偏りまくりのお薦めの本・漫画評 |
私が今まで読んできて良いと思った本・漫画を,私のひじょ−に勝手な紹介文と共に御紹介します.
あっ,話のオチをばらすつもりはありませんが,もし結果的にそうなりましたら御注意または御容赦下さい.【96.7.10改定】
なおその他の本の単なる感想は「読んだ本の雑想記」へ .また趣味である中国史関係の本をあつめた「中国史関係の本・漫画の紹介」なんてページもあります.
以下が紹介文です.
人間には様々な生き方というのがある。それは自分で自ら決める場合もあれば、運命としかいえないもので決まる場合もある。 人間の寿命というのは何十年かに過ぎない。そしてその中でやれることというのはたいしたことはないだろう。名を世間に馳せるなどというのは希であるし、そういうことに意義があるのかも問題であろう。では何故いきるのか。 人間の寿命が数十年なのは古代も現代も変わらない。では過去の人々と現代の我々とで違うことはなんであろうか。それは少なくとも現代の我々が過去の人々の生き方を知ることが出来るということだ。この本では(ある程度フィクションとはいえ)過去に精一杯生きて来た人々の息吹をまざまざと眺めることができる。
任侠と聞いても日本のやくざの人々を思い浮かべては駄目だ。 とは言うものの,具体的にここの「任侠」を説明するとなると結構難しい.一言でいえば「弱きを助け強きを挫く」という心意気であり,確かにここに書かれた人々はそういう人達が多い。しかしここの登場人物達は,どうもそれだけでは言い尽くせない気がする。この本に書かれてある人々に共通するものは一体なんなのだろう。
「まっすぐな心」。 そこでふと思いつく.「負けない心」.人間には多くの悩みや欲望,しがらみがある.それらに負けずにある信念を持っておこす行動は,時に非常に輝いて見えることがある.それこそがこの本の人物達の魅力なのではないか.この本での「侠の心」とは「負けない心」なのではないか.
人間には様々な生き方がある。 ともかく私にとって「生きる」ということについて,いつも感動させ,悩ませてくれる本である.
しかし文章の素晴らしさは今も全く色あせていない.難しいが意味ありげな漢字が物語の引き立て役となってくれている.内容としては,ひたすら仁を貫く劉玄徳,優れた才能でひた走る曹孟徳,そして比類無き誠臣諸葛孔明が,多々の他の人々とともに活躍する物語.散りばめられている様々なエピソ−ドが面白いのは,歴史の重層さゆえか,はたまた著者の筆の巧みさの為か.おそらく両方に違いない.
あとがきにもあるように,前半では曹操が,後半では諸葛亮が特に輝いているけれども,きっと彼ら以外の人物の中に各人のお気に入りの人物が見つけられるはず.難点は逆に登場人物が多すぎることか.しかし大丈夫,最近は三国志登場人物辞典なるものも売っています(^_^)
あっ,でも吉川三國志って孔明が死んだあとほとんど無い!本当は蜀が滅びるまでなんだけど...
そして裴松之の注がこれまた傑作.陳寿の文章の行間を補う他,文献同士の矛盾点を洗い出し,場合によっては「こっちは,これこれだから正しくない!」と糾弾する.歴史の正確な事実を,ひたすら追い求めようとしているその姿勢は今から1700年以上前に書かれた書物とはとても(素人には?)思えない.文庫本でも出ているので,「普通の」三國志を読んだ方は是非一度目を通してみてはどうであろうか.
解説にも似たようなことが書いてあったが,このような史書には極めて多くの脇役が登場する.一カ所の記述しかない人もいれば,伝として立てられて無くとも,あちこちの伝の間を縫って三国時代を生き抜いた人がいる.どれもおそらく実在した人であることを思うとき,おそらくは歴史の脇役でしかない自分はなんと彼らを身近に感じることであろうか.そのような脇役,そして歴史にも残れなかった他多くの人々がいたからこそ千六百年後の今の自分があることを考えるとき,過去の人々に深い共感を覚えるのだ.
ちなみに有名な卑弥呼の話,魏志東夷伝倭人之章はこの史書の中の一部である.
著者は比較的最近,中国ものを多く書き始めた人だが,この人の作品はどれも面白いと思う.しかし私がどれか一冊に絞るとすれば現在のところ,この「重耳」である.話の展開がわかりやすいし,この人の作品の面白さが十分に出ていると思うからだ.作者が「重耳はずっと書きたかった」と言っているだけあって,素晴らしい作品になっている.
日本における中国物の古典的作品である吉川三国志は,従来の三国志を日本人好みにアレンジしたところが大衆に受け入れられたと言われる.そういう点では宮城谷さんの作品も中国物を日本人(だけかは知らないが)好みに脚色しており,もともとの話に比べて非常に物語性の強い,豊かな内容になっているのだ.例えばこの「重耳」であったら,タネ本となった海音寺潮吾郎の中国英傑伝の中の話と比べてみるとよくわかる.確かに話の筋としては同じだが,どきどきさせ,感動させる躍動感は宮城谷さんの作品の方がはるかに勝っているのだ。
しかしどうもこの人の作品は主人公より周りの人の方がかっこいいんだよな−。
しかし何よりも私が衝撃を受けたのは民主主義を中心とするそのテ−マである.確かに,この本はエンタ−テイメントとして素直に楽しむべき本なのかもしれぬ.しかし実際の歴史の面白さを知っていた私にとっては,その部分ではあまり楽しめなかった.逆に,人類の過去に蓄積された歴史を,将来の話としてSFに被せてしまうやり方は,よく書けたとは思っても最初は不愉快ですらあったのだ.
だが読み進めていくと,いったい民主主義とは何なのか,我々はどういう道を進むべきなのか,そういう問いかけが主人公(だと私は思っている)の口から切実になされていることに気がつく.これらの部分には歴史を好む自分としても強い衝撃を感じざるを得なかった.民主主義というものを深く考えてこなかった報いを私はここで受けることになってしまう.
今から思えば,著者は過去の歴史を未来のSFに被せつつ,実は民主主義という現代とこれからの問題を我々に提示したかったのではあるまいか.表面上は単純なエンタ−テイメントのように見せつつ,実は理性で考えることを要求しているように感じられてならないのだ.
ともかく私にとっては民主主義に関してしみじみと考えさせられた本であった.
考古学を目指し,軍隊経験者で,保険調査員の主人公が様々に活躍する物語。話の展開は冒険映画を見ているかのように面白く,内容は学術本を読んでいるかのように知的好奇心をそそり、語られる話はTVドキュメンタリーを見ているかのように真実味を感じさせる。
この本が面白くなったのは、二つの異なる分野、すなわち考古学と社会問題(特に軍隊が絡むもの)の知識をふんだんに盛り込んだことであろう。「ものを知る」というのは何よりも確かに面白いものであるから。しかしこの漫画の素晴らしいのはそこに優れたドラマをきちんと織り込んだことである。一つ一つにドラマを丁寧に埋め込み、単なるドキュメンタリー漫画に終わっていない。それが我々に知性と感性がうまく溶け込んだ感動を呼び覚ましてくれるのだ。
夫婦の問題,親子の問題,兄弟の問題,そしてそれ以外の数多くの人々同士の問題.人間関係に基づいて発生する問題は社会の中で生きる我々にとって必然的なもの...「自分ならどうするだろう」,読者はこの本を読みながらきっとその問いを繰り返すに違いない.たとえ家庭裁判所なんて縁のない人でも,一人の人間として桑田さんの言葉は心に訴えてかけてくるはずだ.
この作品を読むと,メディアにおける漫画の価値をしみじみと私は感じる.桑田さんはしばしば沈黙する.時には笑顔で,時には厳しい顔で...この沈黙,特に後者が我々に語りかけてくるものはとてつもなく深い.しかし他のメディアでこの沈黙を表せるであろうか.動きをもとめる映像では黙と静は倦厭され,活字メディアでは訴える沈黙を表現するのは極めて難しい.漫画だからこそ心に訴えかけてくる,世の中の現実と桑田さんの沈黙.やはりこの作品は素晴らしい.
はっきり言ってしまうと著者がドツボにはまった作品.著者曰く「掲載誌(某アニメ雑誌)が廃刊になるか,作品が人気が無くなるかして,途中で止めれると思ってた」などと言っているが,途中で切り上げて済みそうな内容では無い.連載を続けざるを得ず,生命と人間について突き詰めていった結果,結局そこになんの法則性も見出せなかった著者の困惑が,作品からも伺える(ような気がする).結局思い知るのは,生命に対する神秘と人間の愚かさ,そして愚かでありながらも一つの生命として生きねばならぬ人間の運命か.
まっ,私としては取り合えず「ナウシカが愛おしいっ」というのが一番の感想で,こんな恥ずかしい文章を書くぐらいです(^_^;;)
終わりに
本は,人付き合いと同様,相性が合う場合,合わない場合,そして出会いの時期などにより,全く感想が違ってくるものです.上の感想は題にもあるように,私の全くの独断と偏見に基づくものであることを改めて明記しておきます.
上のように勧めたからといってほいほいと読んで貰えるとは思っていませんが,まあ機会があったら目を通してみてはいかがでしょうか.
(それにしても偏ってるなー ^_^;)
では本との幸運な出会いを!
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