塩竈の歴史

旧石器時代の塩竈

宮城県内では、高森遺跡を始め、中峰C遺跡・馬場壇A遺跡・富沢遺跡・山田上ノ台など50万年〜60万年前の前期旧石器遺跡から後期旧石器時代までの遺跡が多数発見されているが内陸部に多い。塩竈近辺では隣接する多賀城市の志引遺跡が発掘され、旧石器が発掘されている。

縄文時代の塩竈

 今から約1万年前〜2400年前の時代を縄文時代といいます。当時の生活の様子は、松島湾内の貝塚からその生活の様子が分かります。塩竈市内には、船入島貝塚、桂島貝塚、野々島貝塚、表杉の入り貝塚があります。その他、この地域には、鳴瀬町の宮戸島貝塚、松島町の西の浜貝塚、七ヶ浜町の大木囲(だいぎがこい)貝塚、二月田(にがで)貝塚、吉田浜貝塚、君ヶ丘貝塚など約30ヶ所が知られたいます。出土したけものの骨は40種類以上です。その中で一番多いのは、シカとイノシシです。シカの角は魚をとる道具にも用いられていたようです。その他に、マガモ、キジなど鳥類の骨が多く出土します。魚類の骨は100種以上に上り、タイ、スズキ、サメ、マグロ、トビエイ、ボラ、サワラ、カツオ、イワシ、アジ、クジラなどの骨が出土します。当時の食生活がうかがわれます。貝類では、ハマグリ、アサリ、カキ、スガイなどが多く出土し現在とあまり変わりありません。出土した道具としては、石のやじり、石やり、石おの、釣り針、もり、縄文土器などがあります。船入島からは全国でも古い人骨が発掘され、「松島人骨」といわれています。当時は屈葬が行われていたようです。

 

弥生時代の塩竈

紀元前3〜4世紀ごろから始る弥生時代の遺跡は、山崎囲洞窟、寒風沢、多賀城市の大代桝型囲、七ヶ浜町東宮、清水、鳴瀬町宮戸寺下、松島町福浦島、西の浜などに見られます。稲作の技術も伝わり、弥生土器も使用され、出土した土器の底には、もみ跡が残っているものも発見されている。(多賀城市の大代桝型囲遺跡)また、当時の道具としては、石包丁や石おの、米をむすための道具などが発見されており、当時の人が米をむして食べていたことがわかります。また、別の土器の底から布目の跡がついているのが発見され、この時代に織物が作られていたこともわかります。稲作の 伝来とともに金属器も伝えられ、鉄製のモリも出土している。(鳴瀬町宮戸寺下遺跡)


古墳時代の塩竈

<工事中>

参考文献 「塩竈の歴史」塩竈市教育委員会