大銀杏の再生「3月10日倒壊から4月18日」

2010年4月18日(日)
大銀杏の元の根に葉が。
朝から天気は晴れているので、八幡様の大銀杏の様子を撮影に。

移植された幹からは芽が吹き出し、元の根の芽は、葉の形になってきた。

知り合いの専門家に聞いたところ、倒れた時期が良かったので、芽が吹き出し、根も張るだろうと。

本当に生命力がある。100年、500年後は元の大銀杏になるだろう。

良かった、良かった。本当に嬉しい。

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切り離された幹から芽が。

2010年4月1日(木)
祈れば通じた。大銀杏の根からひこばえの芽が出てきた。
今日、鶴岡八幡宮において応神天皇1700式年祭が行われた。式後お清めの席で、吉田宮司のお話に感激した。1700年の応神天皇と鶴岡八幡宮、そして1000年の大銀杏のお話。

特に大銀杏が倒れ、千年の歴史が終わった思いに、足がすくんだとのお話には、私は目が潤んだ。

さらに、宮司から「大銀杏の古根から蘖(ひこばえ)・孫生の芽が出てきたと。

祈れば通じる。念じれば通じる。
緑色した1001年の芽が吹き出した。葉を広げるのは近いうちだ。 

ひこばえ、頑張れ、頑張れと祈る。
2010年3月27日(土)
冷やっとした風、ギョッとした火事現場
   

3月予算議会も終わった。先日、議会中大きな火事があったので、近所にお見舞いに行こうと、鶴岡八幡宮に寄ってからいくことにした。天気は春の日差しであるが、風がひやりと冷たい。
それでも、桜は咲き始めた。中には八分咲きも。大銀杏再生幹埋め込みの前は、参拝客、見物客でひっきりなしであった。さすが、天下の800年の大銀杏である。

途中、源平池の桜は、かなり、開いている。池には、アオサギかゴイサギか美しい姿が。それでも、近所の人は、騒がしい鳴き声に悩まされると。姿とは違うものだ。

火事の現場に行って、ギョッとした。全焼ではないか、怪我はなかったのか、貴重な文献はどうしたかと思わずにはいられなかった。近所の方にお見舞いし、現場をあとにした。

つぶやきながら帰る。鎌倉は谷戸が多い。その奥に住宅がびっしり。道も狭い、消火活動は、困難を伴う。それだけに、苦労も多い。安心、安全のまちづくりには、住民の協調が大事。

近頃、火事の発生が続いているので、気をつけなければいけない。また、被災者には心からお見舞い申し上げたい。それにしても、何が起きるかわからないもんだ。

2010年3月21日(日)
大きな夢へ小さな一歩
鎌倉世界遺産登録推進に少しでも関心を持って貰おうと始めた鎌倉で初めての手作り甲冑隊。山本会長が指導して、メンバーも増えてきた。

とんぼの会による手づくり甲冑教室の作品披露と鶴岡八幡宮参拝を21日に行われた。

今朝の天気は落雷と暴風雨。お披露目はどうなるかと心配したが、幸い空も晴れ上がり、連休の影響か、鶴岡八幡宮、小町通りの人出はかなり。

行きも帰りも、写真の希望者がひっきりなしであった。かなり宣伝効果あり。
また、世界遺産登録を掲げた旗を見て、なるほど、声が聞こえた。

私も和服を着たフランス人の姫と、ハイ、ポーズとご機嫌。日仏交流。

参拝後、再生祈願の記帳と参拝を大銀杏前で。再生幹は4メートルとか。
写真を撮る参拝客が感激していた。鎧姿の参拝風景が見られて。

また、今年から武者姿で集う・とんぼの会に少年少女の甲冑隊が参加。
これまた、可愛いと声がかかる。5年、10年後には50人、100人の甲冑隊を夢見るのもいいものだ。鎌倉は武家政権発祥の地。いずれ、鎌倉に武者行列の時代祭を。

大きな夢を抱いて、一歩一歩進む、手づくり甲冑隊。

白旗神社前で、えぃ、えぃ、おーと気勢を上げた。武家文化は世界遺産。

     
      

2010年3月18日(木)
根が張り、芽が吹き、枝葉が繁ることを祈る
10日に倒れた鶴岡八幡宮大銀杏の根元幹の植え替えも終わり、再生を祈願してのお祭りが行われた。
これから、大銀杏の再生を願って、根を張り、芽が吹き、枝葉が繁るのを祈るばかりだ。

何か、ホッとした気持ちになり、一休みという思いだ。さすが、1000年の樹齢を感じさせるお祭りであった。
祭事の周りには再生を願っての人々が取り囲んでいた。子孫に大銀杏の木も、気も繋ごう。

2010年3月17日(水)
新たな芽が出ますようにと記帳を。
今日も大銀杏の再生計画現場は、人だかりでいっぱいである。どれほどの人たちが、大銀杏の倒壊に心を痛めているか分かる。
倒れた銀杏の再生を確実にするため大銀杏は切断され、根元側幹が、元の位置から少し離れた場所に埋められた。

大銀杏埋め込み前に設けられた「鶴岡八幡宮 銀杏の芽吹きを祈ります 記帳所」に並んで記帳する人たちがひっきりなしである。
私も早速、記帳した。早く芽が出てくることを祈るのは、素直な思いである。大木になるには100年、300年、500年、1000年と先は長いが。

それにしても、現場のクレーン車の高さぐらい大銀杏はあったと思うと、すごいなぁと感慨深くなる。近くには若い銀杏の木と細い幼木が見える。何か微笑ましい。

2010年3月15日(月)
携帯に大銀杏の昨年の秋の記録があった。
携帯のメモリカードを整理していたら、なんと、鶴岡八幡宮の大銀杏の写真が残っていた。
まさに、紅葉真っ盛りの時だ。下に2009年11月30日 13時55分とある。

見事な姿だ。これが大銀杏の紅葉の見納めであろう。でも、その後も訪れているので、写真では最後かも。

このころ、生検を受けるため、数値を落とす必要から、一日一万歩歩行に励んでいたので、昼食後に本殿に参拝したときだ。石階段上から見て、圧倒させられたので、思わずシャッターを切った。

携帯の写真なので、画素数が低いので荒いが、何か、絵画のようだ。

確か、ガン手術準備のため、東大病院に通っているので、イチョウにあやかっていた。特にこのころ、鎌倉の山歩きをしたり、神社仏閣を歩いていると、紅葉が気になっていたので、よく写真を撮った。

鎌倉は良い、素晴らしい、それだけに、八幡様の境内はいつ、紅葉するかと気になってしょうがなかった。

舞殿前のイチョウは先に紅葉したのを憶えているが、上から見下ろした大銀杏の紅葉は忘れていた。余りにも、舞殿前から見上げた紅葉がイメージとして強く残っているので。

それにしても、何と優しい、包容力溢れた姿であろうか。60数年もそれとなく、大銀杏と過ごした若宮大路育ちの自分は幸せであった。本当にありがとう。大銀杏の気を浴びて、元気です。

2010年3月14日(日)
春うらら、見てびっくり

昨日は5月初旬の気温、春うららと陽気に誘われて、八幡様、光明寺、来迎寺と歩いたが、八幡様で大銀杏の再生準備を見てびっくり。
大銀杏が消えた八幡様風景は、淋しい。昨年、秋の写真と比べて、喪失感がヒシヒシと。
周りにはびっしりと人だかり。作業現場には、大銀杏の大幹が切断された姿。見てびっくり、大幹の真ん中は空洞、本当に頑張っていたんだ。

本当にご苦労さまでした。ありがとう。



春うららの風景。八幡様太鼓橋際には満開の桜の木が。光明寺の大聖閣、来迎寺のミモザが見事。

2010年3月13日(土)
芽を出せ、根を張れ、蘇れ、鎌倉の宝
樹齢1000年とされる鶴岡八幡宮のご神木・大銀杏の倒壊はショックであった。拝見して時が経つとともに目に浮かぶのは、境内に横たわっていたそのお姿は、涅槃図に描かれたご臨終のお釈迦様のようだ。

明治維新まで、鶴岡八幡宮は神仏混淆の八幡宮寺であった。明治以降、神仏分離で神道となっているが、800年の歴史のうち、まさに、650年は神仏混淆であった。ご神木がお釈迦様の涅槃仏と思えるのは私だけであろうか。その倒壊を惜しんで周りに人々を見ると、涅槃図そのものようだ。

人それぞれの思いは違っていても、それは威容で慈悲に満ちた優しいお姿であった。何か光を、気を発していることには違いないと思う。
私は、本殿への階段を上がるとき、どれほど、意識なしに大銀杏の気を浴びてきたか。特にここ数ヶ月、東大病院でガンを宣告され、また、糖尿病数値を落とすため、連日連夜、1万歩の歩行を続けて来た。立ち寄るところが、八幡様。もう、そのお姿は拝することはないが、お宮では、なんとか根の再生をはかるため準備に入ったようだ。芽を出し、根を張り、蘇ることを祈る。

いずれ、芽を出し、根を張り、100年、300年、800年、1000年とそのお姿が蘇るのを楽しみにしたい。思いは消えることがない。生きていないが。

今日の神奈川新聞には八幡様の大銀杏再生の記事と、鎌倉・広町緑地の漆林再生の記事が載っていた。これまた、鎌倉の象徴的伝統品である鎌倉彫に欠かせない漆の地元産にひとすじの光が見えてきた。

ここの場所は、30年前に地元・鎌倉彫職人が植えたものであるが、市有化され、漆の木75本は、老木となり、手入れも、停止していたため、漆採取は無理であったが、鎌倉彫関係者の奥西さんを始め多くの方から復活の要望があり、地場産業の意識高揚、振興のため取り組んできた。

いよいよ、萌芽更新の為、伐採が始まった。一部、切り株状の漆の木から樹液が染みだしたと報告があり、関係者が喜んでいるとの記事。
鎌倉彫も鎌倉の宝、芽を出せ、根を張れ、蘇れの思いが募る。頑張れ、老木。僕も頑張ろうと。

2010年3月11日(木)
大銀杏を惜しむ人々で
 
今日も倒れた大銀杏が気になり、八幡宮を参拝に行った。境内にはいつもの平日より人出が多い。大銀杏の倒壊を知っての惜しむ人々が。
ご神木の見るのも最後だと、小学校時代の知り合いが、90歳を越えたであろう母親を連れ合って行くのに出会った。住まいが八幡様の近所であるので思い出も多いと思う。お宮の関係者が、大銀杏に水を掛けていた。乾燥しないようにしているのだろう。また、頑張って、ご神木の命を繋ごうとしている。

鎌倉から一つの歴史物語が消えては、淋しい、つらい。いずれ、若い芽も出てくることがあり得る。自然の力を信じよう。1000年も生きてきたのだから。生命力があるはずだ。

今年の元旦の鶴岡八幡宮には元気な大銀杏が。
今年、1月31日のブログに載せた鶴岡厄除大祭の写真に、大銀杏の姿が映っている。何でもないのに、どうしてと思う。

また、役所に戻ると、文化財の浪川さんがテーマーにしている関東大震災で倒壊した舞殿の後ろに、大銀杏の姿が映っている写真を。堂々と立っている。あの大地震でも、びくともしなかった姿だ。

必ず、大銀杏の命は繋がる。岸根卓郎先生によると、万物はエネルギーの変化。それも、800年の周期だとか?エントロピーの法則?永遠。

2010年2月10日(日)
八幡様の大銀杏が倒れる。若宮大路で育った私は大変な衝撃を受ける
3月10日4時過ぎ、鎌倉の鶴岡八幡宮本殿前の石階段際に立っていた1000年の樹齢の大銀杏が倒れた。天然記念物でもある
鎌倉時代から、いや、その前からかも知れないが、幾年月もの鎌倉の歴史を見てきた大銀杏、まさに、生き字引であった。

私は若宮大路育ち、60数年間、大銀杏は私にとっては、母なる存在でもあった。冬になれば、葉を落とし、春になれば、緑の葉を萌やし、秋になれば黄金色を一杯輝かし、どれほど、その存在が、自然の畏怖畏敬の念を与えたか。でも、大銀杏の最後は自然にも寿命があることを教えてくれた。

昨夜、久しぶりに知り合いと飲んだ酒に酔って、胸騒ぎが起きていた。今朝、4時頃、3回も猫が布団に出たり入ったり、私は吐き気が起き、もどした。何かの響きであったか。朝、市長やNHKの中村さんから大銀杏が倒れたとの電話が。八幡様に急ぎ、写真を撮った。

1000年の間には、わずか90年前の関東大震災をはじめ、いくつも大地震を経験し、風雪に耐えてきたのに、昨夜の3月の風雪で倒れるとは、堪えに堪えてきたのことを思うと、叫ばずにはいられない。

ありがとう、ご苦労様でした大銀杏さん。何か、目が潤んでしょうがない。虚脱感が沸いてしまうのは、私だけではないだろう。

鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れる。

あぁ、もう、見ることは出来ないその姿。なぜ、1000年の命が、今消える、鎌倉の象徴、世界遺産登録を前に。