「葵五郎ジャイアント」【作品解説】


『葵五郎ジャイアント』は、分類するなら“巨大ヒーロー”ジャンルに属する 作品である。「ウルトラマン」(66)によって確立された、この巨大ヒーローとい うジャンルは、世界に類を見ない日本独自のユニークなコンセプトといっていい だろう。「スーパーマン」(38)がその後のアメリカン・コミックのスーパーヒー ローのあり方を決定づけたように、日本では「ウルトラマン」がほとんど全ての TVヒーローのマザーとなった。初放送時より30年を経た現在においても、その 影響下にない作品は皆無、といってもいいほど、「ウルトラマン」は良くも悪く も和製スーパーヒーローの世界にどっしりと根を下ろしている。

 その意味で、本作『葵五郎ジャイアント』もまた、ウルトラマンズ・チルド レンのひとりであることは確かだ。変身後の五郎の気合いの声、そしてファイテ ィング・ポーズがまさに初代ウルトラマンそのものであることは、「ウルトラマ ン」を見たことのある人なら誰でも気づくことであろう。もちろんそれは、『葵 五郎ジャイアント』がそうした「ウルトラマン」的ヒーローのパロディとしての 側面を持っているためでもあるのだが、だからといって、本作がパロディを主軸 にしている作品かというと、決してそうではない。ウルトラマンのパロディなど それこそゴマンとあるが、凡百のパロディと本作が決定的に異なっている点は、 製作者が『葵五郎ジャイアント』という新ヒーローを、一から創造していること につきるだろう。このオリジナリティ故に、本作は一個の作品としての独立性を 獲得しているのだ。

 それでは、本作が巨大ヒーロー史的に見て、どのような独自性を持っている かを考察してみよう。「ウルトラマン」以降の巨大ヒーローには、大きく分けて 2つの系統がある。すなわち、(1)異星人、異次元人などの“エイリアン”が 、その能力によって、あるいは本来の姿を現して巨大化するもの。(2)普通サ イズの主人公が、巨大ロボット等に乗り込むもの(これにはアニメからの影響と いう側面もある)。という2つである。前者はそのまま「ウルトラマン」とその 亜流作品に、後者は「○○レンジャー」といったいわゆる“戦隊ヒーローもの” に多くあてはまる。では、本作『葵五郎ジャイアント』はいずれか。そう、お気 づきのように、どちらにも当てはまらないのだ。あえていえば、科学の力で変身 するという点で(2)のバリエーションといえなくもないのだが、それにしても 生身の肉体のまま巨大化する葵五郎が例外的な変身ヒーローであることは間違い ないだろう。

 ここで思い出されるのがやはり例外的な変身ヒーローであった「シルバー仮 面」(71)だ。シルバー仮面は一種のサイボーグなのだが、シリーズ途中から巨大 化能力を身につけ、怪獣と戦うことになる(注1)。その意味では前述の(1) と(2)のカテゴリーの中間に位置するとでもいうべき“異端児”であった。変 身した葵五郎が特に優れた能力を持っているわけではないところなど(一応、必 殺技らしきものは持っているが)、やはり傑出する能力を持たなかったシルバー 仮面を彷彿とさせる。さらに、巨大化能力を持った後のシルバー仮面の番組タイ トル「シルバー仮面ジャイアント」と本作のタイトルの類似を考えても、本作の シルバー仮面に対するオマージュを見ることができるだろう。加えるなら、スト レートに「ウルトラマン」を持ってこない部分に、佐分利監督のクセ者ぶりも伺 えるのではないだろうか。

 また、本作には、日本の特撮ヒーローだけでなく、海外作品の影響も見え隠 れする。例えば、葵五郎の職業が平凡な営業マンであることだ。主人公の正体に 周囲の人が気づかない、というのはヒーロー物語の定石ではあるが、主人公の職 業が極めて平凡なものである、というのは、むしろアメリカン・コミックの世界 に多く見られる傾向である。「ウルトラ」シリーズの主人公は伝統的に特務機関 に属しているし、それ以外のヒーローも、大部分は組織ぐるみで擬装経営する店 に勤めていたり、探偵であったりと、あまり一般的とはいえない職業に就いてい る(普段何をしているのか分からないヒーローも多い)。それに比べると、スー パーマンは普段は新聞記者であるし、スパイダーマンはカメラマン、バットマン は実業家、キャプテン・アメリカは以前広告デザイナーだかイラストレーターだ かをやっていた。比較的時間に自由なイメージのあるマスコミ関係が多いとはい え、まあ一般的な仕事といえるだろう。そういう意味で、葵五郎の営業マン兼ス ーパーヒーローというのは多分にアメコミ的であるといえる。日本のヒーロース トーリーも、これまでアメリカン・コミックに後れをとっていた“ヒーローとい う職業を持った普通人”を描くという局面に入ってきたのかもしれない。この辺 りは本作の今後の展開に期待したいところだ。

 さらに海外作品の影響として、今回の敵である悪の巨人が、バート・I・ゴ ードン監督の『戦慄!プルトニウム人間』(57)等一連の作品の引用と見られる点 が挙げられる(注2)。プルトニウム人間マニング大佐が破壊したのは人工的な ラスベガスの街であり、本作の悪の巨人が破壊したのも、やはり作られた都市で ある臨海新都心。科学=人類の暴走を暗喩する点から見て、この2つは同じ意図 の元に設定されていると考えていいだろう。まあ、思えば『キング・コング』(33) の昔から、いや、ジョルジュ・メリエスのトリック映画の昔から、“巨大もの ”はSF映画の主要なファクターの一つだったわけであり、その意味では海外作 品の影響は当然で驚くに値しないかもしれない。だが、バート・I・ゴードン監 督作以外だと、近年『ダリル・ハンナのジャイアント・ウーマン』(93)としてリ メイクされた『Attack of the 50ft. Woman』(58)か、これまた比較的最近の『 ジャイアント・ベビー』(92)ぐらいしかすぐに思いつかないという、意外に少な い“巨人映画”から引用を持ってくるところに、佐分利監督の新人らしからぬし たたかさが見える(ちなみにベビーもラスベガスを襲撃する。こうした古典への リスペクトがキチンとしているところが、ハリウッドの侮れないところである) 。

 初代「ウルトラマン」から30年経った現在。子供の頃にその洗礼を受けた、 真の意味でのウルトラマンズ・チルドレンによる新世代の作品が登場してきてい る。アニメながら、庵野秀明監督による「新世紀エヴァンゲリオン」(96)などま さにその代表的なものだろう。そして本作『葵五郎ジャイアント』もまた、違っ たアプローチながら、ウルトラマン世代の監督によって作られた直系の子孫なの だ。

 70年代末から特撮ヒーローは下火になり、かわりに「宇宙戦艦ヤマト」(74) によってアニメブームが起こった。その後、80年代に入り「機動戦士ガンダム 」(79) 以降はリアリズムを重視したロボットアニメが日本のSFドラマの主流 を占めることとなる(ヤマト、ガンダムともに放送終了後に人気が高まったため 、放送年とブームの時期はズレている…念のため)。巨大ヒーローはすっかり時 代遅れになり、低年齢層向けの戦隊ヒーローものの中にしかその姿を見ることは なくなった。しかも「ウルトラマン」的な異星人ヒーローなど、皆無であった。 そうして90 年代も末に入り、ようやく状況が変わってくる。「ウルトラマン」 的なものに思い入れを持つ世代の台頭である。リアル・ロボット路線と折り合い をつける形で、異常なまでに細部を作り込むことによって巨大ヒーローを現代に 復活させた「エヴァンゲリオン」、そして今やパロディでしかありえない“実写 の巨大ヒーロー”というコンセプトを逆手にとって作られた『葵五郎ジャイアン ト』(もうひとつ、「ウルトラマン」の実質的なリメイクという形で本家の「ウ ルトラマン・ティガ」(97)というのも作られているが)。その両者にも、「ウル トラマン」へのオマージュと屈折をみることができる。「ウルトラマン」で受け た感動を再現しようとしながらも、現代においてそれをストレートに表現するこ との困難を知り、試行錯誤の末生み出されたのが両作なのだ。その意味で、この 2作は近いところにあるといえるだろう。

 冒頭に書いたように、良くも悪くもこの30年間、日本のスーパーヒーロー物 語は偉大なマザー、「ウルトラマン」の庇護の元にあった。だが、そうした構造 そのものを疑うことのできる、彼らウルトラマンズ・チルドレンのクリエイター たちの出現によって、初めて、偉大なる母の手から自立した、新しいスーパーヒ ーロー物語が作られるのではないか、そうした期待を感じるのである。


注1:「シルバー仮面」は、実相寺昭雄監督や脚本家・市川森一ら「ウルトラ マン」のスタッフを揃えた、普通サイズのヒーローが活躍する特撮ヒーロードラ マであった。米TVドラマ「逃亡者」(63)をモチーフにしたというストーリーは 見応えがあり、現在でも一部にカルト的な人気を誇る。だが、子供にターゲット を絞りきれなかったのが災いし、放送当時は、やはり特撮界の巨匠・本多猪四郎 監督など豪華スタッフが売り物だった裏番組「ミラーマン」(71)に視聴率の面で 押されていた。そこで視聴率低迷のテコ入れとして、シルバー仮面は巨大ヒーロ ーとして再生することになり、11話以降は「シルバー仮面 ジャイアント」とな った。しかしながら、その分内容的には深みをなくしてゆくこととなる。

注2:余談だが、バート・I・ゴードン監督は、よっぽど巨大ものが好きなの か、代表作『戦慄!プルトニウム人間』と続編『巨人獣』(58)以外にも、『KING DINOSAUR』(55)、『吸血原子蜘蛛』(58)、『VILLEGE OF THE GIANTS』(65)な どといった巨大化ものばかりを撮っているB級SF映画界一の巨大化野郎である 。たまに違うのを撮るかと思うと逆に人間をミクロ化する『生きていた人形』(58) なんてので…やれやれ。


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