合で離れました。人の人生は同じ道を歩めないように・・

 キォールのママさんは、お仕事が順調ですので、店を休まれて気候のよいときは毎月の方にお遍路を続けられ、75番まで打たれています。とてもとても強靭な心身の持ち主であり私の尊敬する方です。

 ママさんは高野山に行かれるときは、お客様がビデオを撮って下さるとかで、とても楽しみにしてはります。

 私の大切な親友の京子は、仕事の都合がつかず27番を打って山をおりた安田役場前バス停で止まっています。でも、京子は歩くときは一気に歩く事の出きる、ママさん以上の強靭な精神を持っている人です。



 私の遍路手記もこれで一応休息です。次回の時まで・・・さようなら。





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