一百四十一〜一百六十 |
書いていただいた方々、本当に有り難うございます(^^)。
人物名:鄭芝龍
投票者の方:宣和堂主人
< xuan-he@mx3.meshnet.or.jp >
やあ、また長いんですが、ひとつ。
明末、福建泉州の梟雄。別名一官。海賊・顔思斉の元で頭角を現し、後にその集団を後継。台湾、日本を中心にオランダ東インド会社などと交易する傍ら海賊業を営み、南海方面の制海権を手中に入れる。官警と敵対海賊集団に圧迫され、あわや壊滅かと思われたときに政府に帰順。国家の援助を元に敵対勢力の駆逐に成功し、官位を得て堂々と海賊行為と商業行為に励み当時の中国南海貿易の覇者となる。最終的には官位も福建巡撫となるが、崇禎の末年、闖王・李自成が北京を落とし、息付く間もなく満清が入関して天下を取らんとすると、福王を祭り上げて南方に割拠せんとする。が、あまりに脆弱な南京政府は1年もしないうちに瓦解、芝龍は根拠地を自分の地盤である福建に移し、今度は唐王を御輿に担いで反清行動に出る。が、すでに天下の趨勢は覆し難く、邯鄲に明を見捨てて、清に投降せんとするが、自軍のほとんどは頭の固い彼の息子に賛同し投降を潔しとしなかったため、ほとんど身一つで清に下る。先に清に下っていた(といっても彼の場合は成り行きか?)呉三桂らとの処置とは違い、いきなり北京に幽閉され、その後は、情けないことに、息子に清への帰順を薦める手紙を書くだけで(だから息子に“殺父救国”なんて横断幕張られちゃうんだヨ)ほとんど息子に対する人質でしかない(その証拠に彼の息子が南京で大敗するや即座に処刑されている)。梟雄にしては情けない後半生だが、人生そのものが嘘臭い息子の鄭森(賜名・朱成功、世にいう国姓爺)に比べれば遙かに魅力的な前半生をおくっている。李自成と対峙していたら“流賊対海賊”という訳のわからん名勝負が行われたであろうに、非常に残念である(それとも素直に帰順してるか?)。
人物名:陽虎
投票者の方:take
< BYC00247@niftyserve.or.jp >
初めましてtakeと申します。
陽虎ですけど、単に悪役って好きなもので...
というだけだとなんなので、はっきりした理由としては孔子に似ている=
孔子も陽虎になりうるby宮城谷さん、ってとこです。なんかすごい哲学的なかんじがします。
天才となんとかは紙一重とか、カードの表と裏っていうか。なんかそういう2面性って誰もが持ってるような気がします。
では
人物名:劉義慶
投票者の方:土屋 篤史
< s96612at@sfc.keio.ac.jp >
『世説新語』を読んでみて大いに感動しました。
結構ここに出てくる話は面白いものが多いですね。
たとえば曹操の合理的な、策略に満ちた行動の数々が
載せられていて、三国志とはまた違った曹操のすごさを見ることはできます。
ちなみにこの劉義慶は、宋の武帝劉裕の甥だったと思う。
人物名:晏嬰
投票者の方:ham
< ham-1979@mx.biwa.or,jp >
自分の信じる道を、真っ直ぐに踏みはずなさず歩く事ってとても難しい。br しかし、晏嬰(晏子)は、それを実行してきた数少ない人の一人であるともう。br 妥協だらけの自分にとってこの人の人生は、とても眩しく、そして苦難に満ちていると思う。br やっぱ、自分に持ってないものを持ってる人ってあこがれちゃいますよね。
人物名:禰衡
投票者の方:水牛先生
< taizo629@lilac.ocn.ne.jp >
字は正平、若いころから才能にあふれていたが、異常な言動が多く曹操のいかりを買い、荊州の黄祖のところに送られたが、賓客の前で、黄祖に向かって不遜な言葉をはいたため処刑された。
人物名:
投票者の方:
< >
人物名:岳飛
投票者の方:私
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人物名:柴榮(後周・世宗)/趙佶(北宋・徽宗)
投票者の方:宣和堂主人
< xuan-he@mx3.meshnet.or.jp >
どうも田中色が濃いような。それはさておき、お初にお目に掛かります。宣和堂と申します。社会人やりながら、ノタクタ中国史をいじくるものです。
さて、少々興奮気味にこの投票帳を見せていただきました。いいですねえ、熱いですねえ、では私も一つ投票。
まず一人。後周の世宗・柴榮。宮崎市定先生をして“五代一の英主”と言わしめた人物で、中国史において近世を切り開いた人物として、織田信長に例えられる人物。この人の評として最高に熱いのが、宮崎先生の中公文庫『世界の歴史6 宋と元』のなかで10頁を割いて書かれている項。戦場において明敏(宋の太祖を出世さえたのはこの人、太祖も終生この人の恩に報いた)、政治の上で苛烈(理に適った政策を採って、北宋の基礎を築いたのはこの人)、正に理想的な“乱世の皇帝”である。不幸にして齢40に届かず天寿を全うするが、伝説によると、20代の頃、占い師に「余命20年」と言われたときに、静かに「それではあとの十年で天下を平定し、残りの十年で天下を安定させよう」と言い放ったという。いかにも彼らしい挿話である。ちなみに馮道が最後に仕えた君主であった。
で、もう一人、宋の徽宗こと趙佶。周知の通り、『水滸傳』の影の主役(これのもとネタの『大宋宣和遺事』では立派に主役)にして北宋を滅亡に追い込んだ昏君。考えてみれば、宋の神宗も王安石も蘇東坡も蔡京も宋江も董貫も岳飛も秦檜も韓世忠も梁紅玉も宋の高宗も、この人の同時代人である(思いっきり豪華だ)。いろいろ悪く言われる人であるが、私は大好きである。政治的には無能であったかも知れないが、一応福祉のまねごともしている事から、民をいじめてやろうと言う意志もなかったし、他国に攻め入って戦利品をかすめ取ろうともしなかった。ただ、彼は一流の芸術家であり、その意地を通すだけの財力を不幸にして持ち合わせただけである。現在、臺灣の重大な観光資源である故旧博物院の歴代コレクションの骨子は、北宋の徽宗と清の乾隆帝(芸術に関してはよく言って三流)によって作られているが、古代の芸術品を占有することにかけた乾隆帝に比べて、まさに芸術品を愛でた徽宗の方が収集家としては数段上である。また、その作品も歴代書画家と比肩して譲るところはなく、もし臣下が代筆したものであったとしても、鑑識眼は歴代皇帝の中でも並ぶものはない。不幸にして金国の侵略に会い、その身を北方、五国城に置かれ、一説には餓死したとも、又一説には金国の虐待(でんでん太鼓を腰にくくりつけられ、熱した鉄板の上に裸足で放り込まれたという)の末に死んだとも言われる。要するに万乗の芸術天子に相応しい死に方はしていない。そこが又いいのである。
人物名:始皇帝
投票者の方:ちく
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個人的な人柄はさて置き、 その当時の中国っていうのは、通信・交通の点からみたら 現代の全地球よりも広大なはずで、文字や通貨を統合した事は 評価に値する。 現代アジアの指導者は、経済が世界レベルで動いているのに 自国通貨をもち、そのために乱高下を招いているのに 投資家の責任に押し付けている。なさけない。
人物名:陳平
投票者の方:harinezumi
< harinazumi@aaa.letter.co.jp >
血なまぐさい前漢初期の時期の中で、唯一おいしい思いをした。その活躍ぶりは八面六臂である。中国の軍師の一類型として、後世どのように意識されていったのか興味深い。越の笵蠡にも通じるところがあるように思う。
人物名:太公望呂尚
投票者の方:清水英樹
< hshimizu@post.arch.titech.ac.jp >
どうも,初めまして。 暇で,あそんでて見つけました。中国史は三国志から入りましたが,奥の深さに今でもはまっています。 特に最近は宮城谷昌光氏の本を読みまくっています。 今回投票させていただいた太公望もその影響です。 しかしながら,悩みがあるのですが,太公望という尊称は以前,文王の祖父,太公が望んだ人,ということから そうついたと,なにかで読み,ずっとそうおもってきたのですが,宮城谷氏の小説では,どうもそうではなさそうなのです。 これは,読んだことがある人なら分かると思うのですが。実際,呂尚という名前がついているからには,呂が姓で,名が尚と考えれば, 筋が通るのですが,周公旦,召公せき(漢字がでません。),の二人をくらべると,太公が尊称で,名が望と考えることもできます。 宮城谷氏も姓は呂としているのですが,名は望としています。誰か,教えて下さい。
人物名:宋濂
投票者の方:族長
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劉基も捨てがたいが、バリバリ士太夫な彼に一票。文章書かせたら当代無双で、劉基みたいな怪しさも無いし。(怪しいほうがイカスという人もいるが)講談では絶対劉基のほうがカッコイイです。でも、史実を追えば、やっぱ彼でしょう。
人物名:藍鼎元
投票者の方:中根大輔
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この人物を知っている人は少ないでしょう。けれど、ぼくは大好きな人物です。 清朝・雍正帝の頃の、福建省潮陽県の県知事だったひとです。 彼が赴任したこの潮陽県は、わずかな間に5人も知事が変ったというきわめて治めにくい町でした。 それを彼はあるときはおだやかに、またあるときは厳しく、弱者にはいたわりの心で接し、巨悪には それがたとえ政府高官でも容赦しませんでした。彼の活躍は、宮崎市定先生の「鹿洲公案」(平凡社東洋文庫) で見る事ができます。
ヤン・ウェンリーではありません。念のため。もっとも田中先生が彼をモデルにしたことはよく知られていますが。南宋では陸放翁、范成大に次ぐ詩人として、官僚(出世していませんが)としては剛直をもって知られた人物です。
人物名:司馬昭
投票者の方:土屋 篤史
< s96612at@sfc.keio.ac.jp >
曹操が最近はブームなようですが、ミニ曹操として彼も英雄の仲間に加えるべきだと
思っております。
クーデターによって魏の大権を握った司馬懿の二男。兄貴の死後、権力の座について
当時頻発していた反乱をことごとく電光石火の戦略で鎮圧する。
内政に関しては屯田制で不正横領してきた経験からこれを廃止、また着々と
自分の名前で法律を発布したり敵でも恩を売って公正な一面をアピール、
爵位制度を改めて、司馬氏への絶対の忠誠を誓わせ、人望を集める。
魏の四代皇帝曹髦を殺したときも名声をなんとかくいとめ、蜀の征伐に成功。
その一方でケイ康といった危険な文人を処刑したり、ゲン籍のような奇人を保護したりしている。
結局は晋王になったところで寿命が来るんですが、「周の文王、魏武(曹操)になったようだ」と
さりげなく言って、息子の司馬炎への準備も忘れていない。なかなかの強者です。
「私的中国史調査会」1000人アクセスゲット。
人物名:孟嘗君
投票者の方:夏目葵
< j8197072@ed.noda.sut.ac.jp >
えっと、当然あの宮城谷氏の作品によるものです。(^^)
けどやっぱり案の定、白圭さんと票が割れてますよねぇ。(さらに^^)
本当の彼はやっぱり人を愛し、人と触れ合い、人の中に自らを置く、そんな境地に達した
人であるわけで、この人もまた「至人」であると言えると思います。
(ああっ、けどそれを決して自ら言わないで、人を尊び続ける事に意味があるのか・・・・?(汗))
・・・・・けど。それにしても五票ぉ???んで関羽さまがな・・・・72??
・・・・・・・・ふぇぇぇん。やっぱり三国時代には勝てないのかなぁ??
ガンバレ宮城谷さん!!次は太公望らしいけど。(笑)
人物名:関策 三国時代
投票者の方:TONO
< s6112007@ic.daito.ac.jp >
人物名:文天祥
投票者の方:福井俊充
< t2197311@cnc.chukyo-u.ac.jp >
三国時代の周喩のように、彼もかなり美形であったそうで、若いころはかなりの遊び人。
それでいて祖国の滅亡に私財をなげうってまであくまで抵抗し、モンゴルがわに捕らえられた
後もその忠義と才能を惜しむフビライの説得にも頑として屈しない。僕はこういう顔がかっこ
良くて生き方もかっこいい人物に魅力を感じます。誰か彼の生涯を描いた本を御存知のかた
僕に紹介して下さい。
人物名:荊軻
投票者の方:屈如蒙
< s971103@yamata.icu.ac.jp >
「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還(あってたかな?)」彼こそ士の鑑です。
ところで、曹操は曹魏成立以前、周瑜は孫呉成立以前の人物なので時代は「後漢」
としておくほうが妥当なのでは?
人物名:黄飛鴻
投票者の方:高橋信恵
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黄飛鴻は実在の人物です。医者であり拳法の名人という所がカンフー映画の作り物のようですが。私も歴史を調べたのではなくリー・リンチェイの映画で知りました。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ1 天地黎明」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ2 天地大乱」です。リー・リンチェイは映画「少林寺」のシリーズで人気者になった中国武術の達人で、多数の映画に出演しています。実在の鴻飛鴻について調べた訳ではないので映画のイメージしかありませんが、人物のリストに名前が出ていたのでつい投票してしまいました。(実は会社のパソコンを使っているのでメールの宛先は入力できません。)
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