軽快なハンドリングと、2ストならではの爆発的加速 が最高。バイクの慣らしより人間の慣らしが必要だった。 しかし、マメなシフトチェンジでパワーバンドをキープしつつ コーナーのアプローチやラインどりを考えながら峠を駆け抜ける のは、至福の時間でした。今でも「心のベストバイク」です。
【思いで】
当時はレーサーレプリカブームの直前
で、峠に走りに来る連中も少なく、「走る事を楽しめた」すばらしい
時代でした。大垂水峠は家からも近く、良く通いました。
「青のCB750F」「赤のFX」「自称峠の彗星(MB-50)」等バイク名
しか知らない常連が集まる場でした。<p>
しかし、数年後「レーサーレプリカブーム」が到来。峠にも訳の解らん
連中が集まり出し、雰囲気は変わってしまいました。当時の峠は、走る人
も限られていたので、伝統として受け継がれる「暗黙のルール」があり、
茶屋からエントリーするタイミングやターンするポイントなどは決まって
いました。しかし、「ブーム」によって人が増えると「自分の都合だけ」
で走る人がやって来るようになり、無法地帯へと変化して行きました。
コーナーの組み立てよりも「バンク角」が重視され、「1つか2つのコーナー
だけ走る」連中は周りの交通の流れを無視した減速、Uターンを繰り返すた
め「追突」事故が多発。走る人よりギャラリーの方が圧倒的に増え、
マナーも悪化。結局、立て続けに死亡事故が発生し警察が介入。
道路にも「凹凸」が付けられてしまいました。
犬吠埼にて