鎌倉発電送かわら版

私が選らんだ鎌倉にちなむ平成22年の10大出来事 

2010年12月29日(水)
ゴミ問題、これ以上年寄りをいじめないで?(10大出来事)
バイオ、バイオが鎌倉のゴミ問題を救うのか、いや、金を掛けないで、市民の手でゴミ処理しましょう?
ゴミ問題見通しは越年となった鎌倉市政。来年は松尾市長の政治生命が掛かっている?



2010年10月5日(火)
こりゃ、たまらない、分別の分別の分別
ゴミ処理として、バイオマスの施設が山崎下水道処理場敷地内に論議されているが、見直しを指示している松尾市長とバイオ推進派議員と激しい対決が続いている。
施設のことばかり議論されているが、家庭から出るゴミの処理から議論しないといけない。

現在、燃えるゴミと資源ゴミの分別が、各家庭で行われているが、バイオ処理には、さらに、分別が厳しくなる。それは、分別の分別の分別であると、話をすると、とんでもない、そんな施設はいらないと、声高に言われる。今でさえ、分別は大変だと、お年寄りは言う。それが、燃えるゴミと、生ゴミ、さらに、生ゴミ中身を分別とは、年寄りをいじめるなと。
そんなの面倒くさいから、しないよ、そんなこと詳しく知ったら、市民の多くは怒るよと。

この話を飯野議員に話したら、それは大変ですよと資料を見せてくれた。確かに生ゴミに、たばこのフィルター、梅干しの種、割り箸等が入っていたら、機械が壊れてしまうと、横浜市の実証実験をしている企業から説明を受けたことを思い出した。梅干しの種というが、17万人の人口のうち、1万人は毎日梅干しを食べることを考えると、1万個の梅干しの種が毎日?

飯野議員の資料によると、バイオのため、家庭から分別した生ゴミを出す前に、生ゴミの分別をしっかりやってほしいと資料に書かれている。

生ゴミとして出してはいけない、生ゴミのような生ゴミは、牛や豚の骨、卵の殻、貝殻、伊勢エビやカニの殻、籾殻、樹木の枝葉等。別の資料では、トウモロコシの芯、竹の子の皮、も。
そうでないと、機械がすぐ壊れるようだ。そして、メタンガスを発生させるメタン菌が死に、メタン発酵出来なくなると。さらに、一度壊れると、メンテナンスにかなりの時間が掛かり、生ゴミの山が出来、周囲に悪臭が漂うとの話もある。こんな分別は嫌だと市民は怒り出すだろう。ゴミ倫理、分別倫理の市民教育から始めないととても無理だ。

横浜市に視察して聞いたが、事業系生ゴミのなかでも、いろいろなものが混在されていて、大変だと堆肥処理の現場の声もあった。
朝忙しい、サラリーマン家庭は、夫婦共稼ぎであったら、とても、分別の分別の分別なんてやっていられないだろう。また、お年寄りにとっても、叶わないだろう。暇な方は良いだろうが。
 
2010年12月29日(水)
鎌倉精神(10大出来事)
鎌倉は武家の古都、その精神を今こそ

 
2010年10月2日(土)
今こそ、鎌倉精神
 
今朝、6時前家を出て、海岸へ。潮が大潮か、浜辺が広がっていた。和賀江嶋もくっきり。いつも波を被っている玉石も浜辺側には相当な数。波で打ち寄せられたのか。元に戻せば、日本初の築港が復元されるかも。こどもの頃は、玉石づたいに沖まで行ったもんだ。潮の流れが変わったか、波が強く押し寄せるのかも知れない。

ここ、和賀江嶋は世界遺産登録への候補地。大きな玉石による築港とはよく考えたものである。説によると宋船が入っていたとの言い伝えもある。中国の青磁のかけらが見つかることあるという。鎌倉と中国の縁は深い。鎌倉時代には、経済交流、文化交流はかなりなものであったろう。

でも、経済、文化交流があっても、侵略民族は突然襲って来た。その元寇を撃退した鎌倉幕府。今、領土、領海で問題になっている日本の領土である尖閣諸島事件。
今こそ、鎌倉精神を思い起こすべきである。中学生の頃、よく、歌った元寇を歩きながら口ずさむ。


   
  四百余州をこぞる 十万余騎

 国難ここにる 弘安四年夏

 なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり

 正義武断 一喝して


2010年12月29日(水)
昨年の民主党衆院選大勝利はなんだったの?(10大出来事)
昨年の衆院選で大勝利を収めた民主党政権、この1年間振り返ると恐ろしいほどの体たらくである。日本の政治は、滅茶苦茶、ガタガタと衰退するばかりである。選挙が目標か、政治となると、全くのド素人である。

まさに、パフォーマンス選挙で当選してきた議員による政治の実体が明らかになった。偽マニフェスト、ビラ配り、朝駅立ち、自転車乗りと選挙のためのパフォーマンスで当選してきた政治家が日本をダメにする。

今年の参院選では私個人は、中西健治を応援していた.まず、名前が、松中健治と中西健治であるので、松と西だけ違う親近感があり、浅尾慶一郎衆院議員が応援していたことも動機である。

結果は、神奈川県選挙区では、自民、小泉昭男、みんなの党・中西けんじ、民主党・金子洋一であった。なんと、現職大臣の千葉景子議員が落選と民主党の象徴的惨敗となった。以来、参議院選で大敗した菅政権は、未だ、ガタガタのダッチロールを続けている。

年明けにも小沢問題が解決に向かって進んでいくのか、あるいは、内閣改造で仙石官房長官等の問題で、さらに混迷を深めるのか。
予断を許さない事態であるけれど、内憂外患の菅政権、延命策を続ければ、国民を悲劇にするだけである。本当に迷惑である。
パフォーマンス選挙で当選した政治家による能力は、今の菅政権を見れば、一目瞭然の無能ぶりである。これは、鎌倉市政にも言えるかも知れない。松尾市長、当選をしたけれど、政治が分かっていない。ゴミの問題でも行政、市民、事業者一体となって進めていきますと言うが、議会とはどうするのか。名古屋市の河村市長、市長を辞任し、選挙で協力議員を増やす作戦に出た。松尾市長もいずれ、追い詰められるであろうから、協力議員を増やす作戦をとるかどうかが、来年の焦点であろう。私はとても無理だ。距離を置いていく。

ところで、あれほど、昨年の衆院選で大勝利した民主党、実体がばれると、次々、地方選でも惨敗続きである。さらに、報道によると、来年の統一選に向け、民主党のマークを名刺から隠す方までいると。確かに、松戸市議選、茨城県議選、西東京市議選の結果を見ると、民主党は惨敗続きである。みんなの党、ネットワークが元気が良い。自民党は復調傾向にある。


  千葉県松戸市議会議員選挙(11月21日)

定数44人 立候補者数68人

当選議席数は下記の通り(括弧内は落選数)

無所属 22人(14人)
公明   10人
共産   5人
自民   2人
民主   2人(9人落選)
みんな  2人
社民党  1人(1人))
茨城県議選(12月12日)   

定数65名 

民主党 (立候23人中) 
 6人当選 17人落選

自民党 33人当選 

みんな  2人
公明   4人
共     1人

無所属  19人
 西東京市議選(12月26日)は定数28に34人が立候補。

民主は現職5人のうち4人が落選、新人2人が当選。3議席とも得票数は、当選者の下位にとどまった。

選挙期間中は菅首相の妻伸子さんや、蓮舫行政刷新担当相らが続々と応援に駆けつけたとも。


自民は7人を公認、2人を推薦し、落選したのは公認候補の1人だけ

「6人の落選」した中で「民主党は現職が4人落選」して「当選3議席も下位」。
西東京市議選開票結果
菅政権批判ブログ10月3日
2010年12月28日(火)
鎌倉の紅葉で燃える秋も素晴らしい(10大出来事)
 今年の鎌倉の紅葉は、何か違うと感じた。

秋の鎌倉も世界遺産への空気を醸し出す大きな自然資源だ。

今年も、良く歩いた。鎌倉の山々、神社仏閣、切り通し、紅葉に彩られた都市部では一級であろう。

確かに、都心から時間を掛ければ素晴らしいところがあるだろうが、わずか1時間、それも、金山の様な土地の値段の鎌倉、本当に良く守れたものである。

鎌倉の世界遺産への空気・秋

鎌倉浄明寺衣張山周辺
2010年12月28日(火)
鎌倉にとって歴史的衝撃(10大出来事)
鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊した日のブログ(3月10日)。

2010年2月10日(日)
八幡様の大銀杏が倒れる。若宮大路で育った私は大変な衝撃を受ける
月10日4時過ぎ、鎌倉の鶴岡八幡宮本殿前の石階段際に立っていた1000年の樹齢の大銀杏が倒れた。天然記念物でもある
鎌倉時代から、いや、その前からかも知れないが、幾年月もの鎌倉の歴史を見てきた大銀杏、まさに、生き字引であった。

私は若宮大路育ち、60数年間、大銀杏は私にとっては、母なる存在でもあった。冬になれば、葉を落とし、春になれば、緑の葉を萌やし、秋になれば黄金色を一杯輝かし、どれほど、その存在が、自然の畏怖畏敬の念を与えたか。でも、大銀杏の最後は自然にも寿命があることを教えてくれた。

昨夜、久しぶりに知り合いと飲んだ酒に酔って、胸騒ぎが起きていた。今朝、4時頃、3回も猫が布団に出たり入ったり、私は吐き気が起き、もどした。何かの響きであったか。朝、市長やNHKの中村さんから大銀杏が倒れたとの電話が。八幡様に急ぎ、写真を撮った。

1000年の間には、わずか90年前の関東大震災をはじめ、いくつも大地震を経験し、風雪に耐えてきたのに、昨夜の3月の風雪で倒れるとは、堪えに堪えてきたのことを思うと、叫ばずにはいられない。

ありがとう、ご苦労様でした大銀杏さん。何か、目が潤んでしょうがない。虚脱感が沸いてしまうのは、私だけではないだろう。

大銀杏倒壊関連記事「3月10日倒壊から5月6日まで」
2010年12月27日(月)
鎌倉は世界遺産だと自信を(10大出来事)

鎌倉は世界遺産であると自信が持てる5月11日のブログです。

2010年5月11日(火)
円覚寺・舎利殿で、いのちの洗濯の思いが。

先日、禅宗の和尚さんにお会いしたとき、舎利殿の屋根が新しくなったそうですねぇ。どんな具合か、みたいものですねと言ったら、是非、ご案内しますよと言われ、今日、仲間と円覚寺を訪ねた。

度々、舎利殿を見てきたが、今日の趣は違う。確かに、柿(こけら)葺きの屋根が17年ぶりに葺き替えられたので、金色に輝いて見えるが、朝から、小雨模様であったので、しっとりと濡れているのが、なんと言えない空気を感じた。仲間の一人は霊気とも。

じっくり見て、思わぬ私は言った。これは、世界遺産にふさわしい。目に、肌に、感じるこの雰囲気、小雨に濡れ、新緑の深い奥行き。
命の洗濯をさせて貰った。言葉に言い尽くせないので、写真を。

写真をクリックする大きくなります。
2010年12月27日(月)
小泉純一郎さんが来てくれた(10大出来事)。
鎌倉少年野球連盟結成30周年を祝う会が11月に行われた。連盟初代会長の元首相である小泉純一郎さんが駆けつてくれたのには、驚いた。小泉さんが鶴岡会館の会場に入るなり、どよめきと歓声が挙がった。本当に嬉しかった。小泉初代会長と立ちあげた連盟からは2千数百人の球児が飛び立った。当日、今年の6大学で活躍した法大の加賀美選手、慶大の渕上選手は当連盟の出身ということで、会場で紹介された。

また、元巨人軍の宮本選手もゲストで会場に。さらに、アメリカ大リーグの日本、極東の窓口のコンサルタントであるピーター・ミラーさんも。ピーターさんは、版画家で、鎌倉の世界遺産登録推進活動でも協力。多士済々で会場は盛り上がった。。
2010年12月27日(月)
良い思い出、光栄でした(今年の10大出来事)。
     
    東大病院で手術後の6月末、突然、友人から山崎直子さんが宇宙船スペースシャトルのクルー全員と鎌倉に来たので、ガイドを頼むと言われた。

何が何だか分からないまま、知り合い宅へ。今から鶴岡八幡宮と大仏に案内して欲しいと、アジサイのシーズンで交通渋滞がひどいので、人力車で行くことに。

鎌倉見物を宇宙船ですることが出来ないので、140年前ぐらいに開発された人力車で御一行の案内とは、近代科学の先端者が日本の明治維新時先端乗り物の体験か。

あとでお礼にクルー全員のサインがされた記念写真が送られてきた。

鎌倉も光栄、私も光栄。 でも、手術後2週間であったので、医者から余り無理をしないで欲しいと、警告された。

本当に経験の出来ないことをするということは、不思議な縁です。

今度、是非、宇宙船から、あれが鎌倉のまちだと、宇宙からどうぞ。
 
2010年12月26日(日)
私が選ぶ鎌倉にちなんだ今年の10大出来事。
鎌倉での10大出来事の一つは、11月、私も大仏手前で、歓迎したオバマ米大統領の鎌倉訪問である。

物々しい警備には驚いたが、帰途、オバマ大統領が手を振ったときは、まわりにどよめきが起きた。手を振ってもいけない、写真を撮ってもいけないと警備陣から忠告されたこともあって、さすが、驚いた。オバマ大統領は、こどもの頃、鎌倉へ来たことがあったので、親しみと思い出の抹茶アイスでくつろいだのだろう。

抹茶アイスをオバマッチャアイスと、宣伝して、賑わっていた店もあった。

上の写真は大統領専用車、同じ専用車が2台続いてきたが、随行車がさらに10台くらいあった。写真の提供は山口君。ソフトクリームの写真は昨年、オバマ大統領が来日した直後、抹茶アイスが話題になったので、大仏前のお店が宣伝していたもの。  いずれ、私も、抹茶アイスにあやかって、マッチューアイスでも売り出そうかな。あたるかなぁ?
2010年12月19日(日)
鎌倉の世界遺産登録を信じてる。
鎌倉の世界遺産登録は難しいという方が居るが、私は必ず鎌倉は世界遺産登録されると信じている。それも近いうちに。

多くの方から、武家の古都鎌倉に何があるのかと聞かれる。鶴岡八幡宮、大仏等神社仏閣ではないか、武家の古都鎌倉は開発されすぎている、城郭都市鎌倉と言っても丘陵ではないか、奈良や、京都と比べると規模が小さい、少ないではないかと。鎌倉市民の情熱は、燃えているのか、余り積極的ではないのではないかと。

いやいや、まだまだ、鎌倉には、世界遺産にふさわしい空気が残っている。小雨の中の円覚寺、紅葉で燃える丘陵、兵どもの夢の跡、歩いてみるとじーんと心に染みる。

また、鶴岡八幡宮、大仏は外国観光客にも気に入られている。今年は、オバマ大統領も大仏を訪ねたが、今年の6月、宇宙飛行士である山崎直子さんがスペースシャットルの船長さん一行を鎌倉に案内したとき、私はガイドを務めたが、鎌倉を訪れて、本当に喜んでいた。近代的な東京から、1時間で歴史の街を訪ねることが出来るのだから。

首都圏で不動産価値がある住宅地が、歴史の姿を残していることは、奇跡にも近い。確かに開発の波が鎌倉を襲われたことは、ここ数十年のことであるが、危機的な時もあったが、何とか乗り越えた。

私も身体を張って、浄明寺周辺の丘陵が開発されることに抵抗し、20年前、4万坪を無償で残した。相手が西武不動産であったが、怖い人が数人押しかけるけれど、それでも、抵抗するかと、関係した人に言われたが、話せば分かると、西武不動産と渡り合って、西武の理解を得ることが出来た。西武が理解しなければ、浄明寺周辺の丘陵地にはずらーっと住宅が建っていたであろう。本当に西武不動産には感謝している。もし、開発されていれば、鎌倉の世界遺産登録はまず、無理であろう。

先日、衣張山からその周辺を歩いたが、我ながらよく頑張ったなぁと、じーんときた。素晴らしい市民の憩いの場となっている。紅葉もきれいで、世界遺産登録候補の逗子・まんだら塔へのハイキングコースにもなっている。もののふの道、、巡礼の道は歴史の思いを彷彿させる。まさに、鎌倉の世界遺産へは空気、自然と歴史が醸し出している。

それも、私の行動に理解をしてくれた一人の方がいたからこそ、私も頑張ることが出来た。有り難いものです。感謝します。

下の写真:クッリクすると大きくなります。

2010年12月4日(土)
竜巻?の爪跡を見てびっくり
12月3日、7時頃、激しい雷雨が鎌倉を襲った。特に、私の住んでいる材木座はひどかった。8時過ぎ、雨も収まり、議会3日目が10時から始まるので、家を出た。市役所に着いて、弟から友人の家の屋根が、今朝、半分飛ばされて、困っているとの通報。さらに、議会は行政が災害調査で延会。早速、現場へ私も飛んでいく。材木座、九品寺あたりから、現況を見て回る。知り合いに声を掛けて、大丈夫ですかと尋ねたら。こちらも、あちらもと次々被害が報告された。

さらに、五所神社の御輿収蔵庫の屋根に、銀杏の木が倒れて、ひどいと。さらに、駐車場にはキャンピングカーが横転。
また、電柱には飛んできたトタンが引っかかっていた。さらに、大町・妙法寺屋根が飛ばされたと。左の写真。

二階堂方面では、小牧先生宅の屋根が飛んできた屋根で壊されていた。先生宅は、安政2年に建てられたもの。関東大震災でも耐えたのにと、今度の竜巻?には驚いていた。二階堂、浄明寺方面も被害がかなりあった。

大きなお屋敷の屋根瓦がかなり飛ばされていた現場を見たが、これはひどいと思った。
釈迦堂方面では、友人宅のガレージの屋根が飛ばされていた。小規模であるが、この周辺は被害を受けている箇所が多いと。
また、二階堂の小牧先生宅の前の山を見ると、かなり、大きな木が何本も倒されて、生木の姿を見て、今度の風の力の恐ろしさを見せつけられた。

竜巻のようだと言われているが、現在、気象庁の方でも調査をしているので、近いうち調査が報告されるであろうが、竜巻が鎌倉でもあるのかと、驚いてしまった。鎌倉生まれの私には経験がない。突風と言うことはあるかも知れないが、まさに、突然襲われたことである。

鎌倉こども風土記によると、材木座の補陀楽寺(ふだらくじ)は、別名竜巻寺とも言われ、竜巻や火災に遭ったりしているとあるので、鎌倉にも竜巻があったようだ。

本当に、突然のことで、思わぬ被害にあった方々にお見舞い申し上げます。
竜巻?による被害現場。

★下の写真をクリックすると大きくなります。